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<東京怪談ノベル(シングル)>


Fight in rain - 3



「さて、すばしっこいお譲ちゃん。こいつはよけられるか?」
 膝立ちになったままの女に向かって、俺は力まかせの蹴りを放った。水平に。頭を刈り取るような一撃。あたれば首の骨をへし折るぐらいの蹴りだ。ブロックしたところで、その腕ごと折れる。そういう打撃。
「く……っ!」
 女は呻き声のような悲鳴をあげながら、地面に転がってそれをかわした。
 そこらじゅう水溜まりだらけの地面だ。あっというまに、衣装も髪も泥まみれになった。もっとも、暗くてよく見えやしなかったが。
「おいおい。泥遊びをしちゃダメだってママに教わらなかったか?」
 とりあえず、さっき言われた分を言い返しておいた。
 女は何も言わず、地面に肘をついて立ち上がろうとした。両腕とも、ガクガクふるえている。這いつくばるような格好になった女の尻に、俺は右足を叩きこんだ。ぐしゃっ、と肉のつぶれる音。同時に、派手な水音をあげて、女は顔から泥の中につっこんだ。
 尻を持ち上げた無様な姿。その尻に向かって、俺はもういちど蹴りを放った。
 あたらなかった。女は横に転がり、その勢いを利用するようにして立ち上がった。足が震えている。いまにも足を滑らせて倒れそうなぐらいだ。泥まみれの顔は血の気が引いて青白く、鼻からは血が流れている。
「よく立ったな」
 馬鹿にするでもなく、俺は言った。いまの蹴りはともかく、さっきの鳩尾への一撃はかなり効いたはずだ。ふつう、立ち上がれるものじゃない。それこそ、内臓を吐き出すぐらいの一撃だったはずだ。
「あんなの、ぜんぜん効いてないわよ……」
 指先で鼻血をぬぐいながら、女は言った。
 声音はしっかりしているが、息は荒い。激しい雨音の中でも、その息遣いが聞こえるほどだ。肩は大きく上下して、全身から水蒸気のようなものが立ちのぼっている。
「効いてないって? それにしちゃ、ブザマな悲鳴をあげてたじゃねぇか」
「…………」
 女は何も応えなかった。ただ、力のこもった目で俺を睨んでいた。どうやら、まだ戦意は失っていないらしい。たいした女だった。だが、なにをしようと無駄な抵抗だ。俺の再生能力の前には。
「それにしても、さっきのはちょっと痛かったぜ」
 ほとんど修復の終わった左肩を、俺はグルグルまわしてみせた。まだ少しばかり痛むが、あと数分もすれば完全に元通りになる。
「どうして……? さっき折ったのに」
 女の目が丸くなった。だが、すぐに気付いたらしい。その目がほそくなって、女は正解を言い当てた。
「そうか……。再生能力の持ち主だったわけね」
「よくわかったな」
「だれでもわかるわよ」
「だったら、おまえが何をしたって無駄だってこともわかるだろ?」
「それは、どうかしらね」
 思わせぶりなセリフを吐いて、女はふたたび構えをとった。左半身を前にして、かるく左足を上げている。ブーツの爪先が地面につくかつかないかというぐらい。両拳をかるく握って、肩の高さに構えている。空手っぽいフォームだが、よくわからなかった。テコンドーかもしれない。どっちにしても、結果は同じだが。
「拳銃とか持ってきてねぇのかよ、おまえ」
「銃を持ち歩いてるメイドなんていないでしょうに」
「それもそうだな」
 俺の能力を見たあとでも、まだ素手の格闘をやるつもりらしい。見上げた勇気だ。もしかすると、ただの馬鹿なのかもしれない。
 俺は、何の構えもとらずに女へ近付いていった。
 間合いに入ったとたん、女の左足が残像を残して走った。カミソリのようなローキック。二発食らった。いい蹴りだが、さっきよりは全然おそい。さっきは、なにを食らったかわからないぐらい早かった。
 俺は何の受けも取らずに、近付いていってパンチを放った。顔面を狙ったが、それはあっさりかわされた。もういちどローが飛んできた。蹴られるままにしておいて、俺は鳩尾めがけて拳を突き出した。さっきまでならともかく、いまの女には回避できないであろうボディブロー。
 女は両腕をクロスさせてそれを受けた。骨の軋む音。カルシウムが足りてなけりゃ、折れたかもしれない。あいにく、骨は頑丈らしい。
 女は蹴りの勢いで一歩後ろにさがったかと思うと、不意にその場で腕を動かした。水平に。何もない空間を薙ぎ払うような動き。雨滴を吸い込んだワンピースの袖が風切り音をあげて、次の瞬間オレの目に水が入った。
「こいつ……!」
 ほんのわずかのあいだ、視界がふさがれた。ヤバイ。
 しかし、俺はさがらなかった。さがれば、むこうの思うつぼだろう。とっさに判断して、俺は前に突き進んだ。直後、腹に衝撃があった。一瞬、呼吸が止まった。鳩尾を蹴られたのだ。つづけて、こめかみを殴られた。頭の中で、ビキッという音が聞こえたような気がした。頭蓋骨にヒビでも入ったかもしれない。
 これは効いた。おもわずよろけたところへ、さらに反対側から蹴りが飛んできた。さすがに、これを食らうと痛そうだ。俺は左腕でそれをブロックし、同時に右腕でストレートを打ち放っていった。
 女の体が、すすっと横に動いた。パンチはかわされたが、その動きは読めていた。女の動く場所にあわせて、俺は左のローキックを走らせた。女は膝をあげてそれを受けたが、俺の蹴りはそんなものじゃ殺しきれない。
「あ……っ!?」
 女がバランスを失ってよろけた。そこへ、右のハイキックを見舞ってやった。あたると思ったが、女は上半身を沈ませてこれをかわした。かわしただけじゃない。ブーツの爪先が半円の軌道を描いて、水面蹴りを繰り出してきた。予想外の反撃。足首に鈍痛が叩き込まれた。
 だが、その程度で止まる俺じゃあない。姿勢の低くなった女の顔面に向けて、思いきり前蹴りをブチこんだ。女はこれも両腕でブロックしたが、ブロックしたその腕が顔面に当たって後ろにのけぞった。
 そのまま倒れるかと見えたが、女は驚異的なバランス感覚でその場に踏みとどまった。ブーツが水溜まりにつっこんで、ザボッという音をたてた。
 俺は、もういちど前蹴りを放った。蹴りというより、ほとんど踏んづけるような攻撃。今度は、顔じゃなく胸を狙った。女はこれも両腕を交差させて防いだが、やはり腕ごと後ろに吹っ飛んだ。
 完全にバランスを失った女に向かって、俺は三歩走った。二歩目で、俺の膝が女の顎に突き刺さっていた。ガツン、と歯のぶつかる音がした。会心の一撃。
 女は後頭部を地面に打ちつけて、あおむけに倒れた。両手両足を投げ出して、まるで自動車にひかれたカエルだ。いい格好だった。ごぼっという音がして、女の口から血のあぶくが吐き出された。両目は大きく見開かれ、指先は小さく痙攣している。
「よく似合ってるぜ。宴会芸に丁度いいんじゃねぇか? 『クルマにひかれたカエル』ってタイトルでよ」
 俺は腹をかかえて笑った。
 あおむけになったまま、女は何も応えなかった。それどころか、ぴくりともしなかった。失神したのかもしれない。死んではいないようだった。無駄にでかい胸が、規則ただしく上下している。息の根は止まってない。もっとも、遅かれ早かれ止まる運命だが。