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<東京怪談ノベル(シングル)>


     Model(モデル) 〜人間椅子の見る夢〜

 
「君が、モデルになってくれる娘だね」
 木材に囲まれた工房の床には、工具と木屑が散らばっていた。
「は、はい……」
 みなもは、何かの間違いではないかと思っていた。
 お父さんに紹介された、「モデルのバイト」。
 しかもその内容が「木製の椅子」だと言われたときには、絵か彫刻のタイトルだろうかと訝ったものだった。
 ――何だか、嫌な予感がするなぁ。
 ノミにカンナ、ノコギリなどの工具を目にして、みなもは思った。
「大丈夫。何も、切り刻むわけじゃない」
 その不安を察したのか、男は軽く笑った。
 作業着姿の男性は、芸術家というよりは職人らしい無骨さがあった。
 短い髪を、大きな筋張った手でワシワシとかく。
「とりあえず、服を脱いで、そこに立って」
 指さされた場所には、みなもの胸元近くまである幅広の丸太が柱のように立っていた。
 真っ二つに両断されていて、木目の入った平面がこちらに向けられている。
「……脱いで、ですか?」
「そうだよ。でなきゃ椅子にならんだろう」
 男は何かを探しているのか、後ろを向いたまま当然、とばかりに答えた。
「親父さんから聞いてないのかい」
「木製の椅子、とは聞きましたけど」
「だったら問題ないな」
 どうやって椅子になるのか、尋ねようとしたものの、男は納得したようにうなずいて話を切ってしまう。
 みなもはとりあえず、言われた通りに服は脱いだものの、近くにあったシーツで身体を隠しながら指示された柱の脇に立つ。
 振り返った男は、木の幹をくり抜いたような筒状の桶を手にしていた。
 器と一緒になって色はよくわからないが、粘り気のある液のようなものが入っている。
 甘酸っぱいような、つんとした匂いが漂う。
「そこに背をつけて。もたれるんじゃなくて、ぴったりと沿うんだ。中腰になる。膝を曲げて……そう、空気椅子みたいな感じで」
 さっきまでは職人のようだったが、そうした指示の仕方はやはり、モデルに指示する芸術家のように思えた。
 だけど目の前にはカメラもキャンバスも用意されてはいない。
 空気椅子の体勢のまま、脚の曲げ方や背筋の伸ばし方など、細かい点を指摘されるのは中々つらい。
「大体、こんな感じかな。ちょっと待ってなよ。動かないように」
 男は言うなり、さっき用意していた桶を手に取った。
 そして刷毛を片手に、粘り気のある琥珀色の液体を、みなもの足に塗りつけた。
 温かいような冷たいような、妙な感触だった。
ハチミツのように粘着質なものが、肌に染み込もうとする。
「いた……っ」
 みなもは思わず、声をあげた。
 ほとんど目には見えないような毛穴の1つ1つをこじあけて、無理やり中に侵入してくるような痛みが走る。
 それだけではなく、液を塗られた足はその粘着性のためか、固まってしまったかのように動かない。
「な、何? これ……」
 みなもは不安に思って、逃れようと身じろぎする。
「動くなと言っただろう!」
 しかし怒鳴られ、驚いて身をすくませた。
 怯えた瞳をしながらも抵抗をやめたみなもに、男は更に液を塗りつけていく。
 若干ずれた配置をまめに調整しつつ、太腿、腹部、胸元と上にあがっていくように。
 刺すような痛みに涙を浮かべながらも、みなもは必死になって耐えた。
 作業は、一度では終わらなかった。
 しばらく乾かしてから、またその上に塗りつけていく。
 それでも多少の痛みはあったが最初の頃よりはマシだったし、何より身体が固まってきている分、中腰の体勢がさほどつらくはなくなってくる。
 麻酔のような作用でもあるのだろうか。
 痛みがあまり感じられなくなっていく。
 塗られていくそれは、一見すると樹脂のようだった。
 光沢と粘り気のある、琥珀色の液体。
 そのまま固まってしまえば、琥珀の中に閉じ込められた虫や木の葉などのようになるのだろうか。
 みなもはそう思ったが、やがて違うことがわかってきた。
 痛みと共に体に侵入してくるその液体は、ただの樹脂でも樹液でもなかったのだ。
 みなもの足元を、樹皮のような硬い皮膚がおおう。
 太腿や腹部などの上半身には、うっすらと木目が浮かび始める。
 背にしている木の柱に、侵食でもされているように。
 みなもの身体が、少しずつ――けれど確実に、人間から別のものへと変化していく。
 その頃には、苦痛と恐怖でしかなかったそれが、むしろ心地よいもののように感じられてきていた。
 内部が侵食され、樹と一体となる感覚。
 みなもという個体が失われつつも、逆に浮き彫りにされていくような気もする。
 髪の毛にも樹液――いや、呪液が塗りつけられ、緑色の蔓のようなものに変化していく。
 それを、背後の樹と共に、自身の身体に巻きつけられる。
「――さぁ、完成だ」
 男は満足げな息をつき、そう言った。
 一度その場を離れたかと思うと、隅の方からガタガタと姿見を取り出してくる。
「どうだい。いい出来だろう」
 そう言って、見せられた姿は――。
 背もたれと足の部分が一体化した柱と、そろえられたみなもの足で立つ、二本脚の椅子。
 ふくらはぎの部分まではブーツでも履いているように樹皮におおわれているが、そこから上は魚の鱗に似た美しい木目が現れている。
 如燐杢(じょりんもく)といわれる、希少価値の文様だ。
 丸みを帯びたフォルムはそのままに、木を削られた彫刻のようになっており、そこへ髪の毛だった蔓がからめられている。
 その造形は確かに、目を見張るほど綺麗だった。
「人間椅子の完成だ」
 男は満足げな笑い声をあげる。
 人間椅子……江戸川乱歩の小説に、同じタイトルのものがあった。
 それはある男が肘かけ椅子の中に入って生活をする話。
 一枚の布を隔てて、その膝に人を乗せ、手と胸でそれを受け止める。
 感触、匂い、音でのみ人を認識する、奇妙な世界。
 ――だけど布すらへだてることなく、この太腿に直接腰をかけ、この胸に寄りかかる その感触は、一体どんなものだろう。
 そう、まるで彫刻のように見えるその肌は、実際には人のそれと同じく柔らかく、温かい。
 みなもが触れられたときの感触もまた、人のときのままなのだ。
 せっかく椅子になったのなら、誰かに座ってもらいたい。
 ただ飾られるだけじゃなく――。
 みなもは切に、そう願った。
 どうか、座ってみてください。私の座り心地はいかがですか――?