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<東京怪談・PCゲームノベル>


闇に漂う


流石に疲れを感じていた。
年度末のこの時期は決算や予算でどこの会社も忙殺されている。アルバイトの身とはいえ、その付けは毎日赤城・千里にも回って来るのだった。
三月だというのに、春の到来はまだ遠く冬が抜けない。通り風は一瞬にしてバイト帰りの千里の身体を冷やしてしまう。高いビルとビルの間から見えるのは雪でも降りそうなほどの鈍色の空だ。
「最近ずっとこんな天気ね……」
千里は独り言を呟いていた。
めまぐるしく、けれど淡々と過ぎていく日々に少しばかりの物足りなさを覚え始めている。色々なことをそつなくこなしてしまう性格故の、歯がゆさだろうか。せめて季節の移ろいや天気の変化を感じることができたら、気持ちにメリハリがついて精神的な潤いも得られるのだが。
こう寒い日は早々に帰宅しようと、急ぎ足で大通りを歩く。次第に妙な違和感が湧いてきて、ふと立ち止まった。
先程までさまざまな人とすれ違っていたのに、いつの間にか千里の周囲には人一人見当たらなくなっている。今のバイトを始めてから日が浅く、土地勘がないせいもあるのだろう。道を一本間違えてしまったのだ。
狭い通路は静まり返っている。
引き返そうとした時、鼻孔を刺激する芳ばしさが胸に染み込んできた。
「あら、いい香り」
 コーヒーの匂いに踏みとどまる。よく見ると千里の立っている場所から数メートルも離れていないところに、看板が出ている。すぐ横にある古い建物からは月の光のような朧気な灯りが漏れていた。
「なんだか魅力的。それに、不思議なオーラが……」 
 千里は自然と足を向けていた。
 視える色の名前を一言で表現するのは難しい。近づくほどに、建物全体から黒とも紺とも群青色ともつかない、奇妙な色を放っているふうに思える。
 暗いのだが優しく、吸引力はあるのに人の世界と一線を画している――どことなく俗世離れした印象を与える喫茶店だ。
 しかしこの道に喫茶店が存在しているのは紛れもない事実で、店から漂う香りも気のせいではないだろう。危険な雰囲気はないし、考え過ぎるのもいかがなものかと思って扉に手をかけた、その時。
 鈴の音が鳴り、扉が勢い良く開く。怒声が空気を貫いた。
「あんたみたいなのはお断りだと言っているだろう。二度と来るんじゃないよ」
 いきなりのことで、千里の心臓が一瞬跳ねた。
 赤い着物の女性が、ドア越しに嫌悪の表情を露わにしている。
「香りに惹かれてきたんですけど……いけなかったのかしら」
「あんたは裕一郎に取り入ろうとしているんだろう。奴もあたしも迷惑してるんだよ」
 女性の赤い目は鋭く光っている。あまりの威圧感に千里は一歩退いた。
 裕一郎とは誰だろう。思い切って言ってみる。
「私、そのかた知りません」
「……ああもう、しつこいね。いい加減にしないと地獄へ突き落とすよ!」
 姐御さん、姐御さん。
 喫茶店の奥から落ち着いた男性の声が聞こえてくる。目の前の女性に隠れて、顔は見えない。
「お客様がいらっしゃってます」
 男性の声が溜息交じりに続く。
 姐御、と呼ばれた女性の瞳は一見千里に向けられているみたいだったが、よくよく観察していると千里の肩より数センチ先を見つめている。誰かいるのだろうかと振り返ったが、誰もない。
 数秒の沈黙の後、女性の視線が千里をとらえた。初めて気づいた様子で、「おや」と一言漏らす。
「まったく、お客様が戸惑われているじゃないですか」 
 男性は姐御を押しやり、千里の前に姿を現した。
「驚かせてしまってすみません。私、店主の唐津・裕一郎と申します」
 丁寧にお辞儀をする。ピリピリしていた空気が鎮まっていくのを千里は感じ取っていた。
「あなたが裕一郎さんなのですね。そちらの……姐御さんはどなたと話していたのでしょう」
 訊くと、裕一郎は苦笑する。
「この人ちょっと妄想癖がありまして。目に見えない誰かとよく通信しているんです」
「苦し紛れの言い訳は、するもんじゃないよ」
 姐御は裕一郎を見遣った。
「前々から裕一郎にしつこく言い寄って来る輩を追い払っただけさ」
 輩とは誰のことだろう。疑問を抱いたが口には出さない。いわくありげで、訊いてはいけないのだというカンが働く。
 長い黒髪を掻きあげ、姐御は千里の両手を握った。面白そうに顔を近づけてくる。
「名前は?」
「千里です。赤城千里」
「ふうん、いい名だね。お入り。あんたには強い加護があるみたいだ」
 氷の如く冷たい手に誘導され、千里は喫茶店の中へ入った。
 裕一郎と姐御、二人の会話は続いている。話していることは不明だが、それでも不思議と嫌な気分にはならない。


「すみません、話し込んでしまって。お待たせいたしました」
 水を運んできた裕一郎に、千里は戸惑いながら注文してみる。
「ブレンドと……ケーキってありますか?」
「ありますよ」
 裕一郎はメニューを差し出した。広げてみると、豊富な種類のケーキの名前が写真と一緒に連ねられている。どれも美味しそうで、なかなか決められない。
 ふと、メニューの一番下に書かれていた文字に気づいた。

【店主特製日替わりケーキ】

 興味を持ち、訊ねる。
「この日替わりケーキ、今日はなにかしら」
「アイスケーキです。ベースは決めておりませんが、お好きなものがあれば承りますよ」
「ベースを自分で決められるってこと?」
 裕一郎は笑顔で「はい」と頷く。
 なにがいいだろう。とびきり甘くて、日頃の疲れが飛びそうなもの。そう考えるとひとつしかない。
「チョコレートでお願いできます?」
「かしこまりました」
 裕一郎は頭を下げて、自分の持ち場へと入っていった。


「お疲れですか」
 サイフォンで温められたお湯がコトコトと音を立てる頃、それまで無言で作業をしていた裕一郎が口を開いた。
「ええ、まあ」
 できるだけ疲れを見せないようにしていたつもりだったが、やはり他者に伝わってしまうのだろうか。
「でも、ここで一息ついたら明日も頑張れると思います」
 裕一郎は穏やかな表情を千里に向けた。
「千里さんは前向きなかたなのですね」
「前向きというか、正直ケーキを頂けるだけでも幸せなんです。実は私、甘いものには目がなくて。だから、チョコレートやパフェやケーキを口にすればそれだけでもう充分なんです」
「そういうかたがいらっしゃると、こちらも励みになります。甘いものは心を丸くする、と聞いたことがありますよ」
 トレイにコーヒーとケーキを乗せて作業場から出てくると、裕一郎は機敏な動作でそれらを千里の目の前に置いた。
 冷気を放ったケーキの上には、生クリームとミントの葉が品よく添えられている。
「美味しそう。いただきます」
 フォークで小さく切り分けてみる。その間にも幸せな気分に満ち溢れていくのが分かった。冷たくて甘いケーキを頬張り、カップにも手を伸ばす。
 コーヒーは香り高く、さらさらと喉を流れていく。
「サイフォン式の珈琲も味があって……凄く美味しいです」 
 思わず裕一郎にニッコリと笑顔を向けていた。
「ありがとうございます」
 裕一郎は作業場から静かな笑みを返してくる。青い瞳は深く、遥か彼方に広がる海を連想させた。
 落ち着いた店主、心をこめて作られたケーキ、透明感のあるコーヒー。
 それなのに千里以外、誰もいない。誰か来る気配も一向にない。励みになると言っていたけれど、いつもこの調子なのだろうか。こんなに美味しいのにどうしてお客さんが少ないのかしらと、首を傾げる。
「その疑問、じきに晴れますよ」
 カップを磨きながら、裕一郎は言う。
「あらやだ、顔に出てました?」
「ええ」
 絶やさぬ笑みを向けてくる。
 そういえば、先程から裕一郎と二人きりだ。姐御の姿はいつの間にか消えている。どこへ行ったのだろう。
「あの、姐御さんは……」
 言葉を放った瞬間、千里の全身を風が吹き抜けていった。
 視界がサアッと開けていく。大きな薄紙が一枚剥がれたかの如く、景色が一変した。
「なに?」
 びっくりして、目を凝らす。
 気がつくと、目の前に巨大な桜の木が立っていた。その先には一面緑の野原を目映いばかりの光が降り注いでいる。清々しいほどの青空の下を、薄紅色の花びらが風に舞う。幾枚もの花びらは光に透けて緑の地上にふわりと落ちる。
 千里は手元を見遣った。テーブルもカップもケーキも喫茶店にいた時のままだ。夢か現か分からない。
「テーブルごと移動させたよ。あんな狭いところより、こっちで味わいな」
 桜の花びらと共に、頭上から声が降り注いでくる。見上げると、桜の枝の上に座り優雅に煙管をふかしている姐御がいた。
「ここは?」
「さてね」
 煙を空に向かって吐くと、姐御は楽しそうに笑った。花びらが一枚、カップの中に落ちてくる。千里はしばらく放心したままカップの中の花びらを見つめていた。
「姐御さんは言い出したら聞きませんから。普段はこんなところにお客様をお連れしないのですが、最終的に私が千里さんをここへ連れてくることを許可しました」
 我に返る。桜の幹の後ろから違和感なく裕一郎が出てきた。
 よくわからなかった二人の会話が、ここへ来て千里にも繋がる。おそらく彼らは、千里を不思議現象に巻き込むか否かの話し合いをしていたのだろう。
「姐御さんの姿が見えなかったのは、私をこの場所へ来させるため?」
「私は何時だって、神出鬼没なのさ」
 姐御はあくまで悠々とした振舞いを見せる。数秒の沈黙の後、続けた。
「まあ、あんたが店に来た時不愉快な思いをさせちまったからね。食べ終えるまでの、詫びのつもりさ」
 千里は数十分前の出来事を思い返した。驚きはしたけど、不快な気分にはならなかった。しかしこれが彼女なりの心遣いなのかもしれないと思うと、純粋に嬉しい。
大半のお客は、奇妙な喫茶店や裕一郎たちを怖がるのだろう。けれどそれは考え方一つでどうとでも捉えられる。千里にとっては、不思議現象ではなく貴重な経験だ。
「闇色喫茶から千里さんへ、一足早い春をお届けします」
 声は優しい。裕一郎の言葉に誘われ、改めて景色を眺める。
 色彩豊かな春の世界。
 桜の花びらの入ったカップを両手で包みこむ。喫茶店に来る前までは寒いと感じていたのに、今はとても暖かい。そよ風は清涼感に満ち溢れ、葉の擦れ合う音が耳に気持ちよかった。緑の絨毯は無限に続いているかに思える。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、ここで味わいます」
 満面の笑顔で姐御と裕一郎を交互に見つめ、再びアイスケーキを頬張る。春の光を浴びながら溶けていく甘味はまた格別で、いつまでも、どこまでも、こののどかな風景に身を置いていたいと思った。
 食べ終えるまで。
 優しく温かく静かな時間を、ゆっくりと噛みしめる。
 最後の一口を味わった時、世界はまた薄紙を取り戻すかのようにすっと転換していった。






「どうされましたか」
 氷の溶ける音で、現実に引き戻された。裕一郎がテーブルのグラスに水を注いでいる。
「いえ、別に……」
 喫茶店の薄暗い照明と相まって、珍しく頭がぼんやりしていた。なかなか夢から醒めない、まどろみの中に浸っている感覚が全身を包み込んでいる。
 けれどここは、元の世界。空になったカップと皿を見つめ、気持ちをうまく切り替えながら視線を入り口に向ける。
 気のせいか、その場のオーラが輝いて視えた。あれは異世界への扉なのかもしれないと、改めて思う。
ガラスの向こうを見ると、外はすっかり暗くなっている。
「そろそろお暇しましょうか」
 席を立ち、あれと思った。
 自分でもびっくりするほど、身が軽い。喫茶店に来る前の疲労は全くと言っていいほど消えている。
「時間はあっという間に過ぎてしまいますね」
 裕一郎もガラス戸を見遣った。
「ええ、名残惜しいですけど。明日がありますし」
「本日は楽しい時間をありがとうございました。またの機会をお待ちしております」
 裕一郎は頭を下げる。姐御はまた、どこにもいない。
 彼の声を背に、異世界と現実を繋ぐ境界――扉を開いた。鈴の音が響く。
 一歩外へ踏み込むと、黒い空からちらほらと雪が降り始めていた。吐く息は白い。来る時に紛れ込んでしまった細道を、数歩歩いて立ち止まる。人と一線を画した喫茶店。すべては夢だったのかもしれないという気さえしてきた。
「幻……じゃないわよね」
 ビターチョコレートの髪を翻す。喫茶店はぼうっとした灯りの中にしっかりと存在していた。
 また、会えるかしら。
 細道を抜けて大通りへ出ると、人々の喧騒が耳に飛び込んできた。いつもと変わらぬ日常風景がそこにある。
 赤い着物の女性と、春の世界。
 両手で雪を掬う。降り続ける弥生の雪に、花の舞う姿を重ね合わせる。
 いつもの風景に埋もれたら、今日見た世界を忘れてしまいそうな気がした。
『お疲れですか』
 裕一郎の声が蘇る。
 姐御の心遣いは、裕一郎の心遣いでもあったのかもしれない。千里の疲れを吹き飛ばすための。
 この世界に春が来たら、季節を楽しもうと思った。そうすることがあの二人へのお礼になる。
「こちらこそ、素敵な時間をありがとう」
――忘れものだよ。
 どこからか姐御の声が聞こえてきた。振り返るが姿はない。 
 薄紅色の花びらが一枚、雪に混ざってひらりと千里の掌に舞い落ちてきた。

                                   (了)
 
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【7754/赤城・千里/女性/27歳/フリーター】

NPC

【4364 /唐津・裕一郎 /男性 /?歳 /喫茶店のマスター、経営者】
【4365 /姐御/女性/?歳 /裕一郎の手伝い人、兼幽霊】

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■         ライター通信          ■
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赤城・千里様

初めまして。青木です。
この度は発注頂きありがとうございました。

クールだけど可愛く、思慮深さも兼ね揃えていらっしゃって
まさに才色兼備、と思いつつ書かせていただきました。
なんだかとんでもないことに巻き込んでしまっておりますが、
姐御や裕一郎の絡みを楽しんでいただけたら幸いにございます。


またご縁がありましたらよろしくお願い申し上げます。