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<東京怪談ノベル(シングル)>


Bloody End
 薄闇の中、舞い立つ埃が二人の影をかすかに隔ていた。その部屋は狭く、壁一面を覆うキャビネットが重く威圧するように、室内を圧していた。空気には埃が混じり、ざらりとした感触さえ与えそうなカビ臭い空気は、かすかに混じる血の匂いを一層際立たせていた。
 スラリとしたシルエット。メイド服だったものをまとう高科瑞穂の息は、ぜぇぜぇと荒く――そのぼろぼろの衣服は、かつての仕立てのよさを微塵も感じさせなかった。それをまとう本人――瑞穂の体のあちこちには擦り傷や、痣ができ、わき腹を押さえ息を荒げ、それでもなお眼前の大男をにらみつける。その姿には、既に力なく――虚勢以外のなにものにも見えはしなかった。
 大男こと、コートをまとう偉丈夫のシルエット。鬼鮫は、高科瑞穂のその瞳に恐怖の影を見出して、歯をむき出しにして笑う。
 先に動いたのは鬼鮫だった。姿勢を低くして、ほんのわずかな助走距離で加速して、高科瑞穂の腹部にそのまま体ごとぶつかるようにして、ひじで下から上に突き上げる。
 高科瑞穂の体がくの字に、折り曲げられ、空気を漏らす。鬼鮫がひじを戻すと、そのままその場に崩れ落ちた。崩れ落ちざまに、瑞穂の漏らした血交じりの苦悶が鬼鮫の耳を楽しませる。
 「悪いな、これも仕事だ」
 鬼鮫はそう言って、倒れ付す瑞穂のひじを踏みつけた。踏みつける力を段階的に増していくと、骨の軋む音と瑞穂のうめき声が、徐々に高くなる。
 「や――や、痛――。やめ――」
 瑞穂の、埃と乾いた血で薄汚く汚れた頬に脂汗が浮かぶ。鬼鮫は、なおも命乞いを繰り返す瑞穂に、吐き捨てるように答えを返す。
 「負けたんだよ、お前は」
 鬼鮫が踏みつけたひじの関節を一息に踏み抜くと、乾いた音が断続的に響いた。ほぼ同時に瑞穂は一際高く鳴くと、意識を失い、四肢を無防備に床に投げ出し倒れこんだ。鬼鮫は、チッと舌を打つと、しゃがみこんでその頬を幾度も張り飛ばした。
 「――う――うう……や――」
 瑞穂が再び苦痛に満ちた世界に引き戻されたのを鬼鮫は確認して、その体を床に放り投げた。
 「やめて、やめ――て。もう、お願い――」
 瑞穂が一通り、命乞いをわめき散らすのを待つように、鬼鮫はその場でそれをただ眺める。舞い立つ埃が、薄っすらと鬼鮫の両肩に積もり――瑞穂の声も枯れ始めた頃、鬼鮫はやっと一歩足を踏み出した。
 瑞穂の声が恐怖に引きつり、かすかに悲鳴に似た声を上げる。かすれた声で、鬼鮫に呼びかける。やめて、やめて、もういや――お願い助けて、何でもする――。鬼鮫は答えずに、もう一歩踏み出す。
 瑞穂は、戦おうとはしなかった。――四肢が動か無いとか、痛みで立ち上がれないわけでもなかった。そうだ、違う――。鬼鮫は、だから口の端を歪めて笑みをこぼした。
 瑞穂の肩が小刻みに震える――それは恐怖ゆえの行動だった。鬼鮫の脳裏を、ほんの半刻ほど前の、女の表情がよぎる。力強い瞳だった――それがいまはどうだ、笑わずにはいられないな。
 堪えきれなくなったのか、鬼鮫の嘲笑が空気を微かに震わせる。瑞穂が短く悲鳴を上げる。四肢をのたのたと動かして、少しでも鬼鮫から離れようとするが、鬼鮫はそれを意にも介さなかった。
 粗雑に鬼鮫は瑞穂の首根っこを掴みあげて、顔を鬼鮫の方に向ける。酷い有様だった――。瑞穂の視線は焦点が合わず、歯をガチガチと噛み鳴らし、頬は恐怖で引きつっていた。
 「――や……おね――」
 瑞穂の言葉を最後まで、鬼鮫は続けさせなかった。瑞穂の両腕を後ろ手に交差させて、無造作に掴み挙げる。掴みあげると関節が自重で捻り上げられ、瑞穂が苦悶の声を上げた。
 「――休ませてやるよ」
 瑞穂が息をのむ気配が、腕越しに鬼鮫に伝わる。瑞穂はまるで足掻くように四肢をばたつかせるが、鬼鮫の手はきつく握り締めたまま瑞穂の両手首を放さない。そのまま鬼鮫は、瑞穂の両腕を片手一本で背負いあげるようにして持ち上げると、一拍力をためた。そして次の瞬間、勢い良く腕を振り抜いた。両腕を掴まれ、受身すら取ることもできずに瑞穂は頭から床に叩きつけられた。
 砕けるような音と共に、埃が再び舞い立つ。もうもうとたちこめる埃がほんの少し静まるのを待って、鬼鮫はその光景を確認する。
 床に、大穴が空いていた。瑞穂の肩口までは確認できたが、首から下はどうやらガレキの下に埋まってしまっているようだった。
 ふぅ――と、鬼鮫が大きく息を吐く。終わったな――。それを肯定するようにして、瑞穂のスラリとした細い足が、ぴぃんと伸びをするように天を突いて、数瞬後くたっと倒れこんだ。
 本来ならば、可憐な細足を装飾するはずのミニスカートも、逆さまに捲れ上がり下着を露出させていた。足がもつれ合い、首から下を床に埋めたその姿は、鬼鮫の苦笑を誘わずに入られなかった。
 「ふ――ひでぇもんだ」
 鬼鮫はひとしきり瑞穂の倒れた姿を眺め、そのサディスティックな嗜好を満足させると、足を掴んで床から引きずり出した。
 規則正しく上下する胸は、まだ瑞穂の息があることを鬼鮫に伝えていた。
 「チッ、面倒だな」
 鬼鮫は吐き捨てるように、まだ息のある瑞穂を一瞥すると、片足を掴んで無造作に引きずって室内を後にした。後には、埃が拭われ代わりに赤黒く濡らされた床と、床の大穴だけが残された。やがて埃が、降り積もり――赤黒い汚れを覆おうとするが、けれどもその赤黒さは、埃を飲み込みなお塗れた輝きを失わなかった。
 立ち込める濃密な血生臭さは、その量を物語るようだった。
 自衛隊近衛特務警備課所属、高科瑞穂――この後彼女を見たものはいない。