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<東京怪談ノベル(シングル)>


 縁の春


 昼間だと言うのに、周囲に生い茂る木々の葉が辺り一体を影に飲み込み都会の只中とは思えぬ静寂と冷ややかさがイアル・ミラール(7523)を包んだ。
「嫌な空気‥‥だけれど、この邸には似合いなのかも‥‥」
 そうして静かに指先で触れる壁石は微かな痛みを感じさせる凹凸を表面一体に帯びており、イアルは小さく息を吐くと、その全景を見るべく後方へ下がった。明治の末から大正に掛けて建てられたのだろう歴史を感じさせる洋館は人に忘れ去られて久しく、所々が傷み、すっかり廃墟と化している。そんな、都会には似合わぬ古びた風貌は昨今になってある種の趣味を持つ人々の気を引くようになったらしい。
 いかにも何か出そうな雰囲気に、多くの人々が期待と不安を抱きながら無断で邸の中を歩き回る。言ってしまえば『怖いもの見たさ』というやつだ。最初の内は何事もなく、結局はただの廃屋だと来訪者を落胆させていたらしいが、ここ数ヶ月の間に洋館を訪れた若い女性が何人も行方不明になっており、被害がイアルの通う神聖都学園にも及ぶに至って世話になっている教師から原因究明のお願いをされたのだった。
「その生徒と会った事は無いのだけれど‥‥」
 学園の怪奇探検クラブ副部長で、名前をSHIZUKU。校内の有名人は事実、芸能人でもあるそうだが、この辺りの詳細はイアルの欲するところではない。問題は、行方不明になった女性達とそっくりの石像がこの廃墟に増えて行くという点だ。
「盗まれた魔法液が使われているのね、きっと」
 廃墟の周りを歩き、割れている窓の合間から中の様子を伺う。両腕を上げて恐怖に顔を歪めている石像や、今にも崩れ落ちそうな床板に横たわり眠る石像――その姿形は様々だが、共通点があるとするならばそれは唯一『元は生きた人間だった』という点。
 イアルはそれを知っている。
「悪戯が過ぎたわね」
 ぽつり呟く視線を屋敷から離し、鬱蒼と緑生い茂る庭へ。
 そうして最後に視界に捕らえたのは地面に転がされた一体の石像だった。
「‥‥この顔」
 学校を出てくる前に教師から見せられた写真に写っていたSHIZUKU、彼女本人だと確認したイアルは、同時に背後から近付く気配に集中する。
 ――来る。
「!」
 不意に足元が暗転し、一瞬前まで地面のあった場所は空虚に。
 落下。
 体が傾き叫びすら声にはならず、死ぬ、と。
 恐怖に固まる体を受け止めたのは柔らかな感触――‥‥、一般の女性であればこれで終わり。敵のカプセルに囚われて石化させられ、その命尽きるまで敵に、悪魔に、生気を吸われ続けて死んでいただろう。
 だがイアルは。
「‥‥このような古典的な罠に掛かると思って?」
 足元の地面が消えるのも、虚空に落下する感覚も、恐怖すらも全ては幻。催眠術には弱くとも幻視ならば彼女を惑わす要因には成り得ない。
「わたしを甘く見たのが運の尽き‥‥」
 相手の幻を己の術中に呑み込み、その全身を覆う輝きは彼女を守護する鏡幻龍の具現と憑依。
『おまえは‥‥っ!?』
 ようやくイアルの耳に敵の――悪魔の声が聴こえて来る。
 術者の姿すら隠せなくなれば魔術は意味を失う。もはや、悪魔は完全にイアルの手中にあった。
『貴様、何者だ‥‥!』
「‥‥悪魔に名乗る名など無いわ‥‥」
『小癪なっ!』
 うっすらと開いた瞳は、ともすれば虚ろで。
 おっとりとした声音には覇気がなく動作を緩慢にさせる。
『私の餌になる気がないならば殺してやる!』
 これならば斬れると、その手に武器を握った悪魔は、姿を露にしてイアルに斬りかかった。
『!』
 だが、しかし。
『なぜ‥‥っ!!』
 イアルの頭上に振り下ろされるはずだった凶器は、その僅か上で微動だにしなくなる。押し込もうとする悪魔の両腕を震わせ、息を切れさせ。
『くっ‥‥!』
 その顔から血の気を失わせた。
『貴様、何者なんだ‥‥!!』
 悪魔は繰り返す、その問いを。
 眉一つ動かす事無く悪魔の凶器の真下に佇むイアルを見る瞳に、恐怖の色を滲ませて。
「‥‥」
 だからイアルも繰り返す。
 同じ答えを。
「悪魔に名乗る名など、ない」
『――――!!!!』
 イアルの背後に浮かぶは五つの頭を持つ東洋龍。火炎、電撃、冷気など五つの力で巫女姫を守る守護者。
「‥‥あなたが盗んだ魔法液は返してもらうわ‥‥」
『きゃあああああああっ!!』
 彼女の言葉は、悪魔の叫びに掻き消され当人に届く事は無い。
 欠片の抵抗すら許さず。
 輪郭は砂粒に変わりその姿を滅ぼす。
「――‥‥」
 悪魔の姿が完全にこの次元から消え失せ、消えた地面から落下していたかのように思えた空間はを元の廃屋の庭に。
 鏡幻龍の守護をその身に抱いたまま風を感じたイアルは、悪魔の消えた場所近くに転がる瓶を手に取った。
 中に入っていたのはタール状の魔法液。
 悪魔が盗み、人を石化させていたそれである。




 イアルは石化されていた人々を元に戻してゆく。
 一人、また一人と肉体を取り戻し、その手に体温が戻るのを確認してから彼女達の傍を離れた。姿を見られては後々厄介である。
 ただし、外に放置されていた少女SHIZUKUの石化ばかりはそうもいかない。しばらく風雨にさらされていた少女の石像はあまりにも、‥‥汚れていた。
「‥‥女の子がこのまま街中を歩くのは、流石に可哀相ですものね」
 魔法液の酷い臭いに加えて足元から生し始めていた苔。
 人間に戻すのは簡単だが、戻した後にこの苔がどうなるかを想像してしまうと石像の状態のままで可能な限り綺麗にした方が良いように思われた。
「やれるだけやってみましょう」
 意を決したイアルはSHIZUKUの石像を抱え、懸命に水場まで移動するのだった。




「あなたが助けてくれたのね! ありがとう!」
 何とか苔を取り除き、見られる姿になって石化から解放されたSHIZUKUは、それまで数ヶ月間も石化していたとは思えない伸びやかな動作で深呼吸をすると、イアルの姿を見止めるや否や彼女の手を両手で包み、ぶんっぶんと振り回す。
「本当に助かったわ、一時はこの私もここまでかーっってちょっと諦めモードはいってたんだから!」
「そう‥‥」
「ありがとうっ、もう何度でも言っちゃうっ、本当にありがとう!」
 妙にテンションの高いSHIZUKUに若干気圧されつつも無事で良かったと心から安堵した。そんなイアルの心情を察したのか、それとも噂の怪奇探検クラブ副部長の使命感という名の炎が蘇えったのか、このままイアルと別れるのはイヤだと言う気になる。
「石化されたのも今となっては良い経験だけど、この臭いはちょっと頂けないなぁ‥‥ね、一緒に温泉行かない?」
「え?」
「あたし、イイ処を知ってるんだ、きっとあなたも気に入ると思うの!」
「温泉‥‥」
 イアルはSHIZUKUの言葉を胸の内で復唱し、どういう繋がりで自分と一緒に温泉なのかと考えてしまうのだが、言った本人は何のその。
「お礼だよ、オ・レ・イ! アイドルSHIZUKUちゃんは受けた恩は決して忘れないのでアール♪」
「‥‥ふっ」
 妙な口調に思わず笑ってしまうと、SHIZUKUが驚いたように手を叩く。
「笑うとキレー―! ううん、普通の表情でもキレーだけど、うん、笑ったらもっとキレイ!」
 綺麗、綺麗と連呼されればさすがのイアルも照れるというもの。
 そんな変化にますます大喜びするSHIZUKUは、おもむろに手を差し出した。
「改めて自己紹介、あたしはSHIZUKU。――あなたは?」
 イアルは一瞬だけ固まり、けれどすぐに笑む。
「‥‥イアルよ‥‥イアル・ミラール」
「イアルちゃんだね!」
 友達、と笑む少女にイアルも微笑む。


 新たに繋がる縁に名乗る、そこに吹く風の、何と心地良い事か――。