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Effort
道具とは、使われて初めて道具と呼ばれる。
使われない道具はもはや何物でもなくただのゴミ。
しかし使える状態であってもどう使うのか。どこまで使えるのか。それが分からなければやはり道具とは言えない。
道具として生を受けた『彼』は、ある日そんなことを考えた。
「ねぇ」
切欠は本当に短い会話だった。
「その服ってさ。どこまでどんなことが出来るんだろうねぇ?」
今日も彼女が『彼』を纏ってその店に来ていたときのこと。店主がふと何気なくつぶやいた。
「どう、でしょう?」
以前にも色々と試したことのある彼女だったが、そこまで深く考えたことはない。そしてその会話を聞いていた『彼』も、自身の限界を知りはしない。
だから、二人の思考が重なり合ったのは偶然ではなく必然だろう。
「……色々試してみましょうか」
これからも、お互いが付き合っていくために。
それを偶然に手に入れた彼女。
彼女と偶然に出会った『彼』。
以前には言い表せないほどの酷い目にもあったが、今や二者は文字通りの一心同体と言っていい。
であるとすれば、これはある意味で必然的な試練だったと言えるかもしれない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
彼女――海原みなもは店から出た後、一人考えながら歩いていた。いや、『彼』も一緒なのだから二人で考えていた、と言うべきだろうか。
『彼』――偶然に先ほどの店で手に入れた服。自身に寄生する、今は共生する生きた服と過去に試したことを。
以前試した際には、基本的にみなもが思考したとおりの服装になること、必要なら服ではない状態……要するに裸になれることなどが分かっている。
また服の生態に関しても色々と知ることが出来たが、これは今回直接関係なさそうなので思考の隅っこへ置いておく。
必要なのは、その先だ。
以前試した際には体操服や制服、洋服など生活で最低限必要な服になれることを確認した。
しかし幾らスライムとは言え、多分変化できる質量に限界はあるだろう。それに個人的に色々と試してみたい服もある。例えばそう、女の子として憧れるあれとか。
「……うん、限界を知るためなんです、そうです」
自分の部屋で、他に誰もいないのにそんなことを呟く。どうやら恥ずかしがっているらしいが、それを見届けているのは服だけなのだから無駄というもの。とは言え一人の人としてはその反応もしょうがないのだろう。
一度呼吸を落ち着け、そっと目を閉じて頭の中に服を思い描く。
みなもの頭の中に出てきたのは、女性であれば一度は憧れを抱くであろう純白のドレス。みなもも一度どこぞのお姫様が着ていたのをテレビで見て以来、憧れを抱いたことがあるのは事実だ。
美しく、繊細で、そして煌びやかに。思い描くのはそんな夢の中で見たあのドレス。同時に、体が少し熱くなった。
みなもの体の中に潜む『服』が動き始める。もはやその細胞の一部は彼女の脳内にまで到達し、直接彼女の思考を映し出し、自身の形へと投影する。
読み取ったそれは今までにない複雑な形をしていた。しかし『服』は自らを増殖させ、その複雑な形を模っていく。
彼は経験し理解した。自分が道具として生きるための術を。いわばこれはそのための試練なのだから。
「……」
目を開け自身を見下ろした瞬間、みなもは言葉を失っていた。
自分の細い体にぴったりとフィットした純白のドレス。パニエで膨らんでいない、古来から英国に伝わるフレアスカートの正統なプリンセスライン。両手にはレースグローブを履き、その姿は正にお姫様というべきものだった。
一瞬で生まれ変わったかのような自分。それを鏡に映し、みなもは軽くターンを決める。フレアのスカートとレースがまるで羽のように舞った。
「凄い、ですね」
まさかここまで変化できるとは。予想以上の結果にみなもはまた驚きを隠そうともしなかった。
「……ぁ、けど少し忘れている部分がありますね」
例えば、レースの細部やコルセットの有無、他にもまだまだある。そこでなんとなく理解できた。
「あくまで再現できるのは私がしっかりと思い描いた部分まで、なんですね」
であれば、この若干中途半端な状態も理解できる。普段から接している日常的に使用する服ならそれも問題ないが、こういう非日常的な服となれば話は別になるだろう。
「今度からはそのあたりにも注意が必要ですね」
呟いて、改めて瞳を閉じ細部まで思い描いてみる。そうすれば、今度こそプリンセスのドレスは完璧な代物へと変化するのだった。
みなもとしてはやはり気恥ずかしくて似合っているかどうかは自分で判断できなかったが、その気分はまさにお姫様。心が躍るのも無理はない。
彼女は思う。普通なら一生に何度こんな体験が出来るのだろうか、と。そういった喜びが道具を使う気分にさせ、そして使われるからこそ道具も喜ぶのだと彼女は知らない。
滅多にないドレス姿を存分に堪能した後、それらの新しい情報を頭に入れ、彼女は次にそれを応用してみることにした。
単に思い描き、服として再現するならばこれでも十分だ。しかし世の中には何かと不便な服もある。先ほどのドレスも日常的に生活を送ろうと思えば窮屈でたまらない。
「……そうです、これは実験ですから」
また彼女は鼓舞するように呟いた。そうだ、これは応用のためだと自分に言い聞かせる。どうやらまた何か気恥ずかしいものへと変化させるらしい。
目を閉じ、思い描く。その度に感じる自身の中での疼き。熱を含んだそれは、『服』が自分の中で細胞分裂を繰り返すためなのだろう。その感覚に慣れるまでは今しばらくの時間が必要となりそうだ。
その熱が引き、そっと瞳を開く。部屋に置かれた姿見。先ほどまでドレスを映していたそこには、
「……見事、ですね」
牛の着ぐるみが映っていた。
着ぐるみと言えば、暑い、きつい、動きにくい。序に重い、さらに前任者がいたのなら臭いというオマケもついてくる。いわば現実苦の五重奏とでも言うべき代物である。
が、今みなもが着ている着ぐるみはそうではなかった。
例えば暑さは適度なメッシュなどを入れるようにして対策し、生地は耐久力が落ちない程度までなるべく薄くしている。稼動部には動かしやすい生地を選んでいるあたり徹底的だ。
そこまで思考した結果、服は見事にそれに答えてみせた。思考次第で様々な複合体へすら変化できるようだ。ここまで快適な着ぐるみというのも中々ないのではないだろうか?
その結果に大いに満足し、ふとみなもは現実へと意識を戻した。
「さすがに恥ずかしいです……」
鏡に映るのは牛。幾ら快適でも、着ぐるみ姿は恥ずかしいようだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『彼』を使う彼女の思考は常に複雑だ。
人間の服というものは実に様々なものがあり、それを思考どおりにトレースし形成するのは本当に難しい。それでも形成せしめるのは、偏に『彼』の能力が実に優れているからに他ならない。
『彼』は必死だった。
道具として生まれた『彼』には、この世界に生れ落ちたその瞬間から一つの運命を背負うことになった。
道具と言うもの。その意味を。
『彼』を今この世界に繋ぎ止めるのは、『彼』を必要とする意思に他ならない。
道具は必要とされなければ何の存在意義もない。それを誰よりも知っているのが『彼』だった。
その意味が少々暴走し消されそうになったこともある。しかし『彼』はそこからも学習した。
『彼』は道具として生きることにただただ愚直だった。
意識と呼べるものはないのかもしれない。しかしその思考が繋がったみなもにも流れているのは確かだった。
服としての再現能力を散々試した後、みなもはまたあの店――アンティークショップ・レンに来ていた。
いつものように店主の碧摩蓮は少し気だるそうに、薄い笑みを浮かべて彼女を向かい入れてくれた。
「で、今日はどうしたんだい?」
「少し色々と試してみたいので、見ていてほしいんです」
みなもが言うには、服だけではなく他の事に応用できないかどうか試してみたい、何かあったら頼りに出来るのは事情を知っている蓮しかいないから、とのこと。意志の強い瞳に、蓮はただどうぞと言うだけだった。
みなもはこの服には色々な可能性があるのではと考えていた。
これは服として擬態する。であれば、身に纏うものなどであれば他のものにも擬態が可能なのでは?と。
ただし、そこにどんな事態が待っているかは彼女自身全く分からない。だからこそ蓮を頼り、いざと言うときは頼りにさせてもらおうとしているのだ。
勿論頼らないでいいのならそれに越したことはない。色々と準備を整える彼女を眺めながら、紫煙を吹かしつつ蓮は小さく笑っていた。
(なんだか随分と必死だねぇ)
何が彼女をそうさせているのかは分からない。ただみなもという少女が必死に何か頑張る姿を見ているのは、一人の大人として嫌なものではなかった。
「蓮さん、この大きな像を使ってもいいですか?」
「あぁ、勿論」
「……さて」
彼女の前には巨大な像が鎮座している。見事な彫刻が施されたそれは、全体が巨大な岩から削りだされたと言う一品である。勿論ここにあるからには色々と曰くつきの知り物であるはずだが、それ以前にどうやってこれほどの質量を持ったものが運び込まれたのだろうか。
試しに一度動かそうとしてみる。当然みなもの細身では全く動かすことが出来なかった。
一度息を吐き、みなもはそこで思考を切り替える。
例えばここが災害の現場だったとしよう。これが倒壊した家屋で、そこには誰かが下敷きになっている。周りには人がおらず、動けるのは自分だけ。勿論助けなど呼びにいけるはずもない。
そんな状況であったとしたら、どうすればいい?
「……方法は、一つ」
それは、自分が助け出すこと。
イメージする。そうするにはどうしたらいいか。道具がほしい。しかしそんな場面で使えるものなど高が知れている。ならば、一番役に立つ道具は自分の体以外にない。
ならその体はどうすれば強くなるか? 簡単だ。内部を補強してやればいい。
例えば骨。
例えば筋肉。
そう、この肉体自身を強化すること。
イメージする。自身の筋肉を増やし、骨を太く強くするように。細い自分の体に、新しい組織を纏わせる。筋肉に、骨に、体の内部に『服』という組織を作り出し、補強する。
そのイメージは、瞬時に『彼』へ伝達された。今までにない擬態ではあったが、それ自体は難しくないだろう。
何故なら、彼は彼女の中に住まい、そして共に生きているのだから。ならばその細胞一つまで擬態できずして、何が服か。
彼女の想いに彼が応えてみせた。細い腕が一瞬蠢き熱くなる。見れば、目立つことのなかった筋肉が見事に膨らんでいた。
「よし……」
気合を入れる。彼が応えてみせたのだ、次は彼女が応える必要がある。
「あなたの力、お借りします……!」
石像へと手を伸ばす。しっかりと掴み、そして全身に力を込める。
「えい」
気合を入れた割にはどこか気の抜ける声が響く。しかし次の瞬間には、石像が見事に動いていたのだった。
しかし、その方法にも若干難点があった。
「あ、れ……」
動かし終わり、そのイメージを解いた後、みなもはいきなり腕の力が抜けるのを感じた。それはまるで筋肉を酷使した後の脱力感にも似ている。
このパターンは何度か体験したことがある。多分明日には、いやひょっとしたら夜にでも筋肉痛になっているのではないだろうか。
この使い方の場合、あくまでみなもの筋肉を中心として『補強』を行う。つまり彼女自身の筋肉などもしっかり使うわけで、先ほどのようにいきなり巨大なものを動かせば、動かすことが出来ても無理な力に体が悲鳴を上げるのは当然と言えた。
服の筋肉が残っている間はまだいいが、解いた後はすぐさま自分の体にかかった負担が襲う。
「中々、思い通りにはいきませんね」
その脱力感の中、みなもは小さく呟いた。
「でも、次はうまくいきそうです」
何故か確信があった。それは服がそう言っているかのようだったから。
暫くの休憩の後、みなもは次の実験へと取り掛かった。
服はみなもの排泄物などを栄養として取り込み生きている。それはもう知っている。
では、その排泄物に含まれる情報も取り入れられるのではないか? そう考えたのだ。
例えば肉類。例えば野菜などの植物。それらの情報をもし取り入れているのなら、それを他には応用できないだろうか。
「……うぅん、難しいです」
しかし、こちらは先ほどとは違って問題は山積だった。
当初、みなもはその動きや生態を模倣することによってその動植物そのもの力による肉体の強化などを得ようとしたが全くうまくいかなかった。
そもそもこの服は、みなもの思考によって姿を変える。変化するものは、みなもの思考が正しければ正しいほどに再現されていく。
しかし今回のような場合、例えば動物にしてもどういう動物なのか、どういう生態でどういう動きをしているのか。どう筋肉が動き、どう体が動くのか。それらを知らなければどうしようもない。
つまり、みなもが詳細を知らなければならないのだ。
しかしみなもは意外に前向きだ。それが彼女のいいところでもある。
「蓮さん、ここでDVDとか観れますか?」
「ん……? あぁ、大丈夫だけど」
知らなければ、知ればいい。
今のご時世、道具は便利になったものだ。
年代もののテレビに年代もののDVDプレイヤーを接続し、みなもはそこに様々なDVDをセットしていく。テレビやプレイヤーもここにあるからには曰くつきだが、今そんなことを気にしている暇はない。
世界中では様々な番組が放映されている。その中には今のみなものニーズにぴったりとはまるマニアックなものも数多くある。
動植物の構成から筋肉の動き、働き、細かい骨格の説明、何がどうなったらこうなるのか――。
みなもは知ることにとても貪欲だった。
「ねぇみなも」
「はい?」
みなもはテレビに向かったまま顔を動かさない。そんな彼女を視界に収め、蓮が新しい切り煙草を煙管に詰め火を点ける。
「なんでそんなに必死なんだい?」
「……必死、ですか?」
そのとき、初めてみなもが振り向いた。
そう、みなもはどこか必死だった。なぜそんなにも頑張ろうとするのか。なぜそんなにも知ろうとするのか。
まるでみなも自身が服になっているかのように、蓮の瞳には映ったから。そんな問いが、自然と口から出ていた。
そして、
「多分、この服も必死だから」
みなもの口からも、そんな言葉が自然に出ていた。
「必死?」
「はい」
そこで、ようやく彼女に笑顔が戻る。いつもの彼女らしい、可愛らしくも強い意志を秘めた瞳に。
「この服とずっと一緒になるようになって、なんとなく『彼』の思考が分かる気がするんです。彼は魔法生物ではありますが、それ以前に道具です。そして、『彼』自身道具として生きたがっています。
道具として、どうすればいいのか。どう生きればいいのか。だから彼は色々知りたがり、様々なニーズに応えようとしています。道具は使えるからこそ道具、使えなくなってしまっては存在価値がなくなりますから」
そういうみなもは淡々と答えているように見えるが、蓮にはどこかに寂しさを秘めているようにも思えた。
「……愚直なんです、きっと。それ以外に生き方を知らないし、きっとこの先も。
幸か不幸か、あたしは『彼』と一緒になりました。なら、そんな『彼』を最大限に生かし活かしてあげることが出来るのはあたしだけじゃないですか」
あぁ、と蓮は思う。彼女が秘めた強い意志の意味を。
はるか古来人は道具を作り出し、そして共に生きてきた。
人が作り、道具が応え、人が喜び、道具も共に生き、双方を発展させる。
世界は何時しかそのどちらかが加速しすぎ、人が慣れてしまったことで歪な関係になってしまった。今そのことを理解しているものは、世界にどれほどの数がいるだろうか。
「だから、『彼』が求めるものにはあたしが応えてあげたい。あたしの求めるものにも『彼』が応えてくれるように。本当の意味で、パートナーになりたいんです」
人と道具との関係を超越した、パートナーという関係。みなもと服はそれを目指していた。
「そうかい。なら大丈夫だ」
蓮は笑い、また紫煙を吹かす。今のみなもには何も言わなくてもきっと大丈夫だろうから。
共に生きる。少し昔であれば本当の意味で誰もが出来ていた、そんな簡単なこと。それを現世で知ろうとするとどれほど大変なことか。
きっと今、みなもは誰よりも貴重な時間を過ごしている。そしてどんどん成長していくだろう。そんな姿を見ていられるのは、きっととても幸せなことだから。
「皆が皆それを知れれば、こんな今の世でもきっと幸せが溢れるんだろうけどねぇ」
道具に囲まれた主の呟きが天井へ消えていく。
テレビの前に何時しかみなもの姿はない。程なくして、店外から草食動物特有の力強い筋肉を再現してみせたみなもの歓声が響く。
「道具に生かされるだけの人生なんて、あたしはごめんだね。今の世の中にはそういうのが多すぎる」
呟きを残して、店主は立ち上がる。まだまだみなもと服の訓練は見ていて飽きそうにないから。
ちょっとした後日談。
ふと思い立ったみなもは、思いっきり強くイメージしてみた。
それは年末大晦日に行われる恒例の祭典。そのトリを務める人物だ。
毎年どんどんエスカレートしていくあの衣装。もはや舞台そのものとすら思えるようなあれも一応服といえないこともない。なら、出来るのか? やれんのか!?
「……これはなかったことにしましょう」
しかし、流石の服にも質量の限界と言うものがあったらしい。質量が足りず、変化し切れなかった服は実に中途半端な大きさの衣装となっていた。みなも自身は煌びやかだが、展開しきれない衣装はやはりみすぼらしい。
およそ再現できないものがないと思われた服の限界をあっさりと超えていた大御所、恐るべし。そもそも、変化できたとしてもそんな衣装を必要とする場面自体、ないのだが。
<END>
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