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Cruel / 夜に
もう、動けるはずはねぇ――。四肢を投げ出し、無様に倒れ付す女の顔に鬼鮫は唾を吐きかけた。女は、それに気付くことすら出来ず苦悶をかすかにあげ――苦痛に突き動かされるようにして、時たま体をよじる。何も出来やしない――出来ないまでに痛めつけた。
けれども、鬼鮫の胸中の疑惑は未だ腫れてはいなかった。頬の傷はもう塞がっている、その傷の分の代償はきっちり取り立てた。それでも、なおその疑念――後ろを振り向いたが最後――再び何かが投擲されないという保障は無かった。
試してみるか――鬼鮫は、その場で何度か足踏みをする。振り向いて、ドアに向かって歩き出すように――足取りを慎重に演出し、作り出す。女の倒れ込み方から判断して、視覚じゃない――恐らく、床を伝わる振動だ。
鬼鮫の判断は正しかった。苦悶に呻く女の投げ出された拳が力なく、けれどもぎゅっと握られるのを鬼鮫は見逃さなかった。不意に、散らばったファイルのひとつから――音も無く金具が自ら抜き取られ、のろのろと虚空に浮き上がった。
ああ、能力者だったのか――たったそれだけで、鬼鮫の疑惑は氷解した。
「面白い手品だな、それで奇襲しかけやがったんだな」
鬼鮫が、苦笑を浮かべながら女の苦し紛れの奇襲を見透かすと――女の失意を表すように金具が床にカラン、と転げ落ちた。
「――さすがに続けてやるモンじゃねぇな。大人しくしておけば、ここでおしまいだった――んだがなぁ！ 」
饒舌に――鬼鮫は言葉を続ける、語尾はほとんど怒号と変わらなかった。ふつふつと赤い感情が、鬼鮫の内から沸き起こる――忘れかけていた感情だ。やりすぎには――注意しないとな。
――ああ、気付かれ……た――。高科瑞穂は気力の全てを振り絞り、卑怯でもとにかく今この場を凌ごうと、その力を使い足掻こうとしていた。やれることは、何でもやって今のこの場を――とにかく。けれどもそれは男に看破されてしまった。
失意が瑞穂の意識を支配すると――それまで、鳴りを潜めていた激痛が再び体中を苛めはじめた。集中が途切れ、カランと音を立てて金具が床に転がった。男の怒号が、瑞穂の背筋にしびれるような戦慄を伝える――。戦えない――もう戦えるわけがない――。
「――い……や、やめて――もう……」
「聞こえねぇな」
瑞穂の口が無自覚に命乞いを洩らす。体を動かすことが出来る状態じゃなかった――諦めてれば良かったな――。男の短い返答は、明らかな拒絶だった――。
鬼鮫は、倒れ付す女の顔を無造作に両手で抱えあげると、晴れ上がった顔を力任せにぐしゃりと押し潰した。特に抵抗も無く、腫れぼったく熱を持った女の顔が、歪む。悲鳴と苦悶をあげるが――顔を歪められた所為でまともな声にはならなかった。
「ひでぇ顔だな――」
「――い、いたい――や……」
女が、恐怖に見開いた瞳で命乞いを繰り返すが、鬼鮫はそれに耳を貸さない。女の頭を掴んだままその体を、浮かせて膝で蹴り止めた。
「ああ――強かったか」
鬼鮫は悪びれた様子も無く、そう女に声をかける。腹部を鬼鮫の膝の上に乗せたまま女はだらんと四肢を弛緩させ、口から血や唾液、それに吐しゃ物の入り混じった汚液を、漏らした。
「きたねぇな――」
まるでおしおきだとでも言わんばかりに、鬼鮫は女の臀部を平手で何度も打ち据える。パァンという音が鳴り響くたびに、平手と膝の狭間にある女の腹部を万力の要領で押し潰す。搾り出すような悲鳴が終わる前に、次の平手が新たな悲鳴を搾り出そうと女の体を押し潰す。吐けるものも、肺腑の空気も全て無くなり、何の反応もなくなって痙攣しだす頃になって、鬼鮫はやっとその責め苦を終えた。
鬼鮫は女の顔を片手一本で再び持ち上げると、値踏みするようにじっとその顔を見据える。
「ずいぶん、綺麗になったもんだな」
吐しゃ物や切り傷、そして腫れ痕で女はまるで別人のような顔に変貌していた。歯の根が合わないのかガチガチとかみ鳴らす音は、今までの命乞いよりもずいぶんシンプルで、わかり易かった。
鬼鮫は、獰猛そうに女に笑いかけると、その頬を無造作に張り飛ばした。
「――言うことでもあるのか？ 」
「――ひっ。ひ――い、や――」
無言で鬼鮫は、もう一度その頬を張り飛ばす。
「――ご――ごめんな――さ――」
女の瞳に涙が浮かび、やがてそれが頬を伝わり、とめどなくその頬を濡らす。ぐちゃぐちゃの酷い表情だ――。凛とした――最初の姿と、今見せる無様な姿が重ならない。そのあまりにも情けない姿に、鬼鮫の赤い激情が、酸素を失った炎のように静かに消えていく。
――もう、終わらせるか。鬼鮫は、そう胸中でぼやく。
「寝てな」
鬼鮫はリフティングの要領で、女の腹部を膝で数度小突いて浮かせ、床に崩れ落ちようとする女を、まるでボールを相手にするように、無造作に――渾身の力で、蹴り抜いた。
女が勢い良くキャビネットに叩きつけられ木製のフレームが一部砕ける。ファイルが床にばらばらと崩れ落ち、その隙間に女の臀部から背中がめり込むようにはまりこむ。四肢を弛緩させ、首をだらんとたらしたその姿は、いびつな前衛芸術にも見え、この上ないほど無様で滑稽な姿だった。
ふぅ、と鬼鮫は一息吐いて――その姿を眺める。
メイド服がぼろきれのように、張り付き、血や埃、擦り傷で薄汚れた酷い姿だった。やり過ぎたな――、悪びれもせずそう女を睥睨し鬼鮫は、背を向け部屋を後にする。後は俺の仕事じゃない――鬼鮫は最後に女を一瞥するとドアを閉めた。
残された女に、舞い上がった埃がうっすらと降り積もっていく――。散らし荒らされ、かつて整理されたキャビネット群と静謐が存在していた場所に、静謐だけが再び戻った。
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