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<東京怪談ノベル(シングル)>


玻璃の向かう先
 広い広い敷地の中、そこにある大きな屋敷の一角で、青と白と甘い茶色が、影に消えた。


 黒い革でできた、編み上げタイプのロングブーツが、床を軽く叩く。なのに、まるで足音がしなかった。
 その動きに合わせて、腰までありそうなロングヘアーが揺れた。透けそうな甘い茶色をした、柔らかそうな髪だ。
「……」
 高科瑞穂は、聞こえるか聞こえないかといった小さな吐息を洩らした。
 青のニコレッタ調のメイド服に、フリルのついた白いエプロンは、この屋敷のメイド達の共通の衣装だった。
 良く見ると、花柄がモチーフらしいカチューシャ。袖はふんわりとしたパフスリーブで、中にペチコートが入っているらしいスカートは、ずいぶんなボリュームを出しているが、それもまた妖精のようなふわふわ感があり、可憐な印象を持たせた。長い髪も、その印象に一役買っているに違いない。
 足元はガーターベルトで留めた黒のニーソックスであり、覗かせる肌の色は、女性らしい色香を漂わせる。魅力的な肢体は、動くたびに息を飲ませる。
 しかし彼女は、手にグローブらしきものを持っていた。もちろん、メイドなどの女中が身につけるものではない。明らかにそのグローブだけが異色だった。
 膝まであろうかという編み上げブーツであるために、彼女は丁寧に紐を整え、足のサイズに合わせて結び直した。そして衣装に似つかわしくないグローブを、きっちりと嵌めた。
 何度か、手を握ったり開いたりとしてみる。準備完了とばかりに、瑞穂は目を細めた。
 確実なのは、彼女がただのメイドではないことだ。お茶や菓子を用意し、恭しく頭を下げて挨拶をし、細々とした雑事をこなすような、ただの使用人ではないこと。
 知る人が語れば、彼女が自衛隊の中でも、特殊な課に所属していることが分かるだろう。
 通常の自衛隊員が関わることのない、超常的な現象、またその原因になっているような、魑魅魍魎の類。それらに対抗するべく存在している、近衛特務警備課の一員である。
 一口に魑魅魍魎―――つまり妖怪変化といっても、事件の裏には人間が関わっていることも多い。人間あっての妖怪であり、また己の私欲のために、妖怪をも利用する者がいる。そしてそれは、決して少なくないのだ。
 瑞穂はそれまでにも、いくつもの任務をこなしてきたが、そんな風に関わる人間を幾人も見てきたのだった。そして今回も、人間が関わる任務だ。
 人の手がまるで入っていない、隅の部屋に入ると、埃がむわりと舞う。が、彼女は冷静に、しゃがみ込んで床板に触れる。
 指先が、つつ、と床板をなぞっていく。一見しただけでは分からない、床板の隙間に指を入れ、それを外して見せた。現れたのは、いかにも引いてくださいと言わんばかりの、窪みのある地床。
 それすらをも引くと、現れた石造りの小さな階段があった。地下室だ。
「…やっぱりね」
 ぽつり、と彼女は呟いた。誰も立ち寄らない屋敷の一角くらいしか、彼女が求めるようなものはないと踏んで絞り込んでいたのだ。
 屋敷自体はとても広く、滅多に使わない部屋があっても、そうおかしくはないのだが、他のメイドたちは、屋敷の主が関わるモノのことを、誰も知らないだろう。表向きはただの資産家の邸宅である。
 念のため、仕掛けなどがないことを確認しつつ、ひとつひとつ、慎重に階段を降りて行く。その階段は、人ひとりがやっと通れるような、狭いものではあったが、降り切ると想像以上に広い地下室となっていた。
 例えるならば、学校の教室くらいの広さだろうか。狭苦しさを感じるような、並んだ本棚や資料棚を眺める。
(なるほど、これは人目につけたくないわ)
 内心、納得してひとりごちる。笑いごとや冗談話にできないような、異形の存在についての資料が、そこには収まっていた。
 資料棚のラベルを確認し、透明なトレイで出来た引き出しを、そっと引く。
 その手際たるや、鮮やかとしか言い様がない。物色するのに無駄な時間は一切かかっておらず、彼女がこの道のプロであることを示している。これまでこなしてきた、任務の数々に裏付けられる自信も、瑞穂にはあった。
 周囲からの評価も良く、また自分でも着実に力をつけている実感がある。
 潜入任務も、これが初めてではない。軽く見ているつもりは一切ないが、この調子ならば、問題なく終了させることができるだろう。これまでの経緯は順調であり、余程不測の事態でもない限り、またひとつ瑞穂のキャリアが上がる。
 仮に、だ。屋敷の警備に見つかったとしても。瑞穂は重火器の扱いだけではなく、近接戦闘の手段も心得ている。特に、こういった潜入捜査では、火器を扱うことはできない。よって肉弾戦での力量を必要とされるが、女性ながらも一般の自衛隊員を遥かに凌ぐ戦闘力を持っているため、問題は何もない。
 いくつもある紙の束を、ひとつずつ確認していた、その時だった。
「そこのお前」
 ぴくり、と反応した瑞穂は、ゆっくりと踵を返して振り返った。
 何時の間に、そこにいたのだろう。一人の男が階下に立ち、瑞穂を見ていた。
 室内だというのに、サングラスを掛けているため、その表情を伺うことはできないが、形容し難い威圧感があった。身長が高く、筋肉質らしいがっしりとした体つきなのも、また威圧感を増す要因になっていた。
「何をしてる」
 端的なセリフだったが、相手の男が瑞穂を怪しんでいるのは、一目瞭然だった。
 瑞穂は向き直り、メイドたちがそうするように、恭しく一礼をする。
「ご主人さまより、資料揃えておいて欲しいと―――」
「お前」
 瑞穂のセリフを遮り、男が言う。かつん、と一歩前に進み寄った。まるでプレッシャーをかけるかのように。
「雇われたばかりのメイドだな。つい最近だ」
「よくご存知ですね」
 凛とした声が、逆に男に問う。
「良く出来た動きだった。が、出来すぎだ。一般人の動きじゃねえ」
「なるほど、ずっとマークしていた…というわけね」
 もはや隠しきることは不可能、と瑞穂は目を細めて見せた。
 相手は男。当然瑞穂よりも体格がいい。
 けれども。倒して進む自信がある。相手が男だからといって、臆することは何もない。
(これは憶測だけれど、)
 観察しながら、瑞穂は軽く唇を噛んだ。
(この男、単独行動するタイプじゃないかしら…。気づかれているのは、恐らくこいつだけだわ)
 だとしたら、なおさらここで捕まる手はない。
 この男を倒し、
「…突破する」
 ぎり、と皮のグローブが軋むほど拳を作り、足を肩幅程に開いて少し腰を落した。
「なるほど、腕に自信があるわけか」
 男も、それに呼応するかのように、臨戦態勢を作った。楽しそうな笑みを、口の端に作りながら。