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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Honey Sweet


 部屋を包み込むのは甘い甘い香り。
 普段は蜜に吸い寄せられる蝶でさえ、その香りに酔ってふらふらと近づいてきそうなほどに濃密なもの。
 その中心にいる少女は思う、あぁなんて幸せなんだと。こんなところならずっと居たいと。

 だが少女は知らない。甘い香りは、同時に咽返るほど苦しいものなのだと。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「実験、ですか?」
「そう」
 今日も今日とてその店に。何時も通りの日常を楽しむために、ファルス・ティレイラはシリューナ・リュクテイアの店に来ていた。
 今まで色々と大変な目にあっているティレイラではあったが、元気な彼女はちょっとやそっとのことでは挫けない。例えそれが、目の前の麗人のせいだったとしても。
 シリューナもそんな彼女のことを大変気に入っているので、その辺りのことは全く気にしていない。本当なら気にしなければいけないところなのだろうが、彼女自身にも少々問題あるわけで。
 そしてこの店は彼女の経営する、魔法薬を扱う店。勿論それ以外のものも集まるわけで、何か起きないほうがどうかしていると言えるだろう。
「偶々特殊な絵本が手に入ってね」
「絵本……ですか」
 どんな本だろう? ティレイラの瞳には、思っていることがありありと映し出されていた。そんな少女に微笑を向け、シリューナはそっと絵本を開いて見せた。
「わぁ、可愛いですね♪」
 中に描かれていたのは様々な蜜蜂たちだ。しかもその蜜蜂たちが本の中を所狭しと動き回っている。どうやらこの絵本は蜂を描いた魔法の書物であるらしい。ページをめくっていけば、彼らの普段の生活から死にいたるまで詳細に描かれている。
「これをあの部屋に組み合わせたらどうなるか、って」
「組み合わせる……えぇっと、それってつまり」
「うん、この絵本をあの部屋に作り出すってこと」
 難しそうに考えるティレイラに、シリューナはあっさりと言ってのけた。あっさりと言っているが、本来それは大魔術の域ではないのか?
 しかし、彼女の実力は他ならぬティレイラがよく知っている。多分あっさりやってのけるだろう。
「どんな風になるか楽しみですねお姉さま♪」
「えぇ、本当に」

 そんな会話を交わしながら、二人は店の奥にある部屋へとやってきていた。普段から魔法の実験などのために異空間化されているその部屋は、今回のような実験にもってこいと言えるだろう。
 部屋一つを異空間と化す。さらっとやってのけているが、本来なら途方もないことのはずである。しかしシリューナは事も無げにやってのけるのだから、彼女にとっては朝飯前のことなのだろう。
 本来ならばおそらくは子供部屋ほどの小さなその部屋も、今では空間を捻じ曲げられ随分と……というよりは果ての見えないほどに広がっている。
 その中に一つ置かれているテーブルの上に本を開き、シリューナは出入り口のドアへと戻る。
「さて、少し目を閉じて」
「あ、はーい」
 その術は企業秘密なのだろうか、素直に目を閉じたティレイラを横目にシリューナは小さく呪文を唱えた。勿論ティレイラにはその声だけが聞こえ、今この部屋で何が起こっているかは分からない。

 何かが蠢いている。ティレイラははっきりとそう感じた。
 地面が、壁が、天井が。いや空気そのものが歪み、蠢くような感覚。
 何故か、見てはいけないと思った。そこでは何か自分の知らない恐ろしいことが起こっているような気がして――。

「さて、開いてよし」
「わぁ……」
 言われるままに瞳を開けると、そこには異空間であった部屋が更なる異空間へと変貌を遂げていた。
 言うなれば、鬱蒼と覆い茂る広大な森。それも半端なものではなく、樹齢が100年単位のような樹木が所狭しと生えわたる巨大なもの。
 太陽の光も天高く茂った葉の下では遠い。薄暗いその中に、ぽつんと繋がったドアがあるのはいかにもシュールな光景だった。
「少し用意してくるものがあるからここで待ってるように」
「はーい」
 それだけ言い残しシリューナは平然と廊下を歩いていく。やはり森の中に繋がったドアの向こうが廊下というのは何かおかしい。そんなことを考えてティレイラは少し笑った。



 さて、ファルス・ティレイラという少女は好奇心の塊と言ってもいいほど好奇心旺盛である。
 そんな性格が彼女に様々な事態を引き起こしてきたのだが、その度に学べないのは彼女だからこそなのだろうか。
 そしてその好奇心は今回も湧き上がる。何故なら少女はファルス・ティレイラだから。

 最初は言われた通りに森の中でのんびりとシリューナを待っていたティレイラだったが、何故かシリューナは待てども待てども戻ってくる気配がない。そんなにも用意するようなものがあるのだろうか?
 のんびりと待とうとはしてみたが、どうにも動いていないと落ち着かない。その内にその場を回り始め、そして気付けば少しずつその場を動き始めていた。
 そして、それでも足りなくなってきたのか。
「すぐに戻れば問題ないよね」
 誰に言うわけでもなく呟いて、ティレイラはその背中に竜の証である翼をはためかせた。





 その頃、シリューナは鼻歌を軽く漏らしながらお茶の用意をしていた。
 森林の中でお茶会というのも悪くない。所謂癒し効果が期待できるだろう。
 緑の匂いが強い森林でお茶をするなら、紅茶もその香りに負けないものを選びたい。お茶菓子は定番でもいいがそこだけは譲れなかった。
 ティーポットとカップを用意しながら、愛らしいティレイラと過ごす森林浴の時間を思い浮かべてシリューナは笑みを浮かべる。






 が、そのティレイラはそんなことを知る筈もなく。
 のんびりと低空を漂いながら、ティレイラは一人森の中を進んでいく。あの絵本には蜂が描かれていたが、森の描写などは見当たらなかった。恐らくは別のページにあったのだろう。
 これだけ木々が鬱蒼と茂っていると高度を上げることは出来ない。が、特に障害となるものはなかったためそれでも問題はなかった。
「……ん?」
 何かないものかと飛び回っているうちに、ティレイラは何か異変に気付く。
「これって……」
 何かが香ってくる。その匂いは自分が好きな香りによく似ていた。
 その香りに釣られるように、まるで蝶が花を見つけるかのように。ティレイラはただ無心にその香りを追い続けた。そして、
「匂いの正体はこれかぁ……」
 そこには、巨大な…というにはあまりにも大きな環状の物体が木の枝からぶら下がっていた。
「ミツバチの巣……? にしても、不思議な形だなぁ」
 本来ミツバチの巣は整然とした巣礎が並び、そこから巣脾が垂れ下がり幾重にも連なって出来ている。環状配列の巣は自然界でも大変珍しいものだ。そんなものが数本の樹木に渡ってぶら下がる様は壮観であった。
 そしてそこに鼻を近づけてみれば確かに甘い香りが漂っている。見ればその途中に人間が二人ほど並んでも余裕で歩けそうなほどの穴が開いていた。いや、そこでけではなくところどころに。恐らくここから蜂が出入りしているのだろう。
「いい匂いだなぁ……」
 ティレイラはふらふらとその匂いに釣られるまま巣の中へと入っていく。その先に待つものをすっかり忘れながら。

 幾らドジが代名詞と言っていいティレイラであっても、一度その中に入ると意識が現実に戻される。無数の羽音に、否が応でも危機感を呼び起こされたのだ。
「蜂だもんなぁ……侵入者なんて見つかったら大変だよ……」
 セイヨウミツバチに関しては知らないが、ニホンミツバチは最強の昆虫、もっとも危険な自然動物として常に名を挙げられるオオスズメバチですら撃退する苛烈な種である。もしこんな巨大な巣を作ったのがそれであれば……想像するだけで震え上がる想いだった。
「だけど、いい匂い…」
 先が見えない部分では羽音を聞き分け、それでもティレイラは奥へと進んでいく。危険だとは分かっていながら進むのは、偏に奥から漂ってくる甘い香りに釣られているからに他ならない。
 それに、こんな巨大な巣ならば奥を見てみたくなるのもまた無理はない。ここにきてティレイラの好奇心は危険すら顧みないものとなっていた。

 幸い今の時間はほとんど蜜をとりに出払っているのか、蜂の数はそう多くなかった。その姿を確認することなく、ティレイラはすんなりと奥へ進むことが出来た。
「わぁ……」
 そこで見たものに、ティレイラの大きな瞳はさらに大きく見開かれ、輝いていた。
 幾重にも六角形が重なる幾何学的模様。その一面がハニーブロンドに輝いている。その奥に何か動いて見えるのは恐らく蜂の幼虫であろう。
「綺麗だなぁ……」
 普段はそう見ることもない蜂の巣。巨大なそれは、単純な美術品としても通用するほど整然として美しかった。
 それにしても咽返るほどに甘い香りが充満している。ハニーブロンドに輝く壁を指で触ってみると、そこは一面の蜂蜜が蓄えられた壁だった。
「ちょっと失敬」
 指で軽く掬い、口元へ運ぶ。
「ん〜〜〜……美味しい♪」
 蜂蜜特有の優しい甘さに加え、何の手も加えられていない花粉交じりのそれは独特の風味を持っていた。なるほど、熊が好んで蜂の巣を襲うのもよく理解できる。
 その甘さにティレイラは夢中になって壁を掬い始めた。その度に少しずつ違う味が彼女を喜ばせる。

 ……が、幸せな時間はそこまで。
「え、え!?」
 急に巣全体がざわめき始め、先ほどまで止んでいた羽音が一斉に響き始めた。まるで壁に触った侵入者を発見したかのように。
「も、もしかしてピンチ!?」
 言うまでもなくピンチです。そんなツッコミをどこからか受けつつ、ティレイラは急いでその場を飛び立とうとして……かなわなかった。
 今来た通路を戻ろうと一気に突っ切ろうとしたその時、丁度戻ってきた大量の蜂たちが彼女の前に立ちはだかったのだ。
「あは……あはは……」
 笑うしかなかった。その全てが人間大ほどもある大きさで、普段見る愛らしさなどどこへいったのかというほど恐ろしく見えた。実際のところはミツバチをそのまま大きくしたような感じなのだが、恐怖のあまりそう感じても無理はない。
 さらに、そこで足を止めてしまったのが彼女の不幸の始まりだった。少し止まっている間に、背後からも別の蜂たちが飛んできたのだ。
 前後を塞がれ、自慢の飛行能力も蜂の前では意味を成さない。
「あはは……大ピンチ……ってー!?」
 そう呟いたと同時に、彼女へ何かが飛来する。粘液質な音と共に彼女の右足を濡らしたのは、壁に見たハニーブロンドの液体。しかし甘い香りはあまりしない。
 それは蜂たちが巣を作る際に出す蜜蝋なのだが、事はそう単純なものでもない。
「やだ、何これ……!」
 何かがおかしい。ティレイラがそう感じたときにはもう遅い。その右足が、見る見るうちに動かなくなっていった。どうやら蜜蝋が即座に固まりその動きを止めてしまったらしいのだが、混乱しているティレイラには分かるはずもない。
「や、ヤバ」
 漸くその危険さを認知し全力で飛び立とうとするが、逃げ出すことはかなわなかった。
 最初は尻尾。その先が蜜蝋に濡れ、蜜蝋の発射される勢いに押されて壁に貼り付けられる。次に羽も同じ運命を辿った。
「や、やめてーーーーーーーーー!?」
 勿論そんな叫びが蜂たちに届くわけもなく、程なくしてティレイラの全身は絶え間なく吐き続けられた蜜蝋によって壁の一部に仲間入りしているのだった。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 暫くのんびりとお茶を楽しんでいたシリューナだったが、流石に何時までも戻ってこないティレイラのことが気にかかっていた。
 何時の間に用意したのか、森の中にぽつんと置かれたテーブルにティーカップを下ろし、シリューナは一人歩き始めた。

 少し歩くと、どこからか甘い香りが漂ってくる。ティレイラのことだ、恐らくこの香りに釣られていったのだろう。そんなことを考えながらシリューナが香りを辿っていると、程なくして巨大な蜂の巣が姿を現した。
 あの好奇心の塊であるティレイラなら、多分この中にいる。そう確信して彼女はその巣に踏み入った。
 巣の中は咽返るほど甘い香りが充満していた。流石にここまで凄いと、余程の甘い物好きでもない限り嫌になってしまうだろう。それほどまでに濃密な香りは、それ自体が外敵に対するある種の防護壁だった。
 それでも暫く道なりに進むと、そこに何か異変を感じた。
 薄暗いからはっきりとは分からないが、壁がどう考えても不自然に盛り上がっている。
「ふむ……」
 シリューナが小さく呟くと、同時にその手の中に光が生み出された。その光ははっきりと巣の通路全体を照らし出した。
「ふぅん……」
 そこにあったのは、壁の一部となったティレイラの姿。壁の一部となっているが、ティレイラの造形ははっきりと壁に出ていて一種のオブジェと化していた。
 大方この巣に住む蜂たちに何かされたのだろう。全くティレイラらしい姿だった。
「いやしかし、これはこれで……」
 そっとその頬を撫でる。蜜蝋が固まって硬質ではあるが、どこか生物らしい柔らかさも感じさせる。
 そのラインから全身を触るように手を滑らせていく。まるでそこにある彫像を愛でるかのように。
 愛らしいティレイラはそのままに。その壁を愛しむ様に、シリューナは暫くその肌触りを堪能し続けるのだった。

「……無粋ね」
 羽音が近づいてくる。どうやらこの巣の主たちだろう。
 なるほど、これほどの巣を作りしっかりと生態系も形成されている。ならば彼女のちょっとした実験(というには大掛かりなものだったが)は大いに成功していると言えるだろう。
 ひとまずその成果に満足し、また滅多に見れない壁となったティレイラを見れたことでシリューナの機嫌は上々だった。
 小さく何かを呟き、無造作にその手をティレイラの壁へと押し付ける。その瞬間壁が一瞬で破裂し、中に閉じ込められていたティレイラがシリューナの腕の中に落ちてきた。どうやら気を失っているらしい。
 愛らしい小さな唇を指で軽くなぞり、長居は無用とシリューナはさっさとその場を立ち去るのだった。



 壁の一部となったティレイラも愛らしかったが、やはり彼女は笑っていてこそ一番輝くのだから。
 それに、彼女と楽しむために用意した紅茶やお茶菓子がこのままでは無駄になってしまうから。
 そんななんでもない時間が、シリューナにとっては一番大切だったから。





 どうでもいい後日談。
「お姉さま、肌がつるつるです!」
 暫く蜜蝋の海に包まれていたティレイラがその効果に気付いたのは、それから暫く経ってからのことだった。
 壁の一部になったのは不幸であったが、肌が綺麗になったのは不幸中の幸いというのだろうか?
 そんな彼女を眺めながら、シリューナが小さく笑っていたのは言うまでもない。





<END>