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<東京怪談ノベル(シングル)>


Broken sword - 1



 春の昼下がり。高科瑞穂は、自宅のリビングで午後のティータイムをたのしんでいた。
 ガラスのテーブルにあるのは、ブランデーを落としたアールグレイに、抹茶味のシフォンケーキ。どちらも、瑞穂お気に入りの逸品である。休日の午後はこうしてくつろぐのが彼女の決まりだ。
 自衛隊に所属し、とりわけ激務で知られる近衛特務警備課に配属されている瑞穂にとって、休日は少ない。たとえ休日であっても、いつ召集を受けるかわからない。だからこそ、休めるときには思う存分やすむのが彼女の休日の過ごしかただった。
 しかし、あいにくこの日も瑞穂の休日はあっさりと終わりを迎えた。
 午後の静寂を破ったのは、一本の電話。私用のものではない電話が鳴ったことで、瑞穂はこの休日が終わったことを知った。
 ティーカップをテーブルに置き、その手で携帯電話を取る。ちいさなスピーカーの向こうに聞こえたのは、人使いの荒いことで知られる上司だった。
 電話の内容は簡単だった。手配中の男が、付近の廃墟に潜伏していることをつかんだというのだ。
 男の名は鬼鮫。経歴や能力はいっさい不明。なんの容疑で手配されているのかということすら、瑞穂には伝えられなかった。彼女に与えられたのは、相手の名前。潜伏している廃墟の住所。そして、鬼鮫を拘束しろという命令だけだった。ほかには何も与えられなかった。
 その事実は瑞穂に対して絶大な信頼が寄せられているということの証明でもあったが、それにしてももうすこし情報をくれないものかと彼女は思う。いくら戦闘に自信があるとはいえ、正体不明の相手とやりあうのはラクではないのだ。
 しかし、愚痴を言っても始まらない。溜め息をつきながら、瑞穂は聞いたばかりの住所をオンライン検索した。すぐに見つかった。古い教会だ。車で二十分ほどの距離。
 なるほど、これなら私が行くしかないわね。と瑞穂は声に出さず呟いた。携帯電話を閉じてリビングを出ると、廊下を抜けてドレスルームに入る。
 部屋に入って右側の壁は、一面鏡張りだ。左側には業務用もかくやというほどの巨大な化粧台が据え付けられ、奥側の壁は全てクローゼットになっている。一般家庭なら一台で事足りそうなものが、合計六台。
 たしかどこかに丁度いい服があったはずだと思いながら、瑞穂は右端のクローゼットを開けた。目当ての服は見当たらず、隣のクローゼットを開ける。そこに、目的のものがあった。
 真っ黒な修道服だ。極端に深いスリットが入っているのは、瑞穂のオーダーである。動きまわることが多いため、そのようにしたのだ。おかげでチャイナドレスと見まちがえるようなデザインになっているが、それをだれかに指摘されたことはない。
 瑞穂は、するりと私服を脱ぎ捨てた。絨毯の上に春物のシャツとスカートが落ちて、壁一面の鏡に瑞穂の裸身が映し出される。──といっても、完全な裸ではない。下着はつけている。
 第一に目立つのは、真っ白な肌だ。それも、雪のような白さではなく綿毛のような柔らかさを感じさせる白。亜麻色の髪が肩から腰にかぶさって、白さとのコントラストを成している。
 ゆたかな胸のふくらみは重力にさからって上を向き、背中から腰にいたるラインは完璧な曲線を描いて臀部へとつながっている。その部分もまた、乳房に劣らず大きい。ただ大きいだけでなくピンとした張りがあるのは、鍛えられた筋肉の証明だ。
 瑞穂は化粧台の前に腰を下ろすと、かるく足を上げてストッキングをはいた。膝の上まである、黒のストッキングだ。ガーターはつけない。鍛えこまれた太腿がストッキングに覆われると、芸術品さながらの脚線美がそこに現れた。
 瑞穂は椅子に座ったまま修道服を持ち上げると、体を折り曲げて頭からかぶった。首と袖を通して、ゆっくり立ち上がりながら裾をととのえてゆく。彼女の身長体重からしてピッタリの服なのだが、胸と尻が大きいため自然と体のラインが浮き上がるような服装になってしまう。
 スカート部分の裾は足首まであるが、切れ上がったスリットは腰の上まで伸びている。おおきく足を動かせば下着が見えてしまうぐらいだ。まるで、修道服とチャイナドレスを掛け合わせたような衣裳。
 鏡の前でそのシルエットをたしかめながら、瑞穂はくるりと一回転した。どこにも問題はなかったが、ふと思いついて彼女は胴回りにコルセットを巻きつけた。紐を強く絞り上げるとウエストラインが更に引き締められて、かわりに胸のラインが強調される。
 もういちど鏡の前で自分の姿を確認すると、瑞穂は満足してうなずいた。レースのあしらわれた真っ白なケープを肩に羽織り、ヴェールをかぶってドレスルームを後にする。玄関先でロングブーツをはくと、彼女は車のキーを持って自宅を出た。


 目的の場所までは、十五分で着いた。
 車を降りた瑞穂の手には、一振りの剣が握られている。ゆるく湾曲した鞘におさめられた、細身のサーベルだ。リアシートにほうってあったのを持ってきたのである。
 瑞穂の前には、荒涼とした霊園が広がっていた。管理する者もいないまま、いたるところ木々や雑草に覆われている。文字通りの墓地。ほとんどの墓石は欠け落ち、あるいは砕け落ちて、あたかも墓石自体が葬られる場所のようでさえある。
 周囲には物音ひとつなく、午後三時の太陽はゆるやかな日差しを投げかけていた。
 霊園の奥にあるのが、いまは誰も訪れる者のない教会だった。外壁は煉瓦で出来ているが、いまにも崩れそうなありさまだ。よほどの物好きでもなければ足を踏み入れないであろう建物である。
 瑞穂はいかにも面倒くさいといった表情を見せつつ、それでも仕事だからと仕方なく教会に入っていった。
 中は薄暗かったが、屋根の一部に穴があいて太陽の光が差し込んでいた。その明かりのおかげで、瑞穂は目的の人物を見つけることができた。自衛隊が手配中の男。鬼鮫と呼ばれている能力者である。
 彼は、薄暗がりの中で酒を飲んでいた。くたびれきったジャケットを着ている。板張りの床に、ウイスキーのボトルが散乱していた。五メートル以上離れている瑞穂の鼻にも、アルコールの匂いが届く。床に座り込み、ボトルをラッパ飲みしながら彼は言った。
「なんだ? 俺は酔っぱらってんのか? こんなところにシスターが来るわけねぇよな?」
「私はシスターじゃないわよ。鬼鮫。いまからあなたを拘束する。おとなしくしなさい」
 毅然とした声で、瑞穂は言い放った。
 鬼鮫は一瞬おどろいたような表情になり、それから大笑いした。
「俺をつかまえるだと? ははははは。そいつぁ神様にだってムリってもんだ」
「おまえが何の容疑で手配されているのか知らないけれど、いまので神に対する冒涜罪が付け加えられたわね」
「神様ってのは、ずいぶん度量が小せぇな」
「神は、おまえのどんな罪をも許してくださるわよ。ただ、人間社会のルールがおまえを許さないだけ」
「面倒なルールだな。なんで、人を殺しちゃいけねぇんだ?」
「さぁね。えらい人に訊いて」
「どこにいるんだよ」
「いまから連れていってあげるわ。さぁ、立ちなさい」
 瑞穂が命令すると、鬼鮫はのっそり立ち上がった。
 大きい。背丈もそうだが、体つきがガッシリしている。スポーツや武道をやっている体だ。その口元がニヤリと歪んで、言葉を発した。
「俺を倒せたら、どこにでも連れてっていいぜ」