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<東京怪談ノベル(シングル)>


Troll - 2



 ドアの鍵をしめ、私は一歩前に出た。
 ざっと室内の様子をたしかめる。左斜め前に、応接テーブルとソファ。奥にはローボードがあって、調度品が並べられている。窓にはカーテンがかけられて、外の様子はわからなかった。
 わからないといえば、目の前の男もよくわからなかった。たぶん、雇われの警備員。そして超常能力者だ。どういう能力なのかは、まだ見当もつかない。それに、目的もさっぱりだ。能力者と戦うことが目的だと言っていたけれど、もしそれが本当だとしたら一種の変質者だ。
 超常能力者たちの中には、とんでもない力を持った者もいる。それこそ、神か悪魔のような力を持った連中だ。そんな能力者と一対一で──しかも素手で──戦うことが目的だなんて、自殺願望があるとしか思えない。さもなければ、ただのハッタリ。

「どうせ弱いんでしょう?」
 挑発しながら、私は更に前へ一歩、そしてもう一歩、と進んでいった。
 男は何も答えなかった。おおきく両腕を広げて身構えている。どう見ても不恰好な、プロレスラーみたいな構え。スキだらけだ。いつでもどこでも、自由にパンチやキックを入れられる。わざとやってるのかと疑いたくなるぐらい、間のぬけた構えだった。
「そんなので、私の早さについてこれる?」
 言っておいて、私は一気に踏み込んだ。
 自衛隊では、かならず徒手格闘術を教え込まれる。日本拳法をベースにして、柔道や合気道の技をミックスさせたものだ。テレビで見るような、スポーツの格闘技とは違う。戦場で、敵を殺すための格闘術だ。目、喉、金的──。いつでもどこでも、躊躇なく急所を攻撃できるように仕込まれている。

 いきなり、金的を蹴りにいった。あたれば一発で終わる。そういう蹴り。
 けれど、これは見え見えだったらしい。男の膝が上がって、あっさりブロックされてしまった。おもったより反射神経が良いのかもしれない。
「じゃあ、これは受けられる?」
 蹴り足がもどってくるより早く、私は右のパンチを放った。これも急所狙い。脇腹の、いちばん下の肋骨。かんたんに折れる骨だ。男の腕が動いた。ぜんぜん遅かった。
 ベキッ、という音がした。
 やっぱり、この男はノロい。のろいだけじゃなく、頭も悪そうだった。

 ちっ、と男が舌打ちした。
 見かけどおりタフな男だった。ふつうなら痛みで動きが止まるところだというのに、まるで止まる様子がなかった。右腕で、大振りのフックが飛んできた。全然トロい。
 かるく上体を沈ませてかわすと、パンチのもどりに合わせて私はもういちど脇腹を殴った。また、骨の折れる音がした。あんまり聞きたくない種類の音。
 すると、今度は効いたらしい。男が脇腹をおさえて顔をしかめた。
 もちろん、そのスキを見逃すほど私は甘くなかった。素早く右足を跳ね上げて、おもいきり斜め上に振り抜いた。われながら、絵になるぐらいのハイキック。硬いブーツの爪先が、男の顎に命中した。
 ガツン、と歯の砕ける音。のけぞった男の顔から、血しぶきが舞った。
 どう見ても、終わるはずの一撃だった。これだけ綺麗に蹴りが入ったら、一瞬で脳震盪を起こす。そうならないとしたら、普通じゃない。──にもかかわらず、男は倒れなかった。

「……ずいぶん頑丈に出来てるわね。なんの能力を持ってるの?」
 一歩だけステップアウトして、私は問いかけた。
 なんとなく察しはついている。再生能力のたぐいだ。そうじゃなかったら、歯がそろっていたことの説明がつかない。こんなにスキだらけの男が、いままで一度も歯を折られたことがないとは思えないからだ。
「知りてぇのか?」
 べっ、と吐き出された血の中には、折れた歯が何本も混じっている。しばらくは、食事も満足にできないはずだ。よほどの再生能力を持っているのでないかぎり。
「知りたいわね。教えてくれる?」
「俺の血には、トロールの遺伝子が混じってるんだよッ!」
 鼓膜が破れるかと思うぐらいの大声だった。
 見ると、男の形相が変わっている。さっきの攻撃で、怒りに火をつけてしまったのかもしれない。──けれど、相手が冷静さを失ってくれるなら逆にこっちは戦いやすい。

 が、そう思ったのもつかのまだった。
 男が間合いをつめて、いきなり蹴ってきた。中段回し蹴り。丸太を振りまわすような、力まかせの攻撃だ。背が高いだけあって、足も長い。後ろにさがってやりすごすのは無理だった。
 私は前へ出て、両腕でブロックした。本来のヒッティングポイントからズレているおかげで、たいしたダメージにはならない。それでも、体ごと横へ吹っ飛ばされそうな重量感だった。本来の威力で食らっていたらと思うと、鳥肌が立つ。
「はぁっ!」
 無意識に、気合の声が出た。同時に、右足を男の横腹に叩き込んだ。肋骨が折れる音。折れた肋骨がぐしゃぐしゃになるような音がした。これで、おなじ箇所を三回攻撃したことになる。いくらトロールのジーンキャリアでも、再生が追いつかないはずだ。

「ちぃっ」
 男がよろけて、後ろにさがった。
 絶好の、追撃チャンス──!
 背骨まで折ってやるぐらいの勢いで、私は右足を振り上げた。
 その瞬間。目が見えなくなった。なにかが、目に入ったのだ。すぐにわかった。男が、血を吐いて私の目を狙ったのだ。
 目に入ったのは、ただの血だった。けれど、背中には氷のかたまりを押しつけられたような感覚だった。頭の芯から、ひんやりしたものがあふれでてくる感覚。あっというまに、全身の皮膚が泡立った。
 目をこすりながら、私は当然襲ってくるであろう攻撃にそなえて全身を小さく引きしめた。

 ブン、という音がした。
 なにか、おおきなものが空気を裂く音。
 イヤな予感がして、私は無理やり目をあけた。ぼやけた視界の中に、飛んでくるものが見えた。それは、男の拳でも足でもなかった。重さ百キロはあろうかという、応接セットのソファ。
「ひ……っ!」
 あまりのことに、悲鳴がもれた。そんな巨大なものを、かわせるはずもない。どうにか頭を守るのが精一杯だった。
 次の瞬間、すさまじい衝撃がやってきて私は床に倒れた。成す術もなかった。ガードした腕が折れなかったのが奇跡だ。

 どうにか立ち上がったものの、足がふらついた。いまので、脳震盪を起こしたらしい。足元がふわふわして、スポンジの上に立っているような感覚だった。
 ひっくりかえったソファに手をついて、体をささえた。それでどうにか倒れずには済んだものの、戦えるかどうかは別問題だった。
 男が、ものすごい顔をして目の前に立っていた。みじかい髪が、ツノみたいに逆立っている。まさにトロールだ。
 私は、左右の拳をにぎった。まるで砂のかたまりをつかんだような錯覚。
 男が、靴の底で蹴ってきた。ヤクザみたいな蹴りかた。実際、ヤクザなのかもしれない。両腕を交差させて、私はその蹴りを受けた。受けきれずに、足がフラついた。そこへ、次の攻撃が飛んできた。なにが来たのか、よく見えなかった。
 おなかに、重い痛みが打ち込まれた。たぶん、右のボディブロー。ちがうかもしれない。痛みが背中まで突き抜けて、まっすぐ立ってられなかった。おなかをかかえて後ろへさがると、背中が壁にぶつかった。もう、これ以上さがれなかった。