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<東京怪談・PCゲームノベル>


ある少年の憂鬱――パティシエ志望と見習い神主の場合


 桜の開花には今少し遠い。だが三月のまだ薄寒い冬の空気の中で、神社の陽だまりだけが春めいて綻んでいた。ひらり、視界の隅をピンクの花びらが過ぎて行ったような。そんな気がして式野未織は顔を上げる。
 たまの休みに何か異変でもないかとダウジングをしていたのだが、どうやらここがペンデュラムの導き先らしい。そうと察して辺りを見渡す。小さな神社の境内には幾つか蕾を膨らませた桜の若木が植えられていて、きっと春先には薄紅色で賑やかなのだろうが、今は残念ながら、未織と同じくらいの年頃の男の子が一人、詰らなさそうに神社の屋根の上を眺めているだけだ。
 と、その少年は未織に気付いたようで、はっと目を丸くした。しばらく未織を不審そうに眺め、それから片手に持っていた箒を手持無沙汰そうに振り回しながら、
「…? 迷子?」
 ――いきなり首を傾げられてしまった。
「いえいえ、迷子ではなくて…」
「あ、じゃあもしかして参拝客? お賽銭入れてくれるんなら大歓迎。どうぞどうぞ」
 どうやらこの神社の関係者なのだろうか。嬉々として賽銭箱の方へ自分を引っ張ろうとする少年に慌てて未織は手をぱたぱた振った。
「いやいや参拝客でもないです!ミオはただ、ダウジングしてたらここに辿りついただけの通りすがりで…」
「あれ違うの? 遠慮しなくていいんだぜ。ご利益は微妙だけ…あ痛っ。何だよ殴るなよ、さくらが今自分で言ったんじゃねぇか、『縁結びは専門外』って!」
 言葉の後半は目の前の未織ではなく、何故か少年は頭上に向けて叫んでいたようだった。視線を追って彼の頭上を見上げた未織だが、残念ながら彼女の眼には何の変哲もない小春日和の空しか見えない。再び少年の方へ目を戻すと、彼は溜息をついているところだった。
「何か困りごとですか?」
 未織のダウジングは時折、助け手を求める人の元へ未織を導く事がある。もしやと思って問いかけると案の定、彼女の言葉に少年は同意して見せた。
「困りごとというか、女心がよく分からなくてさ…」
「ミオで良ければ話を聞きますよ?女心なら同じ女の子が一番ですしね」
「…いや、お子様に分かるような話でもないような…」
「あの、勘違いされてるみたいですけど、ミオは高校一年生の十五歳です」
 少年は一度胡散臭そうな目付きで未織を見、何故かまた虚空を見上げ、それから目を丸くした。
「女子高生!?っつか俺と同い年!?」
「そ、そんな本気で驚くほどのことですか!?」
「いやーごめんてっきり小学生かと。悪い悪い」
「……ホントに女心の分からない人なんですね。ミオ、相手の人がちょっと可哀想になってきました…」
 初対面の女性に年齢の話をするなんてデリカシーが足りないのではないだろうか。未織はちらりとそんなことを考え、顔も知らない女性につい同情してしまった。
 
 
 少年は秋野藤、と自らを名乗った。見習い神主だそうだ。自己紹介も早々に、彼は口早に相手の女性――佐倉桜花という名前で、一つ年上の先輩らしい――のことを語り出した。余程誰かに聞いてもらいたかったのだろう。未織は適当に相槌を入れながら彼の愚痴とも惚気ともつかないような話を聞く事にする。
 秋野は神社の軒先で立ち話もなんだから、と、神社の傍にある自宅の縁側でお茶を出してくれたので、そのお茶を一口すする。いい塩梅の緑茶であった。
「それでー、秋野さんは、その佐倉さんと仲直りをしたいのですね」
「うん、仲直りっていうか、まぁ桜花ちゃんが怒ってるのはいつものことなんだけど…。…このクッキー美味いね、どこで売ってんの?」
 お茶うけには少し不適切かもしれないが、お茶のお礼にと未織がたまたま持っていたおやつ代わりのクッキーを二人はつまんでいる。
「これはミオのおうちの特製なので、お買い上げはどうぞ我が家へ、ですよ」
「ぬぅ…見た目の割になかなか商売上手だな未織ちゃん。ウチもちったぁ見習わねぇと…っとどこまで話したっけ?」
「佐倉さんが怒って朝から口も利いてくれない、という話から始まって、普段から叱られてばっかりらしい、という辺りですかねぇ。…何したらそんなに怒られるんですか?」
 相手の女性は怒りっぽい女性なのだろうか。そんなことを思いながら問いかけると、秋野はえへへと笑った。少し照れ臭そうだ。
「洗濯物の干し方がなってないとか、ご飯食べたらちゃんとお茶碗を水に漬けておくこととか、あと、神社の賽銭をやたら人に要求しないとか、カミサマの相談事にばかりのってないでちゃんと自分のことをやれとか。まぁ俺のこと心配してくれてんだろうし、あんま気にしてないよ」
「心配されてる自覚があるならもっと気にした方がいいんじゃないかなぁ…」
 未織の脳裏にはぐーたらな息子とそれを叱る母親の図が浮かんだ。もしや佐倉さんとやらは怒りっぽいのではなく、結構な気苦労をしているんじゃなかろうか。
「未織ちゃんはどう、同じ女子高生として――どういう時に、『口も利きたくない』ってくらい腹が立つもんなのかなぁ」
 この質問に未織はうーん、と少しだけ唸ってしまった。元来心根の優しい彼女は他人に対して「口も利きたくない」と思うほど激しく怒りを覚えたような記憶があまりなかったのである。それでも考えて考えて、未織の出した結論は、
「ミオだったらそうですね。命が掛かるようなコトじゃなければ――あとは、そうだなぁ、楽しみに取っておいた大事なお菓子を勝手に食べられちゃったりしたら、ものすごーく怒るかも」
「…お菓子。ふむ、お菓子か…」
 手元のクッキーを見下ろして、秋野。と、その彼の傍でふぅと不自然な風が吹いた。緩い上にやたら温かい風に顔を上げた彼は何を言われたものやら顔をしかめる。
「ああ、確かに、そういやプリン喰ったな、昨日」
「プリン?」
「うん、プリン。冷蔵庫に入ってて、蓋ンとこに『桜花』って書いてあった」
「………どう考えてもソレですよ…」
 なぜわざわざ名前を書いてあるようなものを食べてしまうんだろうかこの人は、と、未織まで何だか目の前の秋野を窘めたくなる。――この場に居ない「佐倉さん」への小さなシンパシーが生まれつつあった。こんな人が傍にいたのでは、それは苦労しているに違いない、と未織は勝手に顔も知らない女性のことを気立てのいいお母さんみたいな人、と決めつけておいた。
「そもそも、何で人の名前書いてあるのに食べちゃうんですかっ、今どき子供だってそんな真似しませんよ!」
「いやだってなんか美味そうだったし…『水晶堂』とか書いてあって、陶器の入れ物に入っててさ」
「水晶堂!?水晶堂のプリンって…秋野さんそれちゃんと価値分かってるんですか!」
 その名前は未織もよく知っている。水晶堂のプリンといえば、1日25個限定のそれはそれは美味しいので有名な一品だ。早朝から並んでやっと手に入るくらいの人気商品である。余談ながら未織も食べた事が無い。
「お、美味しかったんですか!美味しかったんですよね!?」
「うんそれはもうすげぇ美味かった。俺ちょっとプリンに対する見方が変わったわ。プリンってあんな美味いもんだったんだなぁ…」
 うんうん、とその味を思い返しているのだろう、ちょっぴり幸せそうな顔をして秋野がそんな呑気な感想を教えてくれる。
「ああ、羨ましい…っ」
 思わず身悶えるパティシエ志望の未織。そこまで言われる絶品のプリンとあらば、いずれチャンスがあれば食べてみなくてはと彼女は心に誓った。そして思う。見ず知らずの佐倉さんとやらも、――そりゃあ怒るだろう。1日25個限定のプリンをきっと苦労して手に入れたのだろうに、気付けば勝手に食べられてしまっただなんて。未織だって同じ状況だったらさすがに怒る。
「…はぁ。そりゃ怒りますよ、怒るに決まってますよ、その場で絶交されても文句言えないレベルですよ」
 未織が溜息交じりにそう告げると、秋野はあたふたとし始めた。今更やっと自分のしでかしたことの重大さに気がついたらしい。
「えええ!?そ、そこまで!?困る、桜花ちゃんに絶交されたら俺すげー困る!」
 成程、彼はこの呑気さで更に「佐倉さん」の怒りの火に油を注いでいたのに違いない。一人納得した未織は思わず深々と溜息をついてしまった。未織は基本的に心優しい少女だが、多分相手がこんな調子だったら彼女だって怒ってしまうだろう。
「ど、どうしたらいいのかな…」
 そんな訳ですっかり呆れてしまった未織だったが、目の前でしょんぼりと項垂れる秋野を見ると放っておくこともできない。
 仕方なく彼女はううん、と顎に手を当てて考え込んでから、そうだ、と手を叩いた。いいことを思いついた。
「お菓子のケンカはお菓子で解決すればいいんです」

■■

 ――未織の提案はこうだ。さすがに1日25個限定の同じプリンを買って来ることは難しい。ならばせめて、手作りのお菓子を手渡しつつ謝れば、少しでも怒りが和らぐのではないだろうか。
 一も二もなく秋野が賛成したので、二人はさっそくお菓子――プリン作りに取り掛かることにした。
「あれ、未織ちゃんが教えてくれんじゃないの?」
 台所に案内されたところで未織が自分の持ち物からお菓子作りの本を引っ張り出したのを見て、やる気満々でエプロン(ピンク色でフリルがついていた。明らかに女物だ。恐らく「佐倉さん」の私物だろう)を身につけた秋野が首を傾げる。貸し出された藤色の、これまた可愛いデザインのエプロンのリボンを結びながら、未織は少しばかり気まずく目を逸らした。
「ミオが作るお菓子は何故か味がいまいちなので…」
「……パティシエ志望なのに?」
 彼は少し不安そうにそう問い返してからこう付け加えた。
「良かったら後で大願成就の祈祷とかしようか。俺見習いだから気休め程度にしかならないけど」
「ミオだって見習いなんですよー」
「あ、それを言われると俺もあんま大きいこと言えないか」
 あはは、と笑って秋野はそれきり未織のお菓子作りの腕を疑うのは止めにしたらしい。
「じゃ始めよっか!俺お菓子作るの初めてだから、未織ちゃんが頼りだ。よろしく頼むな」
 頷いて未織は早速、プリン作りを開始した。

 グラニュー糖、卵に牛乳、鍋とボウル。台所のものはよく使い込まれているが秋野が配置を覚えていなかった所を見ると、恐らく彼はあまり家事の手伝いをしないのだろうな、と未織は何となく察した。
「普段からお手伝いすればいいんですよ。そしたら、そんなに怒られないと思います」
「そうかなぁ。うーん…」
 そんな会話を交わしつつ、カラメルソースを煮詰めていく。初心者には加減が難しいカラメルソースだが、幸い上手くいったようだ。ほっと安堵の息をついた未織の隣、秋野は真剣そのもの、という顔でレシピと睨めっこをしている。単に不慣れなお菓子作りへの興味というよりも、それは――
「――なぁ未織ちゃん、俺がお菓子作ってもさ、やっぱりプロの人の作るお菓子には勝てないと思うんだよ」
 などと考えていたら、不意に秋野が顔を上げてそんなことを言い出したので、未織はぱちりと目を瞬いた。
「…ホントに桜花ちゃん許してくれるかなぁ、俺の作ったのなんかで…」
「そりゃあ、プロの人の方が、初心者の作るお菓子よりずーっと美味しいのは当然ですよ。お菓子で人を笑顔にするためにすごく努力してパティシエになってるんですから」
 未織もその努力の最中だからこそ分かる。そう易々と、初心者のお菓子がパティシエのそれより美味しいなんてことになったら、困るじゃないか。
 手厳しい一言に秋野が「だよねぇ」と項垂れる。
 未織はそんな彼を見ながら、今度はにっこりほほ笑んだ。
「でも、秋野さんは佐倉さんが大好きなんですよね。その想いを精一杯込めたら、きっと、『みんなを笑顔に』はできなくっても、佐倉さん一人を笑顔にできるくらいのお菓子は出来るんじゃないかなって、ミオはそう思うんです」
 ボウルの中身をかき混ぜる手を止めて、彼女は自身の手元を見下ろした。夢はでっかく、誰も彼もを笑顔に出来るような美味しいお菓子を作れるパティシエになること――なのだが、未だに彼女のお菓子作りの腕はなかなか上達を見せない。
 そんな彼女は、自分で自分の言葉に、ふと溜息をついてしまった。
「――ミオはきっと、そういう気持ちが…食べる人を想う気持ちが足りないから、美味しいお菓子を作れないのかなぁ」
 ぽつり、と呟く。
「うーん、もしそうだとしたらさ、プロのパティシエってすげぇな」
 ぺろりとボウルにくっついたプリンの元を舐めながら、秋野が存外真剣にその言葉に応じた。ただの独白のつもりだったから未織は驚いて顔を上げてしまう。
「だってそうじゃん? どこの誰だかよく分かんないけど自分のお菓子食べてくれる人のことを想うって、すごくない?」
 未織ちゃんの目標は高いなぁ、なんて彼はしみじみとそんな風に彼女を評した。未織は照れ臭くなってもじもじしながらボウルの中身をかき混ぜる。
「そ、それより早く作っちゃいましょうよ!佐倉さんが帰ってきてしまったら台無しじゃないですか」
 それもそだね、と秋野が頷いて、初心者とパティシエ志望のお菓子作りはそれから小一時間ほど続いた。


■■
「あとは冷蔵庫のプリンを三時間から四時間冷やして固めれば完成です。いいですね、それまで食べちゃ駄目ですよ」
「はーい先生、分かりましたー」
 
 ――秋野から「お礼に」と手土産に煎餅と、作りかけのプリンの一つを渡され、紙袋にいれたそれをぶら下げながら未織は帰路につくことになった。帰りがけに、例の神社を横切ることになる。
 階段を見上げて未織はしばし逡巡して、結局、境内へ続く階段を駆け上がった。
 夕暮れが迫って少し肌寒い。桜の木々の並ぶ境内で、未織は紙袋を慎重に置いて、財布から五円玉を取り出す。賽銭箱に投げ入れると、思ったよりも硬い音がした――賽銭箱の中は空っぽなのかもしれない。
(佐倉さんと秋野さんが、あのプリンで無事に仲直りできますように)
 手を合わせてそんなことをお願いしていると、――空耳かもしれないが、未織の耳に低い男性の声が届いた、ような気がした。
 くすくすと、楽しそうに笑う声。
「私は縁結びは専門外なんだが、可愛い参拝客の頼みとあっては断れない。それにどうやら藤が迷惑をかけたようだし、ね」

 これはお礼だよ。
 君の夢の前途にも幸運があらんことを。

 未織が驚いて目を開いた時には、一陣の仄かに暖かな風が吹くばかりで、そこには誰もいなかった。
 ただ、境内の桜が、ぽつりとひとつ。
 ――蕾を緩めて柔らかな春を、告げていた。







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7321 / 式野・未織 / 女性 / 15歳 / 高校生】