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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


■ ―― 残  響 ―― ■

【―1―】

その夜は確かに、天高く昇ってもなお赤い月が街並を赫と照らしていたのだ。

午前2時54分。

歓楽街を残して眠る街の姿こそ変わらなかったが、明らかに、異変を感じた者たちがいた。
あるいは目覚め、あるいは耳をそばだて、あるいは夢に聞いた音があった。
音、――いや、「地鳴り」と言った方がより近かったかもしれない。

ドォォ―――ン……

ドォォ―――ン……

地震の前触れのような、低く重い、ごう、という音に交じり、その音はあった。
身の丈の数倍もある大太鼓を力一杯に打ち鳴らしたとしても、
この大地を震わせるかのような轟音に比べたならば、可愛らしい音に聞こえたに違いない。
雷の音に幾分似ていたが、雷鳴であればそのような鳴り方はしないだろう。
繰り返し鳴り響く、腹の底にまで抉りこむ重い轟き。

しかし、異変はそれだけではなかった。
謎の地鳴りを「聞いた」者たちは、翌朝、あるものを自身の身体に発見する。
それは、手首のあたりに生えた一枚の鱗。
オパールのごとく虹色に光り、皮膚を突き破るように硬く生えた、さながら爪のようなそれは、その日以降、「聞いた」者たちの身体に一枚一枚と一晩ごとに増えていった。
そう、かの日の地鳴りを「聞いた」者たちにしか、その鱗は生えなかったのである。
そして彼らは毎晩かならず地鳴りを聞き、鱗が増えていく前触れと言える地鳴りに眠れぬ夜を過ごし、地鳴りの原因を究明すべくに奔走するようになった。だが、中には発狂した者もいた…とか。


そんなまことしやかな噂が、「月刊アトラス」の編集部に飛び込んで来たのである。
デスクの前で、パソコンに向かっていた麗香は指を弾いた。
「…私には聞こえなかったわ…。謎の地鳴りに…鱗、ねぇ…。まるで悪い夢のようじゃない。…何故、鱗なんかが生えだしたのかしら。それに、その地鳴りのような音がどこから聞こえてきているのかも、解らないところよね。その「聞いた」人たちは、是非とも実際に会って話を聞いてみたいわ。――三下、アトラスの読者投稿募集に載せるわよ。体験談募集、としてさりげなく、ね」




【―2―】

「あなたが、海原みなもさん、ね?」
客人を迎えた麗香はデスクへと向き直り、その白い指を組み直した。

あれから――麗香が唐突に読者投稿欄を改変するという決断を下してからは、怒涛の勢いで紙面に変更が加えられた。
まず、いつもの読者交流ページに、「オカルト体験募集!!――あなたの不思議な体験談が、なんと再来月の『アトラス』の巻頭カラー特集に!」という大きな文字が書き加えられた。そして、募集要項には「採用された方の体験談を次々月『アトラス』の特集とします。つきましては電話などで連絡を差し上げる場合があります」との注意書き。
これで、鱗の噂を知っている読者が葉書を送って来てくれれば、アトラス側からも堂々と連絡をする事が出来る。
麗香は腕を組んで言ったものだ。
「これは賭けよ。次の『アトラス』の特集記事にもならなさそうなネタが引っ掛かってもしょうがないし。――例の鱗の話の体験談が運良く飛び込んできたとしても…、私たちに情報を提供してくれる人ではないかもしれないわ。それに、鱗の噂を知っている人が私たちの元に来てくれたとしても、有力な情報を持っているかどうかわからないし、もし持っていたとしても、わずかの時間で真相を追究できるかどうか…それも皆目わからない。勝算があるか、ないかと言われたら、断然、無い――わね。」
「そんなぁ〜! てことは、はじめっから大負けするってもう決まっている賭けじゃないですかぁ」
入稿間近――どころか、締め切りを過ぎているページの台割に記事枠を張り込みながら、三下は悲鳴を上げたのだが、麗香はそんな三下をものともせず、艶然と笑ったものである。
「なぁにを弱気なことを言っているの! あんたもここで働いていったいどれだけ経つの? ――99%負けるとわかっている賭けでも、残りの1%にさらに賭けてみる。それが私たち、オカルト屋魂っていうものじゃないの」
麗香に発破をかけられついで、思いっきり背を叩かれ、その後、一週間、三下の背中には麗香の手形がくっきりと赤くついていたとかいないとか――。
だが、杞憂とはよくいったもので、事態はそう悲観するほどのことでもなかったようである。
雑誌が発刊された後、しばらくもしないうちに、『アトラス』としては珍しく、読者からの体験談の投稿が矢継ぎ早に寄せられた。ただし、それら体験談の内容は、「湯島天神に出没する梅の精の噂」だの、「新宿アルタ前のアルタビジョンに新月の夜に10秒だけ映る幻の噂」だので、件の鱗の噂に関する体験談はなかった。
ただ一枚の葉書を除いては――。

『アトラス』編集部の室内に、コーヒーの香ばしくも甘い香りがゆったりと漂っている。
麗香のデスクの前に、招かれた客人はいた。
セーラー服の肩も華奢な背中の、肩甲骨の下までに流れるストレートの髪は、深い海の色を思わせるような濡れた色をしており、その垂れる髪筋の合間からは白いうなじがのぞいていた。
「じゃあ、みなもさん、と呼ばせていただくわ。昨日はごめんなさいね、いきなり携帯電話に連絡しちゃって。びっくりしたでしょう。そして今日お呼びだてしてしまったわけだけれども、その…聞かせてくれるかしら。あなたが送ってくれたお手紙に、真夜中に不思議な音を聞いてから鱗が生えるようになった人を知っている、と書いてあったけれど、その人――あなたのお友達かしら? それとも、クラスメートかしらね。その人が、どんな音を聞いたのか、どんな所に鱗が生えるようになったのか、それはどれくらいの大きさだったかとか…他には変わったことがなかったのかとかをね、出来るだけ詳しく、聞かせて欲しいの。もちろん、そのお友達のことを特集の記事に載せるのが気持ちとして憚られるのなら、それとわかるように書いたりはしないわ。秘密は、守ります。」
常日頃の沈着冷静な麗香らしくもなく、矢も盾もたまらずとばかりに息せき切って尋ねたのだったが、学校帰りと思しいみなもは、麗香の言葉にかぶりを振った。
それまで俯きがちに麗香の話を聞いていたみなもが、はじめて顔を上げたのだったが、髪の色と同じに海の色を湛えた瞳に、輝きはなかった。
「ええ、――いいえ。…あの、ほんとうに、秘密を守ってくださいますか?」
それは小さな声だった。とても、とても小さな。今にも消え入りそうなほどの。
麗香は、みなもの言葉そのものよりも、むしろその声音の弱弱しさに驚いたようだった。
デスクから身を乗り出すようにして、窺うようにみなもの目を覗き込む。
「え? ええ、…ええ。もちろんよ? 他人のプライバシーにはおかまいなしの記事を書く私たちじゃないわ。…それは、これまでのアトラスを読んでくれれば、きっとわかってもらえると思うけれど。大丈夫、自信を持って言えるわよ」
「そうですか。そういう風に言ってもらえると、あたし、ちょっと、安心…。」
みなもの肩から力が抜け、麗香はそこで初めて気付いたのだった。
目の前の少女が、実はひどく緊張していたらしいことに。
「あたし、あたし…困っていたんです。お送りした手紙には、『鱗が生えるようになった人を知っている』って書いてしまいましたけれど、それ――クラスメイトとかじゃなくて、本当は、あたしなんです。」
一瞬にして、部屋の空気が凍りついた。
茶請けの菓子を用意するようにと麗香に言われて、クッキーにしようか、ケーキにしようか、洋菓子をためつすがめつしていた三下も、おもわず菓子箱のフタを持ったまま固まってしまった。
麗香が、ごくり、と固唾を飲む。
「あなたが…?」
「…はい、嘘をつくつもりはなかったんですけれど…どうしても、怖くて」
何が「怖い」のかは、言わずとも麗香には知れた。
それは怖いだろう。
もし、好奇の目で見られて、面白半分に顔写真などを取られて、「鱗の生えた少女」などという触れ込みで特集記事に載せられてしまったら? 学校の名前まで出されてしまったら。それがクラスの生徒たちにもしも何かの拍子に知られてしまったら。もう学校に通えないではないか。
麗香は哀しげにみなもを見つめた。みなもの肩は震えていた。
「ごめんなさいね。みなもさん、あなたが何を怖がっているのかは、私、何となくわかる気がするの。私は今、正直なところ、物凄く驚いているわ。そして、もうひとつ正直に言うと、私はあなたに会えてとってもラッキーだったって思ってる。でもね、あなたの生活を脅かしてまで、特集を作ろうとまでは思っていないのよ。私自身の生活なら…、それにあっちにいる男――『みのした』っていうのだけれども、あいつの生活だったら、いっくらでも脅かすけれどもね。」
麗香が笑って見せると、みなもの強張った表情は少しだけ和らいだ。
「私たちがあなたを、言ってみれば食い物にしないかって、怖かったでしょう。安心して。さっきも言ったけれど、私たちは秘密は守るのよ。怪奇現象を検証したり、紹介したりするのは大切だけれども、私たちの雑誌を読んでくれる読者の皆さんの秘密だって大事よ。だから、心配しないで。」
みなもが小さく頷いた。
小さかったが、はっきりとした頷きだった。
麗香は安心したように息をついた。
「それにしても、そんな気持ちを抱えて、よく私たちの所に来てくれたわね。あなた、勇気があるわ」
そんな麗香の言葉にみなもは口ごもった。
「勇気…。違うんです。あたし、困っていて。」
「え?」
「どんどん広がっていくんです。鱗が。もう、体育の時間に着替えることも出来なくなってきて…。風邪で具合が悪いから授業を休みますなんていう言い訳もそんなに長い間は続きませんし」
「だから、…あの、麗香さん…っ!」
みなもがデスクの上へと身を乗り出し、麗香の手首を握った。
いきなりの剣幕に、麗香も目をみはる。
「お願いがあるんです。麗香さんや三下さんは、今までいろんなオカルト現象を扱っていらしたのですよね? あの、あたしに力を貸してもらえませんか。あたし、元の身体に戻りたい。鱗が生えたなんて、気持ち悪がられそうだし、こんなの友達は当然、家族にも誰にも言えなくて。だから麗香さん、助けてくださいませんか」
みなもの瞳には、必死な色があった。
気圧された麗香は一も二もなく頷いていた。
「わかった、わ」




【―3―】

しかし。
事はそう簡単に運ばなかったのである。

「みなもさん、あなたを助けたいのよ。助けたいのだけど、私たちにいったい何が出来るかしら。どうしたらあなたを助けられるかしらね。」
みなもの左手首に鱗が生えるようになるまでの経緯を聞いた後、みなもの頼みを引き受けた麗香は、ふたたび腕を組んだ。
「鱗が生えたことの原因は、例の不思議な地鳴りよね。でも、それが何の音なのかわからない。どこから聞こえて来ているものなのかもわからない。何の目的があるのかもわからない。むろん、鱗自身の消し方もわからない…。もう一度、整理しましょう? みなもさん、あなたはどうしたいのかしら」
「鱗を消したい、です。これが見つかったらと思ったら、学校にも行けないし、家族の前でも隠すのに大変だし…。とっても硬くて、皮膚の下から文字通り『生えて』いるみたいで、引っ張っても取れそうにないんです。まるで…爪みたいに。麗香さん、三下さん、気持ち悪がらないでくださいね。――ほら、こんな風に。」
麗香が息をのんだ。三下も押し黙った。
鱗はみなもの手首の上から生えていた。
光沢があり、光の当たり具合で色の調子が白・ピンク・水色・緑・黄色…と変わるそれは、さながらオパールのような輝きを放っていた。
それだけを見ている分には、気持ち悪いと感じるようなものではない。それだけを見ている分には。
問題は、それが皮膚の下から肌を突き破るようにして生えてきているところにあった。
鱗の生え際の肌が薄赤い色に染まっている。そしてぱっくりと裂けたように見える肌の狭間から硬く分厚く生えている大きな鱗。見るだに、痛々しい。
直径4センチほどのやや楕円形をしたそれは、今や全部で32枚。はじめは一枚だったのが、日ごと夜ごとに増え、そしてあろうことか大きく成長していっているのだと、みなもは言う。
「ここ…痛いんです。新しい鱗が生える時は、特に。血は出ないのですけれど、びりって、まるで肌が硬いもので破られるみたいに…」
毎晩襲ってくる不気味な痛みというものを想像して、麗香は背中にひやりと走る冷たいものを覚えた。
みなもがここに来た時、沈鬱な表情をしていたのも道理である。
彼女は、人には言えない秘密を長い間抱え、毎晩のように不可解な異物が身体に生まれる恐怖と戦っていたのだから。
麗香は腹を決めたように力強く頷いた。
「じゃあ、こうしましょう。もしかしたら…いえ、十中八九、そうなるでしょうけれど。みなもさん、これは長い道のりになるかもしれないわよ。鱗がなぜ生えたのかをもう一度、そう、もう一度考えてみるの。原因を究明できれば、もしかしたら、あなたの鱗を消すことも、できるかもしれない。たとえば、みなもさんが聞いたという地鳴り。地鳴りなのだから…きっと地震あたりよね。だったら、みなもさんが地鳴りを聞く時間帯に起きた地震の震源を調べてみて、場所が毎回同じであるとか、一定の法則性があるとかであれば、その震源付近の地中を調べてみれば、何か見つかるかもしれない。鱗の謎も解けるかもしれない。――ただ、できるかもしれない、という想像と可能性の範疇でしかないことだけは忘れないで。それでも、やってみるかしら? もちろん、私も三下も一緒に考えるわ。そして、私たちにできることがあれば、できるかぎり、やるつもりよ」
いつしか麗香はみなもの手を握り締めていた。
みなもの深い青を帯びた瞳が輝く。
「麗香さん、あの、あたし…実はこれでも人魚の末裔なんです。」
「ええぇ!?」
すっとんきょうな声を上げたのは三下だ。
みなもの手元からいましも下げられるところだったコーヒーカップとスプーンとが、がちゃん、と派手な音を立てる。
「ええ? ええ? だって、ということは、鱗って、魚のものでしょ…? 元々みなもさんのものだったりとか…しないんです、か…?」
みなもは小さく肩をすくめ、自嘲気味に笑った。
「自分の鱗だったら全然怖くはないんですけれど、人間の姿の時も消せない鱗は怖い…。それに、とても怖く感じるのは、あたしが人魚だからなのかもしれません。あたしたちの鱗ってとても大切なんですよ。あたしたちが人魚である証。ちょっとおおげさかもしれませんけど、心の一部みたいなものなんです。だから、誰のものかわからない鱗、ほんとうは誰かの身体の一部なのかもしれない鱗が、ここにあるっていうことは…。――この手首の鱗は、いったい誰の心の欠片なのか。どうしてあたしの身体に置いてきぼりになっているのか。――怖い。」
納得した風に麗香がまたひとつ頷いた。人間には感じ取ることが出来ない、人魚にしかわからない感覚もあるのだろう。そんな世界を麗香が垣間見た時。
ふと三下が横合いから口を出した。
「そういえば、みなもさん、はじめて鱗が生えた夜は、不思議な地鳴りが聞こえたっていう話でしたよねえ。それに、それから鱗が増えていくときも、かならずその地鳴りが聞こえたって。それって、ほんとうに地鳴りだったんでしょうか」
麗香がギロリと三下を睨んだ。
その鬼の形相に、「三下、あんた、こんな話の時にいきなり何トンチンカンなこと言い出すのよ、ちったぁ空気読みなさいよね!」と書いてある。
三下は、一瞬にして震え上がったが、その口を閉ざすことを許さなかったのは、みなもの方だった。
「え…? それって、どういう…? あの、三下さん、でしたよね。それってどういうことなのか、もう少しお話していただけますか?」
鬼の視線に射られて完全に硬直してしまった三下が、麗香に「ボク、話してもいいですか」なアイサインを送る。麗香は「しかたないわね」なアイサインを返す。
「ボク、こないだものすごい雨に降られたんですけど、その日は雷も鳴っていた日で。このビルを降りた所の定食屋でハンバーグ定食を食べていたら、斜め向かいのビルの避雷針に雷が落ちたんですよね。店の中は一瞬で真っ暗。あ、停電ですよ、停電で。だけど、ボク、しばらく気付かなかったんです。それが落雷だったってことに」
「え? でもそんなに近くに落ちたのだったら、物凄い音だったでしょう? それなのに気付かなかったんですか?」
「…あんたの耳がおかしいんじゃないのかしらね。」
「麗香さんっ。ちゃんとボクの話を聞いてくださいよぉ〜。そういう麗香さんだって気付かなかったクセにぃ。」
三下が唇をとがらせた。ギクリと肩を強張らせた麗香は、「なんのことかしらね」とばかりにそっぽを向く。
「ボクは落雷に気付かなかったですけど、もちろん音自体には気付いたんですよ。みなもさんの言うとおり、物凄い音でした。『ドカーン!!!』っていう、大きな物が落ちたか、何かが爆発したかのような音で。――つまり、もうおわかりかと思うんですが、ボクの耳には、落雷の音が、雷の音として聞こえなかったんです。だから、落雷だと気付かなかったというわけなんです」
「はっきりと聞こえた音でも、聞き間違えることがある…ということね。みなもさん、三下が今こう言ったわけだけど、『地鳴り』は、ほんとうに『地鳴り』だったと思う? よく考えてみたら、鱗、ですものね。鱗で地面…と考えるより、鱗なのだから水中と考えた方が自然ではあるのかもしれないわ。ねえ、みなもさん、ほかに、何か聞こえた音はなかったかしら?」
「音…ですか? 音…。――――あ!」
みなもが、思わずといった仕草で口元に手を当てる。
「一度、最初に一度きりですけれど。地鳴りと一緒に聞いたんです。ドーン、っていう低くて大きな音と、それと、声。でも、何を言っていたのかは、聞き取れないほど短かったし、途切れ途切れだったからわからなくて…。ごめんなさい、役に立たない話ばっかりで」
「ううん、そんなことはないわ。気にしないで。声…のほうは、言葉は途切れがち…ね。じゃあ、どんな声だったのかしら? それに、その、ドーン、という音は地鳴りではなく?」
「声は、なんていったらいいんでしょう…。響くくせにガラガラした声でした。大きな鐘の音のような。ドーンという音の方は、…違います。もっと、物を叩いた音に近い感じ…。叩いた音…ううん、たとえて言うなら、崖に大波が砕ける時の轟き…みたいな感じ。それに、一定の間隔で打ち鳴らしているような音…だったような」
「なるほどね…!」
麗香が感嘆の声を上げた。
「三下、あんた、いい所に目をつけたかもしれないわよ? ねえ、みなもさん。鱗、地鳴り、声、一定の間隔で聞こえる波が砕けるときのような音。…地面というより、『水』の線が強いんじゃないかしら」
そして一転して声を潜める。だが、その声音はどこか楽しげな響きを帯びていた。
「水、ですか。だったら…!」
みなもの瞳が不意に輝きを増す。
「――あたし、水の記憶だったら遡行できるんです。あたしの力で、もしかしたら探せるかも…!」
「ねえ、みなもさん…。これは、もしかしたら、もしかしたらやれるかもしれないわよ。いいえ、私、俄然奮い立ってきたわ。これまでだって、絶対間に合わないとわかりきっている数々の企画を乗り越えてきたのだもの。百戦錬磨のアトラス編集長こと碇麗香とこの永久下っ端三下、 やれるだけのことはやってみましょう!!」
「麗香さん…!!」
麗香の手を、みなもは力強く握り返したのだった。




【―4―】

だが。
前途多難とはよく言ったものである。
手がかりというのは、つかめたと思った瞬間にするりと掌の中から逃げていく。
あるいは、新たな問題が浮上する。
今回は後者だった。
「でも、水があるところ、ねぇ…。それで、あれだけの音がするわけだから、ちょっとした水溜りなんかじゃないわよね。川、でもなさそう。ということは? たくさんの水があるところ…。海とか、川とか、池ってあたりになるかしらね。でも、たくさんあるし…」
考えあぐねて溜息をついていた麗香の肩を、みなもが叩いた。
「あたし、水から聞いてみます。」
「でも、どうやって? あいにくこの近くには水場はないのよ。東京湾のあたりまで出かけてみる? …それにしたって、波打ち際まで降りられるところを探さなくちゃいけないけれど」
「いいえ、麗香さん、そんなところにまで出かけなくても大丈夫なんです。あの、ちょっとこちらの水道をお借りできますか?」
「給湯なら向こうだけど、え――?」
みなもは麗香に笑いかけた。
「水道の水だって、間に水道管や浄水場は挟みますけど、元は川やダムから来ているんですもの。この水に聞いてみます」
みなもの言葉に、三下が驚きの声をあげた。そしてすぐさま声を潜める。
「ええ?! 水道水に…? 水道管の中の水でも、答えてくれるんでしょうかね、麗香さん」
「それが出来るなら凄いわね…。 三下。彼女に任せてみるのよ」


みなもは編集部とは名ばかりの狭い室内の片隅にある、給湯室の前に佇んだ。
シンクには、レバーを曲げる向きを変えることで温水と冷水がそれぞれ流れ出す仕組みになっているカランが一つ。ぽちゃん、と音を立てて落ちる水滴を見詰めながら、みなもは左目へと指で触れてみる。
まぶたの下にある眼球の曲線を感じ取ると同時に、その指先にと流れ込んでくる力の奔流。

(龍神さまから頂いたこの《逆鱗》の力。――使わせていただきます。)

もう片方の手は、カランの先から落ちる水滴へと。
唐突。
眼球から、青く白く冷たく燃える炎の感覚が広がり出した。
炎のように燃え、揺らぎながらも酷く冷たいそれは、やがて四肢へと行き渡り身体の奥の血液を細かく沸騰させだす。
その炎は、やがて人の形を取り、みなものまわりに踊り出した。
眩暈にも似た浮遊感覚の中、みなもは目を瞑る。

(――水の精霊さんたち、教えてちょうだい。あたし、知りたいの。この鱗の"持ち主"を。)

みなもは手首に光るオパール色へと指先で触れる。
踊りまわっていた水の精霊たちが、首を傾げてその揺らぐ身体をあちらこちらにひねりだした。

《とおい… …とおいよ…》

《じめんのなかに…みず》

《わきみずからうまれた…みずのこ いるね…》

《もう…うかびあがってる…》

《けれど とおくて…きこえないや… 》

《でも みせてはあげられる…》

水の精霊たちがみなもの耳元に口づけて、そう囁いた。
と、不意、テレビ画面の砂嵐のような映像が、ザッという音と共にみなもの視界を横切った。
幻覚。いや、まるで、フラッシュバックのような。
そしてその砂嵐の映像の中に、見えたものがあった。
(池…? 少し、大きな池…。)
みなもは心の中で目を凝らす。
(池の底に何かが見えるわ…。真っ暗な水の中に混じった、金色の水――?)
みなもには見えていた。
黒々とした水面を横たえる夜の池の半分ほどを埋め尽くす、金色の何かが。
はじめは金色に輝く水が混じっているのだと思った。だが――動いたのだ。水全体が大きく。まるで、身動ぎするかのように。
(違う!!)
(あれは。金色のあれは!!)
(魚だわ!――しかも、かなり大きい…!!!)
砂嵐の映像の中、池から聳えた金色の尾びれが、激しい水飛沫を上げて池の水面を叩いた。
立った水柱の高さは、ボート乗り場近くに建っている建物の高さを、ゆうに超えていた。


「麗香さん!! わかりました…!! 東京湾でも、多摩川でもなくて、池…! 池です! ボート小屋がある、…い…け……」
《逆鱗》の力を使いすぎた代償だった。天井がぐるりと回るような眩暈を覚えて手近のデスクに倒れ掛かったみなもを麗香が抱きとめる。
「大丈夫、みなもさん? ほんとうにご苦労様…! あなた、水道の水からも読み取れるだなんて、凄いわね…!! 池、ね? ボート小屋のある池…。都内で代表的な池と言えば…。不忍池、井の頭公園の池、それから…洗足池あたりかしら…? ほかにもありそうだけど…」
「…あたしが…見た記憶には、ボート乗り場の近くに、建物がありました。二階建ての…」
「ちょっと待って! いいことを思いついたわ」
麗香がデスクの上で開きっぱなしになっていたノートパソコンへと向かう。
「麗香さん? 何をするんですかぁ?」
三下が液晶モニタを覗き込むと、麗香はニヤリと笑った。
「池をしらみつぶしに当たろうかと思ったけど。そう、直接見に行くまでもないのよね。イメージ検索、と」
麗香は、インターネット・ブラウザの検索窓に手当たり次第に池の名前を打ち込んで行く。
「ふふん。ちらっとだけでもいいのよ。ボート乗り場の写った写真がWEBのどこかにアップされていれば、それをみなもちゃんに見てもらえばいいってこと。これで相当時間が節約できるわよ。――と、あった、これ。それからこれと、これに写っているわね。ねえ、みなもちゃん、どうかしら」
いつしか「みなもちゃん」と呼ぶようになった麗香は、椅子で休憩していたみなもへとノートパソコンの画面を差し出した。
みなもは、今しがた遡行した水の記憶から読み取った映像を、目の前に並ぶ画像の光景と重ね合わせだした。
ひとつ、ふたつ、と画像を追うみなもの目。
「あった!! 麗香さん、ありました! 洗足池です…!」
「三下っ!」
「は、ハイッ!!」
「車を出して! みなもさん、だいぶ遅い時間だけれども今から大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です。家族には、今日は友達の家に泊まるってメールを打っておきます。あたしの鱗、今夜にはまた増えると思うんです。だから――善は急げ、です…!」




【―5―】

昼に行動するよりも、人目につかない夜の方がいいと言ったのは麗香だった。
それに、例の地鳴りが聞こえる頃に行動した方が、「地鳴りの原因」を追跡しやすいのではないか、とも。
みなもは麗香たちと夕食をともにし、夜の早い時間を作戦会議に当てた。
「目標は洗足池」と決めたものの、それが無駄足になるのはできるだけ避けたい。
もう一度、みなもの見た水の記憶と照らし合わせ、妥当であるかどうかを確認したのだった。
洗足池には、湧水があるらしい。だとすれば、地中から湧き出る水から生まれたらしいあの化け物は、やはり洗足池にいる。三人の出した結論はそこに行き着いたのだった。

「ここが…洗足池。さすがに深夜の道路は車が空いていたわね。」
「ハイ、意外と早く着いてよかったです。でもまあ、まだ午前3時半を過ぎたばかりですからねぇ。」

洗足池は、近くに大きな通りがあるほかは、公園と住宅街に囲まれたところにある。
この時間ともなると、深夜に街道を走る長距離トラックの数もまばらになるようだ。
そして今夜は週末のせいもあるのかどうか、一台過ぎたあと忘れた頃になってようやくヘッドライトがあたりに光の帯を投げかけていく程度の車通りだった。
あたりは静寂に浸されていた。
風に吹かれた木の葉のざわめきがわずかに聞こえるくらいで、人影は当然ない。
閉ざされたボート乗り場の鎖を跨いで越え、三人は船着場に立った。
「麗香さん、三下さん、何か…おかしいんです。」
「みなもちゃん? どうしたの?」
「いつもだったら聞こえる『地鳴り』が…聞こえないんです。この時間になっても。いつもなら、かならず2時台には聞こえるのに…」
「今日はいつもよりちょっと遅いとかじゃないんですかねぇ?」
みなもは強く横に首を振った。
「いつも聞こえる時間はそう変わらないんです。それに、それに、あたしの耳、変な耳鳴りが聞こえる――んです。…なんだろう、この張り詰めた空気…」
呟くみなもに、麗香と三下は首を傾げた。
「私たちは何も聞こえないけれど…。」
「空気が張り詰めている、ですか…。ボクもちっとも。」
だが、みなもの耳には――正確には耳ではなかっただろうが――聞こえたのだ。

《ワタシ――ハ――人魚――ニ――ナリタカッ――タ》

「ちがう! これは耳鳴りじゃないっ! 言葉! ――え、人魚ッ?!」
みなもが悲鳴のような声をあげる。
「何!? どうしたの? ね、みなもちゃん! 急にどうしたの!」
何も聞こえない麗香が、焦点の合わぬ目で虚空を見詰めるみなもの肩を揺さぶる。

《コノ街――ノ――"セイレーン"――ニ――ナリ――タカッタ》

と。
眼前の池の水面が、風も無いのに揺れ出した。
そして、みなもの身体の奥深くまでを震わせる、別の音も。
ドォン、という腹の底にまで響いた轟きは、その鳴りを繰り返し、大きさを増し、眼前の池の水の揺れと連動するようになった。

《コノ街――ノ――"セイレーン"――ニ――ナリ――タカッ…タ!!》

「三下さん!麗香さん! 来ます! 逃げて!!」
みなもの絶叫が辺りに響き渡った。
その声が終わるか終わらぬかのうちに。
あたりに大音響が響いた。
地面が動き出すかのような、低い地鳴り。
そして、大きく波打ちだす池の水面。
「セイレーンに…?! 」
みなもが思わず呟いたが、その呟きは誰にも聞きとられることはなかっただろう。
一際大きな水柱が水中爆発でも起きたかのように立ち上がり、その水中から姿を現したのは――。
人の顔を持つ、巨大な――人魚だった。
神話の彫像のような女性の顔を持つそれは、上半身は青銅色。
魚の尾びれを持つ下半身は、金色。
表情の無い顔の瞳は閉じられている。
みなもが水の記憶を遡行した時に垣間見た、金色の人魚だった。
だたし、尾びれの先には爪先がのぞいていたのだが――。
池の中でとぐろを巻くように丸まった下半身は、長い大蛇を思わせる。
(不完全な"人魚"…)
だが、爪先を覗かせる尾びれをよろっている鱗は、――オパール色をしていた。
みなもは思わず自分の手首を見た。
いつの間にか新たに一枚増えた鱗が、同じオパール色に輝いていた。

《コノ街――ノ――"セイレーン"――ニ――ナリ――タカッタ》

岸辺にと打ち寄せた波が、三下の足を強引に掬っていく。池に引き摺りこむかのような波の力だった。
「うわぁああぁぁ!!」
足を滑らせた三下の絶叫すらも、船着場へと叩きつける波飛沫の音に掻き消された。
麗香は麗香で大波とともに揺れる船着場の支柱にしがみついているのが精一杯である。
「10メートル以上の人魚が現れた伝説なんかも聞いたことはあったけど、それどころじゃないじゃない…! なんて、大きい…っ!!」
池から上半身をのぞかせた人魚を仰いで、麗香の顔が強張った。

《100――年。》

女の顔をした眼前の化け物の唇は動いていない。
だが、頭の中に直接響く化け物の声は、いまや麗香や三下の耳にもはっきりと聞こえた。

《100年。地面ノ中ハ――暗カッタ。》

《100年。誰モ――イナカッタ》

《100年。父モ知ラズ。母モ知ラズ。――海モ、知ラズ。》

《100年。ズット、卵ノ中。》

「卵? ――もしかして」
鳴り止まないドォンという轟き。地鳴りとは別に起きている響き。
みなもは水の精霊の言葉を思い出した。
(――《じめんのなかに…みず》――《わきみずからうまれた…みずのこ いるね…》――)
「もしかして、ここは…あなたの住処…いいえ、卵、だったのね…。だとしたら、この響きは、あなたの――鼓動…?」

《海ヲ知ラナイ人魚ハ、イナイ――ワタシハ何――イッタイ何――?》

《コノ街ノ"セイレーン"ニ――ナレバ》

《皆、ワタシノ仲間ニナッタノニ》

柱につかまる麗香の足下で、三下は彼女の膝に縋っていた。
そんな三下へと、麗香が声を低める。
「三下、ようやくわかったわよ。地鳴りとか鱗とかっていうのは、この化け物が仲間を増やすための手段だったのね…。」
「だけど、こんなん出ちゃってどうするんですかぁ〜! あ! ぼ、ボクに言わないでくださいよ!? ボク、化け物退治なんてできないんですから!!」
「どうしたらいいかなんて、私が聞きたいわよッ! みなもちゃん、大丈夫かしら…!」
みなもは、目の前に立ちはだかる巨大な化け物と対峙していた。
微動だにせず。
みなもは気づいたのだ。化け物は啜り泣いていた。
そのことに気づいた今、彼女の声から耳を塞ぐことはできなかった。
《100年。地面ノ中ハ――暗カッタ。》

《100年。誰モ――イナカッタ》

《100年。父モ知ラズ。母モ知ラズ。――海モ、知ラズ。》

《100年。ズット、卵ノ中。》


《コノ街ノ"セイレーン"ニ――ナレバ》

《皆、ワタシノ仲間ニナッタノニ》


《貴女――ハ、人魚。》

《皆ノ集マル、人魚。》

《貴女ヲ――貴女ニ気ヅカレズに、ワタシノ身体デ乗ッ取ッテイタナラバ》

《――貴女ガ、ワタシノ仲間ニナッテクレタノニ。》

「乗っ取りなんかしなくても、きっと友達になったわ!」
化け物の声を遮るように叫んだのはみなもだった。
池に渦巻く波飛沫の音すら貫く声だった。
「きっと、友達になれたわよ…! だって、あたしとあなたは、同じ"人魚"だもの!!」
みなもはその大きな瞳をさらに大きく見開いて、頭上はるか高い所にある人魚の顔を仰いだ。
「人魚さん…。あなた……寂しかったのね」

《――"人魚"――?》

"人魚"が首を傾げた。

《ワタシガ、"人魚"――?》

「そうよ。あたしも人魚。あなたも人魚。だって、あなたには…」
みなもは、自分の手首を掲げて見せた。
びっしりと生えたオパール色の鱗。
「あなたには、こんな立派な鱗があるじゃない。立派な人魚じゃない…」
それまで閉じていた"人魚"の目が、ゆっくりと開きだした。
瞳孔は無いそれだったが、まるで宝石のようなエメラルド色をした瞳だった。
エメラルドに煌く瞳が、すでに膝上まで池の水に浸かっているみなもの姿を見下ろす。

《貴女ハ人魚――ワタシモ"人魚"…。》


《…次ニ生マレテ来ル時ハ、貴女ノ友達ニ、――》


「そうよ! …って、え? 『次に生まれて』って…? ――あ!!」

"卵"である池の中から外に出たせいなのか、不完全な"人魚"の尾びれの辺りは池の水の中へと崩れ溶け出していた。
「人魚さん!! あなた、大丈夫!? 身体が…!!」
セーラー服がめちゃくちゃになるのも構わず、みなもは池の中へと足を進める。
崩れていく"人魚"へと必死に手を伸べるみなもに、表情などなかったはずの"人魚"が笑いかけた。

《ワタシハ、モウ少シ――眠ロウト思ウ》



たしかに、笑ったのだ。
岩が崩れるような音を立てて水中に沈んでいく"人魚"。

《少シダケ眠ッタラ、――マタ、会イマショウ》

みなもはその瞬間何を叫んだのか、自分でもわからなかった。
ただ、喉から迸り出る声に任せて喚いていた。
辺りに、みなもが最初の晩に聞いた地鳴りそのままの轟きが起こり、"人魚"は池の中へと崩れるように沈んで、消えた。

(また、会おうね…!! 今度は、友達よ…。絶対、絶対に…)


まるで嘘のように、何事も無かったかのように静けさを取り戻した池のほとりに、三人は立っていた。
「どどどどどどうなることかと思いましたァ〜!!」
「みなもちゃん、大丈夫っ!? ああ、制服がずぶ濡れ…! 早く乾かさないと風邪をひいてしまうわ」
池の水にずぶ濡れた三人の服だけが、今しがた彼らが見たものを証明しているばかり。
「――いってしまった、わね……」
駐車場に停めた車へと戻る間、池の方ばかりを見ているみなもに、麗香がぽつりと呟いた。
「ええ、いってしまいました…。でも、でもきっといつか…」
(今度は穏やかなものであって欲しい眠りから覚めたなら…)
いつしか東の夜空が紫を帯び、そして白みだしていた。
夜明けの薄明かりの中で、みなもはあることに気がついた。
腕に生えていた鱗という鱗が、掠り傷ほどの痕も残さず、忽然とその姿を消していたのである。


(――また、会おうね。あたしの"人魚"。)




【―エピローグ―】

「麗香さぁあん!! すみません、すみません、どう頑張っても終わりそうにありません〜〜っ」
「たわけぇっ!! 何を言っているのよ、終・わ・ら・せ・る、のよ!!血反吐吐いてもねぇッ!!」
この日、『月刊アトラス』編集部には修羅の世界が広がっていた。
あれから麗香は、みなもの前で鱗の噂については一切話さなくなった。
結局、『アトラス』の特集でも例の地鳴りの噂は扱わないことにした。
そのためにギリギリまで記事の内容が決まらなかったのだ。
「血反吐吐いてもって〜! だって、湯島天神にもう2週間も張り込んでいるのに、梅の精らしいものが見えなく…」
「うぅるさぁああい!! そんなに見つからないなら、あんた、梅の枝でも背負って今晩もいっちょ野宿してきなさいよッ。そうすりゃ誰かが見るわよ、梅の精をっ!」
「ええええぇえ!?」
つつがなく〆切り前モードに突入した麗香は「もう槍でも鉄砲でも持って来い」といわんばかりの勢いである。
そんな麗香に今日もこき使われる三下は相変わらず悲鳴を上げていたのだが、本日、アトラス編集部には心強い味方がいた。
みなもである。
「麗香さん、三下さん、もうすぐコーヒーが入りますからねっ! 落ち着けないでしょうけど、落ち着いてくださいねっ」
おおわらわな二人はそれどこではなさそうだったが、いかなる時でもお茶の時間は大切である。ヒートアップしすぎた頭をクールダウンしてくれるお茶の時間は。みなもは手早くコーヒーカップとソーサーを用意する。先日は三下に淹れてもらったコーヒーを、今日は自分が淹れる。
が。
「ああっ! こんなところに落ちているの、もしかして使う写真なんじゃないんですか? もう〜〜っ、こんな床に落ちていたら踏んでしまいますっ」
「あれ? 一枚足りないと思ったら。みなもちゃん、ごめんねぇ! って、三下ー! あんたー! 何で拾っておかないのー!」
「すッすみませーん! ごめんなさぁーい!!」
てんやわんやな部屋の中を大股で飛び回る二人を眺めるみなもの顔には、しかし優しい微笑みが浮かんでいた。
「…ね、麗香さん。あたし、またここにお手伝いに来てもいいですか…?」
デスクで髪を振り乱していた麗香が、みなもを振り返った。
笑みを浮かべた麗香が親指を立てて見せる。
芝居っ気たっぷりなウィンクとともに。
「もちろんよ。」






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252/ 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 女学生】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、はじめまして。工藤彼方です。
まずはありがとうございました。
そして、一話完結を目指しに目指したところ、元々長くなるだろうなぁ〜とは思っていましたが、
……ほんっとーに長くなりました。
そして地鳴りと鱗の元凶の正体はアレでありましたが、いかがでしたでしょうか?
気が遠〜〜くなるほどの探索は、書いてみたかった&ネタを温めていたのですが、がしかし!
これ以上に長くなると本当に震えが止まらなくなるので今回はごめんなさいしてしまいました。
私はといえば、探索ができる本家人魚さまの登場に、それはもう膝を打ちましたとも!!
おかげで私自身はとても楽しく書くことができました。
どうもありがとうございました!
またお目にかかれることを祈って。