コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


[ 遺言 ]


「――親父の…遺言なんです」
 ソファーに座るは五十代の男性。年齢の割には細身のスーツをきっちりと着こなし、フレームの無い眼鏡のせいか、彼は年齢以上に若く見える。
「……とは言えなぁ…」
 男を前に、武彦はうっかり煙草に手が伸びそうになるのを抑えながら溜息を吐いた。
 目の前に置かれた一枚の紙切れ。それが今回の依頼の元だ。それはなんてことの無い、故人が生前書き残した遺言状のコピー。
「仮にも遺言状の事でしょう? これは探偵よりも、きちんと弁護士に相談するってのが筋じゃないですか?」
 どこか見当外れの依頼に、武彦は一応年上だという事を尊重し丁寧に断りを入れようとした。しかし彼はそんな武彦を正面から見据えると、力強く言う。
「いいえ、心霊現象はこちらと風の噂で聞いています。この遺言状は無効とするより、俺は親父の意思にきちんと従い相続を受けたいんです」
「貴方のお気持ちは立派なものだが……心霊現象は此処だなんて、それがまず真っ赤な嘘です」
 向けられた言葉に即答で否定するものの、残念ながら男の眼から光が消えることは無かった。
「そちらで霊媒師がいらっしゃらなければこちらでなんとか用意します。ですから、どうにかご協力を願います。こちらは前金です。成功の暁には、この十倍を――」
 そう言って、男が足元からテーブルへと持ち上げたスーツケースから出された二つの束に、武彦は思わず言葉を失い息を呑む。前金というには、通常の成功報酬を軽く上回っている。幾らなんでも、依頼内容からしてもこんなには貰えないと断りを入れようとした矢先、男は急ぎの用があると言っては立ち上がり、足早に興信所を後にしてしまった。
「……あ゛ーっ…やれってことか、そういうことなのか!? ……こんな馬鹿げた依頼」
 下で車が発進する音が遠ざかった後、武彦は頭をぐしゃぐしゃと掻いては煙草に火を点ける。しかし肺の中に煙を吸い込んだところで視界に入り込んだ札束に軽く咽返った。
「…………はぁ…」
 この場で断りきれなかった以上受けるしかないようだ。意を決した武彦は札束から目を逸らし、隣の部屋で待機させていた零に向け声を掛けた。
「おい、零! 宴会芸出来そうな奴、片っ端から集めてくれ……後、霊媒関連の奴居たらそっちもな」
 ドアを挟んで「はい、分かりました」と素早い返答が返ってくる。後は彼女に任せれば大丈夫だろうと、長い交渉を終えた後の一服をもう暫く楽しむことにした。
「しっかし、故人を宴会の席で楽しませたら会社の全経営権と遺産の全てを息子に…ダメであれば遺産は寄付、会社は畳め、か…」
 そもそも武彦からすれば、故人を宴会芸で楽しませるということに無理がある。判定は故人がするとでも言うのか。本当にそんなことが可能なのか。こんな遺言無視してしまえばいいのに、どうして鵜呑みにして現実味の無いことを行動に移そうと、弁護事務所ではなく興信所を訪れるのか。突っ込みどころが多すぎて、やがて脳が疲れてくるのを実感した。
 テーブルの上には一枚の名刺が取り残されている。そこには、某有名企業の副社長という肩書きを持った男の名前が書かれていた。
「――死人と宴会、か……」
 ソファーにぐったりともたれかかると、やれやれと左手で持ち上げてみた遺言状のコピー。それを武彦は右手の人差し指でピンッと弾いてみた。



   ■□■



 武彦の呼び出しを受けた天波・慎霰(あまは・しんざん)とシュライン・エマは、宴会が行われるという一週間前、打ち合わせのため武彦と揃って依頼人に会うこととなった。
「今回はどうぞ宜しくお願いします。清涼路・響琴(せいりょうじ・なりきん)と申します」
 場所は彼が副社長を務める会社の応接室。そのソファーで話は始まった。
「それで……具体的に今回お集まりいただいた方々はどのようなことを?」
 響琴の切り出しに、武彦がただ黙ったまま二人を見る。その視線に、まずはジッと依頼主を観察していた慎霰が口を開いた。
「俺は俺の笛の音でおまえを上手く踊らしてやるよ。踊りっても安っぽいダンスなんかじゃねえ、そうだな…例えばおまえの親父の好きな踊りでもあったら、それを自在に躍らせてやる! 今じゃ廃れたような伝統芸もいけるぜ?」
 慎霰の言葉に響琴はわずかに首を傾げながらも、笛の音にあわせ踊ると言うのには興味を示したようだ。反論することは無くただ何かを思い出したのか、思わず手を口元へと持っていくと小さく呟いた。
「そういえば、祖父が好きな踊りがあって……一時期宴会の席で毎年社員がそれを踊らされたことがあったとか。親父もやったものの上手く出来なくて、俺も幼い頃数度実際のものをこの目で、そして家で親父が練習している姿を見たことがあった気が――」
「よし、じゃあそれで決まりだな! 後で出来れば流派調べとけ。その後は繰り返しの練習あるのみだ」
 慎霰の言葉に響琴は頷くと、今度はシュラインへと目を向ける。
「それでは貴方の方は?」
「私の場合は彼とは逆で、芸ではなく料理を作って持っていこうかと」
 その言葉に、響琴はそれまで明るかった表情に影を落とし目を細めた。
「料理、ですか?」
「ええ。芸で楽しませるのが方法でもなければ、それだけでもない。そうでしょ、武彦さん?」
 シュラインは響琴の変化には気づきながらも、それには気づかない振りをしながら言うと最後に武彦を見る。
「あぁ、確かにそうだな……」
 その言葉に武彦は感心したように頷いた。確かに目的は"故人を宴会の席で楽しませる"というものであり、芸で、と言う制限は無い。その点は表情や言葉から察するに武彦は勿論、響琴もすっかり見落としていた発想だったのかもしれない。
「飲食可能かは分かりませんが、きっと香りは届く筈――だから、まず生前の好物を教えてもらえると助かるのですが」
 しかし、続くシュラインの言葉に響琴はその顔から関心の色を消し目を伏せた。
「親父の好物……残念ながら思い当たるものは無いですね」
「全く、何も?」
「ええ。あぁ、でも…確か好き嫌いは無かった人と聞いてますから、なんでも大丈夫かと」
 淡々と言い終わると、もう一度慎霰を見た後武彦に視線を移し笑みを浮かべる。
「共に面白い形で、お頼みして良かった」
「そりゃどうも。ただし、礼なら成功した後に言うんですね」
 言い終るや否や、武彦はソファーから立ち上がりドアに向かいだした。どうにもこの高級なソファーと広い応接室、そこに飾られた絵画などが目に入るのが落ち着かないのだろう。
 それには響琴に「それではまた後日」と会釈しながらもシュラインが続き、最初と同じよう観察するような眼で響琴を見る慎霰が続いた。
「それでは明日から期日まで後一週間、どうぞ宜しくお願いします」
 最後、三人の背中には上機嫌そうな響琴の声がかかり、それぞれ短期間ではあるものの、宴会に向けての準備が始まった。



   ■□■



 慎霰との練習が終わり花見を明日に控えた頃、今度はシュラインと響琴が準備を始める番となる。
 昨日までは形上慎霰の同行を務めてきた武彦だが、今日は進んでこの場にやってきた。まだ今日の時点で食べれるかも分からないのに……。
 場所は再び会社の、今度は厨房だった。普段は食堂の調理をしているそこも、食堂が閉まれば使用されなくなる。その時間を利用するとのことだった。
「食材は無い物は無いというほど何でも揃っています。それで、一体二人は何を作ってくれるんですか?」
 業務用冷蔵庫を前に、響琴は二人に向かい少しだけワクワクした様子を見せ言う。何しろ料理で楽しませるというのだ。既に彼の頭の中には、高級食材をふんだんに使い、今まで見たことも無い創作料理が出てくる光景や、今まで食べたことも無いような料理の想像が繰り広げられていた。
「二人…あぁ、武彦さんはついてきてるだけで、実際作るのは私と清涼路さんです」
 しかし、そんなシュラインの一言に響琴の思考は瞬時に停止し、ジッと彼女を見た後ゆっくりと問い返す。
「俺、も……ですか?」
「勿論難しいことは頼みません。ちょっとしたお手伝い程度だと思って」
 そうにっこり微笑むと、響琴は怪訝そうな顔をしながらも「……はぁ」と生返事を返した。とはいえ、どうやら逃げる気はないようだ。
 結局その後スーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲りネクタイを外すと、彼はシュラインの後ろに立った。
「それで、一体何を作るつもりで? フランス料理やイタリア料理ならば、呼べば俺専属のシェフも居ますが――」
「…………っ」
 思わず離れた場所から見ていた武彦が息を漏らしたのと同時、シュラインも耐え切れず小さく笑い出す。勿論、当の本人はそのおかしさに気づいては居ないのだろう。
「二人揃って突然何ですか!?」
 不愉快そうな表情をしては、答えを求め二人を交互に見ていた。
「ごめんなさい。ただ、お花見の席でフレンチにイタリアンなんて……少し想像しちゃって」
「ええっと……不釣合い、ということでしょうか?」
 シュラインの言葉にようやく何かを察したらしい。それでもその聞き方は、どうやら確信を持ったものではないのだが。
「はっきり言ってしまうとそうね。折角なのだから日本料理中心で、それも特に香りの良いものでの味付け……だから、特別豪華な食材もいらないのよねぇ……」
 言いながら業務用冷蔵庫の前に立つと、大きな扉を開けてみた。確かに中には欲しいものは何でも揃っている気がした。何せ、内容積2000L近くはあるであろう冷蔵庫が後数台ある。こんなに必要なのかとも思うのだが、どうにもこの食堂は無駄にメニューが多いらしい。社員食堂にありがちな"日替わり"という名もそこには無く、一体誰がこんな不経済なことを考えたのか、いつでも好きなときに好きなものが食べられるスタイルが取られているようだった。
「えぇっと、とりあえずはこんなところかしら?」
 数回に分けて運び出した食料を全て調理台に置くと、響琴がしげしげとそれらを見つめただ一言。
「なんだか、食材はかなり庶民的な物ですね」
 それは残念そうに呟いた。日本料理といっても、確かに高級食材を遣ったものも数多く存在する。しかし、やはりその食材が目の前に無いことが不満なのか、或いは心配なのだろう。
「ええ。でもこうして春野菜をふんだんに使った煮物をメインに、他にも色々…と」
 そう言うと、早速煮物から取り掛かることにした。まずは野菜を洗い、切っていく。そんな基本的な動作なのだが、それをジッと見ていた響琴が不意に横から口を挟んだ。
「手伝いましょうか? 一応野菜くらいは切れますよ」
「…それじゃあ、こっちを。えっと、切り方の名前――分かります?」
 余りにも意外な切り出され方で、少し反応が遅れつつも包丁を持つ手を止めたシュラインは、これから取り掛かるはずだった野菜の一部を指差した。しかし、そこから先の指示をどうしたものかとも考え聞いた所、答えはあっさりと返ってくる。
「基本的な煮物の切り方であれば大抵何でも出来ますから、指示さえ出してくだされば」
 平然と言い切ったその顔は、嘘をついているようには思えない。第一こんなことで嘘をついてもすぐにバレるし得も無い。ならばと、野菜の一つ一つに指示を入れていくと、彼は頷きながら最後に「面取りは?」とまで聞いてきた。
「お願いします……というか、男性にしては多少詳しい方?」
「っはは…良く言われます。端から見れば、デスクと書類にばかり向かって、包丁すら握ったことが無いような奴なのにと」
 そう苦笑いを浮かべると、余っていた包丁を握り皮を剥くと手早く切り始める。
「それに上手い……」
 彼の包丁さばきは知識だけではない、確かな経験があることを表していた。
「家の場合は男子厨房に入るべからず、なんてなくてですね。寧ろ、母が病弱だったから俺がやらなくちゃいけませんでしたし……結婚してからは大分その回数も減りましたが」
「……失礼ですけど、好きなものを知らないというのは、食事を共にはしていなかったんですか?」
 少し気になっていた。好きなものを聞いたとき、彼は人づてに聞いた話しかしなかった。そのくせ料理は自分が作っていたという。何かが矛盾している気がして……ふとその横顔を伺うと、いつの間にか響琴の手は止まっていて、今まさに切った野菜がまな板から転がり落ちていた。
「清涼路、さん?」
 シュラインの問いかけに、彼は溜息を一つ吐くと小さくかぶりを振る。そして、作業を再開しながらも話し始めた。
「これはいずれ、きっとどこかで分かってしまう話でしょう……。実は、一緒に暮らしていなかったのです。だから食事なんて一緒にしたことも無い。寧ろ、親父が生きていることを知ったのが数ヶ月前、そして初めて話したのもその時でした」
 響琴の言葉に思わず武彦の方を見れば、彼は無言のまま顎をしゃくって見せる。武彦は先日まで慎霰と共に社内に入り込んでいた。此処まではもしかしたら調べていた範囲の事なのかもしれない。だからシュラインも話を聞きながら調理を再開することにした。
「俺が親父の下で働き出したのは、ここ数ヶ月のこと。突然呼び出しがかかったんです。副社長になれ、と。その素質は備えているから、誰も反対はしないしさせやしないと」
 実際響琴は、国立大学卒業から留学経験まで持ち合わせ、つい最近までは他の会社で若くして上り詰めた重役ポジションに居たらしい。
 口と手を動かしながら、やがて切り終えた野菜を次々とシュラインが用意していた鍋へと入れていく。
「それからはずっと仕事上だけの会話、親子の絆なんて感じた事も無かった。それから少しして、親父は……亡くなりました。病死です。もう、数年前から危ないということが分かっていたそうですが」
 シュラインも切り終えた野菜を入れ終えると、準備を整え鍋を火にかけた。
「――そしてその遺言が残されていたと。あまりにもタイミングが……と思うわね?」
 正真正銘血の繋がりがあろうとも赤の他人に近い関係。それでも、確かに彼の父は条件次第で彼に全てを託そうとはしている。そうでなければ自分が死ぬ直前に、ずっと連絡をとってもいなかった息子を呼び出しある程度のポジションに就け、最期にあんな遺書を残しやしない。
「ええ…。ただ俺にはもう、自分自身で築いてきた人生と蓄えがある。でも親父の親しかった人曰く、俺がどうしても――どんな手を使ってでもこうして今回事を実行しなければいけない理由があると。実行すれば、後は俺の自由だと」
 その言葉に武彦が僅かに身を乗り出した。多分今の言葉はどこからも出てきていない情報だろう。
 ただ、響琴自身もそれ以上は知らないようで、そこから先が語られることは無い。
「それは――きっと本人に聞く羽目になるのでしょう。あの人が話してくれれば、の話ですが」
 調理場には鍋の蓋がカタカタと揺れる音と、煮物のいい香りが漂い始めていた……。



   ■□■



 慎霰とシュラインはそれぞれの仕込みを終え、ついに花見の日を迎えた。
 その夜は天気予報どおりの晴天で、夜桜と晴れた空に浮かぶ月が綺麗で、この後遺産相続が行われることなど微塵も感じさせない雰囲気が流れていた。今だけ此処は桃源郷だろう。
「あぁ、本当にこの日がやってきちまったな……」
「でも、一食分は確実に浮かせられて嬉しいわね、武彦さん?」
「……確かに」
「あ、今の内に…はい、胃薬飲んどいてね」
「げぇ……意外と人間居るんだな」
 三人が指定の場所に着いた時、既に宴会自体は会社が用意した料理や酒を前に自由気ままに始まっており、話によるともう少しすれば響琴がまたもや金で雇った霊媒師が到着するらしい。そこから社員一同が見守る中、今回の遺産相続を故人の霊と話し合う事になると言うことだ。
 暫くして連れてこられたのは、どこぞの山で有名な霊媒師と言われた老婆で、それまでの宴を一時中断するとそれは厳かに始まった。
 霊媒に関しては言うまでも無い。胡散臭いながらも、暫く唸りを上げていた老婆の首がガクリと項垂れた後、彼女はゆっくりと顔を上げ、それまでとはまったく違った……翁のような声と表情を見せた。その様子に、響琴が一歩踏み出し問う。
「貴方の……名前は?」
「――――清涼路・帝京(せいりょうじ・たいきん)。これよりわしの息子、清涼路響琴に遺産相続における試練を課す。今から一時間以内にわしを楽しませるんじゃ。方法は問わぬ」
 それと同時に周囲がどよめいた。これは今日まで一部の人間しか知らなかったことだろう。
「見事楽しませたあかつきには、会社の全経営権と遺産の全てをお主に託す。だめであれば遺産は寄付、会社は畳め……以上」
 そして、最後の言葉に人々の声は三人の耳にまで届く鮮明なものとして聞こえ始めた。ある者は響琴がトップになることに戸惑いを感じ、ある者はそれでも今この世の中、会社を畳まれ自分が職無しになるよりはマシだと言い、ある者はあんな霊媒自体が嘘だと騒ぎ出す。
「ちっ…時間が無いってのに、落ちつけってんだ」
「早く騒ぎを治めて始めた方が良さそうね」
 苛つく武彦と冷静に状況を何とかしようとするシュラインの隣、慎霰は響琴と数名にすぐ着替えてくるよう促すと、武彦とシュラインから離れた。
 そうして少し人の目から離れた場所から桜の木へとジャンプし、そのまま木の上を誰にも見取られないよう移動すると、丁度騒ぎの真上付近に到達した。まだ騒ぎは止まない様だが、暫くして遠くから袴に着替えた集団が来るのを見て、慎霰は笛を構える。
 今はただ、誰を操ることも無く音を奏でるだけ。
 その美しい音色に、武彦はすぐさまそれが慎霰ものだと気づき、シュラインも事前の話の流れからそれを察し。周囲も我に返り、桜が舞い散る中突然流れ始めた和の音に耳を傾け始めた。
『今だ…っ!』
 一定のメロディを奏でた後、慎霰は合図としてだけ響琴の動きを操る。そうして上手く人の波を抜けさせると、メンバーを設置された小さな舞台へと誘導し、そのまま出だしのメロディを吹き始めた。
 するとそれまでの騒ぎは一気に治まり、その場に居た全員、そして通りすがりの通行人までもがその光景に釘付けとなった。
 きっかけは勿論慎霰の音だが、何よりも操られること無く自らの意思で幽玄な踊りを披露する、響琴を始めとした若手の姿が印象的だったせいだろう。短い、仕事の合間の練習期間ではあったものの、全員がしっかりと踊りを身につけていた。
 その動きには老婆が目を細め、年のいった社員や重役からは歓喜の声が上がったりもする。
 踊りが佳境を迎える頃、響琴の息が上がり始めていることに慎霰は気づいていた。しかし彼は何とか最後まで自分の力で踊りきり、踊りが止み笛の音が消えると同時辺りは大きな拍手に包まれる。
 踊りを終えた響琴らが礼をし、そのタイミングで慎霰も木から軽々と地面に着地した。
 それを確認したシュラインは、軽く手を叩き今度は自分に注意を惹きつける。
「……さて皆さん、綺麗な桜の下で美しい踊りを見た後は春らしいお料理はいかがです?」
 そう言って持ってきた重箱を広げ始めた。それは女性からの手料理でしかも重箱入りと言うこともあり、特に男性社員の注目が一気に集まり始める。
「今踊りを披露してくださった清涼路さんが主に手掛けた、春野菜の煮物や筍御飯に、桜茶も用意してますよ」
 そして又ざわめきが起きた。男が作ったにしてはあまりにも見た目も綺麗で、一口食べた人間は又もう一口と、次々と口へ運んでいく。
 そんな様子を見ながら幾つかの重箱を配り終えると、自分の前の前に置いた重箱からシュライン自身の分、武彦の分と慎霰の分も小皿に取り分け、もう一つを老婆――帝京へと差し出した。
「帝京さんもいかがですか。今人の姿に入ってると言うことは、もしかして味も分かるのかしら?」
「……あいつが作ったと?」
「ええ、お料理上手で。少し手伝ってもらうつもりが、結局私がお手伝いになっちゃいました」
 結局シュラインがした事といえば、用意した食材をどう使い何を作るかの指示が主で、調理の殆どは響琴が行ってしまった。
「こんな庶民的な料理など作りおって……懐かしい香りに――味がする気がするわい」
 一口食べたそれに、実際帝京が味を感じたかどうかは分からない。けれど、それまで厳しく見えた表情が少しほころんだのをシュラインは確かに見た。
「なぁ、おまえどうしてこんな遺言残してこんなことさせたんだ?」
 そこに、シュラインから渡された小皿といつの間にかどこかから拝借してきた日本酒の杯を持った慎霰が現れ、当初から聞きたかった疑問をぶつける。
 帝京は一瞬顔を顰めながらも、慎霰の傍らに置かれた笛を見ると「ほぉ」っと呟き箸を置いた。
「実はわしの死後、会社を不当に乗っ取ろうと計画する輩がおってのう。ならば長年顔も見とらん息子に継がせた方がマシじゃと思った。じゃが、それでは押し付けの強制になるからの。話を降りるなら会社を畳めと付け加えた――それだけのことじゃよ」
 ただでさえ、自分は会社のために自分の妻と生まれたばかりの息子を捨て、金だけは送り続け今日に至っていた。全ては老いぼれの我侭なのだと失笑すると、帝京は袴姿で薄っすら汗を浮かべた響琴を見る。
「もっとも、今回の件はわしの知人から強制的にことを進められたようじゃし、随分金も使ったようじゃが。自分の力で得るものも多くあったようじゃのう。色々懐かしいわい……」
 帝京にとっては共に懐かしい踊りに味を堪能した宴となったのは確かだろう。
「ところでさ、その会社を乗っ取ろうとしてた不届き者っての、こん中にいるんだろ。どいつだ?」
 慎霰はそっと耳打ちすると、再び顔を顰めた帝京からの返事を受け、小皿と杯を置き再び宴の席を抜け出した。一体何処に行くのだろうかとシュラインは慎霰を目で追いながら、途中でふと思い出し思わず声を出す。
「…あっ」
「なんだ?」
 その呟きに思わず武彦が問うものの、彼は後に言葉を後悔する羽目になる。
「えっと、えっとね武彦さん…」
 少し言い難そうに、でもそれはこっそり考えていた、自分たちの芸ではない一つの提案。
「霊って根性で足消したりできるじゃない。だからね、表皮消して生人体模型とか出来るのかなぁって。楽しそうじゃない?」
「っ……」
 案の定武彦は絶句した。
「それに人体模型さんと食事って、ちょっとどきどき。憧れるのよね」
 そう言いながら帝京のほうを見ると、彼はなんとなくシュラインが言いたいことが分かったらしい。
「……嬢さん、面白いことを言うの。わしじゃ無理じゃが、この霊媒師を使って付近の奴らに協力させるといいわ」
 その言葉と同時、老婆の首がガクリと落ち、ふわりとそれは現れた。生前の帝京の姿だろう。着物姿で、思ったよりは優しげな雰囲気を持つ老人だった。
 すると近くの社員数人が、帝京が実体として現れたことに感動し、「本物だ!」「帝京さんだ!」と言いながら群がってきた。不運にも、そのタイミングで霊媒師が付近の霊を呼び寄せ、シュラインの考えを伝えてしまう。
 霊が誰の目にも見えて現れること自体異例だと言うのに、最初こそ人の姿をしっかりと現していたそれが、次々と内臓を露にしていく様は少し刺激が強すぎたかもしれない。眩暈を訴える者や、逆に酒の飲みすぎで幻覚が見えていると、眠りだす者も居る。
「踊りや料理はわしにとって懐かしく嬉しいものじゃった。それだけでも満足じゃが、これはこれで面白いのお」
「でしょう? ささ、人体模型さんもお茶はいかが?」
 そうして、学校の怪談以上に動き喋る人体模型を交え、帝京が言った一時間はあっという間に過ぎていった。


「さてと、そろそろ時間じゃな。わしゃそろそろあっちに帰らにゃならん」
「あの…結局、今回響琴さんは――?」
 シュラインの問いに、帝京は声を上げ笑う。
「言うまでも無いじゃろ。なかなかに、楽しかったわい。この老いぼれ、最期は独りじゃったが、死んだ後こんなに皆に囲まれ楽しめるとは……遺言を残した甲斐もあったもんじゃよ」
 その言葉に響琴は勿論、シュラインと武彦も胸を撫で下ろす。
 ただ一人、それまでの流れを少し離れた桜から見下ろしていた慎霰は、一つ咳払いをするといつの間にか拝借してきたマイクをポンポンと叩き、電源が入っていることを確認すると声を出した。
「あーあー、テストテスト……えー、最後に副社長の立派な宴会芸に対抗して、此処で元・反清涼路派一同の出しものがあります」
 突如スピーカーから流れた謎のアナウンスの後、女性社員の悲鳴に近い声が幾つか上がり始め、続いて聞こえてきたのは笑いを堪える男性社員たちの声。それもその筈、いつの間にか花見の席から少し離れた河川敷に、数名の重役や社員が赤ふん一丁の姿で居た。
 風で靡く褌は桜吹雪の影響も受けとても印象的なのだが、それは帝京が会社を乗っ取ろうとしていた者、と言った集団だ。
「まさかこれって……」
「あいつの仕業だな。いずれにしろ今後首を切られるかも知れない人間だ。こうした所で害は無いだろ、多分」
 彼らは新社長へ向けた応援のエールを送り、そのまま今度は四月とは言えまだ冷たい川へと飛び込むと、一糸乱れぬシンクロを披露した。これはこれで、響琴たちの踊りに匹敵するものがあった。なにしろ、慎霰の術により完璧に操られていたのだから……。

 遠くでは、綺麗な笛の音がいつまでも鳴り響いていた。



   ■□■



「今回はどうもありがとうございました」
 草間興信所に響琴が挨拶にとやってきたのは、翌週の事。そこに偶然居合わせたシュラインは勿論、呼び出された慎霰も途中から同席することになった。
「結局認められはしましたけど、会社はこれからどうするんです?」
「このまま潰してしまえば、あの場で楽しんでいた方々が職をなくしますから」
「嫌々でも財産のために社長になるって?」
 慎霰のわざとらしい嫌味を含んだ言葉に、響琴は苦笑いを浮かべる。
「正直財産は寄付でもいいのですが……会社の存続は多分、俺の意思に変わりありません。祖父と親父が築き上げて来たものを、遺産云々ではなく形として継ごうと。そしてあの踊りも、あの味も……ですね」
 言葉はどこか曖昧なものの、最後に浮かべた笑みと眼差しは、今回の件で彼なりに何かを見つけ、何かを目指していくことを決意した証。
「これからが大変ですけど、どうぞ頑張って」
「この先も、困ったことがあったら金で解決!とか、あんま考えるなよな?」
「えぇ…出来る限り努力はします」
 最後は笑い混じりに言うと、響琴は席を立った。
「あ、成功報酬なのですが――」
 そして武彦に背を向けた後思い出したように呟いた言葉。
「あの後社員の数名が警察の面倒になりまして……今回は無しと言うことで」
「え゛……?」
「それでは、失礼します。ありがとうございました」
 振り返り際の彼の笑顔を、武彦はきっと忘れないだろう。
 その証拠に、武彦はなんとも恨めしそうな目で慎霰を見つめていた。
「ちょっ、いや…でも依頼は成功しただろ! 前金はたんまり貰ったんだろ!? いいじゃねーか!」
「会社から出てた御飯も美味しかったし、人体模型さんとの食事も楽しかったでしょ? 十分じゃない」
「前金だけで貰いすぎだとは思うがこう、気持ちの問題だ…気持ちの……」
 項垂れた武彦が浮上するまではまだ時間がかかりそうで。
 シュラインと慎霰は揃って桜の香り漂うお茶を啜っては、あの夜桜の下で繰り広げられた宴を今一度思い返すのだった――…‥。



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [1928/   天波・慎霰    /男性/15歳/天狗・高校生]
 [0086/  シュライン・エマ  /女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員]

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 こんにちは、ライターの李月です。この度はご参加ありがとうございました。
 すっかりお花見の季節も終わりまして、緑が綺麗な季節になりましたが、少しでもお楽しみいただけていれば嬉しいです。
 互いの練習中の風景で、少し違った情報の入手や、感情描写が発生しています。お時間に余裕があれば、そちらもあわせて見ていただけると、今回この親子関係と遺産相続に関する双方の気持ちがもう少し分かるかもしれません。
 依頼自体は成功となっていますので、今回はお疲れ様でした。


【シュライン エマさま】
 お料理という形の楽しませ方、大いに有りでした。因みに花見の席にあったのは完全に多国籍料理です(…)
 季節が季節ですので、香りの良い春野菜メインでのお料理に、添える形で桜茶も。重箱は、これまた社員食堂に無駄にあったものを拝借という形です。なんでもあります(笑)実際2000L冷蔵庫は値段も大きさも破格過ぎますが……。
 それにしましても、霊に芸をさせるのが盲点でした! 帝京は勿論、此処は私も楽しませていただきました。ありがとうございました。

 それでは、又のご縁がありましたら…‥。
 李月蒼