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<東京怪談ノベル(シングル)>


『猿神村』



 高級感溢れるメルセデス・ベンツが、冬の茶色の山道を走り抜けている。室内空間を重視され製作されたこの車は、3年程前に日本へ輸入されるようになったばかりだ。
 その車の持ち主であるミネルバ・キャリントン(みねるば・きゃりんとん)は、貴族でもありソープ嬢でもあり、元軍人でもある。今現在はライトノベル作家も兼業しており、毎日執筆で忙しい日々を送っていた。
「ミネルバったら凄いわ。その若さでこんな凄い車持っているなんてね」
 ミネルバの隣の助手席に座っている碇・麗香(いかり・れいか)が感心した様な笑顔を見せた。
 ミネルバが白王社から刊行されているオカルト専門雑誌・月刊アトラスで執筆を手がけるようになってから数週間が過ぎていた。麗香はその月刊アトラスの編集長であり、ミネルバがアトラスに記事を執筆する様、以前部下をミネルバのいるソープランドへ送り込んできた張本人でもある。ミネルバ同様に大人の色気を十分に露出させている女性であるが、仕事には厳しく、また、オカルト現象はこの世に存在するものとしっかり認識しているという面も持ち合わせている。
 以前、ソープランドにやってきた部下の男の話では、このアトラスという雑誌を作成している者達は、ミネルバが過去にイギリスのSASに所属していた事を突き止めていた。その時はアトラスの取材の力に驚きと警戒を感じたものだが、いざ仕事を始めてみると、編集内での仕事は忙しいもののとても楽しく、仕事を開始してからあっという間に数週間が過ぎていた。
 仕事を続けるうちに、同じ雰囲気のせいなのか自然と編集長の麗香と気が合う様になり、締め切りを終えてしばらく仕事もオフになるので、今日はこうして二人で旅行に来ているのであった。
「さっきまで町のビルが見えていたのに、もうこんな山の中まで来たわね」
 麗香は持っていたカメラで外の景色を懸命に撮影していた。
 ふだんは部下の男に辛口で厳しく当たっている彼女であるが、オフの時はごくごくそのあたりにいる若い女性と変わらない。デニムシャツにGパンという姿で、外の景色を楽しそうに眺めていた。
「彼も連れて来てあげれば、良かったわね」
 慣れた手つきでハンドルを操りながら、ミネルバが麗香に話を振った。
「え、ああ、あいつね。いいのよ、こんなプライベートな女2人旅に、とろくて怖がりで泣き虫なあの男なんて、いらないでしょ」
 麗香がふっと息をつきながら答えた。彼女がどこまで本気で言っているのかはわからないが、あの麗香の部下の男だっていればなかなか楽しいのではないかな、とミネルバは思っていた。
「そうね、たまには女だけの旅だっていいものよね。さ、麗香。もうそろそろホテルに到着するわよ」
 そう言って、ミネルバはハンドルを切った。
 麗香には話していないが、この社内には拳銃が隠してある。引退しているとは言っても、元は軍人である。どんな時でも万一に備えての準備は怠らない。それが、休暇の旅行であっても、であった。



「ねえ、ミネルバ。ちょっと霧が出てきたみたいよ。運転大丈夫?」
 さきほどまで景色を見て笑っていた麗香であったが、だんだんと霧が深くなっていく様子を眺めているうちに少し不安になってきた様で、その顔からは笑顔が消えつつあった。
「霧が出てきたのはわかっているんだけど」
 運転をしているミネルバ自身も、この霧の中をいつもの速度で走らせるのは危険だという事はわかりきっていた。霧が濃くなる前に抜けてしまおうと思ったのだが、すぐに深い霧に包まれてしまった。
 GPSで位置を確認しようとするが、山奥過ぎるせいかこの付近のデーターがなく、画面には何も映し出されない。
「麗香、携帯電話で位置確認してくれない?」
 ちょうど麗香が携帯電話を取り出していたので、運転しているミネルバに代わり、携帯電話で現在の位置を確認してくれる様、麗香に頼んだ。
「だめ、圏外だわ」
 麗香が電波を拾うとあちこちに携帯電話をかざしていたが、何度やっても携帯電話がつながる様子はなかった。
 ますます霧が深くなってきた為、ミネルバは車の速度を落とした。あたりも暗くなってきており、間もなく夜が訪れるだろう。その前にホテルについてしまわねば、とミネルバは少し焦っていた。自分一人ならどうにかなるだろうが、麗香まで危険な目に合わせるわけにはいかないと、そう思っていたからであった。
「見て、ミネルバ!村があるんじゃないかしら?車を止めてみて」
 霧の中のある一点を指し、麗香がミネルバに話しかけた。
「どうかしたの?」
「今、看板みたいなのがあったの。この先に村があるみたいよ」
「本当に?じゃあ、そこへ行けば電話も通じるだろうから、ホテルへ連絡出来るわね。霧が晴れるまでは、村にいさせてもらって」
 ミネルバはそう言って、車を道なりに走らせた。やがて、道が広くなり、目の前に田んぼや家の明かりが見えてきた。
「田舎の村みたいね。でも、ほっとしたわ。野宿になるかと、思ったから」
 ほっとした様な笑顔で、麗香が呟いた。



 車を停め、ミネルバは麗香と共に社外へと出た。すでにあたりは暗くなっており、街頭だけが二人を照らしていた。
「猿神村、っていうらしいわよここ」
 麗香がすぐ横にある町の看板を見て言った。そこには、ようこそ猿神村へ、というかすれた文字の書かれた看板が立てられていた。
 その看板のすぐ上に、猿に似た木彫りの像が置かれている。
「猿かしらね。この村のお土産とか?」
 麗香が呟く。ミネルバはあたりを見回した。
 どこなのかはわからないが、山間にある村なのだろう。暗くて全体的な様子まではわからないが、ところどころに明かりが見えることから、人がまったく住んでいないわけではなさそうだ。
「今日はどこかへ泊めて貰わない?このままだと風邪引いちゃうし、それに電話を借りなきゃ」
 ミネルバの提案に、麗香が頷く。二人は最低限の荷物を車から出すと、それを持って村を歩いた。まだ真夜中というわけではないから、村人何人かとすれ違った。
 しかし、数人とすれ違ううちに、1つの疑問がミネルバの頭に浮かんできた。
「ねえ、麗香。この村、男の人ばっかりじゃない?」
「そういえば、そうね?」
 麗香も同じ事を考えていたのか、少し顔をしかめていた。
「まだそれほど遅くないし、それにいくら田舎だからって今時、夕日の前に寝て朝日の前に起きる、なんて生活しているっていうわけではないでしょ。だけど、さっきから男の人としかすれ違わない。それに、ちょっと年配の。若い子がこの時間に外にいないなんておかしいわよ」
 麗香は静かに頷いていた。それに、口にこそ出さなかったが、男達のあの視線は何だろう。まるで、獲物を狙う肉食獣の様な。いや、それとは違う。どこか、いやらしげな視線とでもいうのか。ミネルバはこの視線を何度か感じた事がある。
 週に1度勤務している、ソープランドにやってくる男達の、女を嘗め回すようなあの視線によく似ている気がするのだ。
「あ、あのお猿さん」
 急に麗香が立ち止まった。
「どうしたの?」
「ほら、あそこに社みたいなのがあるでしょ?あの社にある石像。さっき看板のそばにあったお猿さんの像にそっくり」
 麗香の指差す先に、先ほど見た猿の像があった。社にあるということは、信仰対象になっているということだろうか。しかし、このような小さな村ではそれほど珍しくない話だろう。土着の信仰というものは、特に日本では数多く存在するのだから。
「この家で聞いてみましょ」
 二人は、このあたりでは一番大きな家の前に立っていた。この家で電話を借りて、ホテルに連絡をしようと考えたのだ。
 インターホンはない様なので、木のドアを軽くノックをした。静かな村の中に、その音は遠くまで響き渡った。
「どちらさん?」
 中から現れたのは、80代と思われる老人であった。
「すみません、私達、旅行をしている途中道に迷ってしまいまして。携帯電話もつながらないので、お電話を借りたいのですが」
「ああ、そうじゃったか。何、電話なら好きなだけ使いなさい」
 柔らかな表情を浮かべ、老人は快く二人を迎え入れてくれた。ずっと気を張っていたのか麗香がほっとしたような表情を見せていた。
「さあ、べっぴんさん達、おあがんなさい。今夜は冷えますからのう」
 ミネルバはどことなく、この村には何かがあるような雰囲気を感じ取っていたが、今は老人の言葉に甘え、家へと上がることにしたのであった。



「ミネルバ、ホテルに連絡しておいたわ。事情を話して、明日には着くって事伝えておいたから」
「ありがとう、麗香」
 二人がそう話し合っていると、老人が飲み物と菓子を盆に載せて運んできた。
 この老人はこの村の村長であり、広い家の敷地内には道場もあるのだという。村長は剣の達人であったようで、かつては道場で剣術を教えていたのだが、年をとって引退し、今は静かに暮らしているのだという。
「この村のまわりには夜になると濃い霧が発生するのじゃよ。じゃから、たまに迷い込んでしまう者がいてのう。今夜はここへ泊まっていったらどうですかな?」
「あら、いいのかしら、そこまでして頂いて」
 さすがの麗香も、少し遠慮している雰囲気であった。
「いいんじゃよ。この村もかつては観光客が訪れていたんじゃが、今は不況もあってか、すっかり寂れてしもうたからのう。客をもてなしするのは、慣れているからのう」
「どうするミネルバ?」
 麗香がミネルバに視線を向けた。
「そうね、今から外へ出ても危険だし。明日霧が晴れたらすぐに出発出来る様にしておきましょう。お世話になります、村長さん」
「そうか。では、この村の名物の温泉を案内しよう」
 村長が笑顔でそう言うと、麗香が嬉しそうな笑みを見せた。



「何だか一時はどうなるかと思ったけど、こうして温泉にも入れて、結構良かったわよね」
 麗香は、上に広がる星空を見ながら呟いた。村長が案内してくれた温泉は村の宝の1つであり、村の外れにあり、川がそばにある露天風呂でロケーションとしてはなかなかであった。
「あなた、胸大きいわね。どうやったらそんなに大きくなるわけ?」
 すっかりご機嫌になったのか、麗香が湯船に透き通るミネルバの胸を指差す。
「何を言っているのよ、自分からこうしたわけではないんだから。それに麗香だって」
 と、麗香と楽しそうにじゃれあっている時、ミネルバは岩の陰に何者かの視線を感じた。
 嫌な視線である。まるで体全部を嘗め回されてしまったかの様な、欲望に満ちた視線だ。しかし、ミネルバがその視線を感じた場所をよく見ても、人影は見つからない。それでも、妙な視線は変わらずこちらを見つめているのだ。一体、何がいるというのだろう。
「ミネルバ、もうお風呂出ない?何だか、気持ちが悪くなってきたし」
 麗香も何かを感じたのだろう。先ほど見せていた笑顔はすっかり消えている。これ以上ここにいても、落ち着かないだけだと思ったミネルバは、麗香の言うとおり温泉を出ることにした。



 温泉から出ると、村長が二人の為に食事を用意してくれていた。村で採れた野菜なのだろう。野菜の味噌汁と、つけもの、山菜ごはんが並んでいる。素朴な食事であったが、何も食べていない二人にはご馳走であった。
「あの村長さん」
 居間での食事が終わる頃、麗香がそっと口を開いた。
「この村は、男の人ばかりみたいですが、何かあったのかしら?」
 さすがは記者、時に遠慮せずに聞き込みをするのは、休暇中でも変わらないらしい。村長は麗香の質問に少し間を空けると、そっと答えた。
「ごらんの通り、若い者は皆、都会に行ってしもうて。それに女達も、こんな田舎で嫁になるぐらいなら外へ行くと、村の外へ行ってしもうたんじゃ。今では、未婚の男が残されるばかりじゃよ」
 村長はため息をついて答えた。
「どこからか、嫁が来てくれればいいんじゃが」
「過疎化する村ってわけね。それは問題だわ」
 村にとっては深刻な悩みであろうが、麗香はさらりと受け流しているようであった。確かに、自分達にはあまり関係のないことだが。
「さて、お2人が温泉へ行っている間に、家の離れに寝床の準備をしておいたぞい。今日はゆっくり寝てくだされ」
 ため息をつきながらも、村長が笑顔を取り返して言う。
「有難う、村長さん。麗香、もう寝ましょう」
 ミネルバがそう言うと、麗香も頷き、二人は離れへと向かった。



「こういう所だと夜這いの風習が残っているかもね」
「何、何を言い出すのミネルバ」
 布団に横たわりながら、麗香が驚いた様な声で答えた。
「こういう村ではあったそうよ。特に昭和の初期はね。男が出稼ぎで村を留守にしている間、残された女は満月の夜に、家の扉を少しだけあけておくんだって。つまり、それは男の受け入れOKっていう合図」
「あー、聞いたことある。でも、だからそういう村ではよく子供が生まれるとか何とか」
 ふざけた様な表情で、麗香が答えた。
「でもミネルバ、今は平成の世の中よ。お嫁さんが欲しいなら、結婚相談所に行けばいいし、それにそんな事してたら、すぐに浮気だって言われてとんでもない目に合うんじゃない」
 冗談で言ったつもりであった。しかし、月の明かりが映し出した大勢の人影が偽者ではない事ぐらいは、麗香にもわかっているようであった。
 田舎町なので、月の明かりは照明のように明るかった。いつの間にか、この離れは男達に囲まれていたのだ。
「ミネルバ、何、何が起こっているの?」
 麗香の表情に、もう笑顔はなくなっていた。
「わからない。だけど、囲まれているわ。離れの扉を開けようとしている!」
 男達が扉をこじ開けようとしているのが、その音から判断できた。
「麗香!早く逃げて!私が時間を稼ぐから。村の外へ!」
「え、でも、どうやって?」
 ミネルバは、布団をどけて床板をどかした。そこには人が通れるほどの空間があいていた。
「この床下を進んでいけば、外に出られると思う。貴方が外へ逃げるまで、私が男達をひきつけるわ。貴方なら逃げられるわよね?」
「でも、ミネルバは?」
「早く!男達が来るわ!」
 乱暴に離れの窓が開けられ、男達が中へと入ってくる。獲物を捕まえる狩人の様な恐ろしい目をしていた。
 麗香は覚悟を決めたように、ミネルバの言う通り床下に入り込んだ。この床下を進んでいけば、男達を通り越してこの家の外へ出られるはずだ。
 ミネルバは自分の布団をめくり、グルカナイフを取りだした。いつだって武器は用意しておくものだ。
 中に入って来た男達に指示をしているのは、さきほどまで優しい笑顔を見せていた村長であった。手には竹刀を持っており、老齢とは思えないスピードでミネルバにそれを振りかざし襲い掛かってきた。
 ミネルバも武術の心得がある。いくら剣の達人とはいえども、老人の剣士には勝てる自信があった。しかし、ミネルバが反撃をしようとした瞬間、まわりにいた男達が数人がかりでミネルバの体を押さえつけた。
 ミネルバが最後に見たのは、自分の頭に振りかざされる村長の竹刀。目の前が真っ白になるほどの衝撃を受け、ミネルバの意識は薄れていった。
 最後に聞いたのは村長の、この娘を運ぶのじゃ、という声であった。
 意識が遠くなる中、ミネルバは麗香の事を思い出していた。彼女は無事に逃げてくれただろうか。(続)