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Troll - 3
ずっしりと、右の拳が女の腹にめりこんだ。
ズグッ、と肉のかたまりを叩く音。ぞくぞくする手応えだった。
「げふっ」
女は後ろによろめいて、背中を壁にぶつけた。血の混じった唾が、唇から漏れている。糸を引いて落ちた唾液が、エプロンの裾についた。
女は、青ざめた顔で俺を見ていた。次の攻撃は、かわせるワケがなかった。
俺は女の足を蹴りにいった。コイツが素早いのは、もうわかっている。まず、足を殺すのが先だ。そうして、動けないようにしておいて、それから、好きなように、料理する──。
が、思ったより女は打たれ強かった。おまけに、思った以上に身軽だった。
余裕で命中するはずだった俺のローキックを、女は小さくジャンプしてかわした。しかも、跳んだのは後ろじゃない。まっすぐ、こっちにむかって──、前に跳んできた。
空中で女の右腕が動くのが見えた直後、左頬に痛みが爆ぜた。さっき折られた歯は、まだ再生しちゃいない。歯を食いしばることもできず、口から血があふれた。
スナップの効いた、いいパンチだった。が、別にどうってこたぁない。
どいつもこいつも、俺の能力を正しく理解しちゃいない。トロールの遺伝子が持つ再生力を、甘く見てやがるのだ。俺を倒そうと思うなら、一撃で首を切り落とすぐらいのことをしなけりゃダメだ。銃も刃物も持たず、素手で俺を倒そうとは。笑うしかない。
女の蹴りが、左から飛んできた。もういちど脇腹を蹴るつもりらしい。
折れた肋骨は、まだ修復できてなかった。食らっても大したことはないが、骨が折れればいくら俺でも痛い。とりあえず、俺は左腕でその蹴りをブロックした。鞭で打たれたような痛みが、腕に走る。
と同時に、右の首筋に衝撃があった。一瞬、なにごとかわからなかった。
見ると、女の左足が空中にある。右の蹴りと左の蹴りをほとんど同時に打ったらしい。かんたんにできることじゃなかった。すくなくとも、俺にはそんな器用なマネはできない。
それにしても、この女。みじかいスカートのくせにやたらと蹴りを使ってくるのが面白い。わざとやっているのだろう。ケツの青いガキなら、見とれて勝負にならないに違いない。
だがあいにく、俺は若くはなかった。そんなもの、見慣れている。四十年も生きてりゃ、たいがいのことには動じなくなる。
俺は首筋に受けた衝撃をやわらげるために、体を左へ動かした。まわりこむように動きながら、左のパンチを打っていく。わざと、大振りのロングフックにした。
女は、体を横に振った。攻撃をかわすのに、必要最低限の動き。いいフットワークだ。が、それこそ俺の狙いだった。
女が横に動いたとき、髪が流れた。結い上げられた、ポニーテール。それを、俺は左の拳で握った。全部まとめてつかんでやるつもりだったが、つかめたのは半分ぐらいだった。だが、十分だ。
髪をつかんだ瞬間、女の顔がひきつった。
俺は、おもいきり髪を引っぱった。女の口から「あっ!」という声が出た。一瞬で顔が青くなり、痛みと恐怖に表情がゆがむのが見えた。
それでも俺の手首に手刀を打ち込んできたのは、さすがに特務警備課の一員だった。ふつうの相手なら、それでうまくいったかもしれない。だがもちろん、俺は離さなかった。
髪を引いたとたん、女の足が止まった。フットワークもクソもなくなった。
さらに力をこめて引き寄せると、女は足をもつれさせながら俺のほうへよろけてきた。
「はなせ……っ!」
女が、二度三度と手刀を打ってきた。痛くも痒くもなかった。
すると、女は片手で髪をおさえながら、もう一方の手で俺の左手首をつかんできた。なにかを突き刺されたような痛み。なにをされたのか、すぐにわかった。女が、ツメを立てたのだ。これは思ったより痛かった。
その痛みの礼として、俺は思いきり女の髪を引っぱってやった。髪の抜ける音がして、女は小さい悲鳴をあげながら俺に近寄ってきた。
「この……っ!」
女が、左足で蹴ってきた。必死の形相だった。
俺は、その蹴りを右腕ではじきかえした。そのまま、右腕を女の腹にぶちこんだ。脇腹だ。俺が折られたのと同じ、いちばん下の肋骨。それが、パキッという音をたてた。
女の口から、くぐもった悲鳴がもれた。「おぐぅ」という声。痛みで、まともな声も出ないのだろう。俺も、おなじ箇所を折られたから知っている。痛みに慣れてなければ、耐えられるものじゃない。
殴った勢いで、女の体が横に崩れかけた。俺が髪をつかんでなければ、そのまま倒れたかもしれない。が、まだ横にしてやるつもりはなかった。
俺は、ひきずり起こすように女の髪をつかみあげた。そして、つよく握りしめた右の拳を、今度は女の顔面に叩き込んだ。
ゴシャッ、とスイカをつぶすような音がした。ブヂブヂと小気味のいい音をまきちらして、すごい量の髪が抜けた。おかげで、女の体は床に倒れてしまった。顔じゃなく、腹をもう一回殴っておけばよかったかもしれない。
「げうっ、ごふっ」
女は、床にうずくまって血を吐いた。床は、うすいグレーのカーペットだ。血の中に、折れた歯が三本ばかり混じっているのが見えた。
オーケー。これで、やられた分は返してやった計算だ。──もっとも、俺の骨や歯は数分で再生するが。この女の歯は、もう一生もとにもどらない。どうやってもだ。無論、一生といったところで、あと五分たらずで終わってしまう人生かもしれないが。
さて、このクソ女をどうやって殺してやろうか──。
そう思ったとき、俺はまだ左手に女の髪をにぎっていたことに気付いた。何本あるのか、見当もつかない。千本ぐらいか? もしかすると、その数倍あるのかもしれない。
抜けた髪の先には、白いものや赤いものがこびりついている。殴ったときの衝撃で、皮膚ごと剥がれたのかもしれない。いい気味だった。俺は、女の背中に向けて髪を放り投げた。
女のまわりに、髪が散った。
吐き出された血溜まりの中には、ヘアバンドが転がっている。カチューシャとか呼ぶんだったかもしれない。どうでもいいことだが。
女は、うずくまったまま肩で息をしていた。起き上がるつもりはなさそうだった。戦意喪失というわけだ。女にしては頑張ったほうだが、まぁこんなものだろう。
「おい、もう立たねぇのか?」
言って、俺は女の尻を蹴り飛ばした。
べぢゃっ、とカーペットの血溜まりに女の顔がつっこんだ。
そのまま失神するかと見えたが、そうはならなかった。女は両肘を床につくと、背中を震わせながら顔を上げた。その顔は、血と涙でぐしゃぐしゃだ。顔も髪も、血まみれだった。よじれた髪の先から、赤いしずくがポタポタ落ちている。
「へぇ。まだやれるのかよ。やる気があるなら、立つまで待ってやる」
戦意があるうちは遊んでやるのが、俺の流儀だ。相手の戦意が完全に消え失せるまで叩きのめして、殺す。それが、俺のやりかただった。
「こんなところで死ぬわけにいかないのよ……」
低い声で、女は言った。
俺は嬉しくなった。これだけブチのめしても立とうとする相手は、このところ見た覚えがない。戦闘意欲という点だけは、かなり上等の部類だ。あいにく、実力はそれほどでもなかったが。こればかりは仕方ない。俺が強すぎるのだ。
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