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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


   ヘキセンハウスに御用心!


「……これは、おもしろそうね」
 金属製の大きなブックカバーを眺め、シリューナはつぶやいた。
 派手な意匠を凝らされたそれは、表紙に巨大な水晶がとりつけられている。
 紐で縛って固定するタイプのものだが、こんなに大きく重いものを取り付ければ読むにも持ち歩くにも不便だろうから、まさに装飾のためだけの品だった。
「何がですか?」
 そこへティレイラが好奇心たっぷりに覗き込み、尋ねてくる。
「ティレ、ちょうどよかったわ。向こうの書棚から何か絵本を持ってきて頂戴」
「はぁい。わかりました」
 師匠からの指示に元気よく返事をすると、大急ぎで絵本を抱え、戻ってくる。
「これでいいですか?」
「何でもいいわ」
 若干息を荒げながら両手で差し出してきた本を受け取り、テーブルの上に置く。
「今からこの部屋に異空間をつくりだすから、よく見ておくのよ」
「えっ、何か危険な実験でもするんですか!?」
 魔法薬屋の一室を異空間に変えるのは、大抵何かの実験をするとき……それも、周囲に影響を及ぼしかねないときと決まっていた。
 そしてそういうときは自分が被害を受けやすいのだと、ティレイラは学習してきているようだった。
「つくりだす異空間自体が、実験なのよ」
 シリューナは一言答えると、弟子の反論を待たず絵本にブックカバーを取り付けた。
「異空間自体が、ですか? お姉さま、この魔法具って一体、どんな……」
 質問を終えないうちに、表紙にとりつけられた巨大な水晶が、キュイィィと妙に高い音をたてて光り出す。
 ティレイラは驚き、怯えるようにシリューナの腕にすがりついた。
 目がくらみ、ようやく辺りを見渡すと……そこは、お菓子の世界だった。
 スポンジケーキのようにふかふか地面にはシュガーパウダーが雪のようにかかっていて、飴細工の木の枝先には色とりどりのキャンディーがぶら下がっている。
 近くを流れる川はサイダーのようにシュワシュワと音を立てる。
 ホワイトチョコの草、コンペイトウの石。
 白いアイシングのつららに、シュガーパウダーの雪など、全体的に北国のような雰囲気だった。
「わぁー、全部お菓子でできてる!」
 ティレイラは祈るように両手を組み、目を輝かせて歓声をあげる。
絵本の中身など確認していなかったシリューナは、彼女が魔法具の性質を知った上でこの本を選んだのではないかと思ったが、どうやら違うようだった。
「すごーい、夢みたい」
 何が起こっているのかよくわからないとばかりに、純粋に感動している。
「あれって、お菓子をつくるものだったんですか?」
「違うわ。カバーをつけた絵本の世界を具現化するものよ」
 期待をこめて尋ねるティレイラに、シリューナはキッパリと答える。
「だけど思った以上によく出来ているわね。私は出来栄えを確認するために辺りを見回ってくるけど、あなたはどうする? ティレ」
「わわ、私も見てまわりたいです!」
 大きく手をあげた彼女は、頬を紅潮させていて、妙に嬉しそうだった。
 このお菓子の世界がよっぽど気に入ったようだ。
「そう……いいけど、周りのものを食べないで頂戴ね」
「え!? あ、はい。もちろんです」
 ティレイラはギクリとしたように驚いてから、ほとんどうつむくようにしてうなずいた。
 どうやら、かなり期待していたらしい。
 飴細工の木々に囲まれた森は、琥珀色のガラスのようにも見えた。
 草は大抵チョコで、砂糖菓子の花の中心には小さなチョコボールが乗っている。
 見上げてみると、空に浮かぶ雲は綿菓子、太陽はメロンパンのようだった。
 本当に、何から何までお菓子でできているらしい。
 ただ鳥や蝶などの生き物だけはお菓子ではなく、オモチャだった。
 おそらく、食べられてしまわないように、だろう。
 木彫りの鳥や紙でできた蝶。それこそぬいぐるみそのもののウサギなどもいる。
 興味津々にうろつくティレイラは、じっくりと観察するシリューナを差し置いてどんどん奥へと進んでいく。
 見て回るのが楽しいから、というのもあるだろうが、1つ1つをじっくり見ていると食べたくなってしまうからかもしれない。
「ティレ、一人で遠くに行かないようにね」
 声だけはかけながらも、シリューナは特に追うことなく観察に専念する。
 目が届かなくなったら盗み食いをしないだろうか、という不安もあったが、そのときはおしおきをすればいい、などと考えていた。


「うわぁ……お菓子の家だぁ」
 森の奥へと進んでいったティレイラは、うっとりとそれを見つめた。
 ビスケットの壁に、パイの屋根にウエハースの煙突。
 ドアはクッキー、窓枠はドーナツで、丸い穴に薄い砂糖のガラスがつけられている。
「中はどうなってるのかな」
 ドキドキしながら、マシュマロのドアノブに手を伸ばす。
 そのときだった。
 ベチャ。
「え、なに!?」
 肩に何か落ちてきて、驚きと共に振り返る。
 そこには、ハチミツたっぷりのハニートーストが、アイスクリームの帽子を被って立っていた。
 そう、塗り壁のような身体に小さな手足をつけ、目と口のついたそれは、明らかに生き物として存在していたのだ。
「なれ………」
 低くつぶやきながら、ハチミツまみれの手を伸ばしてくる。
「きゃあぁっ」
 ティレイラは悲鳴をあげ、そこから逃げ出そうとする。
 だが目の前に、クリームをたっぷりつけたケーキが立ちはだかる。
「なれ……」
「いやあぁっ」
 踵を返そうとしたところで、プリンやワッフル、シュークリームにエクレアなどに囲まれていることに気がつく。
 甘いものがいっぱいで幸せ、普段ならそう思うところだが、どうやらそんな状況ではなさそうだ。
「ど、どいてください!」
「お前もなるんだ……」
 いっせいに手を伸ばされ、ティレイラは火の魔法を放つ。
 お菓子の魔物たちは焼き焦げたが、炭と化した身体からカスタードが漏れ、ケーキやエクレアなどをおおっていたクリームやチョコも溶けて足元を流れる。
「やだ、歩きにくい」
 魔物たちは次から次へと現れ、キリがなかった。
 甘い匂いが周囲に広がり、ティレイラの服は汚れ、髪や肌がべとついた。
「いやー、ベトベトする〜。近づかないで〜!」
 半泣きになって悲鳴をあげる。
 まとわりつかれ、身動きがとれなかった。
 ティレイラは、自分の身体に異変を感じた。
 ただ取り込まれているだけではなく、自由が利かなくなってきているのだ。
 べっとりとはりつくような感触や甘い匂いも、ただハチミツやクリームがかかっただけではなかった。
「な、何これ……」
 自分自身が、お菓子に変化していっている。
 それに気づいたティレイラは恐怖を覚えた。
「助けて、お姉さま!」
 必死に声を張り上げるか、師匠シリューナの姿は未だ、見えなかった。


 じっくりと観察してまわっていたシリューナは、しばらくしてからその場所へやってきた。
「これは……ヘキセンハウスね。ティレが喜びそうだこと」
 そう口にしてから、家の近くに立つお菓子の像に目を止めた。
 色々なお菓子を寄せ集めてつくったような、妙なものだった。
 カスタード色の肌はプリンのようで、衣服の代わりにチョコレートでおおわれ、足元だけはワッフル生地を使っている。
 シュークリームの生地を分断したような細い髪には蜂蜜がかかっていて、その頭には少し溶けかけたアイスクリームが乗っている。
 世にも不思議なその像は、シリューナの愛弟子の姿によく似ていた。
「……ティレ?」
 助けを求めるような表情のまま、固まった弟子の頬に触れると、ぷるんと揺れた。
「また、何かやらかしたのね」
 相変らずなティレイラに、同情するよりも先に呆れてため息をつく。
 しかしその顔は、どこか楽しそうだった。
「なれ……」
 そこへ、またしてもお菓子の姿をした魔物たちが現れる。
「……そう。ヘキセンハウスが魔物の巣だなんて、わかりやすいわね」
 シリューナは驚くこともなく微笑むと、ごぉっと猛吹雪を繰り出した。
 魔物たちはいっせいに凍結して、固まってしまう。
 だが次から次へと魔物たちが現れるのを見て、うんざりしたようにお菓子の家に魔法を放つ。
 ばんっ。
 家が勢いよく弾け飛んだ。
「いるんでしょう、魔女。あなたの遊びに付き合うつもりはないの。茶番はやめて頂戴」
 バラバラと崩れ落ちるお菓子の残骸を目にして、シリューナはクールに言い放った。
 するとそれを受け、お菓子の魔物たち崩れ落ちていく。
 遠くで、魔女の笑い声が聞こえた。
 シリューナはそちらに目を向けたが、あえて退治することはしなかった。
 そうすれば絵本の内容も変わるだろうし、何より……面倒だったから。
「お、お姉さま!」
 振り返ると、いつの間にか元に戻っていたティレイラが、目に涙をためて駆け寄ってきていた。
 どんっとほとんど激突するように、飛びついてきて、力強くしがみつく。
「助けに来てくれたんですね〜。ありがとうございます。すごく怖かったんです〜」
 ぴぃぴぃと子供のように泣きじゃくりながら礼を言う。
「……そう、戻ったの」
 対するシリューナは、どこか残念そうだった。
「も、戻っちゃいけないんですか?」
 それに気づいたティレイラは、驚いたように顔をあげる。
「どうせなら、少しくらい味見してみようかと思ったのに」
「な、何言ってるんですか。ずるいですよ。私には食べちゃダメだって言ったのに!」
 ふふ、と微笑むシリューナに、ティレイラは涙と共に声をあげる。
 どうやら若干、論点がずれているようだ。
「冗談よ。あなたが無事でよかったわ」
「……けど、何だったんでしょうね。この魔物たち」
「ヘキセンハウスというのはね、お菓子の家のことなのなのだけど、ドイツ語で魔女の家、というのよ。ヘンゼルとグレーテルの童話でもそうでしょう。その話にも、魔女が他の子供たちをお菓子に変えていた……という記述があるわ」
「じゃ、じゃあもしかして……」
 ティレイラは恐る恐る、お菓子の残骸たちを振り返った。
 氷づけになり、炭と化した魔物たちを。
「いいえ、あれはただのお菓子よ。魔女の命令て動いていただけ。それを使ってあなたのようなお菓子の像をつくって……食べるつもりだったのでしょうね」
 それを聞いて、ティレイラは改めて青ざめる。
 師匠の助けがなければ、自分は魔女に食べられていたということなのだ。
「あの……ありがとうございます」
「いいのよ、ティレ」
 もう一度お礼をいうティレイラに、シリューナはにっこりと微笑んで見せた。
「言いつけに背いた分のおしおきは、後でゆっくりしてあげるから」
 笑顔のシリューナに、ティレイラは凍りついたかのように身を固めた。
 ――もしかすると、食べられていた方が幸せだったのかもしれない。
 魔女よりも強力な師匠を相手に、そんなことを考えるのだった……。