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Creamer
「……あら?」
事の発端は、実に単純なことだった。
「切れてる……あぁ、そういえば」
ある日のある店。その店主、シリューナ・リュクテイアの手には何も入っていない密閉瓶。
彼女は思い出す。いつもどおりにドタバタ劇を繰りなす少女のことを。
彼女がまた騒ぎを起こしたのはつい昨日のこと。何時ものように何かに手を出し何時ものように何かしらの罰ゲームを受けた彼女を戻した後、何時ものようにお茶の時間が二人を待っていた。
丁度そのときに紅茶葉を使い切ったのだが、今日はその少女が散らかした店内を掃除するのに時間がかかり、そのことをすっかり忘れていたのだ。
あまり彼女らしいとは言えないミスではあったが、これはこれで結構厳しい。なぜならシリューナも少女もそのお茶の時間を何より大切にしていたのだから。
壁にかかった古時計を見上げる。時間にして14時を過ぎたところ。
シリューナはほんの少しだけ何かを考え、そして密閉瓶を置いて歩き出した。
「あ、お姉さま……?」
その部屋の片付けがまだ終わっていないらしく、少女――ファルス・ティレイラが忙しなく動きながら、ふと違和感に気付いた。
何時もなら、その手にあるはずのトレイがない。
勿論ティレイラがその事情を知っているはずもないのだが、やはりそのことが気になるのだろう。片付けを続けながらも、どこか視線が落ち着かない。
ティレイラのそんな性格も熟知しているのか、シリューナは当然のように手を組んでその様子を見守り、言った。
「片付けは一旦ストップ。紅茶を買いに行こう」
「紅茶を、ですか?」
「そう、紅茶。序にお茶請けも」
「! いきまーす♪」
お茶請けと言う言葉にあっさりと反応するティレイラは、やはり何時ものティレイラだった。そして、シリューナはそんなティレイラが可愛くて仕方がない。
「ところで、どんな紅茶を買うんですか?」
「んー……」
二人で店を出て、仲良く並んで歩きながらふと出たティレイラの問いに、シリューナの歩みが一瞬止まる。
勿論愛用している茶葉を買うのは当然として、どうせなのだし何か違うものも買ってみようか? これから行くところは、シリューナの馴染みらしく色々なものも置いてあることだし。
そんなどこか不穏な考えがシリューナの脳裏を過ぎり、そして笑みを形作る。
「行ってからのお楽しみよ」
「はーい」
きっと、彼女が一緒なら退屈はしないはずだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……えーっと、お姉さま?」
「ん?」
「ここ、なんですか?」
「そうだけど」
事も無げに答えたシリューナに対し、ティレイラの顔は見る見るうちに不安に染まっていく。
まぁそれも仕方ないことだろう。なぜなら彼女たちの前に鎮座するその店は、明らかに怪しかったのだから。
ドス黒いまでに黒塗りの店舗、空に突出した煙突はなぜか赤と青のストライプ。窓には遮光カーテンがかけられ、外から中の様子を窺い知ることは一切出来なかった。
それになんとも言えないこの空気。雰囲気自体が人を拒むような、そんな空気が漏れている。ティレイラでなくとも普通のものであれば確実に入るのを躊躇うに違いない。
「怪しく見えるかもしれないけど、これで仕事は確かだから」
「あ、ま、待ってくださいお姉さまー!」
しかしシリューナはそんなことに気も留めず、漆黒に塗られた扉に手をかけ中に入っていく。そのまま外にとどまっているわけにも行かず、ティレイラもその後を追うのだった。
「おや、いらっしゃい」
中に入った二人を出迎えたのは一人の女性だった。ぼさぼさの長髪を無造作にまとめ、眠たげで、しかしどこか冷たい瞳を眼鏡の奥に映しているのが特徴的だった。口元には薄情そうな笑みが浮かんでいる。
「何時ものやつを」
「なんだ、もうなくなったのかい? ちょっと待ってな」
そんな短い会話が二人の間で続き、店主はそのまま奥へ引っ込んでいく。
しかしそんなことを気にする様子もなく、ティレイラは店内を遠慮なく見回っていた。外はかなり怪しかったが、店内はいたって普通で拍子抜けだったのだ。
控えめにライトアップされた店内には、多種多様な紅茶葉や器具が無造作に思えてしっかりとバランスを考えられディスプレイされていた。
「色々あるんですねー……あ、これ可愛い」
まずティレイラの目に付いたのは随分と年代物のティーポットだ。シンプルなクローバー柄が印象的なブンツラウアーのティーポットは、一目見ただけで使ってみたいと思える代物だった。
手に持ってみると、陶器らしいずっしりとした重さが逆に手になじんで心地いい。これで毎日の紅茶を淹れたらと考えると、それだけで幸せな気分になれそうだ。
「そいつが気に入ったかい? 今なら安くしとくよ」
「え、いいんですか?」
声に振り向くと、気付かぬうちに戻ってきていた店主がシリューナに紅茶葉の入った缶を渡しているところだった。
「あぁ、ちょっとした曰くつきでね」
相変わらず薄い笑みを浮かべたまま、元の椅子に座りつつ店主は続ける。
曰くつき。その言葉を聞いた瞬間ティレイラは固まっていた。
曰くつきの代物なら、もう毎日のようにシリューナの店で触れ合っては散々な目にあっている。最早その店の名物とも言うべき光景ではあるが、出来ることなら体験したくないのが人情というものだろう。
そういえばこの店はそのシリューナの馴染みなのだ。何故最初からそのことに気が向かなかったのだろう。
「そのティーポットはねぇ」
「あ、いや、いいです。続きはいいです」
多分聞いてもろくなことにはならない。きっと呪われてるとか血をいれてたとかそんなところだろうと思ってティレイラは慌てて会話を止めた。
わたわたと紅茶葉を見に行くティレイラを眺めながら、店主は小さく笑う。
「聞いてた通りの子だねぇ」
「意地悪」
そういうシリューナも笑っている。そんなティレイラが可愛いのだ。
「おや、人聞きの悪い。持ち主が亡くなったのは事実じゃないか。齢100を超えた大往生だったがね」
そんな二人の会話など知るはずもなく、ティレイラは色々な香りを放つ紅茶葉のところへときていた。
「……どれが何時も飲んでるやつなんだろう?」
シリューナが色々と淹れてくれるので種類があるのは知っていたが、ここまで多種多様だとは知らなかった。整然と並ぶ葉の缶を眺めていると、ここが紅茶屋だということを思い出す。
「なんなら試飲してみるかい?」
「わひゃー!?」
「本当に面白い子だねぇ」
何時の間に移動していたのか。肩を叩かれたティレイラが悲鳴に近い叫び声をあげて驚いたのは無理もないだろう。
そんなティレイラの様子を楽しみながら、店主が数種の缶を手にする。軽く蓋を開ければ、それだけで様々な香りが漂い始める。やはり何時の間にかきていたシリューナもその香りに目を細め楽しんでいた。
「例えばこんなのはどうだい? お嬢ちゃんじゃあまり飲んだこともないだろ」
手早くお湯を用意した店主は、その湯を一度曰くつきのポットに入れ捨て、そして改めて茶葉を淹れて湯をまた入れる。数分間の蒸らしが終わったあとに、やはりブンツラウアーのカップに注がれるのは深い紅色のもの。
漂ってきたのは今までにない独特の香り。紅茶なのだが、どこか煙のような香りも混ざっている。
「さっ、どうぞ」
出てきた紅茶は、香りは兎も角見た目には至って普通のものだ。しかしそれでも手が伸びない。何時もならすぐさま手を伸ばすティレイラが。それは勿論、あのティーポットで淹れたものだから。
「飲んだくらいで呪われたりしやしないよ。安心しな」
その言葉に決心がついたのか、ティレイラがカップを持って口へ運ぶ。
「……ん??」
それは今までにない味だった。
香りが深いのもあるが、それ以上に何か違和感のあるすっとした味わい。どこかで味わったことがあるようなないような、そんな独特のものだった。
頭の上にクエスチョンマークを浮かべまくるティレイラの横で、シリューナも同じようにカップを口に運ぶ。
「いいラプサンスーチョンね」
「だろ? 一級品さ。こいつはやっぱりミルクがほしくなるねぇ」
「あのー……らぷさんすーちょん、ってなんですか?」
聞きなれない言葉にティレイラが素直に手を上げる。紅茶葉には色々な銘柄があるが、詳しくなければさっぱりなのは仕方がないだろう。
「フレーバーティー…香りのついた紅茶葉の一つだよ。こいつは松の木を燃やした煙で茶葉を燻るのさ。独特の香りがあるだろ?」
「そういうのがあるんですかー」
ちなみにストレートで飲むと非常に癖が強い茶葉ではあるが、ミルクティーにすると随分とまろやかになって美味しいのだという。ティレイラは次に飲むとき必ずミルクティーにしようと心に決めるのだった。
専門店らしく様々な紅茶葉が揃っていたが、中でもティレイラが気に入ったのはストロベリーフレーバーのものだった。
元々甘いものが好きなティレイラにとって、その甘い香りは実に心地がいい。
「お姉さま、これ買っていいですか?」
「勿論」
今日の買い物は全てシリューナが払っていたが、その茶葉だけはティレイラが自腹で購入した。同時に美味しい淹れ方もレクチャーしてもらう辺り気合が入っている。
最初は面を食らったものだが、話してみれば店主は意外にいい人物だった。確かに人を食ったようなところはあるものの、紅茶に対する知識は確かなもので品物も実に上質だった。そんな店主をティレイラはすっかり信頼するようになっていた。
……が、ティレイラとシリューナ、そして曲者の店主が揃って何も起こらないなどということがあるだろうか? 否、ない。
もうすっかり日が暮れる…といっても遮光カーテンに遮られた店内では外を窺い知ることは出来ないが、時計がはっきりとその時間を指し示した頃。店主が一つの缶を持ってきた。
「珍しいやつが手に入ってね。最後に一杯どうだい、お嬢ちゃん?」
「あ、いいんですか? わーい♪」
既に店主を信じきっているティレイラがその申し出を断るはずもなく。そんな彼女の前に出されたのは薄い琥珀色の紅茶だった。
口元に近づけ、軽く香りを吸ってみる。爽やかなブドウに近い甘い香りはダージリンによく似ている。が、それとは若干違うようだ。
次に口をつけてみる。ダージリンのような強い渋みはなく、さっぱりとした味わいのものだった。
(んー……?)
飲みやすいが不思議な味。それがティレイラの感想だった。そして、それ以上の感想は抱けなかった。
「……おや?」
異変に気付いたのはシリューナだった。ティレイラの動きが、カップを唇につけたところで止まっているのだ。
少しだけ様子を見ていても動く気配は一切ない。これはどういうことだろうか?
「……また騙したわね?」
「嫌だなぁ。騙してないさ、珍しいのは確かだし」
しかし、会話を交わす二人には笑みが浮かんでいる。
「どんな茶葉?」
「何、ちょっとした変り種でね。無数に生えるが絶対に成長しないっていう時間が止まった珍しい植物を茶葉にしたもんでね。まぁ摘んだ時点でその能力もなくなってるんだけど、少しは残ってるもんでね」
「なるほど」
それでシリューナには察しがついた。つまり、
「飲むと暫く時が止まる、と」
「そういうこと」
それを知らされていないティレイラの時は、止まっていた。
完全に空間に溶け込むオブジェと化したティレイラを眺めてみる。それはさながら一枚の絵画のようで、自然に部屋とマッチングしていた。
その光景が気に入ったのか店主はどこからかカメラを取り出し、その光景を写真に収めていく。
「この子可愛いよねぇ。ねぇ、たまに連れてきてあたしにも貸してくれないかい?」
「それは駄目。この子は私のよ」
言いながらシリューナは手を伸ばす。頬を触れれば、熱もそのまま停滞しているのか暖かいままだった。
絹のような肌触りを楽しみ、動かないティレイラを堪能する。
そう、こんなにも可愛いティレイラを他の誰かに貸すなどどうして出来ようか。
「残念。まっ、またつれてきてよ。単純に楽しいしさ」
「この子も喜ぶだろうから、それはいいわよ」
「おっかしいなぁ……」
ティレイラが気付いた頃には、さらに時間が二時間ほど過ぎていた。とはいってもティレイラ自身自分の時間が止まっていたことなど全く知るはずもなく、結局彼女の中で謎は謎のままだった。
空を見上げれば、丸い月が大きく顔を覗かせていた。
「今夜は月夜かぁ……」
「帰ったらゆっくり眺めましょうか」
「はーい。あ、それならさっき買った紅茶も淹れましょーミルク多めで♪」
「はいはい」
が、もうそんなことはどうでもいいらしい。オマケといって多めに渡してくれたお茶請けのスコーンもある。二人で過ごす月夜のティータイムを思い浮かべ、ティレイラは月にも負けない満面の笑みを浮かべるのだった。
<END>
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