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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


錯乱ピエロ Ver.2




一体幾らほど費やせば、これほどの滑らかさを保てるのだろう?と感嘆せざるを得ない頬を指先でなぞる。
名残惜しげに、兎月原の袖を引き「寄っていってくれないの?」と薔薇色の唇から媚びた声音が吐き出されども、完璧な微笑を浮かべて「次の機会を、心から楽しみにする為に、君に飢える位のタイミングで別れたいんだ」と、その耳元で囁いた。
甘い蜂蜜めいた声を意識的に流し込む。 
背筋を絹の手袋を嵌めた指先で撫で下ろされるような、羽毛で喉をくすぐられる様な、ゾクゾクと鳥肌の立つ官能的な声。
途端「あぁ…」と熱い吐息を漏らし、うっとりと顔を緩ませ、恍惚の表情で背もたれに体を預けたまま弛緩する、女のしどけない姿態には目もくれず、さっさと車を降り立って、助手席側にまわるとドアを開け「さぁ、お嬢様。 お屋敷へ帰る時間ですよ?」と、降車を促した。
ロータリー状になった、如何にも高級マンションといった風情のエントランスにて、女は如何にも渋々といった様子で車から降り、それから「ねぇ、また、すぐ会えるわよね?」と懇願するような口調で問うてきた。
兎月原は、客に次回の逢瀬についての質問をされた際、常にそうあるように華やかに笑い「俺もそう望んでるよ」と明確な答えを避ける。
まるで、兎月原の意思以外の何者かが、彼女との逢瀬の時を定めているかのような口調。
だが、個人経営の商売である以上、兎月原自身が己のスケジュールを定めている事は明白で、自身も会社経営を営む立場でいる以上、その事を理解できておらぬ筈はないのに女は兎月原の言葉を疑う事等、一切思い至らぬとばかりに「本当?」と首を傾げ、嬉しげに笑う。
「仕方のない人ね。 分かったわ。 貴方の我慢が効かなくなる前に、会える時間を作ってあげる」と、まるでせめてもの矜持を示すかのように驕慢な口調で女は言い、兎月原は恭しくその手に口付け、「待ってる」と答えた。


嘘ではない。


その時、その時で、目の前にいる彼女が、この世の何より大事に想える。

兎月原に先天的に備わる、この性質は今まで、仕事において大いに役立ち、たくさんの女性を夢中にさせてきた。
百合子は、自宅での怠惰な態度に、兎月の仕事への意気込みを疑っているように見えるが、兎月原にしてみればプライベートタイムでは素の自分でいたいというだけで、いざ、こうして仕事にモードが切り替われば、極めて熱心に職務を全うするし、女性を喜ばせる為ならばどんな事だって出来るという自負心を持っている。

今だってそうだ。

女は幸福そうにうっとりと微笑んで、そして小さく手を振ってくれる。
別れ際、みっともない愁嘆場を演じさせないように、最大限の注意を払って相手に満足感を覚えて貰うように心がけてきたが、今日も巧く言ったらしい。
相手によってはドライに振舞ってみる方が良かったり、むしろ此方が名残惜しげな態度を示した方が功を奏す時もあって、今日の相手に対しては、多少なりとも女のプライドをくすぐる言動を心がけるのがベターだった。

軽やかにエントランスを駆け上がり、マンション内に姿を消す所まで見届けて、車の中に乗り込む。
エンジンをかけ、滑るように出発した所で漸く体から力を抜き、それから兎月原は仕事中は終ぞ浮かべる事等ない、気だるげな表情を見せる。
とはいえ、その表情が兎月原の魅力を損ねるか?といえば、そのような事はなく、むしろ尚一層匂い立つが如く増す大人の色気を漂わせながら、ゆるゆると思考を巡らせ不意にポツリと「退屈だな」と呟く。
たかだか独り言と片付けるには、如何にも意味ありげなその響きに、自分自身が驚いたかのように隣に視線を送り、助手席に誰もいないのを安堵するかのような、惜しむような不思議な表情を浮かべてまた、戯れめいた軽い響きで「退屈だなぁ」と口にした。

大体、思い立った時に、暇潰しの相手にしてやろうと、こちらから連絡を取ろうとしても、巧くいかない場所にいるっていうのが腹立たしい。

一体、誰の事を想ったのか、「生意気な」と小さく唸り、それでも表情を少し和らげて車を軽快に走らせる。

会いたいと思う時に、会えない相手なんか、不便が過ぎる。
退屈だ。
極めて退屈だ。
そう強がるように胸中で嘯けど、その「思い通りにならない」という事が、妙に愉しい自分もいて、そもそも己の感情一つすら、コントロールできなくなっている自分に驚く。

自分の機嫌の善し悪しすら、判断つかぬ不安定具合。
ふわふわと、妙に収まりのつかぬ気持ちを抱えたまま、どうにも言葉にしがたい気ぜわしさを覚え、このまま自分の部屋で一日を終えてしまうのも妙に癪に障った。

不意に目に入るは、暮れゆく空の水色に橙色の入り混じり始めた、水彩めいた淡く綺麗な春の空。

今の時間帯ならば、百合子を夕食にでも誘ってドライブと洒落込んでも楽しそうだ。
夕闇の気配を漂わせ始めた茜色の空を眺めて目を細める。
既成の概念からかけ離れた思考形態をしている百合子との会話は、退屈を紛らわせるには何よりも有効で、此処数ヶ月、兎月原ばかりが千年王宮に纏わる案件に首を突っ込んでいた事を、未だ拗ねているらしい百合子の為に、ワインが美味しいレストランにでも連れて行ってやろうかと思案する。
芳醇なワインと、美味しく、見た目も美しい料理を目の前にした時は、普段のこまっしゃくれた態度も何処へやら。
女の子らしく素直に顔を輝かせる、花のように愛らしい百合子の笑顔を思い浮かべて、ほくそ笑む。
そろそろ曲がったつむじをまっすぐにしてやらないと色々不便をこうむりかねないと判断し、「ま、拗ねてる百合子も可愛いんだけどね」なんて、本人が聞いたなら激怒必至な事を思いつつ、あ、そういえば、彼女が好きな花の香りがする紅茶葉が切れかけていたなぁなんて、むしろ見ようによっては、甲斐甲斐しいまでに百合子の事を想う。
行きつけの、輸入食料品が多い百貨店へと立ち寄れば、駐車場にてふと思い至りチェックした携帯に、張り切る兎月原を嘲笑うかのようなメッセージが残されていた。


「ごめんなさい、今日は竜子ちゃんと一緒にサーカスに行ってきます。 今夜のお夕食は、出前でもとってください」

なんで彼女と?と頭に思い浮かべるは、千年王宮の単純弾丸娘の顔で、日常は異世界で過ごす彼女とどういう経緯があって、一緒にサーカスに等遊びに行く事となったか分らぬが、それにしたってタイミングが悪すぎる。

まさかの、誘う前にフラレ男状態。

所謂、告白してないのに、「えー? あの人は、ちょっとノーサンキュウかな!」と女子間で噂されてしまう小学生男子の如き屈辱感を味わってみるが、勿論、それはちょっと違うっていうか、やっぱ兎月原も、世間一般の感覚からはかなりズれてる(客観的事実)
とはいえ、生まれてこの方「モテない状態」なんぞというものを、舌先ででも舐めて見た事のない兎月原なので、「くうう、なんたる醜態!」と大げさに受け止めてしまうのも無理はなく、「百合子…」と、脱力したように名を呼んで、小鳥よりも自由な女に思いを馳せて肩を落とす。
世の中広しと言えども、ここまで見事に兎月原に肩透かしを喰らわしてくれる女はいなくて、だからまぁ、自分は百合子にこの上もなく夢中なのだと悟りつつも、脱力感は否めない。
一人の夕食ならばと、適当に目に付いた、暖めるだけですぐに口に入れられる出来合いの惣菜を買い求める。
つまらぬ気持ちを抱えたまま、さっさと店の外へと向かう兎月原の視界を妙に気になる、赤ワインのボトルが掠めた。
食料品フロアの一角。
ワインを専門に扱うフロアが設置されていて、そのボトルは華やかにディスプレイされている。
然程の逡巡もなく、品揃え豊富なそのフロアにて、決して安くない血の如く濃厚な色合い赤ワインボトルを買い求めたのは、今夜中にこれを空にして、明日にでも出勤してきた百合子に自慢してやろうなどという、些か子供じみた計画を立てたからに他ならない。

ワインに何より目がない彼女の事だ。

きっと、可愛らしく悔しがってくれるだろう。
トプンと手の中で揺れる重たい液体の感覚に、明日の仕事が午後からであった事を今更スケジュール帳を捲って確認すると、鼻歌交じりに車に乗り込む。
子供じみているとは思うのだが、百合子には、どうにも兎月原を子供じみた行動に走らせる不思議な魅力があった。
拗ねて、甘えて、わがままを言って、困らせたくなるような、そうやって関心を引きたくなるような百合子の風情は、そんな気持ちを素直に伝えれば「私は貴方のママじゃないのよ?」と、詰られてしまうのを知りながらも、どうにも欲望を抑えきれずに、今も、空のビンを百合子の目の前で振ってやった時の表情を想像して、にこにこと微笑んでしまう。
自宅に向かう道すがら、カーラジオのスイッチを入れれば、如何にもおどろおどろしげな効果音に乗せて、余りに作りすぎて逆に滑稽なまでに恐ろしげな声で、

「彼女が失踪する前に、家族に告げた最後の言葉は『サーカスに行って来ます』だったそうです」

と、DJらしき女の声が聞こえてきた。
その唐突な台詞に、兎月原は少し驚いて、思わず耳を澄ませてしまう。
ラジオからは、続いてDJの女とどこか硬さの残る年嵩の男性との会話が流れ出した。

「これは、ここ数年ばかりの話なんですよね?」
「そうですね。 まるで、都市伝説めいた話ではありますが、最近の例では三ヶ月ほど前に、実際『サーカスに行く』といってK県の女子児童の行方が数名分からなくなっています」
「その際、その女子児童たちが、揃って黒いリボンで髪を結んでいったというのは…?」
「はい。 事実です。 黒いリボンを身につけていけば入場チケットが割引になるといって、身につけていったそうでして、その話も、普段から黒いリボンを愛用している…仮にAちゃんとしましょう。 同級生達の話によれば、そのAちゃんからの話だそうなんですよ。 サーカスの話自体もね。 逆にですね? 黒いリボンを用意できず、Aちゃんが言っていたサーカスの開催されている空き地に向かった子は、結局何も見つからず、首をかしげながらも無事自宅に帰宅していまして…」
「…つまり、そのリボンの有無が、失踪の可否を分けた…と?」
「まるで怪談ですがね、ここ数年『サーカスに行く』と言って姿を消した人々が皆、黒いリボンを体の何処かに飾っていたというのですから無視できない共通項かと思われます」
「犯人は、黒いリボンに対して何か異常な執着があるのでしょうかねぇ?」


『ごめんなさい、今日は竜子ちゃんと一緒にサーカスに行ってきます。 今夜のお夕食は、出前でもとってください』


不意に耳に蘇るのは、兎月原にとって、何より大事な、可愛い可愛い百合子の台詞。

いや、まさか、しかし…。

まるで、小学生が教室で声を潜め、好奇心いっぱいの秘密めいた声で語られるような事件に彼女が巻き込まれたかも?なんて考えるのは、心配が過ぎるというものだろう。
それこそ、事実とは思えぬ位、どこか胡乱気な話だ。
実際に、失踪事件はあったのかもしれないが、尾ひれやら、背びれがついて語られているような、そんな気配も感じられる。
それに、彼女は黒いリボンなど、今日は身につけて……と、そこまで考えて、そういえば先日、百合子が嬉しげに、自分の髪に黒いリボンのヘアーバンドを飾って見せてくれたことを思い出す。
何処だかの雑貨屋で買い求めたそうで、自慢げに「どう?」と見せびらかすものだから、心から「可愛いよ」と褒めてやれば、途端に不機嫌な顔を見せた。

百合子はそういう所のある女だった。

一辺倒な褒め言葉を嫌う。
可愛い、きれい、素敵だね…etc
他の女ならば、その一言だけで、天にも昇りそうな表情を見せてくれる兎月原の賞賛の言葉を「馬鹿にしてるわ」と、鼻息荒く振り払い時に舌すらイーっと出してみせる。
「どう言えばよかったの?」なんて問い掛ければ、「聞くなんて、もっと減点」と憎まれ口を叩かれて、お気に入りのイタリア映画の名前を口にし、「この映画のラストに流れる曲を歌ってる女の子みたいって言ってくれなきゃ駄目よ!」と随分な無理を言われてしまった。

しかし、どうにもこのラジオの話は気になる。

普段は然程、感情を乱れさせる事もない兎月原だが、こと彼女の事となると話は変わってくる。

黒いリボン。
サーカスへ行くといって消える人々。
百合子が携帯に残したメッセージ。

兔月原は、疑念から湧き上がる焦燥感を抑えきれずに、車を路肩に止め、異様に波打つ動悸を抑えながら百合子の携帯へと連絡を入れる。

こんな心配は馬鹿げてる。

自分で自分を嘲笑う。
彼女の元気な声を聞いて、落ち着く為の行為だった。
だが、彼の疑念は確信へと姿を変える。

数回のコールのあと、ブツリと音を立てて兎月原の耳に掠れた、だが聞きなれた百合子の小鳥のように澄んだ声が聞こえた。
終わりなき恋を歌ったイタリアのラブソング。
彼女が兎月原に、自らを例えるよう望んだ、イタリア映画のラスト、少女の声で流れる歌。
掠れた、細い、細い歌声で、途切れ途切れに百合子が歌う。


ふ…ふふふう…うふ…うふふふ……ふふ…


密やかな笑い声。
百合子は、微かに笑いながら歌い、そして「百合子…?」と囁くように問い掛ける兎月原の耳に「サーカス…に…いるの…ずっと…いるの…きらきらしてて…きれぇ…きれぇ…よ…?」と百合子は言う。

「兎月原さんも…来て…? んふふ…ふふ…ねぇ、私が大事なら…来てくれるわよ…ね?」

ふわふわとした夢を見ているかのような声。
その声音が兎月原の不安感を掻き立てて、「百合子…? 百合子?! 何処にいるんだ?! 君は、何処に…?!」と喚く兎月原の耳に突如切羽詰った声で「助けてくれっ!!! っあ!! いやだっ! ひあっ! っ! 助けて!!!! 兎月原さんか?! 百合子!! 駄目だ!! やめろっ…くそっ…!! 頼む!!! こっからっ…!!!」と喚く竜子の声が、百合子の笑い声に紛れて聞こえてきた。

「月島だっ! 兎…原さっ! 月島っ…!!」

ブツッ!と切れた電話。
呆然としていたのは瞬く間で、兔月原は車のエンジンを入れると、一気にアクセルを踏み込み走り出す。
尋常じゃない電話の様子。
百合子の歌声が耳の奥で響いている。
つけっ放しにしていたラジオから、不意にザーザーザーという、砂音混じりに「彼女が失踪する前に、家族に告げた最後の言葉は『サーカスに行って来ます』だったそうです」と、先程のラジオ番組冒頭の声が流れ、突然狂ったように「『サーカスに行って来ます』だったそうです」「『サーカスに行って来ます』だったそうです」「『サーカスに行って来ます』だったそうです」とリフレインが止まらなくなった。
目を見開き、兔月原はカーラジオに視線を向ける。


「…早く行かないと 人形になっちゃうよ」


繰り返しの言葉の隙間、ポンと投げ出された言葉に震える。

「誰だ?」

思わず問い掛ける兎月原の声に答えるように「キャハハハハハ!!」と甲高い女の笑い声がラジオから溢れ、次の瞬間、プツリと線が切れるような音を立ててラジオは沈黙した。



この状況をもって、自分が、そして百合子が異常な事態に巻き込まれてしまったことを兔月原は、認めざるを得なくなってしまった。



車を飛ばし、月島に辿り着いた兎月原は、だがそこでハタと困り果てた。

サーカスは一体、この町の何処で行われているというのだろう?

車を有料駐車場に停め、町を歩けど普段と違う催しが行われている時特有の浮かれた空気は微塵も漂っていない。
いやに気が急いた。
まるで、何者かに追いかけられているかのような焦燥感。

百合子…、君は何処にいる?

オレンジ色の夕焼け空の下、焦りを覚えながら兎月原は町の中を走り回る。
途中見かけたスーパーや、商店などで聞き込みを行ってみるも「サーカスなんて、そんなもの来てやしないよ」と皆、首を傾げるばかりで古い町並みを残す月島の風景と、逢魔ヶ時と呼ばれる夕刻の空の色合いがぐるぐると周囲を巡り、兎月原は不気味な悪夢に紛れ込んだかのような酩酊感すら覚えてしまう。

夕闇とは、これほど全てを不気味に見せるものだったか?

帰宅を急ぐ人々の姿が、やけに現実感に乏しい。
まるで異世界に入り込んだような。
いや、そもそも自分こそが、普段の自分とは違うような、そんな違和感。

この世界は真実か?
いや、今の自分が嘘なのか?

逆光の中、黒い影に成り果てた建物を見回し、歩く人々に眩暈を覚える。
耳に、アコーディオンの物悲しくも、やけに明るい音が微かに聞こえてきた。

百合子が唄っていたイタリアのラブソング。

ゆらりと蜃気楼のように一瞬視界が揺らいだ。
春近い陽気が兎月原の額に汗を浮かばせていた。
兎月原の脇を走り抜けていく子供達の笑い声が、耳に奥でやけに意味ありげにこだました。
アコーディオンの音は一体何処から聞こえてくるのだろう。
兎月原は、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めながら辺りをぐるりと見回す。
耳の奥で、百合子の笑い声が聞こえた気がした。


私は ここよ うさぎさん


不意に兎月原は誰かに手を引かれた。
見下ろせば、黒いリボンがあしらわれたヘアーバンドを髪に飾った小さな女の子が「キャハハハ!」と甲高い笑い声をあげながら、兎月原の手を引いたまま走り出す。
「サーカスへ、行ってきます! サーカスへ、行ってきます!」
女の子が、そう声高に叫べば周囲の世界がぐにゃりと歪んだ。
黒い影の建物たちも、人々もぐにゃぐにゃと突然体が細く伸び、歪曲してゆらゆら揺れて、眩暈に支配されたまま自分が奇妙な世界に足を踏み入れたことを悟る。

「行こう? サーカスへ…」

黒いリボンをつけていた。
灰色の髪が揺れている。
黒いエプロンドレスがフワリと広がり、灰色の肌をした女の子は、兎月原を振り返えると、「あんたの大事な娘を、人形になる所を見せてやるよ」といって、幼い顔に似合わない邪悪な笑みを浮かべた。



少女に連れて来られた空き地には、果たして、「何も存在しなかった」。

しかし、女の子は踊るような足取りで「先に行ってるよ?」と言いながら、空き地の中へと足を踏み入れ、そして、目の前で跡形もなく消え失せる。
まるで、空き地の入り口から別の世界に繋がっているかのように消えた彼女の後を追って、慌てて足を空き地に踏み入れども、兎月原の視界には、相も変わらず春の野草が茂り始めた空き地が映るのみで、一体、これはどういう事なのだろう?と首を傾げ、途方に暮れた。

人質を取られているかのような、焦燥感とは別の、奇妙な不気味さに背中を押され、首を巡らせ周囲を見回す。
細い指で、首元をじわじわと締め上げられているかのような不安感。
アコーディオンの音色が、耳の鼓膜を不快に引っ掻く。
一瞬吐き気すら覚え、額に滲んだ汗を拭った。

「百合子…」

小さな呟きは、心細げに風に掻き消され、長い睫が縁取る瞼が、何度も、何度も瞬いた。

彼女を失うなんて、とても耐えられない。
幼子のような頑是無ささえ滲ませる、胸中の嵐に応えるかのように、兎月原の視線を黒いハンカチがひらりと掠めた。
空き地の入り口に、申し訳程度に張り巡らせた木の作。
鉄線が張られた、その柵に、雑草に隠れるように黒いハンカチが一枚括りつけられていた。
傍に寄り手に取れば、赤い花の刺繍がしてあるそれは、間違いようもなく百合子のもので「これ…は?」と首を傾げ、空を見上げる。
勿論示される答え等はなかったが、それでも兔月原は気付いた。


サーカスに行くものは、黒いリボンをつけていた。


黒いハンカチを手首に巻き、リボン結びにした瞬間、世界は変わった。



「ようこそ! サーカスへ!」


キラキラと光を弾くシャボン玉がそこらかしこに飛んでいる。
オレンジ色の空に、色取り取りの風船が浮かんでいた。
赤いテントの入り口で、ピエロが兎月原を手招いている。

「もう、舞台は始まっちまってるよ? あんた、大魔女様の招待客だろう? とっときの、特等席を用意してある! 今から行われるのは、『金髪女の串刺しショー』だよ! 見逃したら、末代までの後悔だ! 見物だよ! 見物だよ! さぁ! 早く中へお入り!」

そう言われ、何がなんだか分らぬままに、取りも直さずテントの中に飛び込んだ。
その瞬間目に入ったのは、舞台の真ん中、空中にしつらえられた舞台にて、スポットライトを浴びながら、ギラギラと光る銀色の剣を片手に立つ百合子と、派手な赤い箱の中から首と、すらりと伸びた足だけ突き出して横たえられている竜子。

竜子はぐったりと気を失っているようで、ピクリとも動かないその姿に不安感を覚えるが、垂れ下がる指先が、ヒクリと戦慄く姿に、息はあるらしいと気付き、とりあえずは安堵する。

意識のない竜子を他所に、何処か霞みの掛かった眼差しを見せながら、ふわりふわりと、彼女の入っている箱へと歩み寄る百合子は、夢見る少女のような表情を浮かべて、微かに唇を動かしている。
その薄桃色した唇から漏れる歌は、ラブソング。
誰かを想う眼差しで、百合子は、儚い声で微かに唄う。

「百合子!! 百合子?!」

兎月原が呼びかければ、まるで彼に応えるかのように、百合子の背後に、灰色の女の子が浮かび上がった。

指先を閃かせ、まるで踊るようにステップを踏み、ゆらりゆらりと腕を翻す。


「ずっと前からね、仕込んではいたんや」

灰色の女の子の唇が動くと、まるで耳元で囁かれているかのように、その声が兎月原の耳に届いた。

「魔女の傀儡。 あの興信所や、新しく迎えた奴隷二人のお陰で、引きこもりの坊やだった『あの子』が、随分と此方側の世界と接触するようになった。 世界と世界のリンク。 あの城に攻め込むには、『こちら側』からの干渉が、一番有効。 猫達の反乱とて、着眼点はよかったんだ。 実際、坊や達を良いトコまで追い詰めた。 ただ、相手が悪かっただけでね」

灰色の女の子は…いや、千年王宮の最奥に棲まう、『魔女』は唇を捻じ曲げ「うちはちゃう。 もっと、うちは周到にやる。 幾つもの手を用意してね?」と言い小首を傾げる。
「所詮、城の最奥に潜むうち自身は、到底『こっち側』に出てこれやしないからねぇ、慎重にやらざるを得ないというのも実情やけど、今世界には、もう、何人ものうちの人形がいるよ。 この体も傀儡さ」

そう言ってくるりと回る女の子を、兔月原はマジマジと眺め、それから掠れた声で、「何故?」と問うた。

「何故、百合子を貴女が?」

「うちに なり得る 存在やから」

灰色の魔女。
時の大魔法使い。
千年王宮の最奥に潜む、城の王の母親はそう答え、灰色の手を百合子の首に回す。

「うちを増やす。 この世界に。 まず、うちになり得る人間を集めて、うちの人形にしてしまう。 そうして、人形に人形を作らせ、徐々にうちをこの世界で、増殖させて、この世界をうちが呑み尽す。 ゆっくりと、誰も気付かぬうちに、人が皆、『人形』に変わる。 百合子は、その先兵。 この子達も皆、そう」

魔女の言葉に周囲を見渡せば、観客席に座る黒いリボンをめいめい体の何処かにあしらった人々が、ジロリと此方を振り返った。

魔女が、赤い舌を伸ばし、百合子の白い頬をぬるりと舐め上げる。
そして、その耳に真っ赤な唇をヒタリと当てると「ねぇ? 百合子。 このサーカス、好きやろ?」と囁く。

その瞬間、テント内に金色の光が飛び散り、その全てが照らされた。

兎月原の眼下、すり鉢状になっている舞台にまるで、悪夢のように絢爛で、異常な光景が展開された。

それは、一種、不気味で可愛いとすら言える世界。
現実離れした見世物達。

背中に羽の生えた子供達が甲高い声をあげながら飛び回り、百合子と竜子が立つ中空舞台の下に設置された巨大な水槽の中で人魚が身をくねらせる。
小人達が、不気味で、不器用ながらも、どこか目を惹くダンスを踊り、目に醜い斬り傷がある、盲目のナイフ投げが、的の前に立つ美女に向かって、見事にナイフを投げ、その体スレスレにナイフを突き立てていた。

テントの天井近くに張られた綱を渡る美女が、ウィンクをしながら兎月原に手を振り、百合子は魅入られたようにテント内を眺め回し、霞んだ目を、何度も何度も瞬かせて「ロマンだわ」と呟き笑った。

「ねぇ? そうでしょ? 正木さん…」

掠れた声で呟く百合子の耳元で、彼女の体を抱いたまま魔女は笑い、淫靡な手付きで百合子の太ももに手を這わせると、「ああ。 ロマンや。 それも、極上のな?」と言いながら、そのスカートをそろりそろりと捲り上げる。
日に焼けていない、真っ白な細い太ももが、スポットライトを弾き、背徳的なまでの輝きを放つ。
その太ももにあるのは、百合子がいつも、錯乱した際にアドバイスを求める「正木さん」と呼ぶ、仮想人格を託す痣。
その「正木さん」を魔女の灰色の指先が執拗に撫で回し、百合子の耳に唇をつけたまま、「サーカスに、ずっとおりたいやろ?」と愛しげに囁いた。
百合子が「くふふっ…」とくすぐったげに身を捩り、首を仰け反らせ、ひきつけを起こしたかのように体を痙攣させた。

人形。
黒いリボン。
異次元の作り出す能力。


【最初から、ヒントは提示されていた】

そんな仕業をしでかす事の出来る、兎月原が知る人物は一人しかいない。

しかし、気付いたからとて、今の状況に何の変化があったというのだろう?

「竜子さんをどうするつもりだ?」

出来るだけ、冷静な声で問えば、魔女はゆったりと笑って「こいつは、うちの人形になんかならへん」と、嘲るように呟いた。

「操り糸の範囲外さ。 だから、せいぜい、お友達の手で命を散らして貰うのが、これからのうちにとっても得策。 城には、こいつに良く似せた、人形でも置いておくよ。 城の男共は、みなぼんくらさ。 気付きやしない。 こいつが、いつも、黒いリボンを頭に飾るようになっていたとしてもね」

忌々しげに竜子を見下ろし、そう吐き捨てると一転し、百合子の腿を撫でながら、その頬に自分の頬を摺り寄せた魔女は「でも、あんたはちゃう」と囁く。
「気付く。 大事な娘の変化に。 何も見逃さない。 何一つ。 うちなぁ…あんたの事、気に入っとんねん」と、甘い声で囁いた。

「王様になり。 この世界の。 この子がお姫様や。あんたの思い通りになる、可愛い、可愛いお姫様。 何だって望めば思い通り。 どんな事だってさせられる」

そう言いながら、淫らに唇を歪め、百合子をぎゅうっと抱きしめた。

「この世界も、百合子も、何もかも。 悪い話やないやろう? うちが、千年王宮を仕切る。 うちが欲しいのは、坊やだけ。 坊やを手に入れてしまえば、後は、もう、何もいらん。 だから、あんたがこの世界の王様になればいい。 坊やに似ているあんたになら、この世界くれてやっても惜しくない。 手を貸しておくれ。 百合子だって望んどる。 ロマンを! なぁ、せやろ? 百合子? 少なくとも、人形の世界は、今の世界より、よほど夢がある」

魔女の甘言に喉を鳴らし「お姫様…私がお姫様…」と虚ろに百合子が呟く。
華やかなサーカスの見世物が繰り広げられる中、「さぁ、百合子? じゃあ、あんたがお姫様になるのを邪魔する、悪い女王様をやっつけてしまおう?」と魔女が告げた。
「元々は、あんたが目当てやった、このサーカス。 思わぬ収穫があったわ。 この、糞忌々しい女の命が、ここで、こうして刈り取れるなんてねぇ…」
愉悦を含んだ声で魔女が言い、百合子がふらりと剣片手に竜子に歩寄る様を兔月原は凝視する。

「…王様? 百合子がお姫様で」

そして、ピンスポットの下、花の様に笑う百合子を眺め、息を吐き出すように兔月原は言った。

「そうや」

魔女は言う。

「うちと一緒においで?」


「悪くないね」

兔月原は笑う。


その瞬間、百合子が、ドン!!と不吉な音を立て、竜子の眠る箱に銀色の剣を突き刺した。




竜子が口を大きく開け「ひあぁっ!!」と叫び、目を見開き、一度体を跳ね上げ痙攣し、そのままぐったりと横たわる。
真っ赤な血が、赤い箱の外へと染み出し、ポタリポタリと不気味な雫を落とした。


「実に悪くない」

兎月原の唇が、甘い笑みを刻む。


欲しいものなら、あった。
奪いたいものが、あった。

もし、その全て、魂、髪の毛一本、その呼吸全て、この手に入るのならば、魔女に魂を売り渡すのも一つの手だ。

別段、何かに抗うような反骨心なんぞ、持ち合わせてはいない身の上だ。
自分の欲望に添うならば、あの魔女の足元に膝まづいて、爪先に口付けをくれてやるくらい訳もない。


魔女、俺に、あの人をくれないか?



それは、朗らかな兎月原の白旗。
諦念の、懇願。
自分の願い等、思い知ってなんて、前々からいたんだから、後はもう、自分の欲望にひれ伏すしかないだろう?



人形だという観客達のあげる歓声がテントを満たした。
百合子が真っ赤な血に汚れた剣をずらりと引き抜く。

「世界もいいけどね。 百合子が手に入るっていうのが、願ってもない話だ。 俺のお姫様になってくれるかい? 百合子」

歓声の最中、明るいトーンの声で百合子に問う兎月原を、魔女が訝しげに眺めた。

「ダメよ? ダメダメ、いけないわ!」

その瞬間、百合子が素っ頓狂な声をあげた。

スポットライトの下、捲りあげられたスカートを「パンツが見えちゃう…」等と呟きつつ、もたもたと直し、それから、「私は、誰のお姫様にもならない! 私は、私のお姫様よ!」と喚くと、不意に自分喉に剣をあてる。

「さようなら! 魔女さん! さようなら! 兎月原さん! 私は、竜子ちゃんの後を追います! 人形になんて、真っ平ごめん! 大好きな人と、死ぬ方がずっといい! だから、彼女と、一緒に逝くわ! 一緒に逝くわ!」と大仰に喚き、喉に突き当てたままの剣を一気に横に引いた。
その瞬間、赤い血がぶわっと、その細い喉から吹き出し、百合子が目を見開いたまま、「ヒュー、ヒュー」と息を漏らし、仰向けに倒れる。
魔女は呆気に取られたまま口を開いて、兎月原の視線を送り、また百合子を見下ろし、兎月原といえば、堪えきれぬと言わんばかりに大声で笑ってしまった。
腹を抱え、朗々とした笑い声を響かせた後、パンパンパン!と拍手をしながら、ゆっくりと歩き出す。

「生憎と…、俺も百合子も欲深でねぇ…」

そう言いながら、客席を回り、空中にある舞台に向かって張り出している部分に繋がるはしごを一気に上る。
そのまま、ポンと軽く、空中舞台に飛び移り、血に塗れて倒れる百合子を見下ろすと、「世界や、お互いなんてものはね、ちっとも欲しがっちゃいないんだ」と告げた。
百合子が手にしていた剣を拾い上げ「ああ、きちんと研いである、良い剣だ」と呟くと、魔女に向かって微笑みかける。
そして、不意に剣を一閃させ、轟音を響かせながら木製の箱を一撃で破壊せしめると、その中に横たわる竜子を抱き上げた。

サーカス内で演目に相応しいように着替えさせられたのか、スパンコールで飾られた、銀色の扇情的な衣装を身にまとう竜子は、普段馬鹿そのものの言動に覆い隠されて、目立ちはしないものの、抜群のプロポーションと、まともな化粧を施されている華やかな美貌も相まって、舞台栄えする美しさを誇っている。
腹部の辺りから、赤い血を溢れさせたまま横たわる竜子は、普段のイキイキとした姿からは想像出来ない程、儚く、悲劇的で、仕事用の高価なスーツを着込んでいる兎月原が、そんな竜子を横抱きにしてスポットライトの下に立つ様は、それだけで、まるで映画の一場面の如く、非現実めいた光景になる。

まるで、ホラー映画で、ハンサムな悪魔が金髪の美女を攫う一場面のような、軽薄でありながら、同時に魅入られずにはいられない程の、絵空事めいた有り様に、魔女はただ、呆然と口を開いたまま兎月原を見上げてくる。

「俺の欲しいものは、全く違うよ。 世界も、百合子も欲しくない」

竜子を抱いたまま、甘やかな声で兔月原は言った。
魔女が、掠れた声で「では、何を望む?」と問うので、「誰も、奪え得ぬものを」と即座に答えると、「百合子もそうさ。 俺なんか、欲しかない。 そうだろう? 百合子」と、囁いた。

すると、ピクリと身じろぎした百合子が、仰向けになったままの口を尖らせる。

「つまんない」
「ん?」
「もっと、愁嘆場を演じてよ、兎月原さんは」

そう言いながら、真っ赤に汚れた百合子が、兎月原に対して睨みを効かせてくる。

「折角、全身ベタベタのびちょびちょになったのに! こんなの、ちっともロマンじゃないわ! 兎さんが私の枕元で、滂沱に暮れるのがハイライトだったのよ?!」

そう喚く百合子に「いや、だって、君にとって自殺なんて、この世で一番遠い場所にある言葉だからね。 それに、芝居がかり過ぎるよ。 誰だって気付く」と兎月原が指摘すれば、その瞬間、堪えきれないと言う風に、ブルブルと震えだした竜子が「う、ううう、百合子ぉぉ…生きてて…よがったよぉおおおう!!」と、兎月原に抱かれたまま大声で泣き出した。
途端、先程までの不吉な可憐さなど、何処へやら。
いつもの、トンチキな狸娘の風情を取り戻す竜子を、兎月原がトンと地面に降ろしてやれば、百合子がパチパチと瞬きながら彼女を眺める。
だくだくと、赤い液体に塗れながら、「あ、あたいは、て、てっきり百合子が死んじまったかと…思って…!」と言いつつ、スンスンと鼻を鳴らす竜子の姿に両手を組み合わせ、堪えきれないといった様子で「愛しい子!」と叫ぶと、百合子はぴょんと飛び上がって、彼女に取り縋り「安心して、竜子ちゃん! 私は絶対、死なないわ! だって、私ですもの!」と根拠がないながらも、妙に説得力のある台詞を口にした。
魔女はと言えば、三人の姿を順繰りに眺め回し、それから、不意に鼻を「スン」と鳴らすと、きっと眦を釣り上げて「あの、クソアマ!」と毒づいた。

場に漂うは、甘い、甘い、ワインの香り。

「ごめんなさい! 兎月原さん! 王宮の白い女の人に頼まれて、貴方が私に抜け駆けして飲もうと買っていたワインを、使わせて貰ったわ? 貴方の車のバックミラーから、拝借させて貰ったらしいけど、別に良いわよね? 抜け駆けしようとしてた事自体が、いけない事なんだし!」
そう得意げに百合子が言うのを聞いて、「あーあ、高かったのに、あれ」と呟く兎月原に「ほんと?!」と叫び、意地汚くも、百合子が自分の掌についた赤い液体をペロリと舐める。

「…魔女が相手となるならば、彼女も尽力を惜しみはしないと言うわけかな?」
そう言いながら剣を構える兎月原をぎりぎりと睨む魔女。

「生意気な!」と吼える魔女に笑いかけ「鏡があれば、何処へでも。 便利なものだね、千年王宮の大鏡は。 この剣も綺麗に磨かれて、なる程…鏡になる」と、いって翳す剣に映る、真っ白な女が冷たく微笑み、その腕に抱えている兎月原が百貨店で購入したワインのビンを傾ければ、剣からまるで血のように、赤い液体が零れだす。

「貴女が、イイ気分で兎月原さんとお話している間に、私も、王宮の白い女の人とお話をさせてもらったわ! 初めましてなのに、こんな出会いでちゃんとご挨拶できなかったのが心残りだけど、お陰で助かっちゃった。 正直、サーカスの住人になるかどうか、迷ったんだけどね、竜子ちゃんを串刺しになんて、絶対、絶対出来ないもの。 ごめんなさい、魔女さん。 他の方法でお誘いしてくれたら、まだ、可能性はあったのに、残念ね…」

そう肩を竦める百合子を魔女が睨みつける。

「いつ、正気に戻った?」
「正木さんとお喋りをした時から」
百合子は、そう言い、ゆるゆると自分の腿を撫でてふわりと微笑むと「彼は、いつも正しい事しか言わないわ? 魔女のお人形になるのは愉しそうだけど、だからって、竜子ちゃんを殺して良いのかい?って言われて、私ハッと気付いたの。 自分がどんな怖い事をしようとしているかってね?」と言い、それから、自分の傍らにいる竜子をぎゅうぎゅうと抱き締めると、「いでっ! いだだっ! いだいって、百合子!」と抗議するのを無視して、「大好きな人との心中なら、ロマンかしら?と思ったけど、やっぱり、二人で生きる方がずっと、ずっと素晴らしいわ!」と言い、ニコニコと笑う。
魔女は腹立たしげに、「折角、うちが目を掛けてやったっていうのに! だったら、いらない! あんたも! あんたも!」と、二人を順繰りに指差しヒステリックに叫び散らすと、突如、空中にあった舞台が、ガクンと揺れ、そのまま、為す術もなく落下した。
咄嗟に、両手を伸ばし、兎月原が竜子と百合子を抱き寄せれば、竜子が剣を抱えて「手ぇ、貸してくれ!」と叫ぶ。
その瞬間、竜子の腕の中にある剣が、バチバチと光を放ち、竜子が落下際、剣を地面にたたきつければ「パァン!」と轟音を響かせて星が飛び散り、まるで、トランポリンの上に落ちたかのように、三人は地面で一度飛び跳ねて、地面に転がり落ちた。
周囲に金平糖が散らばっていた。
剣から響いた轟音に、クラクラと鼓膜が痺れる。
「な、何が、起こったんだ?!」と竜子に問い掛ければ、「こいつの仕業さ」と、先程まで、銀色の凶悪な姿をした剣の筈だったものを示して見せた。
その剣の刃はガラスのように向こう側が透けて見えて、菫めいた薄紫色をしており、装飾はファンシーで薔薇やハートの意匠があしらわれていた。

「キャンディソード。 二色目!」と何故か嬉しそうに叫び、竜子がポンッと百合子に投げる。

「こいつをぶつけた衝撃で、地面から一編跳ねっ返らせたんだ」と、説明され、百合子が慌てて受け取り、びっくり眼で握り締めているキャンディソードに視線を送る。
どうにも、腑に落ちない説明ではあるが、キャンディソードが、城の大鏡娘の助力で送られてきた、あの城の品であるというのは、間違いないだろう。
ならば、尋常でない力にだって、とりあえずは納得できる。
見上げれば、空中に舞台を止めていたロープがかなりの高さの場所にあるのを視認して、あのまま落ちていては冗談ではすまない自体になっていた事を兔月原は確信した。

「百合子にお似合いの剣だよ。 ちなみに、そいつは、グレープ味」と竜子が言う。

「綺麗…」と、その確かに見た目は美しい剣に、うっとりと呟く百合子。
「中々便利な剣でね、刃先が丸めてあって、誰も殺める事ぁ出来ないが、ぶつけた相手の当りどころによっちゃあ、一劇で失神させる事も出来る。 ぶつけるたびに、光やら音やらが中々派手で五月蝿い代物だから、まぁ、使いどころを見極めるんだね」と竜子は言い、百合子が「これ、貰えるの?」とびっくりしたように問えば、「あたいからのプレゼントだよ」と竜子は、まるで、兎月原を真似して失敗したような、気障になり損ねの台詞を口にした。
しかし、兎月原に何を言われた時よりも、よほど嬉しそうに顔を綻ばせ、「大事にする」と百合子はぎゅっと剣を抱える。

そんな感激百合子を他所に、兔月原は、あれ、多分名前の通りキャンディで出来た剣なんだろうけど、夏場、どうやって、保管したら良いのだろう?等と現実的な問題に頭を捻りつつ、魔女を見上げれば、彼女はギリギリと歯軋りしながら、「餌になっておしまい!」と言い、テントの入り口を指し示した。
指先には、ぐうるるるる…と喉を鳴らし、大きなライオンが一頭のそり、のそりと、鞭を片手にピエロの姿をした猛獣使いを伴い現れる。
「二人とも、下がって…」という兎月原に首を振り、ずずいと一歩前に出た百合子は「新アイテムを手にしての、こんな大チャンス! 威力を試してみるのにもってこいだっていうのに、じっとしてるなんて、できないわ!」と張り切った調子で言い、「ああ、なんて余計なものを百合子に渡してくれたんだ…」と恨みがましい眼差しで、思わず竜子を眺めてしまった。
竜子にしていても、ここで、まさかの百合子フィーバーが起こってしまった事に「え? 確変?! ここで?! あたいのせいで?!」と、困惑を隠せないようで、あまつさえ、こちらをギラギラと睨みつけながら、徐々に距離を詰めてくるライオンに向かって「私が相手よ! かかってきなさい!」と叫んだりしてくれちゃったりするので、「お願い、止まって! 大車輪百合子!」と、兎月原心の奥底から望んだりする。

そのまま、制止する暇もあればこそ、「やー!」と剣を振り翳し、ライオンに向かって一直線に駆け出した百合子を、「「くぁw背Drftgyふじこ!!!」」と目を白黒させながら追おうとする兎月原と、竜子の前に、ピエロがすらりと立ちはだかり、突然、狙い過たず、此方に向かってナイフを放ち始めた。
「っ!」
咄嗟に、竜子を突き飛ばし、バク転でナイフを避ければ、ピエロは此方に狙いを絞る事にしたらしく、流れるように連続してこちらに向かってくるナイフを身を屈め、よじり、翻して、何とか避ける。
「っ! 竜子さん! 百合子を頼む!」の兎月原の声に「あいよ!」と返事をした竜子、いつのまにか、絢爛な見世物を披露していた演者の消えた舞台から、照明に使われていた松明をむしり取り、百合子に迫るライオンへと投げつけた。
目の端で、松明の直撃を食らったライオンが「ぐぁうるるっ!」と声をあげ、怯むのを視認しつつ、兎月原も身を屈め、ナイフの間隙を縫って、ピエロに肉薄する。
そのまま、手を伸ばし襟首を掴もうとするより早く、素早い身のこなしで兎月原の指先から逃れたピエロは、打点の高いハイキックを兎月原の顔面めがけて放ってきた。
「!」
思いの外、相手の力量がある事に、こういう事態でなければ、楽しめただろうに…と少し残念さを覚える。
とにかく早く目の前の相手を片付けて、二人の援軍を向かわねばと焦る兎月原を嘲笑うかのように、百合子から注意を竜子に向けたライオンから、「ぎゃー!」と声をあげつつも機敏な動きで逃げ回る竜子が、突如脇腹を押さえ、「っぐぅっ!」と呻き声をあげてすっ転ぶ姿を視認した。
即座に、ピエロの追撃に見切りをつけ、竜子の元へ駆けつけようとすれば、その視界を銀色の一線が素早い軌道を見せ、ピエロのナイフが横切っていく。
首を後ろに反らして良ければ、露になった喉元めがけ、差し込むようにナイフを突き出してくるピエロの攻撃を逃れる他なく、冷や汗で背中を濡らし竜子に視線を送れば「竜子ちゃんに手を出すのはやめなさーい!」と何とも呑気な掛け声と共に、「えい! 喰らえ! キャンディビーム!(そんな技は勿論ありません)」と剣を振り翳した百合子が、そのまま、見事に、点数をつけるなら、100点!と言わざる得ない転びっぷりを披露した。

「あわわわわわわわ!!!」

女性の前でのクールさは何処へやら。
「お前っ! ちょっとっ! あとで、遊んでやるから、ここでじっとしてなさい!」と、かなりピエロ的にも無理なお願いを勝手にしつつ、何とか助けに走ろうとする兎月原。
しかし、彼が助けに行くまでもなく、転んだ瞬間、百合子が握り締めている剣が地面にぶつかり、派手な音が響き眩い程の光が飛び散ると、その眩さと音に怯んだのか、ライオンが「にゃぎゃぁぅぁっぅ?!」と悲鳴のようなものを上げ、ライオンってそういえば、猫科だったよね…と思い知らされる、飛びずさり、身を丸めるリアクションを見せた。

転んだ姿のまま、ポカンとライオンを眺める百合子。

パチパチと瞬き、それから、「ふ、ふふふふふ…」と嬉しげに笑うと、ピョンと飛び上がり「見たか!」と何故か胸を張る。
脇腹を抑えて、転んだままの竜子が「おお…すげぇ! 考えたな百合子!」とまんまと百合子を褒めるのに調子に乗ったのか、「えーい!」と言いつつ、また、剣を地面にぶつけ「くひぃん!」とライオンに悲鳴をあげさせる。
とりあえず、向こうは何とかなりそうだ…と、まさに「怪我の功名」を地でいく現実に、百合子の豪運さに慄きつつ、落ち着きを取り戻した兔月原は、片手間でその攻撃をいなしていたピエロに、改めて正面から向き直ると、「時間もないし、悪いけどとっとと、片をつけさせて貰う」と宣言して、兎月原の眉間めがけて投げつけられたナイフを叩き落としつつ、掌を翻して、落下中のナイフの柄を器用に掴むと、目にも止まらぬ速さで投げ返した。
ピエロもまさか、自分の放ったナイフが投げ返されるとは予想していなかったのか、狙い過たず、脹脛を切り裂くナイフに、為す術もなく倒れ伏す。
「無理に動こうとすると、歩けなくなるよ?」と地面でもがくピエロに言えば、悔しげに顔を歪め、突如そのまま、ピエロはカシャンと音を立てて、地面に突っ伏した。

「操り…人形……」

ぐんにゃりと折れ曲がり、関節の部分から赤い糸が何本も伸びる、ピエロの姿に思わずそう呟いた。
先ほどまで滑らかに動いていたのが信じられない程、力なく地面に横たわる様子に息を呑む。

パンパンパン!と空中から突如拍手が降り注げば、百合子のキャンディソードの轟音に怯えていたライオンは、その縮こまった姿のままぬいぐるみに変わり「…まぁ、ここまでにしよか」と魔女が小首を傾げて言った。

赤い赤い唇が、ゆるりと歪み「勿体のうなった」と囁いた。

「人形のうち相手じゃあ、満喫出来ない玩具だよ、あんたら二人は。 もうちょっと、あんたらとは遊びたい。 何の力も持たぬ人間風情が、ようもまぁ、ここまで、怖気づかんとやってくれる。 おもろいわ。 ああ、本当に腹が痛うなる」

静かにそう言いながら、兎月原を挑発的な眼差しで睨みつける。

「可愛さ余って憎さ100倍。 覚えておき? あんたは絶対に逃がしてやらない。 魔女を敵に回した事がどれ程恐ろしいものなのか、こんなチンケな仕掛けでない、もっともっと、ド派手で愉しい仕掛けで思い知らせてやるよ。 そして、今度こそ、百合子は人形に…あんたは……」

くくくっと喉を、慣らし、不意に、姿を掻き消すと、するりと突如兎月原の背後に現れ、その首に手をまわし、「うちの犬にでもしてやるよ。 可愛い子」と囁いて、その頬に口付けると、「キャハハハハハハ!」とけたたましい笑い声を残して姿を消した。


「…一体…何だったんだ?」と竜子が蹲りながら呟く。
すると、テントが霞みのように歪み、掻き消え、元の空き地に戻り、百合子が思わずと言った口調で「あーあ…」と残念そうに呟いた。
それから、ヒョン!と飛び上がると、竜子の傍に走り寄り、「竜子ちゃん! 竜子ちゃん! そういえば気になってたんだけど、お腹痛いの?」と問い掛ける。
竜子は百合子の言葉に目を白黒させて、「お! おお、おう! なんか、もんじゃが、当ったみてぇで、うん! 漏れそう! とてもっ!」と妙に力の篭った声で「いや、そんな堂々と宣言する事じゃ…」という台詞をかましてきた。
「ので! えーと、早くトイレに行かないと、あたいが大変な事に!」と訴える竜子に、うんうん!と頷いて、百合子が「そうよね! 大変なのよね! 私、朝冷たい牛乳とか飲むと、そうね、大体、83%位の確率でビックウェーブがくるわよ?」と同意し、「ああ、そこ、話広げない。 そこで、広がる話はロクなもんじゃない」と兎月原が制止する。
「何にしろ、早く帰った方が良さそうじゃないか?」と竜子に言えば「そうだな。 そうさせてもらうよ…」とヨロつきながら立ち上がり、その体を隙のない身のこなしで支えた兎月原が「それとも、病院にお連れしたした方がいいのかな?」と問い掛けた。
目を見開き、それから、「お見通しか…」と苦笑する竜子。

ワインに汚れたその脇腹から、薄く本物の血が滲み出ている事を、兎月原が気付かぬ筈もない。

「百合子…でしょ?」と心配げに問い掛ければ「言うなよ?」と、竜子に睨まれて、「了解」と兔月原は微笑み返した。

あの時。
竜子が捕らえられていた箱に剣を百合子が突き刺した瞬間、当然「竜子には剣は刺さっていなかったし、流れ出た血はワインだった」。
では、気絶状態だった竜子が、どうして、タイミングよく、悲鳴を上げ、目覚める事ができたのか?

「百合子、どうも、目測を誤ったのか、ここ、掠ってさぁ…」と言いつつ、脇腹を押さえる竜子に「申し訳ない…」と兎月原が心から詫びる。
「んあ? なんで?」
そう目を見開く竜子。
「べっつに、こんなの掠り傷だし、あいつ一生懸命だったんだし、兎月原さんはあたい達の命の恩人だし、あたいは、誰に詫びられるような事もないよ」と笑い、「にしても、あの女、一体何者なんだ?」と眉を潜める。
「王宮絡みで、また七面倒臭い事が起こるのか…?」と、事情を何も知らぬらしい竜子に何か言いかけて、自分の口から言うのは違うだろうと思いとどまり首を振ると、「知らなきゃいけない事は、いずれ、分るから…」と言う兎月原に、竜子は不思議気な眼差しを寄越し、それから「そうだな…」と小さく呟き頷いた。

そんな訳で百合子には「もう、漏れる寸前! 略して、漏れ寸!」と、絶対流行しない!な、略語を駆使しつつ、竜子が「小指」の鍵を使って城へと帰る。
そういえば、メサイアビルでの騒動でも耳にしたが、王宮独自の決まりごとで、外部から王宮へは、自身の肉体の一部を鍵としなければならないらしく、とはいえ、そういう竜子の小指はどちらもきちんと備わっていて、「何で?! 何で、小指?! 小指が鍵なの?! そして、今の竜子ちゃんの小指は、じゃあ、偽者なの?!」と好奇心一杯に尋ねる百合子に、うまく説明し切れなかったのだろう。
「また、今度城に遊びに来た時に教えてやるよ」と軽く請け負った。

「今度? 今度よ? 絶対よ?」

どうにも、千年王宮に並々ならぬ執着があるらしい百合子。
そう、何度も何度も確認し、指きりする竜子に「あの…」と兔月原は声をかけ、掠れた声で「あの人にも宜しく伝えてくれないか?」と声を掛ける。
あの人が、誰を指すのかすぐに察したらしい竜子は「おう! なんか、色々遊んでくれてんだってな。 ありがとな」なんて、まるで、年上の男相手に保護者めいた言葉を口にして、「わぁったよ! 伝えとく」と手を振ると、「鍵」を使い、何もない空間を、こじ開けた。
そのまま、中に消える刹那、その向こう側に広がる王宮の風景に百合子が両手を組み合わせる。

「…ロマンだわ」

そう囁く百合子に、「はいはい」と肩を竦め、だが、それでいて、自分の胸中に「郷愁」とも言うべき感情が吹き荒れるのを感じると、「ああ、確かにロマンだ」と小さな声で答え、それから「行こうか?」と百合子を促した。



さて、帰りの車中。

ラジオは、兎月原も百合子もお気に入りの、洋楽専門のチャンネルに合わせ「お腹空いたー!」と中途半端な時間にもんじゃ焼きを食したのみだというワイン塗れの百合子の為に、夜中でも惣菜をテイクアウトできる、兎月原がお気に入りの点心を食べさせてくれる中華料理店へと車を飛ばす。
その道すがら、車で橋を渡っている途中、ラジオから流れる曲に身を揺らしていた百合子が不意に「あ」と口を開き「サーカス…」と呟いた。

不意に視線を向ければ、橋の向こう側に、「赤いテント」がパァン! パァン!と、花火打ち上る空の下、松明や、ライトの照明に照らされ聳え立っている。
橋を車で渡り終え、そのまま、国道沿いに走り抜けようとする兎月原の視線に、テントへと吸い込まれるように歩いていく、女子学生と思わしき集団の姿が目に入った。


その子達は、皆、真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、年にそぐわぬ口紅を塗っていて…。


まるで、幻のようなスピードで兎月原の視界から消え去った。

ラジオからは、百合子がサーカスで口ずさんでいた、イタリア映画のラブソングが流れ出す。


誰も知らなかったサーカス。


ラジオから流れていた「行方不明者」が多数出たという、都市伝説めいた話さえ、その存在はあやふやで、時を操る魔女が、まるで、何もかもなかったことにしてしまったかのように、自分達が体験してきた事さえ、その存在を確信できない。

今の光景だってそうだ。
きっと、あれは夢幻。
悪い、悪い、魔女の魔法。


赤い口紅の女達。

何処へいくの?

何処へいくの?

「……サーカスに…行ってきます」

不意に、口ずさむように百合子が呟いた。
咄嗟に、百合子に視線を送ると、にこりと百合子は微笑み返してくる。
胸に抱えている小さなポーチ。
そこに、ゆるりと手を差し込めば、薔薇の意匠が施された見覚えのない口紅がその小さな手に収まっていた。

「本当に…竜子ちゃんがいなきゃ……私サーカスの住人になりたかったわ…?」

そう囁く、百合子が口紅のキャップをあけ、くるりと回せば、そこには血のように赤い姿が現れ、戯れのように手を伸ばし、兎月原の肩に手を置くと、運転中の視界を遮らぬよう留意しつつも、その形良い唇に口紅を滑らした。


「ねぇ? その時は、一緒に行ってくれる? 兎月原さん」


耳元で行われる微かな問い掛け。

揺れる百合子の吐息に、身を竦めれば「ふふふ」と百合子は笑って、「嘘よ? 嘘、嘘」と言い、車の窓を開けて、口紅を外に捨てる。

「…行くよ? 君となら何処へでも」

兎月原がそう言えば、百合子は静かに微笑んで、また、「嘘よ。 嘘、嘘」と囁いた。

そして、不意に気の抜けた声で「似合わないわ。 その口紅、一つも」と兎月原に言い放つと、つまらなそうに、シートに身を沈めた。

ラジオから流れる曲に合わせて、百合子がラブソングを口ずさむ。
兔月原は、ごしごしと自分の唇を拭うと、手を真っ赤に汚した血のような口紅の色に、不意に、レロリと舌を這わせた。









〜エピローグ〜


さても、さてはて、奇妙奇天烈なこのお話は、ここでお仕舞い! 見世仕舞い!
とはいえ、我らが百合子と、兎月原の両名は、哀れ魔女のお気に入りに!
これから、二人が見舞われる、不思議で不気味な出来事への興味は尽きぬといった所だが!
今日のところはこの辺で!
これからの二人の活躍を、どうぞ、楽しみにしておくれ!


さぁて!

錯乱ピエロ!

錯乱ピエロ!

いよいよ閉幕! いよいよ閉幕!

それでは、おいらは、この辺で!

ん? ところで、そこの五月蝿いお前は誰かって?

何で、気付いてくれないんだい!!
決まってるじゃないか?


勿論、おいらは…………




【 閉幕 】