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<東京怪談ノベル(シングル)>


花、墜つ。 (4)
 意識は、もう途切れ途切れだった。
 床に転がる女―――高科瑞穂は、虫の息といっても差し支えない有様だった。茶色の牛久しい髪は乱れ、息が乱れている。
「……う、…、っ」
 呻く声も弱弱しく、時折、ひきつったような声を洩らす。
 痙攣する身体が収まらない。満足に動かすことのできない四肢がもどかしく、何よりも恐怖心が先にあった。
 力で抑え込まれる恐怖。抗っても敵わない恐怖。
 自分の命を危険があるという恐怖。
 それらを、ひしひしと感じずにはいられない。
 黒い革のブーツが、瑞穂の目の前に迫った。瑞穂にとっては、それはもう恐怖の塊であった。
 見上げれば、四十代そこそこの男が見える。ロングコートに、ネクタイを締めた筋肉質の男。どう見ても堅気の雰囲気ではない。
 鬼鮫、というのが男の名だった。対峙した瞬間から、恐らくこの男は瑞穂の実力を見抜いていたのだろう。
 瑞穂とて、決して弱くはない。ただ、相手がそれより強かった。陳腐な言葉を使えば、「相手が悪かった」のだ。
「…潜入の方法は、まあ悪くはなかったな」
 鬼鮫が屈みこみ、囁くような声でそう言う。それが単なる賛辞なのか、皮肉なのかは分からないが。
「他のメイド達と、まるで見分けがつかなかった。行動に移すまで、だ。だが―――」
 首元を掴み、少しずつ瑞穂の身体を持ち上げた。体重が全てかかるせいで、息ができない。
「…っ、ぐ…」
「この屋敷に来たことが、おまえの命日だ」
 どういう意味、と聞くことはできなかったが、その必要はなかった。
 胸元に何度も拳を打ち込まれ、声にならない悲鳴が辺りに四散する。何度も、何度もそれは続き、やがて拳をうちつけた状態で、背後の壁に縫いとめられた。
「餌につられて、潜入してきたんだ、おまえは」
 ばちん! と高く響く音と共に、頬を平手で打たれた。
「ぐ…っ、ああああ、あっ!」
 左、右。左、右。数えるのがバカらしいほど、何度も打ち据えられ。その度に瑞穂は悶絶の声を挙げる。打撃音と悲鳴が、部屋に中にひっきりなしに響く。
 たっぷり五分はその状態が続いた。終わるころには、瑞穂の頬は無残な位、赤く腫れあがっていた。腫れあがりすぎて、表情は滑稽に映る。
 瑞穂を押さえつけていた、鬼鮫の手が離れ、べちゃりと潰れるような形で床に落ちる。受け身が取れる余裕も、この期に及んであるわけもない。
 うつ伏せに倒れた形の瑞穂の手を、軽く足で踏みしめ。また悲鳴が響く。
 やがて瑞穂の腰を引きよせると、短いニコレッタメイド服のスカート下から、臀部が見えた。先ほど頬を打ちつけたように、今度はその臀部に、耳を覆いたくなるような音で、平手打ちを始めた。
「ひっ、い、やあああ、あ!」
 恥ずかしいにも程がある。今までで、最高の屈辱だった。当然だ。
 親が躾のためにするものとは、全く性格が違う。これは瑞穂に、瑞穂だけに、屈辱を与えるための儀式だ。純粋に、それだけが目的なのだ。
 とうに心が折れていた瑞穂にとって、ただ涙する他なかった。腫れた頬で涙を流し、その無残かつ、無様な姿を、彼女が知る者が見れば―――同一人物と分かっていても、理解しきれるか分からない。
 それだけ、普段は凛とした態度を取っている、ということだ。瑞穂は常に、その態度で何事にも臨んでいたのだから。
 一撃一撃、重く。勢いがあり、痛くてたまらなかった。ヒリヒリして、さらにその部分に平手が入ると、もう感覚が麻痺してしまって、訳がわからなくなってくる。
 それが終わると、鬼鮫は、すっと瑞穂の身体を抱えあげた。これで終わりだと言わんばかりに、頭から地面に叩きつけるような、フィニッシュ。
 頭だけは死守したが、床は今までの戦闘のダメージもあり、大きく砕けて抉れた。砂埃が一斉に舞い上がる。
 突き刺さる形で、瑞穂の上半身が地面に埋もれた。惜しげもなく足を晒していたが、無様に開かれた足を見ても、鬼鮫はつまらなそうな吐息を吐くばかりだった。
 完全に意識を失ったのだろうか、もがくこともなく、びくりびくりと痙攣するように震える足を、鬼鮫は感慨もなさそうに引っこ抜いた。
 そのまま地面に落とされ、じっと見やる。やはり、瑞穂の意識はないようだった。すっかりメイド服は、買い替えたほうが早いくらいに痛んでいたし、髪の下の顔は腫れあがっている。口元の表情位でしか、感情が見えそうもないが、意識がなければ意味もないか、と鬼鮫は冷ややかに思った。
 思ったよりは丈夫な女だった。しかし少し遊び過ぎたか。単なる侵入者撃退にしては、傷めつけすぎたかも知れないが、ほの暗い欲望を、少しは満たせた。
「…………」
 瑞穂の襟元を掴み、ずるりとその身体を引っ張って、鬼鮫は部屋を出た。もうそれは、攻撃が目的なのではない。
 懐からサングラスを取り出し、かける。ずる、ずる、と布袋を引っ張るような音を僅かに立てて、静かに鬼鮫はどこかへと消えて行った。
 引きずったままの瑞穂と共に。後に残ったのは、抉れた床と吐いた血による、暴力の空気だけだった。


 それから、三日、一週間、ひと月―――。どれほどの時が流れようとも、瑞穂が姿を現すことはなく。
 行方が知れないまま、彼女が帰ることは、なかった。