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<東京怪談ノベル(シングル)>


■As sweet as you love them

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 白を基調とした部屋はロフト付きのワンルーム。壁や床を飾る雑貨が少ないせいか、一見すると淋しげな印象を与えるのだが、そこに部屋の主たる赤城千里(7754)の姿が加わるだけで雰囲気は一変。長い手足が動くようにビターチョコレートの髪が揺れれば、まるで形を得た風が部屋の中で舞って見えた。
「あ…っと、あれも持ってこないと」
 キッチンに立つも、棚に置き忘れた材料がある事に気付いて再び部屋に戻る。その際に背後の冷蔵庫とぶつかりそうになって、一呼吸。
「やっぱりキッチン、もう少し広い所にすればよかったなぁ」
 そう思いつつも愛着のあるキッチンだ。肩を竦め、改めて忘れ物を取りに部屋へと足を動かした。
 料理好きな彼女が、この日、手作りしていたのはチョコチップクッキー。バレンタインの贈り物だ。本命がいるわけではないけれど、感謝したい相手ならたくさんいる。そういう人達に手作りの贈り物で笑顔を見せてもらえれば、こんな嬉しい事はない。
「イベント時って、日頃の感謝を伝える格好のチャンスよね」
 呟きながら戻って来た彼女の手には、星型やハート型の型抜き。丸いのばかりでは面白味がないからと昨夜の内に買っておいたのだ。
 細かなチョコレートがたくさん詰まった生地を可愛らしい形に整え、オーブンへ。
「さて、と。焼き上がったらラッピングね」
 温度とタイマーを再度確認した千里は、朗らかに笑んでキッチンを後にした。




 ●

 焼き上がったクッキーを小分けし、今日という日のために用意した雑貨で可愛らしくラッピング。千里はこれを二十個ほど紙袋に入れて部屋を出た。才能があるのに性格ゆえか幾つもの職場を渡り歩いてきた彼女には、感謝を伝えたい相手が本当に大勢いるのだ。
 最初に訪れたのは家から一番近かったコンビ二。数年前には此処でアルバイトをし、今は常連客だ。
「こんにちは」
 店内で声を掛ければ、レジに立っていた高校生と思しき女の子達が大喜び。
「千里さんっ!」
 容姿に恵まれモデル業もこなす彼女は、しかし気取ったところがなく、アルバイトの彼女達にとってはひどく身近なアイドルだ。
「今日はどうなさったんですか?」
「これこれ」
 紙袋から用意して来たクッキーを取り出す。
「店長いる?」
「もちろんですっ」
 答えた女の子はすぐに奥へと駆け込み、そこにいた店長を呼んでくる。突然の呼び出しに驚いていた店長は何事だと眉を顰めていたが、千里の来店を知って目元を綻ばせた。
「やぁ、いらっしゃい」
「こんにちは。ハッピーバレンタインです」
 そうしてクッキーを差し出せば店長は本当に嬉しそうに受け取る。
「悪いなあ毎年気を遣って貰っちゃって」
「いつもお世話になってますから」
 にっこりと笑む千里に、何故か悩殺されているのは店長ではなくアルバイトの女の子達。千里が、用事があるのでこれで失礼しますと告げるや否や、少し待って欲しいと再び店の奥に飛び込んだ。
「千里さんっ、これをっ!」
 再び戻って来た少女達が差し出したのは、細長いクッキーをチョコレートでコーティングした人気のお菓子。しかも地域限定のメロン味だ。
「もし良かったら受け取ってくださいっ!」
 物産展にでも行かなければ購入出来ないそれを少女達が持っているのは、休憩中に食べようと前以て準備していたからだろう。それを、千里にくれるという。少なからず驚きもあったけれど、ここで断ってはかえって失礼になるだろう。
「ありがとう」
「い、いえっ」
 せめてもの感謝を込めて微笑めば、少女達の顔は真っ赤に染まる。そんな二人を見て店長が声を上げて笑っていた。


 クッキーの代わりに地域限定のお菓子を紙袋に収めて、千里は次の職場へ。某新聞紙の販売所では千里も働いてた当時から其処にいるアルバイトと他愛のない話で盛り上がり、次に向かった出版社では編集長から「またうちで働かないかい?」との嬉しい言葉まで。
「私、飽きっぽいので。またご縁があれば」
 いつかと同じ言葉で断れば、相手もその時と同じ笑顔。それも千里の人徳があればこそだ。「仕方ないね。はい」と代わりに差し出されたのは有名店のバームクーヘン。
「お菓子を届けてくれるの、毎年の恒例だもの。今年こそはお返ししないとって思ってね」
「わぁ…っ、ありがとうございます!」
「その笑顔、惜しいよね」
 編集長はそう言うと、慈しむような視線で千里を見ていた。




 ●

 ファミレス、テーマパーク、工事現場にデパート。
 そのデパートではあまり接点のなかった男性に呼び止められて「これ持って行きなさい」とチョコレートを貰ってしまった。
「え、でも…どうして私に?」
「んー?」
 驚き、思わず聞き返してしまった千里に、男性は気恥ずかしそうに頭を掻く。
「や……ほら、この間、仕事手伝ってもらったろ?」
「仕事……、あ…」
「ん」
 言われて思い出すのは、他所の店舗に在庫を出荷するため数を確認していた彼が急な体調不良に襲われて苦しんでいるのを知り、思わずその仕事を代わってしまった事があったのだ。
「あの時は、本当に助かったから。そのお礼……何か今年は、逆チョコってのが流行りなんだろ?」
 言いながら、だんだんと視線が他所を向いてしまうのは恥ずかしいからだ。それを察した千里の胸中には驚きよりも嬉しさが。更には、今までそれほど接点のなかった相手に純粋な好意を感じた。
 デパートなんて広い職場なら、きっと一度も言葉を交わす事無く、一生会わなくなる相手だっている。けれど、そうなるかもしれなかった相手と、こうして接する機会を得られ、人柄の良さを知る事が出来るというのはとても幸せな事だと思った。
 これも、バレンタインというイベントが結んでくれた縁。
「ありがとうございます」
「…ん」
 貰ったチョコレートを手の中に包み、今度は千里が自分の紙袋からチョコチップクッキーを取り出す。
 念のためにと用意しておいた予備も、これで最後だけれど。
「受け取ってください。また此方でお世話になる事があったら、その時にはよろしくお願いします」
「――」
 まさかこの場でお返しがあるとは思いもしなかった男性は目を丸くして絶句。
 ……だが。
「サンキュ」
 低く感謝して。
「……言っておくが、俺に惚れるなよ?」
 照れ隠しに茶化す、彼に。
「其方こそ私に惚れないで下さいよ?」
 二人の間に、優しい笑い声が重なり合った。




 ●

「ふぅ…」
 帰宅した千里は、家を出た時よりもずっと重くなった紙袋をそっとテーブルに置いて、腰を下ろす。
 袋から一つ一つを丁寧に取り抱いていけばテーブルの上には乗り切らず、フローリングの上にも列を成す。チョコレートにクッキー、ケーキ、キャンディーや和菓子まで。千里はモデルのバイトをしていた時の後輩から貰った、箱に入ったお菓子を手にして蓋を取ると、中には球形のチョコレートが四つ。その内の一つを口に放る。
「――美味しい……っ」
 頬が落ちそうな美味しさは、ブランドや値段ではなく、千里のことを思ってくれている贈り人の気持ちが一緒に添えられているからだ。
 美味しいお菓子。
 優しい仲間達。

「また明日からも頑張ろう」

 口の中でとける甘さに微笑んだ千里は、今日という日に改めて感謝するのだった――。



 ―了―