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Repetition
人は学ばないものだと思ったのは一体何時からだろうか。
何時だってそうだ。何度同じ失敗をしてもそれをまた繰り返す。そうして幾度世界は悲劇に塗れたことだろう。
なまじ高い知能というものを持ってしまうと、それが逆に足枷となってしまうのだろうか。であるとすれば、知能というのはなんと面倒くさい代物か。
全くたまらない。そしてそれが自分に降りかかるのだから悲劇でしかない。
今の彼女であれば心の底からそう思う。
「……」
惨状を目の当たりにして軽い溜息が漏れる。何度見てきた光景だろうか。
「うぅぅ…ごめんなさいお姉さま…」
犯人が、小さく涙を浮かべながら頭を垂れる。それももう何度も見た光景だ。それにまた溜息が出た。
彼女は確かに可愛いし失敗も愛嬌と言えるかもしれない。しかし何度も繰り返されると色々と問題もある。何故ならここは店なのだから。
また一つ失われた薬瓶を見下ろして、どうしようかと店主――シリューナ・リュクテイアは考え、何かお仕置きをされるのだろうかと少女――ファルス・ティレイラは軽く怯える。
それは何時もどおりの日常だった。
流石にこうも毎日何かやられては洒落にならない。それで何時もは個人的な楽しみを堪能している身であったとしても、だ。そろそろどうにかしたほうがいいと思うのは店主として自然な思考の流れと言えるだろう。
そんなわけで、
「道具の扱い方を教えよう」
「扱い方、ですかー?」
ここにシリューナ・リュクテイア先生の道具の扱い方講座が始まるのだった。
まず彼女の癖について考えてみた。
ティレイラは何時も何かしらにつけては色々とやりたがる。これがいけないのだろう。
好奇心旺盛なのは大いに結構なのだが、好奇心が猫を殺すと言う言葉もある。そしてそこから何も学んでいないのが今のティレイラだ。
「これはどう使うか分かる?」
「……小さな像、ですね」
ティレイラの前に置かれたのは、天使を象った美しい像だった。見事な造形は彼女の心をすぐさま奪ってしまった。
「綺麗だなぁ……」
ぺたぺたと不躾に触るティレイラ。美術品であれば殴られても文句の言えない所業ではあったが、それはシリューナの寛大な心がスルーする。
それよりもティレイラがそれをどう扱うか、そちらのほうが問題だ。ティレイラは過去にも小さな像を下手に扱って呪いにかかったこともあるのだが、散歩歩けば忘れてしまうらしい。像を触る手はいかにも迂闊だ。それが微笑ましくもあるのだが。
さて、シリューナが扱う以上その像はただの像であるはずがない。所謂曰くつきの代物なのだが、当のティレイラは全く気付いていない。今までの経験も無駄だった。
「……あれ、何か書いてある。えぇっと……触れど触れず?」
像の背中部分、羽の付け根に描かれた古代文字。それを不用意に読み上げれば、ティレイラの指先が石へと変化していく。
「ぇ、えぇぇ!?」
そうなってしまえば最早後の祭り。この手のアイテムにトラップはつき物だと知っているはずなのに分かっていない。程なくして少女の石像が出来上がっていた。
「こういうものにはまず呪いがかかっていると食って掛からないと……」
その姿は呆れも通り越して最早愛しい。芸術品とも言える石のティレイラを撫でつつ、シリューナは軽く笑みを浮かべるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……とまぁ、何も考えずに触ったりすると、こうなります」
「はーいシリューナ先生……」
あの後解呪で元の姿に戻ったティレイラはすっかり涙目だった。何時も通りの展開とはいえ、やはりシリューナは意地悪な気がする。
とはいえそんな彼女のことが好きな少女は文句をあまり言う事もできない。というよりは自業自得なのだから言えるはずも無い。
(不用意に触りまわらないこと、うん)
ティレイラは心の中に刻み込む。しかしそれで治るのならきっと今のティレイラはない。
「さて、次はこれ」
そんなティレイラの前に、今度は一本の瓶が置かれた。真っ黒で中身が何かよく分からないことを除けば、見た目には普通の瓶に見える。といっても、ここにあるのだから普通のものでないことは明白なのだが。
「これはどうしたらいいでしょう?」
問いかけるシリューナはいたって笑顔だ。しかも飛び切りの。そんな笑顔を向けられたら、世の男性の何割が断ることが出来るだろうか。
そんな彼女を前に、尻込みをしているわけにもいかない。意を決したように一つ小さく頷くと、ティレイラはその瓶を手に持った。
「……えっと」
手に持った感覚は普通。つるつるとした普通のガラス瓶のように思える。ガラスらしく冷たい肌触りで、相も変わらず中のものは全く分からない。
「……んと」
振ってみた。瓶の中で液体の跳ねる音が聞こえる。爆発するような気配はない。爆発したらどうするつもりだったのだろうか。
「……よし」
また小さく頷いて、やはりガラスで作られた栓を静かに抜いてみた。同時にガラスの奏でる澄み渡った音が小さく響いた。
すると、
「わっ、わー!?」
一瞬の間をおいて茸のような煙が瓶から噴出した。そしてそれは避ける暇もなくティレイラにかかっていく。
ちなみにシリューナは既に部屋にいなかった。まるでこうなることを予測していたかのように扉を少しだけ開けて部屋を覗き込んでいる。
そんな彼女の前で徐々に煙が小さくなっていく。そして煙が完全に晴れた頃には、そこに爬虫類様の鱗を全身に生やしたティレイラが立っていた。
元々竜の彼女ではあるが、その姿は彼女の本来の姿とかけ離れている。その異様に泣きそうだったが、しかしうまく声をあげられなかった。
蜥蜴のようなティレイラの鱗を撫で、シリューナは小さく笑う。
「液体は揮発性だったりちょっとした振動で何かが起こったりと何があるか分かりません。慎重に扱いましょう」
目の幅の涙を流してティレイラが頷く。さて、こうなったからにはお仕置きタイム、もといお楽しみの時間だ。
中々お目にかかれない造形ではあるし、これはこれで。ティレイラの笑みに少し熱が混じったのをシリューナは見逃さなかった。
とはいえ、彼女に何か出来るわけもなかったのだが。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
すっかりシリューナの玩具となって数時間。やっとのことで元の姿に戻してもらえたティレイラは色々な意味でボロボロだった。
今まで何度となく失敗はしてきたが、流石に一日でここまでの経験をしたことはない。すっかり自信喪失である。
が、しかし。流石にティレイラでも一日でこれだけの体験をしたのだ。たとえ揮発脳と言われてもまだ消えない自信はあった。……自分で考えて恐ろしく空しいことを言っているのは、そっとしておいてあげよう。
そう、今のティレイラはいわば何時もとは違うスーパーティレイラである。多分。
ここから彼女の快進撃が始まった。
「さて、これは?」
置かれたのは一冊の本だった。随分と古めかしく小さな鎖で括られている。
「中に何が書かれているか分からないし、おいそれと開けずにしまいます!」
「正解」
ちなみに開くと強制的に本へ封じ込められた存在(相当高位な存在らしい)と契約させられ、体の一部を契約代わりに持っていかれたらしい。
「はい、次はこれ」
次に置かれたのは何の変哲も無い(ように思える)コップに注がれた液体だ。若干赤く色づいていたが。
「迂闊に動かすと揮発したり爆発したり何があるか分からないのでお姉さまに報告して対処します!」
「よろしい」
なお揮発したりすることはないのだが、少しでも触れると触れた物体がそこから水へと変化するなどという代物だった。勿論コップはそれ専用に作られた代物であるため、これが水に変わることは無い。
「じゃあこれは?」
あからさまに怪しい呪文が刻まれた小さな石像が置かれる。
「呪文を読んだりせず、序に見てるだけで何があるか分からないので布とかを被せてから運びます!」
「うん」
これもこれで呪文を読んだりすると自分の魂が抜き取られて以下略な代物であった。
その後もあれやこれやと次から次へと怪しい物品をシリューナが用意しては、ティレイラがその扱い方を答えていく。
一体何処からこれほどの物が出てくるのかは甚だ疑問ではあったが、今のティレイラにとってそれはあまり深い意味を持たない。
何故なら、それに正解するたびにシリューナが嬉しそうに笑ってくれたから。それだけで今のティレイラは頑張れる。
持ち前の好奇心も必死に抑え、ティレイラは只管頑張るのだった。
それにしても、一つでもティレイラが間違えたらシリューナはどうするつもりだったのだろうか。なんとかなったのだろうか。じゃないとそんなことは出来ないと思っておこう。
ティレイラの頑張りもあって、月が世界を支配する頃にはほとんどの物品の扱い方には間違えなくなっていた。
一連の成果を見てシリューナは小さく笑みを浮かべ、ティレイラも嬉しそうに笑うのだった。
「さて、ここまで頑張ったご褒美にご飯を食べましょうか」
「やったー♪」
何時もと違う優しげな口調。シリューナの先生ぶりも板についてきたと言うところか。
そんなお姉さまも素敵などと思いつつ、ティレイラは奥へと向かう彼女を見送った。
……が。最後の最後で詰めが甘いのは彼女の特権なのだろう。
シリューナが奥へと引っ込んだことで自然と手持ち無沙汰になったティレイラは、何気なく部屋の中を見回していた。
本当に一体何処からこれほど集めてくるのだろうか。今しがた自分が全部扱ったものも含め、恐らくこの世でそうは手に入らないであろうものが所狭しと置かれている。
勿論つい先程の訓練を忘れたわけではないため、おいそれと触ろうとはしない。ただじっくりと見てみれば、どれもこれも色々な趣向を凝らしたものであると分かる。
ただ見ているだけでも少女の好奇心は十分に満たされていく。と、そんな時、
「ん、なんだろう……?」
何かが床に落ちて輝いているのが見えた。床を見てみれば、そこには鮮やかな乳白色の二枚貝。
「なんでこんなところに……はっ」
そうだ、さっき学んだばかりではないか。ここにあるのだから、普通のものであるはずがないと。
箒で突付いてみる。何かが起こる気配はない。
次によく観察してみる。生きているような気配はなく、蝶番の部分は人工的な作りになっている。どうやら開くようだ。
反対側を見てみると、貝の先ががま口のようになっていた。中に何かがあるということだろうか。
しかし二枚貝である。然程大きくもなく、中に何かを入れようと思ってもこれでは大したものも入らないだろう。
箒の柄でその部分を突付いてみると、特に抵抗もなく貝が開く。そこには、
「わぁ……鏡だ」
小さな鏡が嵌め込まれていた。
特にこれといった害もなく、何かが起こる気配もない。それをよく調べたティレイラはその鏡を手にとってみた。鏡は曇り一つなく今の今まで磨かれていたかの様だった。
「可愛いなぁ……貝のコンパクトって素敵かも」
乳白色の貝も美しく、ティレイラはこの鏡のことをすぐに気に入ってしまった。ちょっとした発見に好奇心溢れるティレイラの心も十分に満足したようだ。
……もっとも、それもすぐに終わりを告げるのだが。
「〜〜〜♪」
シリューナも戻ってこないし、ティレイラは嬉々として鏡を覗き込み続ける。綺麗な鏡面は可愛らしいティレイラを映し出して輝きを増したかのよう。
軽く髪を弄ったり表情を変えて色々と映してみたり、兎に角嬉しさの余り色々とやり続ける。
「そういえば何かのお話であったよね、鏡に語りかけるシーンが」
綺麗なそれを手にする今の自分は、さながら御伽噺に出てくるお姫様といったところだろうか。
「鏡よ鏡、この世で一番綺麗な人はだぁれ? なんちゃってー」
嬉しそうにそんなことを呟く。しかし彼女は忘れていた。そういう話に出てくるお姫様は、大体一度は悲劇に塗れていると言うことを。
(それは貴女です)
「……えっ?」
不意に声が響いた。それは聞いた事もない、男か女かも分からない声。しかも耳に響くというより心に直接響くかのようなものだった。
何が起こったか全く分からず、ティレイラはただただ周囲を見渡した。そして、最後に一つのものへと視線がいきつく。そこには、真珠色のコンパクト。
それを理解した瞬間、ティレイラの視線が固まった。いや、動かせなくなったというべきか。
視線だけではない。指が、足が、首が、ありとあらゆる部分が凝固していく。
それは何も見た目に変貌しているというわけではない。ただ、何故だかは分からないが動けなくなっていく。
やがてその感覚が全身を包む頃、ティレイラの意識も閉じていくのだった。
「……おや?」
シリューナがバスケットを抱え戻ると、そこには微動だにしないティレイラがいた。そして彼女の前には開かれたコンパクトがある。
それを見つけ、シリューナはコンパクトを閉じながら少し苦笑を浮かべた。
「全く、最後の最後で」
ここにあるということは只の物ではない。それはティレイラであってもよく分かっていたはず。ただその可愛らしさに心を奪われ油断してしまったのだ。
その鏡は映したものの魂を閉じ込めるもので、起動する呪文は先程ティレイラが呟いたものだったりする。知らず知らずに呟いたそれのせいで、ティレイラの魂は今この中にあるというわけだ。
勿論シリューナはそのことをよく理解しているため、解除する方法も理解はしている。しかし、
「……」
彼女には悪癖があった。
椅子に座ったまま動かないティレイラは、その可愛らしさをそのままにただずっと静止している。
今までのように色々なものに変質してしまった彼女も美しかったが、今の全く変わらないままの彼女がやはり一番美しい。
バスケットをテーブルに置き、動かないティレイラの頬を触る。それは動いている頃と全く変わらず、熱もそのままだ。
こういう状態になったティレイラを好きにしたがる悪癖をシリューナは持っているのだ。
素のままのティレイラを楽しみつつ、シリューナの手は止まらない。
折角バスケットの中に用意してきた食事が冷めてしまいそうなものだが、今の彼女がそんなことを気にするはずも無い。
夜はまだまだ長い。きっと暫くはこの状態が続くのだろう。
そんな彼女の楽しみが終わり、ティレイラが食事にありつけたのは日が変わってからだったとかなんとか。
<END>
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