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<東京怪談ノベル(シングル)>


     マエストロと呪いの楽譜   

「楽譜ですか? けど演奏するの、私たちじゃないですよ。セリフとかはちゃんと台本にしてますし」
 演劇部の少女は、台本を手にカスミに言った。
「だけどオペラっていうのは、楽劇だから。歌を歌うなら歌詞だけじゃなくて楽譜を見てみた方がいいと思うの」
 カスミは、オペラに挑戦するという演劇部の、音楽指導をする約束をしていた。
 出演者として衣装までもらっていたのだが、呪いのメイド服を渡される、というハプニングがあり(カスミ本人は覚えていないが)とにかく音楽指導だけでも、と意気込んでいるようだった。
「カスミ先生、真面目〜」
「カラオケみたいにCDかけて練習すれば大丈夫ですよー」
 文句を言う生徒たちを「その方が絶対に勉強になるから」と何とかなだめて、神聖都学園の図書室へと向かう。
 そこいらの図書館よりも大きく、蔵書量は相当なものだった。
 カスミは必要な曲を生徒たちに伝え、手分けをして探すことにした。
 演目は、『トリスタンとイゾルデ』。
 中世ヨーロッパを舞台にした恋愛もののオペラだ。
 3時間を越える大作で曲数も多いため、練習はかなり大変そうだった。
 ――楽譜だけじゃなくて、やっぱりCDも必要かしらね。目で見て、耳で聴いた方が覚えやすいでしょうし……。
 そんなことを、考えていたときだった。
「カスミせんせー!」
 不意に、女生徒の一人が声をあげる。
 図書室なので、カスミは慌ててしー、と指を立てた。
「……見て、先生。こんなの見つけちゃった」
 少女は声を低めて、そっとささやきかけてくる。
 それは本の中に挟まった、古い黄ばんだ楽譜だった。
 書きなぐったような手書きの文字には勢いがあり、執念じみたものを感じさせる。
「すごいわね」
 カスミは思わず、感心したようなため息をつく。
「あたし、聞いたことあります。非業の死を遂げた音楽家が書いた、『呪いの楽譜』の話」
 真剣な面持ちで語り始める少女に、カスミの顔色は一気に青ざめる。
「な、な、何を言っているんですか。呪いだなんて、そんなこと、あるわけがないでしょう」
 慌てふためき、瞳に涙を滲ませながらも、必死に否定する。
 先日、自ら呪いにかかったばかりだというのに……どうあっても、恐ろしいことを認めたくはないらしい。
「ずっと、自分の楽譜を演奏してくれる人を探しているそうですよ」
 だがそれを聞いて、恐怖とは違う方向に、心が動いた。
「……何だか、寂しいですね」
 せっかく作った曲なのだから、演奏してもらいたい、という気持ちはよくわかる。
 ――もしかしたら、それが私のところにもたらされたのも、何かのめぐり合わせなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、カスミは楽譜を手に取った。
「私、弾いてみます」
 天才的な音楽家とはいかないけれど、自分は音楽教師なのだから。
「でも先生、それ……」
「カスミ先生、その楽譜演奏するんですか?」
「じゃあ音楽室いきましょう。演奏するとこ見てみたーい」
「え、ええ」
 女生徒たちに囲まれて、図書館から音楽室へと移動するはめになる。
 どうやら、練習どころか、楽譜をしっかりと読み込む暇もないようだった。
 いつも音楽の授業で使っている、扱い慣れたピアノに腰かけ、楽譜を並べる。
 それから細い指を動かし、演奏を始めた。
 初見で弾くにはかなり難しい曲だった。
 ゆるやかな曲調からいきなりアップテンポになり、また静かに落ち着いていくような、複雑なリズム。
 四苦八苦しつつも、カスミは何とか最後まで演奏しきった。
 ようやく終わった、と息をついたところで。
 楽譜から黒いモヤのようなものが現れる。
「きゃあ、何あれ!」
 悲鳴があがり、音楽室の内部が騒然とする。
 黒いモヤが人の形をつくっていく様を目の当たりにしていたカスミは、そのまま意識を手放してしまいそうになった。
『楽器になれ。演奏のできないヤツは皆、楽器になってしまえ!』
 だが、低い声でつぶやくのを耳にして、ハッとする。
 怖い。だけど自分は教師なのだから、生徒だけでも守らないと……。
 カスミは決死の思いで、生徒たちの前に立ちはだかった。


 一方、イアルはカスミが忘れたお弁当を届けに、神聖都学園までやってきていた。
 職員室にはいないようだから音楽室かしら、と足を運んでみたところ。
 カスミを象った、不思議な形のハープを取り囲み、泣いている女生徒たちと出会った。
「どうしたの。一体、何があったの?」
 尋ねると、少女たちはぽつりぽつりと事情を語りだした。
 呪いの楽譜、それを書いた音楽家の噂。
 そして……自分の曲を演奏してくれる人を探しているが、理想とする演奏ができなければ、その人物に相応しい楽器に変えてしまう、ということ。
「カスミ先生、怖がりなのに、あたしたちをかばってくれたんです。だから、だから……」
「助けてください、イアルさん。お願いします」
 泣きじゃくりながらも、少女たちはイアルに助けを求める。
 怖がりで、何かあるとすぐに気絶してしまう泣き虫なカスミ。
 それなのに生徒たちをかばおうとするところもまた、彼女らしい。
「わかっているわ。私もそのつもりよ。――この楽譜を、作曲家の理想どおりに弾いてみせればいいのね?」
「はい。この……カスミ先生の楽器を使って」
 胸部まではカスミのまま、腹部が共鳴胴となったハープ。
 ともすればバランスの崩しかねない形だが、両膝とそこから伸びるむこうずねが床に沿い、しっかりと支えている。
 弦の数は多いものだけれど、元々ハープというものは音の高低の表現において、不利なところがある。
 更に、早いテンポのものには向かない。
 現代のものはレバーなどで半音変えられるようになっているのだが、これにはそうした仕組みのない素朴なものだ。
 ――だが、イアルにとってはむしろ、好都合だった。
 最新のものなどではなく、かつて――中世の小王国の王女だった頃、たしなんでいた楽器そのままだったから。
 イアルは楽譜に目を通し、その曲のイメージを受け取る。
 そして椅子に座り、カスミハープを引き寄せた。
 自分に対して垂直になるように、両足の間に挟むように配置する。
 右手だけで軽く、弦を流すように弾いてみる。
 ハープの音色に似た、澄んだ歌声が、それに応えるように響く。
 カスミの声だった。
 楽器の音程に合わせて、彼女自身が歌っている。
 もう一度、今度は左手で軽く流すように弾いてみる。
 今度もまた、同じだった。
 指が弦を撫でる度に、彼女の声があがる。
 イアルはふっと、微笑みを見せた。
「そうね、カスミ。一緒に歌いましょう」
 カスミハープにそっと頬を寄せて、イアルは優しく語りかけた。
 中世というと遠い時代のようだが、ずっと石化していたイアルにとってはついこないだのことだった。
 感覚も大分、取り戻せてきた。
 自分とカスミの命運がかかっているため、大きく深呼吸をしてから……イアルは、弦を爪弾いた。
 ピックも使わない、指先だけの演奏。
 けれど手慣れたもので、無駄な力は少しもかかっていないようだった。
 静かなメロディーはもちろん、ハープが本来不得意とする、テンポの速い部分も、淀みなく弾きこなしていく。
 それに応じて歌うカスミの声に、合わせるように共に歌いながら。
 即興でつくられたその歌は、見事なまでにぴったりだった。
 曲とのバランスも、2人の呼吸も。
 生徒たちはその合唱に、その光景に、呆然として見入っていた。
 ついに曲を弾き終えたときには、いずれともなく拍手が沸き起こる。
 その中には、音楽家らしき黒い影もあった。
 彼は満足げに涙を流してうなずくと――そのまま、かき消えるように姿を消した。
 同時に、呪いが解けてカスミが元の姿に戻る。
「先生!」
 わぁっと飛びかかるように抱きついていく生徒たちに、カスミは寝起きのようにとぼけた顔をして「?」と首を傾げている。
 どうやら、いつものごとく恐ろしかった記憶は削除されているらしい。ある意味、便利なものだ。
「大丈夫? カスミ」
 イアルは少し遠巻きに、彼女に語りかける。
「……何があったのか、よくわかりませんけど。何だかイアルさんと一緒に、歌っていたような気がします」
 カスミはそういって、嬉しそうに微笑んで見せた。
「そうですよぉ、すごく素敵だったんですから!」
「イアルさんも一緒にどうですか、オペラ!」
「あたしたちに歌の指導してくださぁい!」
 少女たちはイアルにもまとわりつき、カスミは慌ててそれを止めようとする。
 けれどイアルはとりあえず一緒に歌うことを承諾し、皆で合唱をすることになった。
 完成された2人の合唱に、様々な声が合わさり、入り混じって。
 歌によって一体となり、広がっていくようだった。
「ありがとうございます」
 礼を述べるカスミに、イアルは驚きを見せた。
さっきのことは、覚えていないはずなのに。
「皆と一緒に歌ってくれて」
「何だ、そんなこと」
 カスミの言葉に、拍子抜けしたように息をつく。
「あ、それとお弁当も。それと……なんだか、よくわからないけど色々と。お礼を言いたい気がしたんです」
「いいのよ、そんなこと」
 ――感謝しているのは、私の方なんだから。
 呪いから救ってくれたこと、住む場所を与え、受け入れてくれたこと。
 どれほど感謝しても、足りないくらいに。
 きっと、これからも――。