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<東京怪談・PCゲームノベル>


『紅月ノ夜』 其ノ伍



 鼓膜を揺さぶるのは雨の音。冷たい雨だ。
 差した、真帆のお気に入りでもある可憐で可愛らしい傘も、この暗い夜の中では鮮やかには見えない。
 夜道の散歩は大好きなのに、それでも今日は…………違っている。
 さびしい夜。
 いつもなら、こんな夜に外には出ない。けれど、出てきたのには予感があったからだ。胸騒ぎ、というやつである。
 雨の中を歩きながら、足元に視線を落とす。
 先月会ったあの奇妙な退治屋のことが思い出された。美人のくせに、よくわからない存在だ。
 彼女からもらった名刺は捨ててはいないが、あの女にはあまり期待できそうにない。口数も少なく、何を考えているか判断をつけにくいからだ。
(雲母ちゃん……元気にしてるかな……)
 すれ違いばかりの自分たち。



 雨に打たれると、なんだか落ち着く。
 雲母はぼんやりとそう思い、闇の中を歩いた。
 光は嫌いだ。大嫌いになった。
 太陽なんてなくなればいい。月も消えてしまえ。
 全部真っ暗に、闇に支配されればいい。
 欲しいのはあの赤くて甘いものだけ。
「………………」
 自分の思考に恐れを抱き、雲母は呆然とその場に佇む。
 フードのついたキルト生地のワンピースの下にジーンズという格好の雲母は、その青白い肌を隠すようにしていた。
(私……いま、なんて……?)
 また、だ。またばかなことを、考えていた?
 薄暗い道の向こうから歩いてくる者がいる。あちらはこちらに気付きはしないだろう。
 聴覚すら、恐るべきものに変化していた。「耳がいいね」というレベルではない。
 闇を見通す瞳で雲母はそちらを、上目遣いに見遣った。
 だらだらと歩く、大学生が二人。どちらも男だ。喫煙をしている。若さだけが売りだ。血液はそれほど上等ではない。
 前は自分もああだったのだ。
 どんな人間にだって事情があり、平凡な人生を送っている者などいない。だがそれでも、日常からかけ離れた場所まで行きたいなどとは思わないだろう。
 バイトをし、学費を稼ぎ、慎ましく暮らしていたのに。
 今ではそんな生活リズムは欠片もなく、懐かしさも感じない。
「………………」
 陰鬱な気持ちの雲母は方向転換をした。あの若者たちに会ってどうにかなるとは思えないし、視界に入らせるだけで嫌な気分になる。

 そして、通るのを避けていた道へと来てしまった時には、遅かった。
 傘の下からこちらを見ている瞳にぶつかった刹那、口の中に甘味のようなものが広がった。――血の味だ。



「雲母ちゃん……!」
 そう声をあげて真帆は思わず彼女に駆け寄る。
 雨にされるがままになっていた雲母は逃げる様子も見せず、真帆が寄ってきてもぼんやりと見てくるだけだった。
 彼女は健康とは言えないように見えた。前に見た時よりも肌が白い気がする。けれどそれは病的なものではない印象を与えた。
 彼女は明らかに変化している。人間ではない別のものへと変貌しかけていた。
「大丈夫だった……?」
 抱きしめる。雨で冷えてしまったであろう身体に真帆は切ない。
「元気だった? 全然会えないから、すごく心配したんだよ?」
 虚ろな瞳の雲母は、真帆の声にのんびりと反応した。だがそれは、体を微かに動かしただけで言葉にはされない。
「……もしかして」
 それは口に出すのも怖いものだ。
「私のこと、避けてる?」
「……っ」
 雲母が息を呑む。そして、ゆるやかに瞳を向けてきた。
 ストレートすぎた? でも、たぶん言わないとわからない。
「……あ、の」
「ん?」
 聞き返す真帆の視線に耐えられないようで、雲母は口を噤んだ。
「だ、だって……また、血を…………もらっちゃうかもしれないし」
 棒読みの、まるで気持ちのこもっていない言い訳に真帆は吹き出しそうになる。いくらなんでも、嘘が下手すぎだ。
 いや、真実もそこに込められてはいるのだろう。それにしても、もう少し感情を込めたほうがいい。
「だか、ら……会わないほうが…………いいから」
「雲母ちゃん……」
「うん。そのほうがいい」
 いきなり明るい口調で言い放ち、雲母は微笑んだ。
 無理やり浮かべた笑顔は歪で、真帆が信じることなどできない。
 雲母は視線を真帆の向こうへと遣る。暗い闇が続く夜道を眺め、ビクッとおののいた。
「っ」
 怯んだ雲母に驚いて、真帆は後ろを振り返る。だが、夜道には何もない。
 街灯の頼りない光と、静けさだけだ。
「?」
 雲母が恐がるようなものなど、何もない。怯えるようなものも。
 けれども雲母は「ひっ」と小さく悲鳴をあげて、逃げ出そうとした。まるで何かの幻でも見ているかのように。
 真帆はしっかりと雲母を抱きしめる。
「怖いなら、一緒にいてあげる!」
 だから逃げないで!
 精一杯の気持ちを込めた真帆の言葉に、雲母は涙をはらはらと零した。
 それは真帆の言葉に感動したものではない。抑えていた感情が溢れたからだ。
「退治屋から雲母ちゃんを守るから!」
「真帆、ちゃん」
 震える声で洩らす雲母は、顔を俯かせた。フードの陰になったところから、ぽつぽつと涙の雫が落ち、小刻みに恐怖に揺れる拳に当たった。
「……退治屋も怖いけど、そうじゃない」
「そうじゃない?」
「あの『赤い目』が怖い」
「赤い目?」
 脳裏に浮かべた退治屋の瞳は茶色だ。違う。当てはまらない。
 けれども世の中には、戦闘になると目の色が明らかに変化する種族もいる。だが……遠逆未星はそういうタイプには見えなかった。
「それって……?」
「…………私を吸血鬼に変えたあいつの…………目」
「雲母ちゃんを吸血鬼にした……?」
 手がかりだ、と真帆は思わず声を少し大きくしてしまう。
 そっと、雲母の手に自分の手を置く。覗き込むと、雲母の瞳は明らかに錯乱前のように揺らぎ、息が荒くなっていた。
「あいつの……あいつの目が…………忘れられない…………」
 一瞬で雲母の人生を変えたのだ。恐ろしい体験だったに違いない。
 真帆は彼女の心中を想像し、悲しくなる。生まれが特別だった自分とは違って、雲母はただの人間だったのだ。
 いきなり真逆の世界へと連れて来られる羽目に陥り、本人は混乱してしまったに違いない。絶望すら、味わっただろう。
 どんな吸血鬼? やはり、物語のイメージ通りの姿?
「暗い闇の中で、あの赤い目が……赤い目が、私を……私を……」
 興奮してきたらしく、雲母は呻いて顔を両手で覆った。
「じ、っと見てきて……見てきて……見てきて…………私を、お、襲って……」
「雲母ちゃん!」
「あの赤い目……赤い目……ずっと追いかけて…………」
「しっかりして!」
 思わず傘から手を放し、両肩を掴んで揺さぶる。
「赤い目が……あの目が……」
「雲母ちゃんっ!」
 大声で叫ぶと雲母は我に返って真帆を凝視する。
 真帆は彼女の細い肩を強く握り、真っ直ぐ見つめた。
「雲母ちゃんは、どうしたいの? どうしたら……笑顔になれるの? 一緒に笑顔になれる方法を探そ?」
 ね?
 そう語りかける真帆の前で、雲母は瞼を衣服の袖で擦る。
「人間に戻りたいの?」
「…………うん」
 そう呟いた雲母に真帆は頷く。
「そっか。じゃあ、一緒に方法を探そ」
 一緒に、だ。自分が先導は、しない。雲母のためにならないだろうから。
 雲母はふと、先程のように視線を道の奥へと向けた。そして、今度こそ大きく目を見開いた。
「た、退治屋……!」
 真帆は振り返る。今度は居た。
 闇の中に立つ、細い影。一体どこから現れたのか。
 彼女は闇の中からこちらを見ている。
 雲母は真帆を突き飛ばし、一目散に逃げ出した。尻餅をついた真帆を気遣う素振りも見せなかったというよりは、巻き込まないようにしたのだろう。
 退治屋の目的は依頼の遂行。それは雲母を始末することだ。だから真帆は関係ない。
(雲母ちゃん……)
 痛みに顔をしかめる真帆は、雲母の動きが以前と格段に違っていることに気づいた。
 闇の中を走る雲母は素早く塀へと駆け上がり、まるで猫のような機敏さで跳躍して逃走していたのだ。
(なに、あれ……)
 逃がしてくださいと懇願していた雲母の姿からは想像できない光景だった。
 真帆の前を、女豹のように駆け抜ける漆黒の影は未星だろう。彼女は手に何も持っておらず、そのまま雲母を追いかけた。
 一瞬後、未星の手には影で塗り潰したようなアーチェリーが在った。矢が放たれる。
 それを振り向きざまに雲母が睨みつけた。赤い電撃が夜空に弾けたのが、真帆から見える。綺麗な稲妻ではあるが――――。
 未星の矢はその電撃によって方向を揺らされ、狙いが外れた。
 薄い、墨が垂れたような夜空を背に、まだ跳躍中の雲母を真帆は見上げる。スローモーションのように、見えた。
 闇の中の雲母は、いつもの淡い紫の瞳ではなく…………。
(真紅…………)
 まるで血を流し込まれたような瞳の色をしていた。
 唖然とする真帆は、雲母を狙って未星の矢が二発放たれたことに気づいて慌てて意識を引き戻す。
 雲母は見事な体捌きでそれを避け、身軽な動きで姿をあっという間に闇に紛れさせた。
 未星がそれを追いかけるが、退治屋の彼女は足音一つたてずに消えたとしか思えなかった。



 人間に。
(戻る……)
 戻りたいと、雲母は言った。
 残された真帆はゆっくりと立ち上がり、二人が消えた方向を眺める。
 雲母が言った「人間」というのは、以前のような生活のことを示唆したものだろうことはわかった。けれど。
(雲母ちゃん……)
 ひどく、悲しくなる。
 なぜ悲しいのか、はっきりとはしないまま……。



 あまい。
 あまいにおい。
 かおり。
(目眩がする……)
 雲母は遠ざかっていく真帆の血液の香りにくらくらする頭をおさえた。
 なんという気色の悪い生物に成り果てたのだ、自分は。
(あの退治屋は、変な匂いがする……)
 背後から迫ってきている退治屋の女には、真帆のような若々しさも甘さも香ってはこない。
 ざらりとした、気味の悪い感触のする香りだった。コンクリート? 塩? なんだろう、変な感じ。
 ああ、そうだ。あの女はこの雨のようなものだ。雨の匂いがする女……。
(喰っても美味しくなさそうだ……)
 ちらりと頭の隅に過ぎった考えを、雲母は否定しない。
(真帆ちゃん……)
 心配してくれた彼女を思うと、どうしようもなく…………笑みが零れた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【6458/樋口・真帆(ひぐち・まほ)/女/17/高校生・見習い魔女】

NPC
【藍靄・雲母(あいもや・きらら)/女/18/大学生+吸血鬼】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、樋口様。ライターのともやいずみです。
 雲母が大きく変化している話でした。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。