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あたたかな笑顔
「ありがとうございましたー」
ボートから下りた家族に笑いかけ、赤城・千里は手を振った。無邪気に喜んでいる子供を見ていると、幸せな気持ちを分け与えられるようで自然と笑顔になる。貸しボートの仕事はこういうところが楽しいと、彼女は思う。
幸せのお裾分けをもらったついでに、ボートにも乗ってみようか。ふとそう思い立った千里は、休憩を告げに来たオーナーに声を上げた。
「すみません、オーナー! 私もボートに乗ってみていいですか?」
髭面のオーナーは顎をしゃくって少し考えた後、すぐに快諾してくれた。千里は顔を輝かせ、礼を述べる。
「ありがとうございます。ええと、お金……」
いつも払ってもらう立場だから、金額は空で思い出せる。小さな鞄から財布を取り出すと、オーナーが手をひらひらと振った。サービス。いつも頑張ってもらっているから、と。
「ありがとうございます!」
笑顔で頭を下げ、千里は軽い足取りでボートに乗りに行った。空いている一艘に乗り込み、オールを水につける。漕ぎ方は、見よう見まねでどうにかなるだろう。そう軽く考え、千里はボートを漕ぎ始めた。
水面の上は涼しくて、チケット売り場のある陸地とは空気も違うように思える。清々しくなるようで、千里は目を閉じて深呼吸した。湿り気のある空気が肺に沁み、心地よい。
幸せな気持ちで目を開く。と、その茶色の目を見開いた。思わずオールを漕ぐ手を止める。
辺りは霧に包まれていた。いったい何故、と戸惑いつつも、すぐ落ち着きを取り戻す。ここは湖だ。一方に漕ぎ続ければ必ず岸に着く。千里は再びボートを漕いだ。
霧はどんどん深まっていく。それでも着いてしまえば大丈夫、この状況についてオーナーに相談しよう。丁度客足が途絶えていたところでよかった――そう思っていると、岸に着く。ボートが傾かないよう注意を払いながら、陸地に上がった。
「――嘘」
思わず、小さく呟いてしまう。目の前には、見たことのない景色があった。
―――ここ、どこ? なんだか、無機質なオーラに包まれている感じね。
すぐそこに、慰霊碑のようなものがある。周りには、白い花。人の姿は全くない。冷たい印象を受けるのはそのせいだろうか。
居心地の悪さをおぼえ、身を震わせる。どこかに誰か人はいないかと、千里はその場を離れることにした。
―――ボートが心配だけど……繋ぎ止める杭も見当たらないし、仕方がないかしら。
ひとまず、一際目立つビルを目指して歩く。建物があるなら、その中には人がいるはずだ。そう思いながら進むと、工場街に差し掛かった。足を止め、様子を眺める。
人がいた。工場に勤める人々だろう、無駄のない動きで働いている。だが、せっかく見つかった人の姿にも、無機質な印象は拭えなかった。
人々は黙々と働いている。その様が、機械的すぎるのか。奇妙な感覚に、千里は眉をひそめた。
「どうしました?」
唐突にかけられた声に、驚いて心臓が跳ねる。振り返ると、そこには小柄な少年が二人いた。ふわふわしたプラチナ・アクアの髪の少年と、真直ぐな黒髪の少年。緊張しているのか――あるいは警戒しているのか、二人の表情は硬い。
「ボートを漕いでいて、気付いたらここにいたの。ああ、頭が変になった訳じゃないわ、私は正気よ? 何というのか、迷い込んでしまったのかしら」
二人がきょとん、として顔を見合わせた。警戒は解けたのか、心なしか表情がやわらかくなっている。二人は千里を見上げ、プラチナ・アクアの少年の方が口を開いた。
「こちらの方と同じですね。もしよければ、ご一緒しませんか?」
その隣で、少年も頷く。千里は二人の顔を交互に見ると、腰を曲げて目線の高さを合わせた。
「そうね。このままじゃ右も左もわからないし、もし案内してもらえたら嬉しいわ」
―――早く戻りたくもある、けれど……異常事態だもの、ここのこともちゃんと把握しておいた方が良いわよね。
千里が微笑むと、亮吾と少年も笑い返した。
「名乗るのが遅れたわね、ごめんなさい。私は赤城・千里。千里でいいわ」
「僕はイーヴァ・シュプールといいます」
そう名乗ったのはプラチナ・アクアの髪の少年。ぺこりと頭を下げると、黒髪の少年を促す。
「俺は鈴城・亮吾」
黒髪の少年――亮吾はぶっきらぼうにそう言った。イーヴァが亮吾と千里を順に見て、それぞれ頷く。それから、笑いかけた。
「それでは行きましょう、チサトさん、リョウゴさん。ミッテロガーンはすぐそこですから」
「なるほど。二人とも、ひとまず街を見て回りたいということだな」
イーヴァに連れられてミッテロガーン――島の中心にある、千里も目指していた建物を訪れると、ルラー・ヴィスガルと名乗る男性と会った。長い銀髪と紅の瞳が印象的な彼は、イーヴァの上官だという。案内の前に、まず彼に会ってほしいということだった。
ルラーから、ここについて軽く説明を受けた。ここはマゼイツという小さな島国で、『機械の町』と呼ばれているらしい。その通り名から窺えるように機械知識や技術に秀で、現在は機械と魔の融合を目指しているという。亮吾も千里も、そんな国なんて知らなかった。
「興味の湧くところも異なるだろう、それぞれお相手しようか。リョウゴ、君は子供同士でイーヴァと組むか」
ルラーの言葉に、亮吾が眉をひそめる。
「子供扱いかよ。俺もう十四なんだけど」
「イーヴァのひとつ上だな」
そう返すルラーに、亮吾が口を尖らせた。その傍らで、イーヴァが目を丸くする。
「そうだったんですか。小さかったので、てっきり年下かと……」
「イーヴァだってチビだろ!」
思わず声を荒げる、亮吾。そんな彼に、イーヴァは誇らしげに胸を張った。
「僕はまだ大きくなります。毎日身体を鍛えてだっているんですから」
「俺だってまだ大きくなるっての」
「ふふふ、一年後には僕はきっともっと伸びてますよ!」
「俺は成長期が遅いだけですー。二年後には挽回するんですー」
二人のやり取りを前に、千里ははじめきょとんとしていた。だが、ふと可笑しくなって笑みをこぼす。その様子に、ルラーも微かに口の端を上げた。
「そうです。お互い大きくなって、見返してやりましょう!」
そう言うと、イーヴァが亮吾の手を握る。亮吾は唖然として、狐に摘ままれたような顔で頷いてしまった。
「あらら、丸め込まれちゃったわね」
千里が笑う。亮吾は顔を赤くしてそっぽを向いた。そこでルラーと目が合い、亮吾が口を開く。
「話ズレてたけどさ、俺ルラーさんがいい」
亮吾によると、頭の良さそうなルラーを気に入ったということらしい。ルラーもまんざらではなさそうだ。とすると――と考えを巡らせてイーヴァを見ると、彼は申し訳なさそうに微笑んだ。
「チサトさん、僕でいいですか? 余り物を押し付けるみたいで、申し訳ないですけど」
「とんでもない。よければお願い、イーヴァ君」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ミッテロガーンを出た千里とイーヴァは、工場街の方に来ていた。慰霊碑らしき方から来たことを伝えると、それならもう工場街の方しか見るところはない、とイーヴァは言った。
「私や亮吾君が『迷い込んできた』って、よくわかったわね」
「閉鎖的な国ですから。『外』からいらっしゃった方はすぐにわかりますよ」
説明を受けながら、他愛ない雑談も交わす。そうしていると、不意に寂れた雰囲気の場所が目に留まった。工場の隙間の向こうに見える、人の気配の薄い建物。
「あっちの方は行かないの? 何かあるみたいだけど」
「あちらには、廃工場があります。あまり面白いものではないと思いますが……」
行きますかと尋ねるイーヴァに、頷いた。それは何の気なしに思い付いたことで、何があるのかなんて考えもしなかった。廃工場の中に入り、今は機能していない機械類を目にしても、見物気取りでいた。
けれど、ひとつのカプセルの前で、千里の足が止まる。カプセルの纏う奇妙なオーラに、悪寒を感じた。
「どうかしましたか?」
「あ……いいえ。イーヴァ君、これって何なのかしら」
何と表現するのが的確なのか。切ないとも取れるし、わびしいとも取れるような、そんなオーラ。他の機械にもオーラは若干あるものだが、そのカプセルは周囲から浮いて見えた。
「人体実験に使われていたものです」
どくり、と心臓が大きく音を立てる。イーヴァは淡々と告げたけれど――そのカプセルには、彼のオーラが残っているのだった。
人体実験に使われるようなものに、何故。そう思っても、彼には言えなかった。カプセルの大きさからすると、幼児用だろう。彼は小さい頃、この中にいたのだろうか。
目眩がする。突如、この国に対する不信感が増した。青い顔の千里にイーヴァが気付き、苦笑する。
「ずっと歩き通しでしたし、疲れてはいませんか? 一休みして、喫茶店にでも行きましょう」
そう言うと、彼は千里の手を引いて歩き出した。工場街を通り、ミッテロガーンとは逆の方向に。
繋がれた手は、ほんのりと暖かい。なのにこの少年は、普通の人間ではないのだろうか。――そんな風に考えるなんて失礼だと己を恥じつつ、つい考えてしまう。
そうこうする内に工場街を抜け、港近くの喫茶店へやって来た。自動ドアを抜けて、店内に入る。中はテーブル席とカウンター席に分かれていて、客はまばらにいる程度。一人で読書をしていたり、二人以上で来ているところは打ち合わせをしているようだったりで、楽しげな雰囲気はあまりない。二人はテーブル席の方に座った。
注文を取りに来た店員に、それぞれコーヒーとショートケーキを頼む。飲み物の種類はあまり多い方ではなく、ケーキも三種類しかなかった。
ちら、とカウンターの向こうを覗く。店員は機械を操作してコーヒーをカップに注いでいるようだった。味は期待出来るのだろうか――やや不安の芽が生まれ出した頃、コーヒーとケーキが出される。
早さは文句なしだ。だが、それこそファーストフードで出るような味なのではないか。そう思いつつ千里がコーヒーに口をつけ――予想は違わなかったと知った。
味を誤魔化そうと、砂糖に手を伸ばす。そんな千里に気付いたのか、イーヴァが眉を寄せて笑った。
「ごめんなさい。お口に合いませんでしたか?」
「いいえ、そうじゃないの。美味しいんだけど――ごめんね、気を遣わせてしまって」
すまなさそうな少年に、申し訳なくは思う。不味い、というほどではない。けれどそのコーヒーやケーキはどこか味気ないようで、不思議に思った。と、ぽんと彼が両手を合わせる。
「そうだ、ちょっと一緒に来てもらえますか?」
二人ともコーヒーとケーキを完食してから、千里はイーヴァに連れられて外に出た。海を背にして、ミッテロガーンの方に歩いているようだ。そしてそれは確かで、二人はミッテロガーンに入る。昇降機を使って上へと向かい、辿り着いたのはイーヴァの部屋だった。
千里が物珍しげに辺りを見回していると、くんと良い香りが鼻をついた。思わずそちらを見ると、奥へ引っ込んでいたイーヴァが顔を出す。
「どうぞ、召し上がってください」
彼はコーヒーを二つ運んできて、テーブルに並べた。千里をテーブルに着かせ、彼もまた向かいに腰を下ろす。
「いいの?」
「はい。口汚しにならなければいいですけど」
言って、自分からカップに口をつける。千里も彼に倣い、白い湯気を上げるカップに口をつけた。まだ少年らしい外見の彼からは意外に思えるような、深みのある味。ルラーにでも淹れ方を教わったのだろうか? 素直に、とても美味しいと思えた。ほっと息を吐き出すと、イーヴァが微笑む。
「やっぱり機械よりヒトの手で淹れたものの方が、あたたかみがあって美味しいですよね」
彼が言うその言葉には、何となく重みがあった。『人体実験』とやらを受けたのかもしれない彼が、言うと。また動作が止まりそうになり、再びコーヒーに口をつける。
「もしよければケーキもどうぞ。この間いただいたんです。……あ、お腹いっぱいでしょうか」
「そんなことないわ。甘いものは別腹、って言うでしょう?」
そう言って、千里が笑う。落ち着きを装って彼女が片目を瞑ると、イーヴァも可笑しそうに笑った。
「そうですね。僕も、別腹です」
二人で笑い合う。そうして、イーヴァが持ってきたガトーショコラを食べながら、ふと千里が言った。
「貴方はあたたかい子ね」
この無機質な国で人体実験を受けた身であろう少年に、少なからず不信感は芽生えてしまった。けれどもう、そんな気持ちも消えた。彼の心は確かに、あたたかいものだと思うから。
この国に来てこの少年に会えて、とても良かったと思えた。
しばらくして、亮吾とルラーもやって来た。イーヴァが呼んだのである。ケーキもまだあるから、二人よりも四人で味わった方が良い、と。
「いーもん食ってやがる! 俺も食いたい!」
「用意させよう。座って待っていなさい」
「やった、ありがとうルラーさん!」
イーヴァが苦笑して席を立つ。亮吾を席に着かせているルラーを尻目に、千里はイーヴァのカップに自分のカップを軽く触れさせた。陶器のぶつかる軽い音がする。
―――数奇な出会いに乾杯、ね。
何に感謝したらいいだろう。神に? 運命に? それとも、貸しボートのオーナーに?
―――そうね、そうかもしれない。
ボート代をサービスしてくれたオーナー。その時から運が回り始めていたのかもしれないから。戻ったら、きっとお礼を言おう。
「オーナー、大・大・大サービス、どうもありがとうございました!」
何のことやらと狐に摘ままれたようなオーナーの顔が目に浮かび、千里はくすりと笑った。
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■ 登場人物
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PC
【7754 / 赤城・千里 / 女性 / 27歳 / フリーター】
【7266 / 鈴城・亮吾 / 男性 / 14歳 / 半分人間半分精霊の中学生】
クリエーターNPC
【 NPC4928 / イーヴァ・シュプール / 男性 / 13歳 / 管理者】
【 NPC4929 / ルラー・ヴィスガル / 男性 / 36歳 / 管理者】
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■ ライター通信
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赤城・千里様
はじめまして、緋川鈴と申します。
この度は『機械の町』へのご来訪いただきまして、ありがとうございました。
千里様も亮吾様も甘いものがお好きとのことで、是非美味しいものを召し上がって頂きたい……! と、このようなお話を思い描かせて頂きました。リクエストにお応え出来ていましたら、また、少しでも楽しんで頂けましたら嬉しく思います。
ご依頼頂き、本当にありがとうございました!
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