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顧―かえりみ― 白雪は赤く染まりて
確証のない噂に導かれ。胡散臭い男に促され。
問いに返した頷きは、男に笑みを浮かべさせた。
それでは、あなたの過去へ……よい旅を――。
遠くの方で男が囁く声がした――ような気がして。
ミグは、気がつけばどことも知れぬ場所で、その意識を取り戻した。
ぐるり。辺りを見回す。そこには何もない。いや、何もないわけではない。よくよく目を凝らせば、空間の背景が見て取れた。
どちらかと言えば質素な部屋。だが、目に留まる調度品はどれも高価なものだ。
――ミグ自身物の価値を正確に把握できるわけではないが、何故だか、そう思えた。
そんな場所に、男が二人。部屋が薄暗がりに満たされているため、双方、はっきりとした姿は窺えない。
だが、ミグはその二人へ歩み寄って姿を確認するような真似はしなかった。気取られることを恐れているわけではない。彼らの目に自分が映っていないだろうことは、理解していた。
ただ、確かめる必要性を感じていなかった――あるいは、確かめることを拒否したのだろうか。
意識の外、記憶という括りの枠から外れた『自分の姿』を、受け入れることを――。
「それでは、任せたぞ」
耳慣れない、けれど覚えのあるような言語で、男の片割れが囁いた。
老獪な笑みを浮かべているのが雰囲気で窺える。そしてその雰囲気は、二人が交わす言葉が善事ではないことを、語らずして示していた。
「今回もそう難しい仕事ではあるまい。お前の腕なら、容易だろう?」
大きな一人掛けのソファにゆったりと座り込み、男は首を傾げて見せた。それに応じるように、もう一人の男は口角を吊り上げる。
「あぁ、何を心配することもない。数日もすれば、お前たち政府の不都合は消えているさ」
「くれぐれもしくじるなよ」
「誰に向かっていっているんだ。それに、お前も十分判ってるんだろう?」
くるり。踵を返した男の気配は自信に満ちていた。
「俺のライフルは、獲物を逃しやしないさ」
告げた男は、そのまま部屋を後にした。
扉の前でじっと佇んでいたミグを、するりと、擦り抜けて――。
街並みと、言葉と、彼らの言動と。全てを照らし合わせたミグは、状況をゆっくりと把握していく。
一体何年前の話だか。詳しくは知れないが、この国が、『ソビエト』と呼ばれていた時代の話。
老獪な笑みを宿していた男は恐らく国政府の高官に位置する存在で。それに対峙していた男は、彼に――政府に雇われた殺し屋といったところだろう。
ミグの意識が男の後を追うことを望んでいる辺り、興味を示していた自分の過去に不覚纏わるのは、殺し屋の方だ。
(グルル…(訳:殺し屋、か……))
いまの世の中にだって暗に存在する職業だ。珍しいとも恐ろしいとも、思わない。
ただ、胸中が少しだけざわついた。
人の命を奪うことを生業とするこの男が、どうやって命を落とし、今の自分へと成り代わったのか。疑問に、ミグの心には興味と同等の何かが存在していた。
この男は、いずれ――。
「はっ……呆気ないもんだな」
狙い済ました獲物をしとめた瞬間、男の自信が一重上塗りされていくのを見つめながら、ミグはうっすら瞳を細めた。
それから、ミグは男の後を静かについて回った。
普通の人間と変わらない生活をする男は、夜闇に触れると狂気を宿す。いや、男には狂気どころか感情らしいものは存在していないのかもしれない。
愛だの恋だの優しさだの。温かい情とは縁を切ってきたからこそ、暗殺という冷たい世界に立っていられるのだろう。
そう思うと、男が憐れにも見えてきた。それこそ、男にもミグにも必要のない感情なのだろうけれど。
ただ、淡々と『仕事』をこなす様を見ていると、胸中のざわつきが少しずつ増していく。
吹きすさぶ雪の中。次の仕事のために長く鉄道に揺られる男の傍らに、ミグはいた。
がたん、がたん……。
列車は揺れる。代わり映えのしない雪景色を眺める男が上下左右にぶれて見える。
ざわつく胸は揺れに呼応するように昂ぶっていた。
焦りではない。不安でもない。初めに抱いていた興味ですらなかった。
確信、していたのだ。知りもしない男の末路を。
この男は、いずれ――。
「っ、お前は、まさか俺を……!」
いずれ、同じ世界に立つ者の手によって殺されてしまうのだろうと。
どさっ――!
決して大柄ではないが、大の男の体が雪原に埋もれる音は、ずっしりとした重みを携えていた。
びょうびょうと音を立てる吹雪に紛れ、その場に立つ者は皆平等に姿を曖昧に紛らわせている。
それでも、ミグの瞳にははっきりと映りこんでいた。
白く冷たい雪原に映える、さめざめとした命の涙が。
「グルゥ…(訳:呆気ない、ものだな)」
人の命を奪うたびに、男が囁いていた言葉を。いまその男に囁いてやった。
呆気ない。本当に、呆気ない。
雪の白さの中ではいっそ蒼くさえ見える顔を覗きこみ、ミグはまた瞳を細めた。
呆気ない。だが、実に似合いの末路ではないか。
闇の中で輝き、その闇に握りつぶされる最期。人に語らせれば憐れに他ならないのだろう。
だが、何十年と先に安らかな臨終を迎えたとて。この男の傍らに、真に安らげる存在など有りはすまい。虚無感に絶望しながら逝くのが関の山だ。
恨まれて憎まれて――殺されて。
その方がずっと、ずっと――。
「ざまぁねぇな」
ずっと、憐れでならない。
「ガゥ、ガァゥ!(訳:貴様の末路も、この男と何も変わらんぞ!)」
宿敵か、天敵か、商売敵か。知りはしないが、悠々とした笑みで去っていく暗殺者の背に、ミグは何度も吠えていた。
それを無意味と知りながらも、胸中をざわつかせた憤りを吐き出さずにはいられなかった。
冷たい雪に晒されながら果てた男の無念を乗せて、その背が見えなくなってもなお吠え続けて。
――それで、終わると思っていたのに。
ミグは背後に悪寒じみたものを感じ、身構えるように振り返った。
その目には、確かに、映ったのだ。朽ち果てた男の体から、薄っすらと世界に溶け込んだ影が、浮かび上がったのを。
「グルル…(訳:やめろ……)」
お前はこのまま眠っているべきだ。
お前はその意思を終えるべきだ。
お前はこれ以上、永らえるべきではない――。
「ガァゥ!(訳:やめろ!)」
吼える声は届かない。男の亡霊はミグを振り返り、けれどその存在を否定するかのように、するりと、擦り抜けていった。
風にたゆたう雲とはわけが違う。現世を彷徨う亡霊は、憐れな時を繰り返すだけ。
判っていながら、男の亡霊を行かせるわけにはいかなかった。
だが、幾ら吼えても、幾ら駆けても、その背に届くことさえない。
胡散臭い男の言葉が甦る。
貴方の意思で戻ることは。
箱庭を変えることは。
箱庭の中心人物との会話は。
決して、できません――。
吹きすさぶ雪に攫われて。ミグの意識は深淵へと、堕ちた。
ゆらゆら。意識の端で何かが揺れている。
それはさながらテレビでも見ているかのような。現実とは違う世界で起こっている物語を見つめているかのような感覚。
何人もの人間が話している。研究。実験。兵器。聞き慣れた単語。
慌てるような声。ざわめく空気。
ばたばたとやかましい足音が耳朶を突き、同じ格好の人間が右往左往している中で、ミグは確かに見た。
あの時追いかけた背中が、場の中心へと吸い込まれていったのを。
そして、男の亡霊がふわりと姿をくらませた瞬間、そこにいた何かが鼓動を開始したのを。
「トラブルはあったが……完成したようだな。動物型霊鬼兵、第六号機が」
壮年の男の歓喜の声に応じるように。
ハイイロオオカミの瞳がゆっくりと開かれた――。
「グル……(訳:皮肉な、ものだな)」
狼という獣の肉体を持ったミグに、人と同じように笑うことは出来ないけれど。喉の奥をくつくつと鳴らすそれは、まさに、人が零す自嘲の笑みだった。
なんてことはない。顧て知ったのだ。この体は、ただの未練の塊なのだと。
人の命を奪い続けた代償――死を受け入れられず亡霊と化し。体そのものを兵器とする蘇りを果たし。
そして今、その役目さえ失ってなお生き永らえて。
――生き永らえて、ようやく、大切な存在を見つけることが出来た。
パタン。顔を上げたミグの耳に、本を閉じる音が聞こえる。
それと同時に周囲の背景が記憶に新しい本棚の列に戻ったのを見ると、ミグはとことこと音のした方へ歩み寄った。
「グルル…(訳:なかなか、有意義な時間だったな)」
人の言葉は紡げないけれど。男を見上げる瞳に、気持ちは十分に湛えられていたのだろう。にっこり。柔らかな笑みに見つめ返された。
「あなたの今と未来に、良き光が差しますように」
本を閉じた男の姿は、まるで手を合わせ祈りを捧げているかのように、見えて。
ふ、と小さく笑みを零したミグは、ゆっくりと踵を返した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【7274 / ー・ミグ / 男 / 5 / 元動物型霊鬼兵】
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■ ライター通信 ■
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この度は【【地下特別室】顧―かえりみ―】にご参加頂きありがとうございました。
ハードボイルドというご指定でしたので、あまり喋らず、淡々と状況を飲み込んでいるような描写となってしまいましたが、いかがでしょうか。
感情面において、個人的な想像・妄想が多大に含まれてしまった面が強いですが、ミグ様の思いに少しでも繋がる部分があれば幸いです。
それでは、またの機会がございますれば。
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