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Symbiosis
自分の姿を見下ろす。そこには純白のワンピースを纏った姿がある。
酷い既視感に苛まれそうなその姿は、もう二度と見る事もないだろうと思っていた姿だった。
少女は軽く混乱した。何故? もう終わったはずなのに?
一瞬の後悔、果てのない苦痛。
そして一瞬のタイムラグを置いて湧き上がる想い。あの日体験した甘美な誘惑。
あの日自分は学んだ。
ならば今度は大丈夫なのではないか?
今は何故かそう思えた。
甘く辛い日々を思い出し、少女は自らに問いかける。
これからどうするべきか。どう扱うべきか――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
切欠は極単純なことだった。
ある事件の後。海原みなもは暫くどん底にいたと言っていい。
自分の体があまり言うことを聞かず、そうなってしまった体を元に戻すためのリハビリには少なからず時間を要した。
今でこそ以前と同じように動けるようにはなったが、まだ本調子とは言い切れない。体を作るより壊すほうが何倍も楽なのだということをみなもは身をもって実感していた。
そんな彼女は今海の中にいる。元々人魚の彼女である、陸で過ごすより海の中で動いたほうが色々と楽なのだろう。
一糸纏わぬ姿で潮の流れに乗る。素肌を通して感じる母なる海は何時でも心地がよかった。
魚たちと暫し踊り、みなもは浜辺へと上がる。人がいないところを見繕って入っているので、何も着ていなくても特に気にする必要はなかった。
が、陸に上がると途端に感じる物寂しさと物足りなさ。やはり陸では服が欲しいと思うのは、人魚であっても変わりはしない。
「こんなとき、あの『服』があれば便利なんですけど……」
脱いだ服の元へ歩きながら、ふとそんなことを呟いた。
なんでもない一言のはずだった。しかし色々な要因がその時点で重なったことなど、みなもはまだ気付いていない。
酷い既視感に襲われた。
一瞬自分の中心が熱くなり、そう感じた瞬間には事が済んでいた。
「嘘……」
呟きが漏れる。今の今まで自分は何も着ていなかったはずなのに。
――ふわりと裾が風に揺れ、布独特の暖かさが風を受けることで殊更よく感じれた――
「いらっしゃ……みなもか、今日はどうした?」
ここの店主は何時でもやる気が感じられない。
煙管から紫煙を吸いつつ、何時もどおりの薄い笑みが碧摩蓮の顔には張り付いている。
が、その笑みもすぐに消えることとなったのだが。
「蓮さん……その、『服』が復活しました」
「……マジで?」
「マジです」
その言葉は蓮を驚かせるのに十分だったらしい。
「しかしなんでまた復活なんて……残ったやつは封印してるはずなんだがねぇ」
以前にも見たワンピース姿のみなもを前に蓮は一人ごちる。その視線の先には小さな箱。
あの日、再生しきれないほど燃やして残った『カス』をその箱の中に封じている。事件はあれで解決したはずだった。
が、現に今みなもがそれを着て目の前にいる。それは変え難い事実だ。
「あんたが冗談言うとも思えないしねぇ」
それなりに長い付き合いなのだ。みなもがどういう少女かはよく理解しているつもりである。そんな彼女が酔狂でこんな性質の悪い冗談を突くとは思えないのだ。
当のみなもはというと、やはり彼女も戸惑っていた。
「なんで今頃、なんでしょうか……」
あの日以来服は一切自分の中に感じられなくなっていたし、それで終わったのだと彼女自身思っていた。しかし現実はこうだ。なんとも言えない気分になるのは仕方ないともいえた。
「あんたの中にまだ組織の一部が残っていたか……考えてもみればあの服はスライムだからねぇ。あんたとは何かと相性がよさそうだ」
「相性、ですか?」
そんなことを言われても、と思う。確かに自分は人魚で水とは相性がいいだろうが、本当にそれだけなのだろうか。
「他にも要因があると思うけど、復活しちまったもんは仕方が無いねぇ……」
この時点で、蓮の頭の中にはある言葉だけが浮かんでいた。
みなものことは自分にも責任があり、そしてその責任を取ると約束した。だから、
「また燃やすか」
そう考えるのは、ある意味自然なことだろう。
「あの」
が、みなもはそうではなかったらしい。
「その……もう一度だけ、この服を使ってみてはいけないでしょうか?」
「はぁ?」
その一言に、力の抜けた素っ頓狂な声が店に響いた。
「いや、あんたねぇ……自分がどんな目にあったか分かってる?」
「それは勿論です。だけど……だからこそ、です」
蓮に返すみなもの瞳には強い意志が込められていた。それを感じ取った蓮は、先を促すように煙管を置いた。
「どんな道具も使い方次第なんだって、使わされるんじゃなくて使うのが道具なんだってあの時学びました。だから、今度はちゃんとこの服を使えるんじゃないかなって。
それにこの服も生き物だしそれを無碍に扱うのもどうかな、って」
あの日の体験は、みなもにとって色々な教訓となった。リハビリをしながら色々な道具の使い方を学んでいったことを蓮は知っている。
それに、何故かこの服を守らなければいけない気がしたから。生き物だからだろうか。それとも少しでも自分が共に過ごしたからだろうか。そのときの気持ちは、何時になってもみなも自身説明できないものだった。
蓮は彼女を少し眺め、考えた。みなもは強い子だ。それを知っている蓮だからこそ、みなもの意見を尊重しなければいけないと考える。
大きな溜息が一つ漏れ、新しい刻み煙草が煙管の中で燃えていく。
「分かったよ、あんたの好きにやってみな。ただ次に何かあったときは、問答無用で引っぺがすからね」
みなもの顔に大輪の花が咲いた。
みなもが店を去った後、蓮は一人紫煙を吐きながら天井を見上げていた。
「道具を使うってのは存外難しいんだよねぇ…自分ではうまく使いこなしているつもりでもその実逆だったなんてことはザラだ」
独白は紫煙とともに薄れ消えていく。
「活かし生かされ使い使われ…どちらも依存してると思えば世の中残酷なもんだ」
その言葉の意味をみなもが知る日は来るのだろうか?
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ところで、みなもは服のことを生きているといった。
しかしその意味を、みなもは理解しているようで本当のところを理解しきれていなかったのかもしれない。
生きている以上何かしらの活動を常に服は行っている。
生きている以上生きる術は必要だ。
スライムという一見単細胞な生物である服は、その実複雑な思考回路を持っていた。いや、持つに至ったというべきか。
最初はただのスライムという単純な生物として生を受け、そこに様々な魔術や回路が施されていくうちに自分の知能と言うものも手に入れたのだった。
ある意味それは服という単純にして複雑なものをフィードバックするためには必然だったと言える。そんな服だ、あの日色々なことを学んだのはみなもだけではない。
【彼】はこれから生きるためにどうしたらいいか、言葉に出来ない思考で考え続けた。
自分は失敗した。それはもう明らかだ。何もかもを、ではなく必要な部分だけ、という考え方に変わった。
過度の「育成」は自分の首を絞める。それは最早ただの寄生なのだから。適度な「共生」こそが生き延びる術なのだ。
生きているといったみなもは、自分を覆う服がそんなことを考えているなど知る由も無い。
自分の部屋に戻ったみなもは、改めて服の機能について復習を始めた。
・服は自分の思うものへと変化する。
・服は自分の体の中に寄生しているらしい。
・服は自分の排泄物や老廃物を主な食料として生きている。その延長上として衛生管理(排泄処理や怪我の治療など)がある。
・服はどうやら快楽を生み出すホルモンのようなものを生み出していた。(過去形なのは今そう感じられないため)
・服は火に弱い。
主なところはこれくらいだろうか。
それらを羅列しみなもは考える。服を活かせる方法を。
まず自分の思う服へと変化する能力。これは何よりも魅力的だ。
みなもとて女の子であるし、色々と着飾ってみたいという願望があるのは自然だ。そしてこの服はそれを全て叶えてくれる。
次に衛生管理。怪我の治療は言うまでも無く、排泄物の処理もありがたい。女性らしい恥じらいを持っているのであれば、排泄行為には多かれ少なかれ羞恥心が付き纏うものだ。
逆にホルモンの分泌に関してはいただけない。あれのおかげで散々な思いをしたのだから。
あれは最早麻薬の域と言ってもよいくらいだし、今は生み出していないようだがその内どうなるかは分からない。こればかりはみなもにはどうしようもないのだが、その時は蓮に頼むしかないだろう。
とはいえ、それは服自身が学習しているため心配はないのだが、みなもにはそれが分からない。
「要はこちらの心持次第、というところでしょうか……」
結論はそれだった。確かに過剰に頼れば依存してしまいそうなものだが、自分のやるべきことは自分でやり、任せられる部分は任せるようにすればそれも防げそうだ。
「あれば便利、しかしなくても生きていけるもの。頼りきりにならないように……」
みなもはまるで心に刻み付けるように呟いた。
その関係は服にとってもよかったらしい。
自分が過度に手を出すようなことがあれば、それはその内寄生しているみなもの破滅へと繋がっていく。
自分の創造主が植え付けたプログラムを逐一改善し、服はみなもを活かすようにしはじめた。
それ以来一切快楽ホルモンを生み出すようなことはしなかったし、勿論何もしないなどということはなく、彼女の思考はこちらに漏れてくるので必要な部分だけを補うようにしてやった。
服は自分の存在意義が道具であるということを理解している。しかし自分を使うものがいなければ、何時かは勝手に滅んでしまう。それは生きていようが生きていまいが変わらない。
みなもは自分に足りないものを理解している。だからこそ道具を使い服を着る。
一時は間違えていた相互関係が、今ここにきてはっきりとその形と意味を成していた。
みなもは服をパートナーと認め、服はみなもに寄生するのではなく生存領域として共生を選ぶ。
お互いを活かし、お互いを生かす。
一見しては分からないが、それは二つが共に進化した瞬間だと言えた。
「おや、いらっしゃい。うまくやってるみたいじゃないか」
「えぇ、おかげさまで」
暫く経ち、みなもはまたアンティークショップ・レンへ足を運んでいた。その体には勿論『服』を着込んでいる。今日は学校帰りらしくセーラー服であった。
あれからトラブルなども一切聞かないし、どうやらみなもと服の関係はうまくいっているようだった。
紆余曲折あったとはいえ、みなもにとってプラスになったのならばそれでいい。それがこの事に巻き込んでしまった蓮の思いだった。
「まっ、なんともないならそれでいいよ。そいつは餞別代りにくれてやるから大事にしてやりな」
「はい、勿論です」
答えるみなもの笑顔は眩しかった。
みなもが帰り、また蓮は一人考えていた。
道具のあり方。道具の存在意義。
道具は使われてこそ道具足りえる。しかしどうやったら使ってもらえるのか?
必要があるなら? それがないと生きていけないから?
ふと、店の片隅に置かれた古い型の携帯電話が目に写る。確か持ち主が必ず何かに巻き込まれるという曰くつきの代物だ。
それを手に取り、ふと呟く。
「携帯を手放せないやつは、機能がどうだとか言って持ちたがるけど単に携帯に依存しているだけ……」
独白は続く。
「本当にそうかもしれない。持ってるうちにその利便さが手放せなくなっただけかもしれない。
本来なくても生きていけるのに、生きていけないとまで言うやつがいる。
しかし本人が依存していようと、携帯が使われるならその存在意義はあるといえる……」
ふと、みなもの姿が頭によぎる。
「道具が使われるには、使いたいと思わせることが肝要だ。生きていてもいなくても、それは変わらない」
無意識のうちに刷り込まれるその意識。それが道具を生かすとすれば?
と、そこで蓮は考えるのをやめた。今更どうこう言ったところで仕方が無いし、みなもを信じてやるしかないのだ。
「何時だって道具を使いたくなるのは、セールストークがあるからだよねぇ……」
それは道具自身の刷り込みと言えるのかもしれない。本当に自分の意思で道具を使いたいと思うものは一体どれほどいるのだろう?
紫煙を吐き出し、様々な『道具』に囲まれた店主は大いに苦笑を浮かべるのだった。
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