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花逍遥 〜冬に咲く花〜
■ 春の嵐 ■
今年は常と比べて花の芽吹きが早い。
冬王は綜月邸の庭に植えられた紅梅を見上げながらそう思った。
一月の初めに紅梅が蕾をつけることは滅多に無い。だが、目の前のそれは既に満開に咲き誇り、仄かな甘い香りを周囲に満たしている。
冬王は、ひらりひらりと舞い落ちる花弁を手のひらで掬い上げると、その原因を思いながら深い溜息を零した。
「何を悦に入っているのだ冬王」
声を掛けられ振り返ると、屋敷の縁側に居た輩と視線があう。
薄色の長い髪に紅梅色の瞳。左頬の下に桜の刺青をほどこした男が、脇息にもたれ掛かりながら卑らしい笑みを浮かべていた。
「悦に入っているのはお前だろう。お前の好むその馬鹿騒ぎが、私の性には合わぬのだ」
男は女をはべらせ、それとじゃれあいながら酒を飲んでいた。
襟元をゆるめ、鼻の下をのばしている (ように冬王には見える) 相手の様は、まるで遊郭通いの風来坊のようだ。己の姿を鏡で見てみろと、冬王は相手を諌める。
男は不機嫌な冬王を見るのが楽しいのか「ふふん」と鼻で笑いながら酒を己の口元へ運んでいた。
「冬の性など熟知している。白銀の世界は美しい。だがその下に広がるのは枯れ果てた大地だ。少しは枯野の如く寂れたその気質を変えてはどうか?」
私のように華やかさを持てと、高慢な態度で男が言う。冬王はもう一度溜息を吐くと、男へと向き直った。
「花の綻びは美しいばかりではないな。時に見苦しくもある」
「……なんだと?」
冬王の言葉に、男がぴくりと反応する。
「美しく咲くのは良いが、我先にと他者を押しのけ咲き出だすものほど見苦しいものはない。所詮花も散れば無に還る。世の理にてらせば、我々四季神も所詮その程度のものだ」
途端に男が苦々しい表情になった。再び酒を煽ると、傍らの女に無言で酒を盛るよう促している。
冬を枯野というのであれば、この男の質は芽吹き――幼子――だろう。歳若い蔓の方が余程達観している。
冬王がそれを口にする前に、二人の会話を聞いていたもう一人の男が間に入った。
「紅梅が美しく咲いているのですから、お二人ともそのくらいにしましょう。喧嘩で春を迎えるのは勿体無いですからねぇ」
険悪な雰囲気をまるで気にせず、のんびりとした口調でそう言ってのけるのは、この屋敷の主、綜月漣だ。
『春の訪れの早さに驚きは致しましたが、それもまた一興。我が家の庭の梅を愛でに、宇治よりおいでになりませんか』
漣が冬王へそんな言伝を送ってきたのは、つい数刻前の事だ。
何故「あの男」がこの時節に来訪したのか。何か大事でもあったのかと驚いて来てみれば、予想に反してこの宴会騒ぎである。流石の冬王も脱力しかけた。
「……己の領域でのんびりして居ればよいものを。来るのが早すぎるのだ」
冬王は、華やかな紅梅に座を奪われ、所在なさげにしている蝋梅へ視線を移した。
「可哀想に。気圧されているではないか……」
紅梅は春の属。だが同じ梅でも蝋梅は冬に属する。
本来、この時期に盛りを迎えているべきは蝋梅であったろうに――。
そんな冬王の独り言が届いたのか。漣がのほほんとした笑顔を向けてくる。
「ではそちらの蝋梅を使いに遣ってはいかがでしょう。どうやらもう一方、客人が参られたようです」
漣が庭の入り口へと視線を向けた。すかさず、傍らで酒を飲んでいた男が顔を上げる。
「珍しいな。女か?」
「……さて、どうでしょうねぇ。お楽しみは後にされた方が宜しいかと存じますが?」
「いやにもったいぶるな……まあ良い。盛大に出迎えてやれ。私の眷属を貸してやろう」
男がパチンと手を打つと、その場に数人の女が姿を現した。
いずれの女も20代前後で、美しく妖艶な姿をしている。いかにもこの男の好みそうな顔だ。
「ははは。ではまず春を客人へお目にかけるとしましょうか」
浮かれた声音から察するに、漣もまた、よからぬ事を考えているに違いない。関わり合いにならない方が身のためだと、冬王は彼らの会話に割って入ることはしなかった。
■ 魔の扉 ■
年が明け、冬休みも後半へさしかかろうという日。
嘉神・真輝は、一人静かに綜月邸の前で佇んでいた。
手には大きな包みを抱えている。冬王へ渡すために一年かけて作り上げた「2008年度版押し花」だ。
ここ二年ほど、真輝は冬王のために押し花作りをするようになっていた。
押し花を作り始めて実感したのだが、これは想像以上に大変な作業だ。草花の選別から始まり、保管方法や押す時の力加減に至るまで、全てに気を配らなければならない。最も重要なのは、どのようにすれば一番見栄え良く形を残す事ができるかという事。これは作り手のセンスが問われる。さらに飾りつけなどを施せば、それに使う材料で部屋は瞬く間に汚れてゆくのだ。全くよく続けているものだと、真輝自身驚かずにはいられない。
だが自分が何かをすることで相手が喜ぶのなら、やはり悪い気はしないものだ。
ともあれ、相手は冬の時期にしか会えない神だ。ゆっくり語り合うには学校が始まる前の冬休みが最も適している。
「……寒い。寒いが暑いより遥かに快適! ちと遅れたが、今年も顔見に行かんとな♪」
そう意気込んで、冬王に会うために綜月邸へ赴いた……のは良いのだが。
玄関の呼び鈴を押してから既に5分。一向に家の主が出てくる気配は無かった。
真輝が来たと察知して、好きに入って来いと暗黙のうちに許可を与えているのか。はたまたわざと出てこないのか。詳細は不明だが、これまでの経験から予測するに、「わざと出てこない」が正しいだろう。
ここへ来ると毎度のように迷うのが、一体どこから入れば何事も無く漣や冬王にあえるのかという点だ。
玄関から突入すれば過去の世界へ吹っ飛ばされる。
かといって中庭へ直行しようものなら、猛吹雪やらタライが落ちてくる。
住人に遊ばれているとしか思えない、あれやこれやそれが走馬灯のように真輝の脳裏を駆け巡ってゆく。
だが、そんな過去を思い出しながらも、真輝は不敵な笑みを口元に浮かべた。
「ふっ。俺は学習した。下手に自分から入ろうとするから災難に合うんだ。玄関開けずに呼び出せば、何事もないはず! 出てくるまでずっと待ち続けてやるぜ!!」
今年の嘉神真輝は一味違う! とガッツポーズをしながら、真輝は屋敷内にいるであろう連中に外から声を掛けた。
「ちーす、つくね居るかー?……」
返事は無い。周囲は静寂で満たされ、時折風に揺られて常緑樹が葉擦れの音を立てているだけだ。
「おーい漣! 居るのは解ってるんだ。出てこいや!!」
玄関をドンドンと拳で叩いてみる。だが、やはり返事は返ってこなかった。
「…………」
玄関で待ち続けた挙句、気がついたら夜でした。ちゃんちゃん♪
……なんてオチだけは避けたい。だがここで妥協し、自ら玄関を開けるのはもっと避けたい。
さてどうしたものかと、真輝が思考を巡らせたその時。
パシン!!
何の前触れも無く、勢いよく玄関の引き戸が開かれた。
突然の事に驚いた真輝は、玄関の奥へ視線を向け、さらにその先に在った光景に思わずたじろぐ。
平安装束を身に纏った女が数人、玄関の上がり框から真輝を見下ろしていたのだ。
「…………」
ざっと見ただけでも6、7人は居る。冬王の使いか? と思いはすれど、咄嗟の一言が出てこない。
当然だ。
一体誰が「玄関開けたら女性のお迎え♪」などという豪華なサービスを想像していただろう。
さらに気になるのは、この女達の表情だった。
明らかに不機嫌そうなのだ。
眉間にしわを寄せながら、真輝を検分するような目つきで眺め回してくる。
初めこそ、どうしてよいやら判断がつかずにポカンとしていた真輝ではあったが、流石にこの視線には不快感を覚えた。
「……んだよ。俺の顔に何かついてるか?」
両腕を組んで睨み返してみる。
だが、女達は真輝の言葉をまるで聞いていない風で、ひとしきり真輝を眺め回すと、互いに好き勝手な事を話し始めた。
「ふん。何よ、偉そうにしているけれど人間じゃないの」
「どうかしら。巧妙な術でも使って人間を模しているだけかもしれなくてよ?」
「屋敷外で大声を出すなど、蛮人の如き所業。よもや狐や狸の類ではあるまいか」
「まぁ、狐狸ごときが女人の姿を模すなど。間違いでもあって、我が君のお手がついたらどうなさいます」
一体誰の事を言っているのかと真輝は周囲を見渡す。だが女達の前に居るのは自分一人。明らかに真輝に対する嫌味だ。
冬王に会う為に漣の家へ赴いただけなのに、何故見も知らない連中から悪口をいわれなきゃならんのか。
事態をしっかり把握できては居ないが、悪口を言われて黙っている真輝ではない。
真輝は目の前の女どもに向き直ると、どす黒い笑みを浮かべながら反撃に出た。
「ケバイ化粧で出迎えサンキュー。お前らつくねの使いっぱしりか? 一瞬バケモンの仮装大賞かと思ったぜ」
「んまぁ!」
真輝が狐狸だというなら、顔を真っ白に塗りたくったこの女達は、怪談話に出てくる幽霊に近い。
女達は、真輝が反撃してくるとは思わなかったようで、驚いた風に互いの顔を見合わせている。
「化粧もせずに外を歩くなど、女としての嗜みすら無い方に言われたくはありませんわ!!」
「まぁでも、狐狸如きに化粧をせよと申すのも、愚かなことかしら」
「あら。お山の狐や狸でも、人を化かす時はとびきりの化粧をした女の姿で現れましてよ」
「ということは、こちらの方は狐や狸よりも下賎という事かしら」
そう言うと、女達は一斉に「ほほほ」と楽しそうな調子で笑い出す。
学校で、生徒達にからかわれる事には慣れている――慣れたくはないが――。
童顔で身長が低いから、学生や女と間違われる事にも慣れている――かなり嫌だが――。
だが、ここまで性根の捻じ曲がった連中に好き勝手言われ続けるのも、たまったものではない。
「いい加減にしやがれお前ら!! 俺は狐でも狸でもねぇ! れっきとした人間だ!! つーか俺は男だ!!!」
真輝がそう叫んだ時だった。
「…………あのぅ」
女達の背後から、恐る恐るといった口調で声を掛けてくる者が居た。
真輝を含め、その場に居た全員が奥廊下へと視線を向ける。
年の頃は17、8位だろうか。ケバイ女達と同様、平安装束を纏った娘が、玄関口で繰り広げられる喧嘩腰のやり取りを、怯えるように眺めていた。
「申し訳ありません。あの……冬王様と漣様が……客人はまだかと……急ぎお連れするようにと言われて参ったのですが……」
娘が、ちらりとこちらへ視線を向けてくる。真輝と視線があうと、萎縮しまくっていた娘が微かにホッとしたような表情を見せた。
「……あ、真輝様でしたか」
「…………?」
名を呼ばれ、真輝は首を傾げた。
はて、何処かで会っていただろうか。これまでに起きた数々の異現象を思い出してみるが、相手の顔に見覚えが無い。
そんな真輝の様子に、娘はふふと愉快そうに笑って目を細めると、深々とお辞儀をしてきた。
「真輝様はきっと、私のことを知りません……私は中庭の蝋梅、馨花(かぐばな)と申します」
■ 水温み、再び凍る ■
「真輝は男」なのだと馨花から聞かされたケバイ女連中は、以来ぷっつりと悪口雑言を吐かなくなっていた。
出鼻を挫かれはしたものの、女性を数多引き連れて客間まで案内されるなど、今までに無かった事だ。それがなんだかこそばゆく思えて、真輝は自分の前を行く馨花へ、次から次へと質問を投げかけていた。
馨花はそれに一つ一つ丁寧に答えてくれる。
聞けば馨花は、いくら待っても客間に来ない真輝を先導する為に、冬王から名を貰い、漣の絵を借りて人型を保っているらしい。
「なんつーか、ちゃんと人選てから案内人をよこせと言いたくなるぜ……って人じゃなかったか」
実のところ、中庭に蝋梅があったかどうかいまいち思い出せずに居た真輝だが、自分の背後をぞろぞろと歩くケバイ女に比べると、馨花はおっとりとして随分落ち着いた風情を身につけている。
初めから馨花一人をよこしてくれれば、何事も無くすんなり冬王の元へ行けただろうにと真輝は呟く。
馨花は困ったようにはにかみながら、
「私と、先に出迎えられた方々とでは主が異なりますから……」
と告げると、客間へ続く襖へと手を伸ばした。
「今年は一際早く春がおいでになりましたの。どうか驚かないで下さいませね」
一言前置きした後で馨花が襖を開けると、途端に甘い香りが真輝の鼻腔を掠めていく。
客間が、梅の香で満たされていた。
何度も訪れているから、屋敷内は見慣れている。だが、開け放たれた客間の向こうに在る庭へ視線を向けると、真輝は思わず「おお」と感嘆の声を上げた。
昨年。年始に遊びに来たとき、庭先は雪で覆い尽くされていた。だが今年は違う。
雪は無く、かわりに在るのは庭一面に咲き誇る紅梅だった。
その合間を縫うように水仙が群生し、奥には蝋梅がひっそりと黄色い花を咲かせている。
確かに綺麗ではあるが、一月初頭に紅梅や水仙が咲くなど土地柄からしてありえない。
「……おい、まだ一月だぜ? 何だって梅やら水仙やらが咲いてんだ?」
知らないうちに、また何処ぞへ紛れ込んだのか? と真輝が呟いていると、馨花がやんわりとそれに答えた。
「だから先に申しましたでしょう? 『春』が早くいらしたのですよ」
「春……って……」
一人の男の姿が、真輝の脳裏を過ぎってゆく。
春が来たということ。それは即ち、春を司る朧王が既にこの地へ来ているという事だ。
真輝は思わず隣に佇む馨花へ視線を落とした。馨花はほわんとした笑顔で真輝を見上げている。
と、その時。縁側からのんきな声が聞こえてきた。
「……おや真輝君。玄関からここまで来るのに、随分と時間がかかりましたねぇ」
見ると、漣が縁側に座敷を設けて酒を飲んでいた。その傍らにはケバイ女が一人、膝に黒猫を抱いて座っている。女は真輝を眺めながらクスクスと意味ありげな笑みを浮かべていた。
真輝はひとまず女を無視して、漣に対し不平をもらす。
「うるせーよ漣。この家でまともな出迎えをしてもらった事なぞ、一回も無いじゃねーか!」
「ははは。美女のお出迎えが気に入りませんでしたか? ともあれ明けましておめでとうございます」
こちらの苦労を知っているのか居ないのか。漣がのんびりとした所作でちょいちょいと真輝へ手招きをしてくる。
真輝は眉間にしわを寄せながらも、手招きに応じて縁側へ向かう。
漣に座布団を進められ、真輝は猫を撫でている女と漣との間にどっかりと座り込んだ。
「ったく、何が美女だよ。開口一番狐狸扱いされたんだぜ? 挙句の果てに……」
そこまで告げて、真輝ははたと口を噤んだ。
「挙句、何です?」
珍しく酒に酔っているのか。漣は頬を微かに紅潮させ、ニヤニヤと笑いながら真輝へ続きを促してくる。
漣に「女と間違えられた」と言おうものなら、間違いなくからかわれる。それが解っていて、あえて自分から墓穴を掘るような真似をするのは愚の骨頂。
「……何でもねーよ」
真輝は語尾を濁して押し黙る。何とかこの話は有耶無耶にして、別の話題を振りたいところだ。だが、真輝が思案したのも束の間の事。
「やはり馨花を見に行かせて正解だったか」
懐かしい声が聞こえてきて、真輝は顔をそちらへ向けた。
庭先の紅梅の前に、白い浄衣を纏った冬王が佇んでいた。
眼光の鋭さは相変わらずだが、不思議とそこに冷酷さはない。むしろ穏やかな冬の日差しを連想させる。
「おーす。久しぶりだな、つくね」
昨年出会った時とまるで変わらない相手の姿に安堵しながら、真輝はニカッと笑って挨拶をする。それに対し、冬王は目を細めて微笑を浮かべた。
「……変わらぬな」
「そうか? つくねも相変わらずだろ。ご大層な出迎えをくれたのには驚かされたけどさ」
背後に控えているケバイ女連中を指差しながら「少しは人選しろよなー」と真輝は苦笑を零す。
だがそれに対して、冬王は怪訝そうな表情を浮かべた。
「……あれは私の眷属ではない。あれの使いと私の使いを間違えるな」
「あり? じゃーやっぱ朧王が来てるんか?」
消去法で行くと簡単に答えが出てくる。冬王の眷属でないのなら、朧王の眷属ということだ。
道理でケバイ女連中と馨花とでは気質が違うと、真輝は思った。
「おや真輝君。朧王様に会った事などありましたか?」
真輝が平然と朧王の名を口に出したので、漣が少し驚いたような表情を浮かべている。
真輝は「一度だけな」と頷くと、数年前に開かれた桜下での宴会を思いだした。
「初めてつくねと会ったのが、丁度朧王と移り変わる頃だったんだよ」
あんときゃ夢かと思ったんだけどなーと告げる真輝に、冬王も頷いてくる。
「この辺りの梅が咲き始めた元凶は朧だ。この分では如月に桜が咲くぞ」
以前と異なり、今はまだ移ろう時期ではないと話す冬王に、漣が笑顔で答える。
「本当に。今年は随分と早いお出ましですからねぇ。まぁこうして冬王様と朧王様が会いまみえ、皆でのんびりと酒を煽るというのも、また一興ですよ」
「……ところで、その朧王はどこに居んだ?」
先程から名前だけは出てくるが、当の本人の姿が見えない。周囲を見渡しても、背後にはケバイ女連中。前面の庭には梅が咲くばかりだ。
真輝がきょろきょろと周囲を見渡していると、猫を抱いた女と漣が互いに笑いながら顔を見合わせ、やがてある一点を指差した。
「真輝君の直ぐ横に、先程から座っていらっしゃいますよ」
漣が指したのは、女の膝の上で丸くなっている猫だった。
「……は? この猫?」
真輝は訝しげに猫を覗き込む。黒猫かと思っていたが、よくよく見ると光の加減で紫色にも変化する。不思議な毛並みだ。
随分と前の事だったからあまり覚えていないが、蔓王や露月王も動物に変幻するのだから、朧王がそうあってもおかしくはない。
だが何故、この酒宴の席であえて猫の姿を取っているのかが理解できない。酒が飲み難いだろうに。
猫は真輝を一瞥すると、大きな欠伸を一つして、くるりと背中を向けてしまった。長い尻尾が退屈そうに左右に揺れている。
真輝が不思議そうに首をかしげていると、それを察した女がクスリと笑った。
「我が君はお加減がすぐれない時、この姿におなりあそばしますの。悪いお癖ですわ。どうかお気になさいますな」
「……何かあったんか?」
どこか体調でも悪いのかと、真輝が気になって朧王へ問いかける。
その問いに、漣がかわりに言葉を返した。
「……まぁ。あったといえばありましたがねぇ」
「何だよ。はっきりしねーな」
朧王とは、それほど言葉を交わした事が無い。だが、以前見た時は随分とサービス精神旺盛で陽気な印象を受けた。
神が倒れたらその眷属にも影響が出はしないか。第一神も体調不良になったりするのか。
心底心配している真輝を見て、漣が可笑しそうに笑いながら首を横へ振った。
「違いますよ真輝君。女性だと思った客人が、実は真輝君だったので、朧王様は拗ねてしまわれたのですよ」
「…………あ”!?」
「真輝君一個人をお嫌いなわけではないのですよ。ただ客人が「男」だった、という点が、朧王様にとっては面白く無いご様子でしてねぇ」
梅木の下にいた冬王の、深い深い溜息が聞こえてくる。
朧王の態度は変わらず。
背後に控えていたケバイ女連中はといえば、真輝が男でよかったと胸を撫で下ろしている始末。
もしや先程玄関で受けた嫌味の応酬は、真輝を女と仮定した上で「新参者の真輝に朧王を横取りされるのではないか」という女の嫉妬心から出たものではないか。
思い至ると、次第に真輝の中に怒りがこみ上げてくる。
女と間違えられて嫌味を言われ。挙句の果てに朧王のこの態度。
真輝の額に青筋が出来てゆく。
そこへ来て、漣が留めの一撃を真輝へ放ってきた。
「ああそうだ、真輝君。ここはひとつ朧王様のご機嫌取りの為に、女装などしてみては♪」
その言葉に、真輝の怒りが炸裂したのはいうまでも無い。
*
甘い香に誘われたのか、メジロが数羽、紅梅の枝に止まっている。冬の青空の中、竹林に覆われた庭にメジロのさえずりが、伸びやかに木霊していた。
朧王の来訪がことのほか早い所為で、中庭は既に春の装いを為している。それが日本全域に広がるのも、もう間もなくの事だろう。
そんな中、真輝は酒宴の席で騒ぎながらも、少し距離を保って冬王と朧王とを見比べていた。
相変わらず猫の姿のままでは居るものの、朧王は何処か華やかな空気を身に纏っている(ケバイ女に囲まれている所為もあるが)。酒を飲む漣と談笑し、時に笑わせ楽しませる。
それに対し冬王は、少し離れた場所に座り、庭に咲く草花を眺めていた。冬王の近くに控えている馨花が二言三言、何かを己の主に語りかけている。冬王は馨花の言葉に耳を傾け、静かに微笑みながらそれに返していた。
傍で見ていると、冬と春の質の違いが手に取るように解る。
恐らく当の本人達が一番それを解しているのだろう。真輝が宴席についてから、漣を介して話をすることはあっても、冬と春が、互いに直接話題を振る事は殆ど無い。
「……なぁ。つくねと朧王は仲が悪いんか?」
思わず、真輝の口からそんな言葉が漏れた。朧王の耳が、ピクリと反応する。それに対して冬王は真輝を一瞥した後で馨花と顔を見合わせている。
「いや、なんつーか。二人であんま話さねーし、話してもどっかぎこちないっつーか刺々しいっつーか……」
露月王が朧王を嫌悪している事を思えば、四季神全員が仲良しというわけではなのだろう。露骨ではないから、険悪とまでは行かない。だが、互いに意識しながらも、何処か張り合っているように見えるのだ。その所為か、微かにではあるが場の雰囲気がピリピリしている。
真輝の言葉に返したのは、漣だった。
「色々あるのですよ。色々。お二人とも長く生きておられますからねぇ」
「……何知ったかぶりしてんだよ漣」
口調はのんびりしているが、漣は何処か含みを帯びた物言いをする。
見ると、脇息にもたれながら笑う漣の瞳が、悪戯をしかける直前の子供のように輝いていた。
今日の漣は、喋らせたらマズイ気がする――
真輝の直感がそう告げる。だが、その「色々」とやらも知りたい気がする。
真輝が迷った一瞬の隙に、漣が至極楽しそうに真輝へと語り始めた。
「知りたいですか? 真輝君。例えばそうですねぇ……」
思わせぶりに一呼吸置くと、制止に入る余地もなく、漣がその先を続ける。
「朧王様が本気になるお相手は、皆必ず冬王様をお好きになるとか。冬王様のお孫に当たる方が、朧王様をのお顔をご覧になられて『男女みたい』と指をさしてお笑いになったりとか。どう足掻いても春の御力は冬に敵わないとか。ああそういえば……」
ケバイ女の膝に乗ってゆるゆると過ごしていた朧王が、漣の言葉を聞いた途端に毛を逆撫ではじめた。
怒っているのか慌てているのか。猫の姿では朧王が今何を考えているのか解りようがない。だが、これ以上はヤバイ。かなりプライベート過ぎる内容だ。
「お、おい漣。ちょっとまてや……」
そうでなくとも剣呑な空気の中での宴会だったのに、これ以上漣を喋らせたら、ますます場の雰囲気が悪くなる事請け合いだ。
だが、今日の漣はいつにも増して饒舌だった。真輝の静止を無視して話続ける。
「冬王様の奥方の膝に乗った朧王様が、傍に居た女房に蹴り飛ばされたのは、見ものでしたねぇ」
「それ以上は言うな馬鹿が!!」
朧王が、瞬時に猫から人へと姿を変えた。
どうやら怒っている訳では無いらしい。朧王の顔が蒼白になっている。
が、漣は狼狽した朧王を見るのが楽しいようで、脇息に肩肘をついて、にんまりとした笑顔を向けていた。
冬王の奥方――つまり現代風に言えば「奥さん」「人妻」。
その「人妻」の膝の上に朧王が――言葉尻から猫の姿だったのだろうと推測されるが――乗った。
抱きついたと捉えるべきか、膝枕と捉えるべきかは判断に困るところだが。一番困るのは、その「人妻」の旦那である冬王が今ここに居る事で……。
「……漣」
ふと、どす黒い響の篭った声が頭上から聞こえてきて、真輝は恐る恐る顔を上げた。いつの間にやら、漣の背後に目の据わった冬王が立っている。
漣はしれっとした表情で、冬王に問い返した。
「なんでしょう?」
「今の話は本当か?」
「……どのお話でしょう」
「あれの膝の上に、この男が乗ったという話だ」
漣を見つめる冬王の顔が、今まで見たことが無いほど凍てついていた。
冬王は怒っている。間違いなく激怒している。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……という地鳴りが今にも聞こえてきそうだ。
だが、漣は一度酒を口へ運んだ後で、にんまりと微笑むとこう返した。
「懐かしい思い出ですねぇ……」
――肯定。
冬王が、ゆらりと朧王の方へ視線を向けた。
「……お前という男は……何処まで節操が無いのだ!!」
初めて聞く冬王の怒鳴り声に、真輝は反射的にその場を後ずさった。
その瞬間。今度は現実に、地鳴りが響き始めた。冬王の怒りは厳寒の風となって周囲を荒れ狂う。まるで極寒地に吹く風のようだ。それに触れた梅や水仙の花が、寒さに耐え切れず、次々に枯れてゆく。
同時に、朧王の傍らに居た数多のケバイ女達の姿も掻き消え、後にはしなびた花弁だけが残されていた。
「待て。落ち着け! あれはお前と皇女が出会う前の話だ! 恋仲になる前であれば問題なかろう!」
「お前の存在自体が問題なのだ! どこぞに修行にでも行って、出直してまいれ!」
普段穏やかな者ほど怒らせると怖いものは無い。
止めようと思いはすれど、真輝が出て行ったところでとばっちりを食らうだけだろう。漣もそれを解っているのか、冬と春の大喧嘩を眺めながらも、我関せずと酒を煽っていた。
自分から喧嘩の種を植えておいて、よくまあこれだけのんきにしていられるものだと、流石の真輝も呆れてしまう。
「漣……」
「はい?」
「お前相当酔ってんだろ……知らねーぞ。どうすんだコレ」
真輝はどんよりした表情を漣へ向けると、日本沈没の危機にまで達しかねない冬と春の様子を指差した。
だが、漣はのほほんとした笑顔を向けると、穏やかに言い放ってくる。
「ははは。良いんですよ」
「どこがだ!」
「こうでもしないと、本音を語り合えませんからねぇ。お二人とも」
「…………は?」
「自我を殺し、季節を通して人間に厳しさと優しさを教えなければならない。四季を司るというお役目は、我々が思う以上に大変なのですよ」
「…………」
もしかしたら、漣は酔ったフリをしてこの二人に感情の吐露をさせたかったのだろうか。
確かに、心内に思った事を溜め込むのは精神的によくない。だが……
「もう少し穏便な方法はねーのかよ。折角つくねに押し花持ってきたのに、渡すどころじゃなくなったじゃねーか!」
そう。すっかり忘れていたが、真輝の本来の目的は、一年かけて作った押し花図鑑を冬王に渡すことだ。渡すタイミングを思い切り逸してしまった。
漣は脇息を横に退けると、のんびりとした所作で立ち上がる。
「心配いりません。夜になればお二人とも落ち着きますよ。その前に、僕は晩の支度でもしておきましょうかねぇ。手伝っていただけますか? 真輝君」
折角ですから泊まって行きますか? とのほほんと告げてくる漣へ、真輝は頷きながらも溜息で返した。
他者の気持ちに疎いのか、敏いのか。漣の考えがさっぱり読めない。
冬と春の大喧嘩はまだまだ続きそうで、真輝も仕方なく漣を手伝う為に立ち上がった。
そこでふと、あることに気づいて真輝が漣を呼び止める。
「なぁ漣」
「なんでしょう?」
「あのさ……」
「はい?」
「……んや、何でもねーや」
「そうですか」
漣は笑いながら、台所へと歩いてゆく。その後姿を見ながら真輝は思った。
何故千年以上前の話を、漣が知っているのか。
だが、それを真正面から漣に問いかけたところで、まともな答えが返ってくるとも思えない。
とりあえず今はこのままで居ようと、真輝は漣の後を追った。
*
〜後日談〜
結局喧嘩が終わったのは、その日の夜中で、真輝は無事に冬王へ押し花を渡す事が出来た。
また、その日は夜から数十年ぶりの大雪となった。
その所為で、翌日は朝から都心の交通網が麻痺することになる。
その原因を知っているのは、中庭に集った4名だけで――……
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【2227/嘉神・真輝(かがみ・まさき)/男性/24歳/神聖都学園高等部教師(家庭科)】
*
【NPC/冬王(つくばね)/男性体/不詳/冬の四季神】
【NPC/朧王(おぼろ)/男性体/不詳/春の四季神】
【NPC/綜月・漣(そうげつ・れん)/男性/25歳/幽霊画家・時間放浪者】
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■ ライター通信 ■
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嘉神・真輝 様
こんにちは、綾塚です。
いつもお世話になっております。この度は『冬に咲く花・2009年度版』をご発注下さいまして有難うございました!
弄り倒しOK、お任せOKを頂いていたので、読み手に不快感を与えないように…という一線を引いた上で、遊ばせて頂きました。
本当は女装を考えていたのですが、以前に女装を書かせていただいたことがありましたので、あえて避け(笑)嫌味・喧嘩に遭遇・交通網麻痺の災難で締め括りといたしました。多分漣の家に2連泊…という可能性大です(笑)
それでは、またご縁がございましたらどうぞ宜しくお願いいたしますね(^-^)
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