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<東京怪談ノベル(シングル)>


     ブランゲーネは主人に忠実!?

「カスミせんせー!」
 放課後、廊下で呼び止められ、カスミは振り返った。
「どうしたんですか?」
 神聖都学園、高等部の女の子たちだった。
「あの、私たち演劇部なんですけど、今度オペラに挑戦したいんです。先生、指導してもらえませんか?」
「素敵ですね。どんなオペラをやるんですか?」
「『トリスタンとイゾルデ』です!」
 女子生徒たちは、半ば興奮気味に答える。
 それは中世ヨーロッパの物語で、間違って愛の秘薬を飲んでしまった王の甥トリスタンと王妃のイゾルデの悲しくも美しい話だった。
 オペラの作曲は、『ワルキューレ』でも有名なワーグナー。
 前奏曲には調性が曖昧な和音――トリスタン和音といわれる――を使っていて、前例のない大胆な始まり方をしている。
 ラストの『イゾルデの愛の死』もまた有名な曲である。
「いい選択ね」
 数多くあるオペラの中で、それを選ぶなんて、と誇らしい思いでカスミは言った。
「でしょう!? こないだ映画見てすごい感動したんですよー」
「悲劇の恋なんて、ロミオとジュリエットみたいだよね」
「違うよ、王妃と騎士の不倫だもん。ギネヴィアとランスロットのが近いって」
 しかし返ってきた言葉に、思わず笑顔が固まってしまう。
 うん……まぁ、高校生の女の子だと、そんなものかもしれない。
 とりあえずそういう方向から名作に触れていくのも肝心よね。
 カスミは自分自身に言い聞かせるようにしてうなずいた。
「えっと、でもそのオペラってすごい大作だったと思うんだけど、大丈夫? 登場人物にも男性が多いし……」
「大丈夫です。長いところは削りますし、男役も何とかします」
 ……えっと、オペラって楽劇だから、セリフの一部を削るとかってすごく難しいんだけどな。
 それに役者=歌手だから、声質もすごく大事で、バスとかテノールとかアルトとかソプラノのとか、役によって決まっていて……。
 と、突っ込みどころは満載だったものの、演劇部の子がオペラに挑戦してみたいというのはとてもいいことだし、コンクールなどではなく学内での発表だということだったので反対はしなかった。
「私にできることがあれば、何でも言ってちょうだいね。できるだけ協力するわ」
「本当!? 実はね、先生にはもう1つ頼みことがあって……」
 待ってましたとばかりに目を輝かせる女生徒に、思わずたじろいでしまう。
「先生も出てくれませんか!?」
「え……えっと、何をすればいいんですか?」
「主人公のイゾルデでもいいんですけど、それはやっぱり演劇部の方でやりたいんで、侍女のブランゲーネ役をお願いします」
「そうね……」
 女子高生に混じって舞台に立つというのは、少し気恥ずかしい気がする、と悩むカスミに。
「ちなみにですね、今回は大学の方のサークルや、他の先生にも声かけてるんですよ。吹奏楽部と提携して生で楽器を演奏してもらうことにもなってますしね。一大プロジェクトです!」
「まぁ、そうなの。それはおもしろそうね」
 どうやら思っていたよりも本格的らしい。オペラ指導の方も本気でやった方がよさそうだった。……もちろん、最初から手を抜く気はなかったけれど。
「ね、だから先生」
「ふふ、そうね。そこまで言われたら……」
 やってみようかな、と口にするより先に、演劇部の女子諸君は喜びの声をあげる。
 そしてどこからか出してきた紙袋を差し出して。
「ありがとうございます。これ、衣装なんで着てください」
「え……もう衣装用意してるの?」
「部員たちで古着屋で買ったんです。絶対、先生に似合うと思います!」
「じゃあ、よろしくお願いしまーす」
 用件を伝え終わると、生徒たちは疾風のごとく駆け抜けていった。
 何だか、からかわれているような、なめられているような……そんな気がしないでもなかったけれど。
 紙袋を手にカスミはぽつんと立ち尽くす。
 ――そうだ、中世のヨーロッパが舞台みたいだし、イアルさんからお話を聴いてみようかしら。
 自分の思いつきに、それがいいとうなずき、帰路につくのだった。


「イアルさん、ただい……あ!」
 リビングに入るなり、石化してしまっているイアルの姿を発見した。
 窓を見ると、丸い月が煌々と光を投げかけている。
 カスミは慌てて窓に駆け寄り、カーテンを閉めた。
 ――そっかぁ、今日って満月だったんだわ。うっかりしてた……。
 カーテンを閉めたとはいえ、満月の光は完全に遮られるわけでもない。
 石化を解くのは明日にした方がいい、と結論づける。
 少し寂しいし、不安だけれど、もう何度も体験していることだしいちいち慌てるわけにもいかないのだ。
 カスミはとりあえず、生徒たちにもらった紙袋をあけてみた。
 中に入っていたのは、白いシャツに黒い長袖のワンピース。白いエプロンドレスに、フリル付のキャップ。
 シンプルで上品な、ヴィクトリアン調のメイド服だった。
「……メ、メイド服って……」
 ヴィクトリアン調っていったら、確か19世紀。中世ヨーロッパの侍女とは違う、はず。
 というより……これ、私が着るんですか?
 困惑しつつも、せっかく生徒が買ってくれたのだから、ととりあえず試着してみることにする。
 ――だが、カスミは気づかなかった。
 購入した生徒たちも、知ることはなかった。
 レンタルでもなく、制作するでもなく。何故古着屋でそれを買うことになったのか?
 人を魅了するその衣服に、秘められた魔力……それに気づくことができるイアルはその夜、石化の状態にあったのだ……。


 朝、鳥の声が聞こえる中、寝室のカーテンが開けられた。
 ベッドの上で眠るイアルは未だ、石のまま。
 その唇に、そっとカスミの唇が触れた。
「……お目覚めになりましたか?」
 イアルが目を開けると、カスミの顔が目前にあった。
 しかしそれは、キスによって石化が解けるイアルにとってはさほど珍しいことでもない。
「わざわざ、ベッドまで運んでくれたの? ありがとう」
 イアルはお礼を言って、身を起こした。
「とんでもありません。当然のことをしたまででございます」
 カスミはそれに対し、両手をそろえ、深々とお辞儀をした。
「……え?」
「イアルお嬢様。温かいお湯を用意しておりますので、こちらでお顔をお洗いくださいませ」
「あ、ありがとう……」
 随分用意がいいわね、と思いながらも、洗面器を差し出されたので、とりあえずそれで顔を洗う。
「タオルでございます」
「……あの、カスミ?」
 タオルで顔を拭き終えると、イアルは小首を傾げながら声をかける。
「はい、何でございますか?」
「一体どうしたの?」
 メイド服に身を包み、甲斐甲斐しく世話を焼くカスミに、不審な目を向ける。
「どうも致しませんよ。朝食の用意ができておりますので、少々お待ちくださいね」
 しかしカスミはそれに微笑みとお辞儀で答えた。
 ほどなくして、湯気の立つ朝食がお盆に乗せられ、運ばれてきた。
「失礼します」
 ミニテーブルが置かれ、その上に、食事が用意される。
「ちょ、ちょっと。いいわよ、そんなことまでしなくても」
 ベッドから降りようとするが、背中にクッションが用意され、足元には布団がかけられ、それを阻まれる。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
 オートミール、ボイルしたベーコンとソーセージに目玉焼き。ハッシュドポテトにチーズ入りのサラダとカリカリのトースト。
 それにポットからは紅茶のいい香りが漂ってくる。
 朝から随分と豪勢なものだった。
 しかしどうやら、それは一人分のようだった。
「あなたは食べないの?」
「後でいただきます」
「一緒に食べればいいのに」
「いいえ。お嬢様とご一緒だなんて、恐れ多い」
「本当に、どうしちゃったのよ、カスミ」
 イアルは呆れながら、紅茶を注ごうとポットに手を伸ばす。
「いけませんお嬢様。そのようなこと、私が致します」
 しかしそれを奪われ、カスミが慌てて入れてくれる。
 というより、いつもは「紅茶はイアルさんにお任せした方がいいですよね」なんて言っているカスミが、自分で茶葉を選んで淹れること自体がすでにおかしい。
「ねぇ、そろそろ着替えないと、学校に遅刻しちゃうんじゃないの?」
 とりあえず、真面目で仕事熱心なカスミが飛びつきやすそうな話題を提示してみる。
「学校、ですか? イアルお嬢様が行かれるのでしたら、お供致します」
「そうじゃなくて。あなたは音楽教師でしょう。職員会議とかがあるから早めにいかなくちゃいけないんじゃなかったの?」
「いいえ。私、カスミはイアルお嬢様のメイドでございます」
 ――どうやら、自分のことを覚えていないらしい。
 カスミがこんな冗談を、それも延々と続けるタイプではないのはわかっている。
 元々世話好きな性格なのと少し寝ぼけていたので、対応が遅れてしまったけど……。
 これはどう考えても、何かの魔力が働いているわね。
 イアルは朝食に手を伸ばしながら、じっとカスミの様子を窺った。
 怪しいのは、あのメイド服。
 単に古めかしいだけじゃなく、何かしらの魔力を感じる。
 記憶を失ってメイドになりきるのは、どう考えてもあれのせいだろう。
「――カスミ、その服を脱ぎなさい」
「え!? な、何をおっしゃるんですか、お嬢様」
 急な言葉に、カスミはかぁっと顔を赤くした。
「いいから、脱ぎなさい。メイドなら、従えるわね?」
「そ、そんな……」
 カスミは真っ赤になって、もじもじし始める。
「ここで、とは言わないわ。向こうの部屋でいいから」
「あの、でも、私……脱ぎたくないです」
 ぼそりと、小さな反論が返ってくる。
 これも、メイド服の魔力のせいなのだろうか。
「脱ぎなさい。それとも、無理やり脱がして欲しいの?」
 イアルはたまりかねてカスミの服をつかんだ。
 すると。
「いや……っ、おやめくださいお嬢様……!」
 どうにも誤解を招きそうな声がかえり、思わず手を離してしまう。
「あ、あのねぇ」
 瞳を潤ませて見つめてくるカスミに、イアルはどうしたものか、とため息をついた。
 朝食が終わるとカスミはすぐにそれを片付け、今度はイアルの髪をときはじめる。
 櫛で丁寧に梳かし、髪の毛を綺麗に結い上げると、カスミは立ち上がり、クローゼットの中を開けた。
「今日はどれを着られますか?」
 言いながら、いくつかのものを取り出し、どちらがいいか、など尋ねてくる。
 どうやら、ベッドから動かす気はないらしい。
 イアルが選ぶと、今度はそれを持ってきて。
「ではイアルお嬢様、お着替えをお手伝い致しますね」
 そう言って、にっこりと笑うのだった。
「い、いいわよ。そのくらい、自分でやるから」
「いいえ、お嬢様にそのようなことさせられません」
 何度言っても、譲らない。そういうところだけは、きっぱりとしているようだ。
「あのね、脱がなくちゃいけないのはあなたの方でしょ。言っておくけど、お風呂に入るまで待つ気はないわよ」
「あ、お嬢様、お戯れを!」
「変な言い方しないの! いいから脱ぎなさいってば」
「お許しください、お嬢様。どうか、お願いします」
 必死になって抵抗するカスミに、イアルはどうしようもなくなってしまう。
 だからといって、このまま放っておくわけにもいかない。
 ……こうなったら、仕方がないわ。
 イアルは意を決して、鏡幻龍(ミラール・ドラゴン)を呼び出した。
 五つの首を持つ東洋の龍を目にして、カスミは恐怖の悲鳴をあげた。
 ――加減は難しいけれど、自分ならばできる。
 そう信じて、涙目のカスミに一撃を放つ。
 石化ブレスによって、カスミの身体は見事に石化してしまった。
 ただし、服だけはそのままに。
 イアルはその服をうまいこと脱がしてしまうと、そこから魔力だけを奪い去る。
 ――危なかった。このままだと本当にメイド服が手放せなくなって、脱いでも戻れなくなるところだったみたい。
 改めてその性能を分析してみて、イアルはゾッとしてしまった。


 石化から戻ったカスミは、そのときのことはまるで覚えていなかった。
 生徒たちにもらったメイド服だと嬉しそうに言って、イアルの話を聴きながら、一緒にオペラの練習に励む。
 ――メイドのカスミも、悪くはなかったけれど。やっぱり普段どおりが一番ね。
 なんて思ってしまうイアルなのでした。