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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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最後の願い〜女(らしさは)クソ度胸〜
夜とも昼ともわからない薄暗い店内。ぽわりと浮かぶ仄かなランプの明りの向こうで、店主の碧摩蓮が怪しげな笑みを浮かべてなにやら見つめている。
オリエンタルなそのデザインは、まるでアラジンに出てくる魔法のランプのようだ。使い込まれた感は否めないが、雑に扱われてきたわけでもない。
曇り、輝きを失った金色はどこか侘しさも感じさせる。
蓮が困惑しているのは何もランプが薄汚れているからではない。
白い煙が蓮の手元から立ち上り、きつい香の匂いが纏わりつくように店内へと広がっていく。
現れた魔人はゆっくりと告げる。
最後の願いがまだなのだ、と……──。
意識的にそうした訳ではなかったが、偶然にもいくつかバイトの公休が重なり、放課後、ふいに時間が空いた海原みなもは久しぶりに蓮の店へと足を向けた。
蓮、とはアンティークショップのオーナーである。普通(らしい)骨董品も置いてあるが、ほとんどが出自不明の怪しげなものばかりで埋め尽くされているという変わった店だった。
そこで品々が持つ逸話を聞くのはとても面白くて、好きなのだ。焚き染めた香木が醸す、独特の香りもいい。
夕陽に照らされ、赤みを帯びた髪を揺らし、木製のドアを開けると、変わらない甘い香りがみなもの鼻腔をくすぐった。スモークでも焚いているのか床の上には白い煙がたゆたっている。
不思議に思いながら店主の姿を探した。彼女は、売り物かもしれない細緻な彫りと重厚な色合いの卓に両肘を乗せ、煙管をふかしていた。ドアが開き、一拍置いてからこちらへ顔を向ける。
切れ長の瞳がゆるりと細められ――。
「あんた、ちょうどいいところに来たねぇ……」
みなもはドキリとした。
彼女は、勘だとか、第六感だとかを信じている。自分の存在が神秘だから、自ずとそういったものに対しては強い勘が働くのだ。
厄介事のような嫌な予感がした。
「あの、なんでしょうか」
生真面目なみなもは、話だけでも聞こうかしらと、レンの傍まで歩み寄り、訊ねた。
「ハイ、こんにちは」
身体を覆う布よりも、露出された肌の方が多い官能的な女性が現れて、腰をくいとくねらせ、右手を挙げた。
アラビアンナイトの物語から抜け出した妖艶な出で立ちの女性が、透かし模様の衝立を背に立っていた。
「こんにちは」
反射的にみなもは頭を下げた。
「頼みがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
立ち込める白煙を片手で払いながら言う彼女の声音に、選択肢はないのだという響きが見て取れた。
「たぶん、その頼み事って……この人、の事ですよね」
蓮は小さく頷き、「見た通り、魔人なんだけどさ」と事も無げに、トンデモナイ事を言った。
「最後の願いを聞いてやって欲しいのよ」
さらに重要なことをさらりと告げる。
「マスターを無くしたアタシは、このままだとずっとランプの中で過ごさなければならなくなるの」
「だからって関係のないあたしが」
「今のアタシは誰とも契約できてない状態なの。だから終わることはなくて、ただ続くダケ」
「人助けだと思って、やってやんなよ」
「なんでも、いいんですか?」
人助け、と言われても尚、できませんとは言えない。みなもは店主をちらりと見遣り、彼女が本気で言っていることを悟ると、
「確かに叶えたい望みはあります、けど」
「それそれ。それを言ってくれるだけでイイのよ」
豊満な胸を揺らし、魔人がぱちんとウィンクする。
「でも自力でなんとかしないといけないと思うから」
魔人は両手を広げて、「や、それでいいんだってば!」と必死に食いついてみる。
「自分の将来とか、もっと女らしくなりたいとか……」
みなもは指をぴっと立て、次々と“最後の願い”候補を列挙していった。
そんなにたくさんあるのなら、どれか一つくらい、と魔人がつつつと露になった肌をすり寄せて懇願した。
「そんなにあるなら、さくっと叶えてもらったらぁ?」
蓮は、しっしっと追い払う仕草を見せた。
「ダメです。これは自力でやらないといけないことだから」
真面目なみなもは、きっぱりとNOと答えた。
「それじゃあ、時間がかかりそうなヤツで、――ね?」
「そうですねぇ」
なかなか結論が出ないみなもに、ナイスボディの魔人はじれったそうに身をくねらせる。
「それでは、踊り子技能を教えてください。自信を持ちたいので」
「よし、決まり! もう却下は聞きませ〜ん!」
艶かしいベリーダンスを踊りながら、魔人が言う。
「それならこれから特訓しまショウ」
シャラン、と手首から下がる金の鎖を鳴らしながら、みなもの手とランプを掴んだ魔人は、オリエンタルな衣装のまま店を飛び出した。
いや、ここはどうかな。
魔人が特訓場所に選んだのは、駅前に広がる広場だった。時刻は、夕方の6時を過ぎた辺りで、もっとも人通りが多くなる時間帯だ。
「何事も形から入った方がイイから」
魔人がにこりと笑う。薄暗かった蓮の店ではわからなかったが、彼女の肌は褐色で、オイルでも塗ったように光っていた。双眸は透明感溢れる翡翠色をしている。
魔人が、ゆっくりと上を指した。釣られるように空を見上げる。
「!」
ガラスが割れるような音の後、みなもの全身を包んだのは、オレンジ色のダンス衣装だった。下は足首まであるパンツだが、上半身はオーガンジーで透け透けで……もちろん胸はちゃんとビキニで隠されているけれど。
多くの人目がある中でこんな格好をするなんて、とみなもの顔は赤くなったり青くなったりと忙しい。
突如現れたダンサー2人組みに、行き交う人々が足を止めて振り返る。
「自信をつけたいんでショ? それなら、もうここでやるしかないよネ」
「いきなり過ぎじゃありませんか?」
みなもの青い瞳が涙で揺らぐ。
「おや?」
魔人が、ずいと顔を寄せ、みなもの左目を見た。
「いいモノを持っているじゃない。それだけのものがありながら自信がない、かぁ。じゃあ、やっぱり手っ取り早く人前でダンスを覚えることだね」
人前でダンスすることと、左瞼の逆鱗は関係ないと思うけれど、とは言えないみなもは、強引に話を進める魔人に向けて、諦めたように頷いた。
「さあ、いくよ。はい、腰を、こう! なに、早く終わらせようとかって思ってる?」
みなもはギクリとしつつも、首を横に振った。
「そんなことはないです。踊りなんて初めてだから」
「ならいいわ。――はい、いくわよ。腰をゆっくり回して。そうそうイイ感じよ。無理そうなら膝を使ってもいいから」
豊満な身体を惜しみなく揺らし、ダンスを指導する魔人に、若干色気が劣るけれど、みなもは必死で食いついていく。
「意外と体力……使うんですね。息が、上がって」
水泳で磨かれたしなやかな肢体を飾るアクセサリーが、軽やかなリズムを奏でる。
打楽器の賑やかな音楽、迸る汗。シャランッ、と装身具が華やかな音を立てる。魔人と視線を合わせながら、みなもは腕を振り上げて決めのポーズへ入った。
思いがけず、周囲から拍手喝采が起こり、みなもは驚いた。
上手くもない自分のダンスに何故拍手が起こるのか、不思議でならず、横に並ぶ魔人を見上げた。
彼女は涼しい顔でみなもを見つめ返し、
「クソ度胸があれば、いざって時の支えになるものヨ」
「クソ度胸って……人前で一度踊っただけで身につくものですか?」
「踊りのことだけを言ってるんじゃないわ。初見のアタシの頼みに付き合ってくれタ。それも度胸のひとつよ」
「あれは蓮さんが強引に……っ」
徐々に自分の姿を思い出したみなもは、露になった身体を両手で覆った。
そんなみなもを見て、魔人はペロリと舌を出し、ウィンクをする。
「アタシはこれで自由ってことで……アリガト」
小さな爆発音と共に白煙が起こり、むせて咳き込んでいる内に魔人の姿はかき消えていた。
「え?! この格好であたしだけを置いて行くの?」
魔人は消えたというのに、何故かみなもはベリーダンス衣装のままだった。
「望みは叶ったって……その判断を下すのはあたしじゃないんだ!」
みなもは駅前広場から逃げるように駆け出した。
アンティークショップ・レン。
消えたランプのことを報告しに、みなもは蓮の店のドアを叩いた。
「そうかい、消えたのかい」
いつものことだが、驚きを表に出さない店主である。組んだ足をゆっくりと組み替えながら、みなもが持ち帰った踊り子の衣装を卓の端へ寄せた。
「魔人は、これからどうなるんですか?」
魔人さえよければ。
もちろん予算が合えばの話だが、買い取ってもいいと思った。が、それを見抜いたらしい蓮は、「次にどこで現れるかはわかんないんだよ」と言った。
「いずれまた姿を現すだろうけど、それがいつかだなんてわからないのさ」
ところで、と蓮が二の句を継いだ。
「願いは叶えてもらったのかい?」
「え、と」
みなもが複雑な表情を見せる。スクールバッグを胸に抱え直し、やがて微笑んだ。
「クソ度胸を教わりました」
自分の願いは踊り子技能だったはず。
「でも」
そう言ってみなもは、右手の掌を広げ、みつめた。
「いい経験はしました」
ずいぶんと大雑把でざっくりな成就方法だったと、みなもは笑う。
そういえば礼を言われたことを思い出した。
「……あ」
刹那、胸がほっこりと温かくなった。
魔人が得た自由を喜ぶ自分の気持ちは本物である。
「叶った、……んだと思います」
「あんたがそう言うなら、そうなんだろうねぇ」
蓮はわずかに口角を上げて笑う。
みなもは、「はい!」と目を細めて笑った。
ことり、と音がした。
蓮の店の最奥にひっそりと佇む水屋箪笥の上に、錆びて冴えない色をしたランプが現れた。
ウィンドーの向こうでは、褐色の肌のオリエンタル美人がちらりと店内を見る。何事かを象った口唇はふっくらと色っぽい。
女はやがて漆色の闇に溶け込み――消えた。
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