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VamBeat −finalis−
ダニエルの足取りがゆらゆらと揺れる。
現実だ。これは、紛れも無く現実。
見開いた眼差しは何処も見ていない。揺らぎ、霞む視界が意識を現実から遠ざける。
壊れてしまえたら、楽なのに。
「ダニエルくん……」
身体中が沸騰するような衝動が余りにも突然すぎて思考も行動も追いついてこなかったが、何とかその状態にも慣れ、セレスティはゆっくりとその名を唇に乗せた。
「……っ」
弾かれたようにダニエルが顔をあげる。
似ていない。全く似ていない。それに、セレスティは男で、ラウラは女だ。
けれど、ヴァイクに支えられている今の状況は、あの時と同じで。
「や、やっぱり…俺はっ!」
誰かと共に歩むことはもう出来ない―――!
そっと、ダニエルはヴァイクに視線を向ける。
「……!」
あの時とは違う。強い意志を含み、逃げるなと告げる瞳に、ダニエルは狼狽する。
逃げたい――いや、逃がして欲しい気持ちと、逃げてはいけない気持ちがぶつかり合い、ダニエルの膝が折れる。
セレスティはそっと傍らのヴァイクに向けて小さく告げる。
「時、とは……今、なのでしょう?」
途切れ途切れに発せられる言葉は、セレスティの今の体調をそのまま表しているかのようだ。
そう、ヴァイクが告げた「時がくれば」という言葉。それはきっと、ダニエルがこうして誰かに対し牙をつきたてる瞬間を差していたのではないか。
「半分正解と言っておきましょうか」
ダニエルの吸血行為は、自らを癒す目的もあるが、それ以上にその身を侵しているモノを広めるためでもある。
「今はそれよりも…」
このままでは、ダニエルの暴走がもたらした終焉がセレスティを襲う。
ラウラと、同じように。
セレスティはヴァイクの言葉に疑問を込めて微かに首を傾げる。けれど、これで何となく分かった事もあった。きっと、だが、これを乗り越えられれば、ダニエルも――そして、ヴァイクも救われる。
力の入らない手に一生懸命力を込めて、セレスティは車椅子を動かす。
進んでいるのか、進めていないのか、手から返ってくる感覚も熱でマヒしてよく分からない。
それでも、少しずつ近付くダニエルの顔に、ゆっくりとでも自分が動けていることを自覚して。
精一杯微笑んで、手を伸ばす。
「大丈夫…ですから」
差し伸べられた手を避けて、ダニエルは身を縮ませる。
取れない。手を、取ることはできない。
「もう、終わらせてくれ!!」
ダニエルの叫びが空を貫く。
ゆっくりとした足取りでヴァイクはセレスティを横切り、ダニエルの前に立つ。
「いけません!」
車椅子から思わず立ち上がり、足をもつらせつつも、叫んで手を伸ばす。だが、それさえも避けるダニエルを、セレスティは睨みつけた。
「あっ……」
セレスティがその身に持つ、魅了の力。強張って固まった表情のまま、ダニエルはセレスティの腕の中に素直に納まる。
「手を…出さないで、もらえますか?」
それでも、銃のセーフティーが外される音に、振り返らず告げた。
「大丈夫、ですから」
もう一度、ちゃんと伝わるように声をかけて。
「ダメなんだ……」
魅了の力にかかったまま、ダニエルは光をなくした瞳で、自分に言い聞かせるように呟く。
「今までだって、これからだって、俺…忘れてただけだった」
思いのほか永い時を生き、その度に、大切だと思った人は皆、この手にかけてきた。
そんなつもり、無いのに。ただ、大切だと、特別だと思っただけなのに。
「どうして、牙を、突き立てて、しまうのでしょうね」
大切な人と一つになりたいと、そう感じるから?
「分からない。分からないよ!」
強い思いが生んだ刹那の衝動を、ダニエル自身は理解していない。けれど、その思いを叶えた先にあるものが、ダニエルの吸血衝動の解消に繋がるならば、自分は尚、ここで熱に負けるわけにはいかない。
だが、どうすればいい。
「Sr.カーニンガム。たとえダニエルが状況を理解したとしても、このままでは、あなたの身に訪れる結果は何も変わらないのですよ」
水を操る力を持っていたとしても、急速に蒸発し死んでいく血液には体力の方がもたなくて。
「ですが、あなたを治す方法はあります」
傍らに膝を付き、そう告げたヴァイクの言葉を最後に、セレスティの意識は熱の底へ沈んだ。
目覚めたとき、セレスティは自分の屋敷のベッドの上だった。
身体がだるい。
あの時のこと、彼と出逢った事は、夢だったのだろうか。
「どこか、苦しいところはありますか?」
何故か傍らにはヴァイクが。と、いうことは、夢では無かったということだ。
「……大丈夫です」
不思議に思いつつも言葉を返せば、ヴァイクは今まで見せていたどこか造りものの笑顔ではなく、本当にほっとしたような微笑を浮かべた。
まだ半分夢見心地なまま、そんな表情を浮かべた彼が信じられずに凝視する。
思えば、彼の服装はカソックではなく、普通のカッターシャツにスラックス。こうして見ると何処にでもいる青年だった。
「ダニエル」
短く呼ばれた名に、扉をそっと開けて黒髪青眼の少年が申し訳なさそうに顔を出す。
セレスティは微笑んだ。
まるで主治医のように傍らにいるヴァイクに何ともいえない違和感を覚えつつ、セレスティはただ答えを待った。
生き残った自分、そして、ダニエルは―――。
「ダニエルの吸血衝動がなくなる事はないでしょう。ただ言えることは、この先またあなたが咬まれたとしても、今回のように熱に侵されることは無い」
鎖で繋がれた眼鏡をくいっと上げて、ヴァイクはまるでカルテのようにまとめられた書類に眼を通しながら告げる。
「あなたの中にはもう抗体が出来ているはずですから」
「抗体ですか?」
「ええ」
何ともしれっとした口調で返したヴァイクに、セレスティは首を傾げてしまう。
ダニエルは、吸血鬼じゃなかったか?
「病名があるわけではありませんが、そうですね、あえて病名をつけるならば、好意衝動性熱感染症、でしょうか」
その変化や行動が吸血鬼によく似ているから、ダニエルも回りもそう信じてしまっただけ。
「本当に、ダニエル君は病気なのですか?」
人間とは違う種族だとか、そうなってしまった種族ではなく? 頷くヴァイクにセレスティは尚訊ねる。
「ではワクチンがあったということ…ですよね?」
抗体を体内で作ろうにも、それに打ち勝たなければいけないはずだ。そのための血清のようなものは、何処から来たのか。
ボタンを外し、露になった肩口に穿たれた鋭い牙の跡。
「まさか……」
ヴァイクは切なく微笑む。
「私は…生き残った」
そして、ラウラが残した言葉の通り、ダニエルの血の呪いを――病気を治すために、何とか追いかけ対抗する力を手に入れるために、古来よりの医術と魔術を研究し、その身に封じてきた。
ただ、どんな方法を使ってでも暴走したダニエルに、感染の力が発動するその時に、自分の血を与えれば良いと、思っていた。けれど、暴走による感染は、ダニエルが相手に好意を寄せているときにしか起こらない。
それだけが、誤算だった。
一人思いふけるヴァイクに、セレスティは何かに思い至ったかのように、晴れやかな顔で微笑んで、
「結論から言えば、心置きなくこの先もダニエル君と友人でいられるということですね」
と、告げられた言葉に、ヴァイクは降参とでもいうように肩をすくめて微笑んだ。
「……あなたという人は…」
ダニエルを心配し、そのダニエルを殺そうとしていた自分にさえ歩み寄ったセレスティ。
ヴァイクは書類をまとめ、サイドボードの上に置く。
それを終了の合図と見て取り、セレスティは車椅子を動かすと扉一枚隔てた隣室へと入る。
隣室といっても、そこがメインの書斎なのだが。
ソファに丸まるように腰掛けているダニエルの背中を、ポンポンとあやす様に叩く。
びくっと肩が振るえ、
「……終わった、のか?」
「ええ」
「そっか…じゃぁ」
セレスティの回復を確認し、生きてくれたことにほっと息を吐き出すと、ダニエルはソファから立ち上がり、ベランダへと続く窓に手をかけた。
そんなダニエルの背中を視線で追いかけて、微笑みかける。
「これからは友人として、一緒にいられますね」
窓を開けようとしていた手が止まった。
「俺、いつまた暴走するか、分からないぞ」
「大丈夫ですよ。あんなことにはもう、なりませんから」
たとえ暴走して、また傷を負ったとしても、もう居なくなったりはしない。悲しませることはない。
セレスティはダニエルに向けて手を差し出す。
いつも、こちらから握らなければ、握り返されなかった手。
戸惑いの空気が漂う。
まるで壊れ物を扱うように、ダニエルはそっと、その手を握り返した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
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■ ライター通信 ■
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VamBeat −finalis−及び最後までご参加いただきありがとうございました。ライターの紺藤 碧です。
神父とも仲良くはなろうとしなくても、歩み寄ろうとはしていたので、全部じゃないですが殆どの謎を神父が口にしています。その会話が増えたことでいつもより少しだけ長い…かも?
結局呪い系は解けてませんが、まぁよかったのかなぁとも。なにせセレスティ様長命ですし(笑)
それではまた、セレスティ様に出会えることを祈って……
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