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ハニー・ハニー・チョコレート
□prologue
「もし、お暇な日があったら、一緒にお菓子作りをしませんか?」
偶然立ち寄った黒・冥月に、花屋の店員鈴木エアが提案した。
ある二月の晴れの日。
花屋『Flower shop K』はいつものように客の姿がない。そして、いつものように騒がしい。
『お菓子だって!』
『甘くて甘くて甘いんだよね?』
『いいな、いいな』
エアの言葉を聞いて、店中の花達が騒ぎ出した。
冥月は騒がしい花達の声をめいっぱい無視して、少しだけ首を傾げる。
「お菓子作り?」
「はい。冥月さん、チョコレートはお好きですか?」
チョコレートか。甘くて少しだけ苦く、口の中で溶ける魅惑の食べ物。それはもう、凄く凄く好きだ。と、言う気持をひた隠し、冥月は短く答えた。
「嫌いではないが」
すると、エアの顔がぱっと明るくなる。
「実は、沢山チョコレートが手に入ったんですよ。せっかくなので、色々作ってみようかと思うんですが……どうです?」
偶然、チョコレートが手に入る?
この季節に?
まぁ、何かあるんだろうなと思ったけれど……、冥月は結局首を縦に振った。
「そうだな、いいぞ、お菓子作りも久しぶりだ」
「良かったー! じゃあ、いつにしますか?」
こうして、冥月はエアとお菓子作りをする事になった。
□01
約束の日、冥月は花屋の裏手から店内に入った。配達の搬出に使う戸口らしい。いつもは店主の専用出口になっているようだ。営業日には、エアは店の出入り口から出入りしていると言う。
「今日はね、お店は休みなんですよ。お店、まるまる貸し切りです!」
「……良いのか?」
「良いんですよー。店長スペースは広いし、キッチンもありますし、時々借りるんです。1LDKの小さなキッチンよりもよっぽど設備が良いんですから」
「ふぅん」
何やら、エアの慎ましやかな生活がちらりと垣間見えた気がする。
本当は冥月の自宅で作っても良かったのだが、準備がどうとかモノを移動させるのがどうとか、エアがこの店でと主張したのだ。
その理由は、キッチンの一角、エアの私物置き場を見ると良く分かった。
「よくこれだけ買い込んだな」
ため息をつきながら、冥月は静かにエアを見る。
エアが取り出してきた荷物は、チョコレートの山だ。手作り用のブロックチョコレートの他、市販されている板チョコ、ココアパウダーなども揃っている。彼女は、本気だ。
「え、そ、そんな。そうかしら……。まぁ、その、アレもコレも買いこんでしまったと言うか……。でもでも、いっぱいあると、沢山食べれます!」
その他、エアは菓子作りの本も数冊用意していた。見ると、全てチョコレート特集。それだけではなく、ネットで調べたのだとレシピを印刷した紙の束も出してきた。
「さて、どれを作りましょうか? 冥月さんはどのチョコレートが良いですか?」
レシピをぱらぱらと捲りながら、エアが首を傾げる。
「いや、お前が作りたい物を作ろう」
「ええー。そうですか? 良いんでしょうか? えっと、だったら……」
と、さんざん逡巡した末に、エアは基本のトリュフとチョコブロックを選んだ。
□02
二人並んでチョコレートを刻む。
冥月は勿論の事、エアの手つきもそう悪くなかった。
「冥月さんは、お料理も得意なんですねー。何と言うか、包丁を持つ手が妙に色っぽいですよ」
刻んだチョコレートをボウルに移しながら、くすくすとエアが笑う。
鍋に生クリームと蜂蜜を入れ、冥月は肩をすくめた。
「まぁ、毎日作ってあげていたからな」
彼に。
と、余裕の様子。
いつもは、照れたりもするのだけれど……。
「わぁお。大人の魅力ですね?」
目を丸くするエアに、静かに微笑を向ける。
『毎日作ってるらしいよ〜?』
『だって、冥月は毎日食べてるもんねぇ!』
と、どこか遠くから、花達の囁きが聞こえてきた。
がたん、と、手にしていた鍋が大きく揺れる。
「? どうかしました? 火が強すぎたのかな?」
「あ、ああ。そうだな、大丈夫だ」
冥月は必死に平静を装った。言えるわけがない。本当は、甘い物好きな自分用に作っていただなんてこと……! 絶対に、内緒だ。
そうこうしているうちに、鍋がことことと音を立てる。
沸騰する前に火から外して、刻んだチョコレートを入れた。
「そう言えば、最近、ホットミルクにチョコを溶かして飲む商品が出たらしいですよ」
生クリームに溶けていくチョコレートを眺めていたエアが、ふと顔を上げた。
「ホットチョコレートよりも、もっとクリーミィだそうです。今度、一緒に飲みましょう! きっと、美味しいと思うんですよー」
「ふぅん」
なるほど、それは美味しいだろうなぁと想像する。温かくて、甘くて、口当たりも良い。ミルクとチョコレートの組み合わせを思うだけで、格別な物だと思う。
「あ、もしかして、そう言うのお好きじゃなかったですか?」
「え、いや……!」
冥月の沈黙を否定的に解釈したのか、エアが控え目に身を引く。
「そうですよね〜。何だか、すみません、ちょっと、子供っぽかったかな」
あはは、と、誤魔化したように笑うエアを見て、冥月は内心ひどく焦った。
「いや、良いんだ。そうだな、一緒に飲もう。それも、楽しそうだ」
きっと、楽しい。そして、きっとそれはとても美味しいと思う。その歓喜を気取られないよう、そして当惑と取られないよう、冥月は柔らかな微笑を作る。
『絶対、好きなんだよねー?』
『だって、甘い物、良く食べてるもんねー?』
花達の余計な囁きは、強靭な精神力で黙殺した。
「……。では、また、いつかと言うことで」
「そうだな。そうしよう」
とろりとしたチョコレートをバットに流し込む。後は、冷蔵庫で冷やせば良い。
その間に、トリュフも作るのだ。
「結構スムーズに行きますねぇ」
「そうだな、ココアをまぶしたら良い物ができるぞ」
滑らかに溶けたチョコレートを見ると、期待が膨らむ。表面を平に整えると、ぐんとチョコレートらしくなった。
□03
最後にトリュフにココアをまぶし終え、ずらり本日の成果を並べてみる。
丸いトリュフは見た目も楽しい。
最初に作ったブロックのチョコは、一口サイズに切り分けてココアをまぶしてある。いわゆる、生チョコだ。蜂蜜を加えてあるので、口当たりもまろやかに仕上がっているはず。
しゅん、と言う、やかんの音を確認してエアが紅茶の用意を始めた。
「まだ時間は大丈夫ですか? せっかく作ったから、食べましょう」
「ああ」
常備してあった小皿に、幾つかチョコを取り分ける。
一つ口に放り込むと、程よく溶けた。舌触りも良い。なかなかの出来栄えだと、冥月は納得した。
隣では、真剣な表情のエアが、一つ一つチョコを吟味している。
「うーん。……、やっぱり、トリュフが良いでしょうか……。ああ、でも、ブロックのチョコはスタンダードと言うか、リスクが低いし……。どっちが美味しいだろう」
そんなエアを見て、とうとう冥月は噴出しそうになる。
「で、私は誰の為の練習に付き合わされたのかな」
「ええ?! あ、そ、そ、それは……」
途端に、目を白黒させるエア。ほのかに、頬が赤く染まっていく。
まぁ、この季節にチョコレートだ。
気が付かないわけがない。
冥月は慌てるエアの頭を撫で、微笑んだ。
「ま、頑張れよ」
「はい、あ、……あう」
やっぱり、分かっていらっしゃったんですよね? と、エアは目を泳がせる。
「頑張る、はい。頑張ります」
そして、最後に、困ったように首を傾げた。
おや、と、彼女の反応を不思議に思う。冥月の言いたい事が分かったのか、エアは少し間を置いて、こう切り出した。
「冥月さん、このお花屋さんの店長と、会った事はありますか?」
「ん……、まぁ、そうだな……」
何度か遭遇した事はある。
「きちんと会話、できました?」
「そ……」
それは……。確かに、花達の囁きがなければ、ほとんど会話が成立しなかったような覚えがある。
「あ、良いんです。店長は、ずっとそうなんです。女の人ときちんとお話できないって言うか……。うーん。正直なところ、彼とまともに話をした女性は、私がはじめてらしいんですよね」
「ほほぅ」
「雛鳥……じゃないですけど……、結局、私が最初だったから、一緒にいてくれるのかなーとか、思ったり思わなかったり」
ごにょごにょと、エアが言葉を濁す。
彼女なりに悩んでいるらしい。
冥月は手元にあったチョコレートをエアの口に放り込んだ。
「でも、手作りのチョコを用意するんだろう?」
「はい……。そう、そうですね。有難うございます」
チョコを転がしながら、エアは頷いた。
□epilogue
「そう言えば、冥月さんはバレンタイン、どうするんですか?」
別れ際、エアがふと、冥月を見上げる。
「さぁ、どうするかな……」
せっかくチョコレートを作ったのだし、バレンタインを満喫するのも良いのだろうけれど……。
冥月は少し考えたが、結局首を横に振った。
「予定は無いな、今のところ」
「ふぅん。でもでも、今の時期色々イベントがあるじゃないですか! 結構、お祭り騒ぎですよねぇ、バレンタインって」
確かに、チョコレートの販売促進と言うにはいささか度が過ぎるほどの盛り上がりだ。
街もどこか落ち着かない。
ピンクでピンクでピンクな装飾に、甘い匂いが加わって……そう、お祭り騒ぎだ。
けれど、と、冥月は指先でエアの頭を軽くつついた。
「人の事を心配するより、まずは自分の事を考えろ」
「確かに……。そうです、頑張ります」
冥月の励ましに、エアは決意を固めたようだ。
「あのぅ、今日は本当に有難うございました!」
「こちらこそ、楽しかったよ」
それに、チョコレートは美味しかった。
大きく手を振るエアに、冥月も手を振り返した。
<End>
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