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<東京怪談ノベル(シングル)>


     ナイト戦記 〜女戦士と夜の魔王〜

「やっぱり、中に入ってみるのが一番かしらね」
 立派な装丁の古めかしい書物を眺め、イアルは小さくつぶやいた。
 物語の中に入り、主人公となって疑似体験できる魔本……。
 怪我をしても痛くないし本を出れば元通り、ゲームオーバーになれば強制退出、というルールの、危険のないはずのもの。
 しかし魔力が狂ったために物語にそってクリアしなくては出られなくなってしまい、その条件も厳しくなっているという。
 以前にも別の本で同じことがあったため、暴走したのではなく作者が意図的に行なっているのかもしれない。
 今回の話は、女王の統べる国を魔王が支配しようとしており、主人公は勇者となって魔王を倒す、というお約束の内容。
「クリアが難しいといっても……要するに、魔王を倒せばよいわけでしょう」
 じっくりと本の様子を窺い、かけられた魔力の質などを吟味した上で、その結論に辿り着く。
 前回カスミが中に入ってしまったのは事故だったが、それを助けにいくことで本をクリアし、元に戻すことができた。
 ならば今回は自分からと、そう考えたのだ。
 イアルは金色の髪をなびかせ、そっと本を手に取った。
 ページをめくり、その中へと意識を集中させると、本が光り出し、中に引きずり込まれるような感覚を覚えた。
 イアルの姿はかき消え、飲みかけの紅茶と、分厚い本が居間のテーブルに残されるのだった。


「この私に倒しに来た勇者はお前で100人目だ」
 気がついたときには、イアルは剣を手に、薄暗い城の中にいた。
 目の前には、湾曲した山羊のような角と大きな蝙蝠羽を持つ、わかりやすい魔王の姿。
 何の予備知識もなく心構えもできないままボス戦とは、随分と不親切な設定だ。
 背後に倒れているものたちは、仲間だろうか。生きているものもあるが、助けは望めそうにない。
 ただ魔王の傍にも誰もいないことが唯一の救いだった。
 いつの間にか剣を携えていたイアルは、それを手にして魔王に切りかかる。
 魔王は避けることなく、それを受けた。
 ――手応えが……。
 羽織っていた黒いマントだけが裂かれ、魔王は怪我1つなく平然と笑う。
「……鏡幻龍(ミラールドラゴン)、力を貸して!」
 祈るようにつぶやくと、5つの首を持つ、東洋の龍の姿が頭に浮かんだ。
 いつもは見守っていてくれている、優しく強大な力がイアルの身体にそそぎこまれる。
 龍の口からそれぞれ発せられる攻撃は、火炎・電撃・冷気・金属分解・石化ブレスの5種。
 ゴォッと、魔王目掛けて火炎が吐き出された。
 激しい炎が、あつらえられた玉座を燃やす。
 しかしそこに、魔王の姿はなかった。
「どこに――!」
 イアルは叫んだ瞬間、背後に気配を感じ、剣を振った。
 しかしそれを、片手一本で止められてしまう。
 ありえない実力差だった。
 ――この話は……魔王に勝てるようには設定されていないのだわ。
 その事実に気がつき、呆然としてしまう。
 負けることが、決められた物語。だからこそ、この闘いが冒頭となるのだ。
「おもしろい術を使うな。それに強く、美しい――。お前には、私の手駒になってもらおう」
 イアルの目の前を、闇色のマントがおおった。
 意識が朦朧とし、石の床に崩れ落ちる。
 魔王の笑い声だけが、城の中に響き渡った。

  ***

「……イアルさん、遅いですね。どこにいってらっしゃるんでしょう」
 勤めを終えて帰宅したカスミは、誰もいない居間でそんなことをつぶやいていた。
 彼女が飲みかけの紅茶をそのままにしていくなんておかしい。
 それに、ここに置かれている本は……もしかしたら危険なものなのでは。
 不安ばかりが募っていく。
 イアルには妙なものを発見しても決して触れないようにと言われていたし、実際、危険に巻き込まれるのは怖かったけれど。
 恐る恐る、魔本へと手を伸ばす。
 自分には何もできないかもしれない。だけどもし彼女が困っているなら、助けに行かないと――。
 若干目線をそらしながらも、意を決して本の表紙をめくった。
 するとそれは光を放ち、自らページを繰り出すのだった。


「女王様、こちらへ!」
 手を差し伸べられたときには、城の中にいた。
 青いドレスに銀の幅広ベルト。白いヴェールに銀のティアラを被った姿で。
 窓の外は、妙に赤く照らされていた。
 覗き込んで、ハッと息を呑む。
 火矢が飛んで、人々が斬り合う姿。
 戦闘が行なわれているのだ。それも――この城が、襲われている。
「女王様、早くお逃げください。ここはもう持ちません!」
 焦るように声をかけられ、呼びかけられているのが自分なのだとわかった。
 暖炉の下に細工がしてあり、そこから地下通路まで抜けるのだという。
 王族や側近、護衛たちが列になってそこから逃げ出すのだ。
 地下は真っ暗で、冷え冷えとしていた。
 松明の炎だけを頼りに、迷路のように入り組んだ通路を抜けていく。
「ご安心ください、ここは秘密の通路ですから、王家のものと、それを護衛するものしか存じておりません。敵に見つかるようなことは……」
「敵って……一体、何があったの?」
「魔王軍が、この城を我が物にしようと攻めてきたのです。先手を打って打ち滅ぼしにいった勇者たちは、返り討ちにされてしまったようですね。ここはもう、終わりです。せめて、あの方が生きていてくれたなら……」
「勇者たちが!?」
 まさか、その中にイアルさんが……。
 カスミは不安に胸を締めつけられる。
 どうか無事でいてくれるようにと、心の底から願った。
「もうすぐですよ、女王様。ここを抜ければ……」
 ザンッ。
 言いかけた男が、血を流して倒れ込む。
 その先には、金髪の女性――イアルがいた。
「イアルさん、無事だったんですね!」
 喜びの声をあげたカスミは、その手に握られた剣を目にして、表情を強張らせる。
「イ、イアル……さん?」
 赤い瞳はそのままだが、妙に青白い肌をしていた。頭には太く曲がった角が生え、背中には蝙蝠のような大きな翼がついている。
 黒い、胸元の大きくあいたレオタードに、紺色の手甲に太腿まである紺のブーツ。
 いつもとは雰囲気の違う、鋭い目つき――。
「勇者様! 生きておられたのですか!?」
「その姿……魔王の軍門に降ったか!」
 周囲が、彼女に向かって希望と絶望の声をあげる。
「知らないわ。私は、魔王の娘。お父様の望み通り――この城を制圧するまで!」
 わぁっと悲鳴があがり、狭い通路が混乱する。
「女王様、こちらへ!」
 手を引かれ、通路を逆流していく。
 他にもまだ出口があるらしい。
 ドレスの裾をたくしあげ、駆けていく。
 途中で転び、靴が脱げて。走りにくいので両方脱ぎ捨てて尚走った。
 どうして、イアルが自分を狙うのか。彼女から、逃げなくてはいけないのか……。
 わけもわからず、必死になって。
 だがついに、その背後にイアルが迫ってきた。
 裸足で逃げていく、その姿のまま。カスミは石化させられてしまう。
「ふふ……『裸足の女王』の石像の完成ね」
 魔王の娘の高笑いが、入り組んだ洞窟の中に反響するのだった。

   ***

「よくやったな、イアル。私の娘よ」
 緋色の玉座に身を沈め、魔王はイアルの頬に触れる。
 その隣には、石像となった女王の姿があった。
「この石像こそが、私が王国を支配する象徴となるのだ。これを見る度、皆が私を恐れ、敬うこととなるだろう」
「素敵ね、お父様」
 イアルは金色の髪をかきあげ、玉座にしなだれかかる。
 そして、ちらりと女王の石像に目をやった。
 美しい女王。彼女は、嬉しそうに笑って自分の名を呼んだ。
 あれは一体、どういうことなのだろうと、ぼんやりと考え込む。
「だけど、石化は完璧ではないのよ。太陽が出ている間は石化が解けて動き回ると、もっぱらの評判だわ」
「それも、誰かを探しているようだとか」
 魔王は意味深にイアルに目をやった。
 イアルはそれに気づいた上で、ふいと顔を背ける。
「――魔族の力は、日の光に弱いからな。だがここから逃げ出すことはできない。日が落ちればまた元通りに飾られるのだから、昼間くらい、自由にさせてやればいいだろう」
「そうかもしれないけれど……」
 イアルは魔王の言葉に、表情を翳らせた。
「どうした?」
「何だか、不安なの。彼女の姿を見ていると……不安になるわ」
 心の奥にある、何かが。
 もう一人の自分がざわめくようで。今の自分が崩れていきそうな気がして。
「――そうか。お前が気になるなら、殺せばいい。昼間でも動けないよう、呪いを強化させることもできるだろう」
「私に任せてくださるの?」
 答えると、魔王はクッと笑みを漏らした。
「ああ、好きにするといい」
 
   ***

 夜が明けると、カスミはふっと目を覚ました。
 誰もいない城の大広間に独り。細い窓から朝陽が差し込むのを目にする。
 魔族のものたちはほとんど、昼間は部屋の中にこもっている。
 日の光を浴びたところで、何も灰になるわけではないが、毛嫌いしているようだ。
 カスミはそこから抜け出し、イアルを探しにいく。
 魔王の配下は魔族以外にも多く、昼の見張りはそうしたものたちが行なっていた。
 それでも城の中を動き回るだけならば、「裸足の女王だ」と嘲笑を受けながらも止められることはなかった。
 どうせ、一人では何もできないのだからと見下されるのは悔しかったが、そのおかげでイアルに接触を試みることができる。
 彼女は、故意か偶然か、元女王の寝室で昼を過ごすことが多かった。
「あの、イアルさん」
 顔を覗かせると、睨むような目を向けられる。
 カスミが今まで目にしたことのない表情だった。
「一体何のつもりなの。私に媚びたって、呪いは解いたりしないわよ」
「そうじゃないんです。話を聴いてください」
「どこかへ行って! あなたがいると、苛々するのよ」
 イアルの叫びに、カスミは呆然として立ち尽くす。
 ずっと、こんな調子だった。
 それでもイアルは、カスミが来る度にここにいる。自分からは、出て行こうとはしない。
 カスミはそれを信じて、勇気を振り絞ることにした。
「嫌です。私、行きません。イアルさん、正気に戻ってください。あなたは魔王の娘なんかじゃない。魔王を倒しにいった、勇者じゃないですか。いいえ、それよりも……それよりも私たちは、ずっと前から一緒に……」
「やめて!」
 イアルは耳を塞ぎ、さえぎるように声を張り上げた。
「この私を、そんな言葉で惑わせるとでも思っているの?」
「違います。私はただ……」
「黙りなさい!」
 ピシャリと言い放ち、イアルは背後に鏡幻龍(ミラール・ドラゴン)を呼び出した。
「あ……」
「あなたには、石の姿の方がお似合いだわ」
 石化のブレスが放たれ、一日中それが解けないように力を重複させる。
 ピキピキと音を立て、カスミの身体がつま先から石に変化していく。
 完全な石化。そうなればもう、動くことはできない。彼女に語りかけることも、救い出すことも――。
「……イアル、さん」
 つぅっと、涙がカスミの頬を伝った。

     ***
 
 石像となる直前、カスミが最期に流した涙を、イアルは思わずその手で受け止めていた。
 温かな涙が手の平に触れた途端、魔王の施した呪いの効力が消え失せる。
 全てを思い出した。
 勇者であるという以前に、何のためにここに……この魔本の中にやって来たのか、そしてカスミが……自分にとって大切な存在であったことも。
 自分を救ってくれた恩人に、こんな真似をしてしまうなんて。それでも、最期まで自分を想ってくれたカスミに、涙が溢れる。
 ――魔王を、倒さなくては。
 ただ憎いというだけじゃない。
 物語をクリアしなくては、魔本から出ることはできないし、魔王を倒せば呪いが解けるのがお約束だ。
 イアルは剣を手にして、魔王の元へ向かった。
 前回、不覚をとった理由はもう、わかっている。
 あそこは魔王の城で、時刻は夜だった。魔族の力が高まる条件がそろっていた。
 だけど今は昼――そしてこの王城はまだ、闇に染まりきってはいない。
 魔王は光の届かない地下室で休息していたが、剣を手に現れたイアルに表情を強張らせた。
「どうした、イアル。愛しい娘よ……」
「私、嘘つきは大嫌いなの。さようなら、お父様」
 鏡幻龍(ミラール・ドラゴン)の口から火炎が吐き出され、魔王は炎に包まれる。
 呻くような叫び声をあげ、崩れ落ちる。
 イアルはそれを、複雑な面持ちで見据えた。
 自分を騙し、利用した憎い男――それでも、一時は父と呼んで愛した相手だったから。
 魔王が敗れると、配下のものたちが手の平を返すように魔族を追い払った。
 どうやら、イアルと同じように呪いをかけられていただけらしい。
 王を失い、追い出される姿は可哀想に思えなくもないが、侵略者相手に同情などしていられない。
 イアルは皆が魔族の撃退を喜ぶ中、大広間の『裸足の女王』の元へと駆け戻る。
 はたして、そこにいたのは石化の解けた、カスミの姿だった。
 カスミはイアルを目にすると、にっこりと微笑んだ。
「よかった……元に、戻ったんですね」
「バカね。それは、こっちのセリフよ……」
 イアルは微かに涙を浮かべ、カスミを抱きしめる。
 温かく柔らかい、生身の感触。
 ――無事でよかった。
 心の底から、そう思った。
 そしてイアルは魔王を倒した勇者として崇められ、カスミは裸足の女王として語り継がれることになった。
 二人は互いの無事を確認し合うように手に手をとり合い、元の世界へと戻っていくのだった……。