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<東京怪談ノベル(シングル)>


   月に惑いて花に酔う


 青白い月の輝く森の中。
 枝にぶら下がる大きなコウモリの影が二つ、揺れていた。

「綺麗なもんだねぇ」
 コウモリ少年の一流が、感嘆の息をつく。
 その森では、沢山の果物が実を結び、甘い芳香を漂わせていた。
 咲き誇っていた花々が、風に散って舞い踊る。
 月光を浴びて浮かび上がるその光景は、見事なものだった。
 一流は飛び立ち、熟れた果実をもぎとると、また同じ場所に戻ってくる。
「はい、みなもちゃん。おいしそうだよ、これ」
 カギ爪にひっかけて、コウモリ娘のみなもに差し出す。
 彼女はためらいがちに「ありがとう、ございます」とつぶやき、それを受け取った。
 世界を逆さに眺めながら行なう月夜の花見。
 静謐な空気は宴会とは程遠いが、それもまた悪くはない。
 夜行性の動物たち以外は寝静まり、世界に二人しかいないのだと錯覚しそうだった。
 ぼんやりと景色に見入っていた一流は、気配を感じて隣に目をやる。
 先ほどよりも若干、距離が縮まっているようだった。
 翼となった両手で抱えるようにして果物を頬張るみなもは、いつもよりも間近に感じられる。
「……?」
 気のせいだろうか、と一流は思った。
 おとなしくて真面目な彼女が、意味もなく接近してくるはずもない。
 しかしみなもは、食事を終えると種を地面に落とし、一流に顔を向けた。
 青い髪が風に揺れ、青い瞳はじっと少年を見据えていた。
 その目はどこか、とろんとしていて、頬も紅潮している。
「どうかしたの?」
 熱でもあるんだろうか、と心配して、一流は慌てて声をかける。
 みなもは答えぬまま、そっと一流の額に自分の額を合わせた。
 両手を一流の首にまわしかけるように広げたので、薄い皮膜の翼に包まれるような形になる。
「み、みなもちゃん……?」
 どうやら、熱はないようだ。
 ただあまりにも間近に迫られ、一流は真っ赤になって戸惑った。
 みなもはそれに構うことなく、すり寄るように一流の首筋に頭を置く。
 花や果実とまた違う甘い匂いが、ふわりと漂う。
 異性を惑わす、誘惑の香りが。
「何だか、身体が火照って……胸もすごくはるんです。ほら……」
 焦げ茶色の毛並みに覆われた胸は、いつもよりも大きく見えた。
 が、そんな感想を口にできるはずもなく、一流はただ言葉を呑む。
 腰つきも、少しくねらせたようなポーズも、声色も。
 普段よりも一層、艶かしいものだった。
 もしかして、果物に酔っ払うような成分でも含まれていたんだろうか。
 いや、それだけではない気がする、と考えながら、一流は彼女から視線をそらす。
「どうして、目をそらすんですか?」
「いや、どうしてって……」
「あたしじゃ、ダメなんですか?」
「そ、そういうわけじゃ」
 慌てて首を振るが、そこを否定してしまえば、別の問題が発生してしまう気がして口をつぐむ。
「あの、それより……そろそろ、戻った方がいいんじゃないかな。お父さんたちも心配して……」
「やっぱり、ダメなんですね」
 ごまかそうとすると、みなもの瞳に涙が滲む。
「違う、違います! ただみなもちゃん、体調悪そうだから。何かいつもと違うでしょ?」
 一流は慌てて、手を頭をぶんぶんと振り回す。
「体調……悪く、ないですよ。むしろすごく、気分がいいです」
 だがそれに、みなもは妖艶な笑みを浮かべた。
 漂う匂いに一流の身体も熱をもち、頭がぼぅっとする気がする。
 ――わかった、これは……発情だ!
 ようやく辿り着いた答えに、一流は真っ赤になった顔をおおう。
 人間には発情期というものがないが、ほとんどの動物にそれはある。
 一般的に雌が匂いなどで雄に誘いかけ、雄がダンスを踊ったり、雌に餌をプレゼントしたりして求愛を示す。
 それを受け取るということは、普通その雄を選んだことになるのだ。
 一流は先の行動を思い返す。
 果物を差し出した一流。それをためらいがちに受け取ったみなも。
 つまり、求愛行動が成功したというわけだ。
「あんまり、恥をかかせないでください。女のコにここまでさせるなんて……ずるいですよ」
 みなもは翼をたたみ、ふい、と背を向けてから、もたれかかるように寄り添ってきた。
 その匂いに触発されるように、一流は翼を広げ、彼女を包み込むように抱きしめる。
 まずい、と思ったときにはもう、後の祭りだった。
 熱をもつ顔には冷や汗が流れ、必死になって視線を泳がす。
 が、抱きかかえたその腕を、ほどくことはできなかった。
 それ以上のことをしないよう、耐えるだけで精一杯だ。
 コウモリの翼は、短く縮んだ腕と大きくひらいた指先の間に皮膜がはられている。
 腕の中にというよりは、手の中に包み込んでいるような感覚だ。
 意識が集中しているせいか、その毛の感触も、肌のぬくもりも、皮膜ごしにしっかりと伝わってくる。
 「……藤凪さん、ドキドキしてますね」
 背中を一流の胸に沿わせたみなもが、静かにつぶやいた。
「あたしもです。……わかります?」
 確かに、抱え込んだその胸元から鼓動を感じる気もするが、自分のものと一緒になって、はっきりとはわからなかった。
「もっとちゃんと、確かめてください」
 雄を誘うのは、雌。
 そしてそのフェロモンに抗うことは、人間であっても難しい――。
 
 ガサッ。

 そのとき、近くで物音が聞こえ、二人は驚き、パッと離れた。
「おや、お邪魔をしてしまったかね」
 フクロウのおじいさんが頭をかいて、謝罪する。
「ほっほっほっ、いいですねぇ、若いというのは」
 そういって笑いながら、飛び立っていく。
 我に返った二人は、赤面したまま顔を見合わせる。
 妙に気まずい沈黙が流れた。
 一流は全てを吐き出すかのように、長いため息を吐く。
「……あの、ご、ごめんなさい。あたし、何だか、妙なことを……」
 真っ赤になって恥ずかしがる様は、いつものみなもだった。
「い、いや、その……僕の方こそ」
 一流も困ったように頭をかく。
 みなもはうつむき、一流はそっぽを向いて、と顔を合わせることができないようだ。
「けどさ、色っぽかったよ。うん、すごく魅力的で……」
 冗談でごまかそうとするが、みなもはますます顔を赤くして、うつむいてしまう。
「わぁ、ごめん。変な意味じゃなくてさ。何ていうか、その」
 焦ってフォローをするが、うまい言葉が出てこない。
 普段はさらりとおどけているため、そんな姿は珍しかった。
 みなもはそれを見て、くす、と微笑む。
「ねぇ、藤凪さん? もしもあのとき、誰もこなかったら……」
「え?」
「どうなっていたんでしょうね、あたしたち」
 小悪魔じみた、いたずらっぽい口調。
 一流は答えることができず、ぱくぱくと口だけを動かした。
 ふふふ、と笑う彼女が、残念に思っているのか、ほっとしているのか。
 推し量ることなど、できはしない。
 そもそも、自分はどちらなのだろう。ほっとしているのか、それとも――?
 

               END