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お前の話、たいていつまらない。
面白い話があったんだ。
退屈すぎて死にそうだから、ひとつ俺の話を聞いてくれないか。
何、時間はとらせない。つーか、話そうと思えば五秒で終わる。
女とな、遊んでやったわけ。
あぁ? そんなのつまんねぇだろうって?
全くお前は分かってないぜ。この女が傑作だったんだ。
何せ俺に勝てると、本気で思っていたんだからよ。
あぁ、バレてないとでも思ってんのかね。あれは。
さり気無さを装ったその視線に振り向いた瞬間、何でもないですって素振りで掃除に戻る、その様は呆れるほどに滑稽だ。笑いを隠してやる俺は紳士だ。
もっとも、「あの女の正体に、俺が気づいている危険性」を教えてやるほど、俺は優しくないんだけどよ。
はたきを振って埃を落とす、その度に女の黒いスカートがひらひらと揺れる。やけに短いスカートだが、誰が指定したんだあの服は。いかにもといった風のメイド服。前かけとエプロンにふんだんにあしらわれていて、何というか、胸焼けがしそうなほど甘ったるい。少なくとも、俺の好みではない。エプロンから盛り上がって主張するデカ胸も、袖から伸びる肉付きの良い腕も、俺にとっては大してそそられる代物ではなかった。
ただ強いて言えば、あの顔はいい。
はたきの揺れる動き一点を見つめ無心を装う、揺れることのない目。女の自信や信念をうかがわせるように澄んで、光っている。
揺らしてやろうか。
悪戯にそう思い、無視を決め込んでいる女の顔を、わざとじっと見てやる。瞬間、はたきが細かく震えた気がした。
勘付いたか? 女の喉が微かに上下する。そして小さな吐息を零してから、一瞬の動揺を打ち消すかのように口を結ぶ。仄紅い唇がまた開いたときには、女はすでに平静を取り戻していた。瞳は揺れない。
つまらん。
例えあの女の正体に気づいていようが、奴が何のボロも出さずにいる限り、俺から手を出す理由はない。奴が超常能力者だっていう証拠でも一つ、ぽろっと落としてくれない限り。
ということは、相変わらず俺は退屈だということだ。殺戮しがいのない体ほど、味気のないものはない。
つまらんと思うと、小腹も減る。満たされないことの全てを空腹と置き換えるのが、常だ。
確か、部屋に昨日食った菓子の残りがあったはずだ。
重い腰を上げて立ち上がると、俺はリビングを出た。
歩きだして数秒後、とうとう俺は笑っちまった。一定の距離を保って近づいてくる、あの女の存在をはっきり感じた。恐らく気配を殺しているつもりなのだろう、そして、その成功を疑う様子も無い。偉い自信だ。俺は、急に楽しくなった。吐き気がするほど、わくわくしてきた。
女がついてきている気配を確認しながら歩いていた俺は、ようやく目的の場所について立ち止まる。倉庫にでもしようかと、空けておいた一室。物を保存する癖など無い俺には、無用の長物のように思える。そう。どうせ使いやしないのだから、今利用してやるしかないだろう。ノブに手をかけると、俺は中へ滑り込んだ。
「鬼鮫」
振り向いた瞬間、女の睨みつけるような微笑みと視線がぶつかる。その微笑みは余裕の証だろうか。だとしたら、滑稽なことこの上ない。余裕なんてものは、見せること自体がだらしないんだが。
「で、何だ・お誘いにでも来たか、メイドちゃん。いつもこんなことしてんのか?」
わざと侮蔑の色を込めて声をかけると、女は露骨に嫌そうな顔をした。下唇を甘く噛み、きっと俺を睨む。
「いつもなわけないでしょ。今回は特別よ」
「へぇ、理由は」
「言わなきゃわからないわけ?」
今度は女の方が、嘲るように吐き捨てた。
反射的に、心臓が大きく跳ねた。歓喜だ。
「いやあ、わかったぜ?」
こいつは、殺してもいい身体だ。
あぁ、数日ぶりかもしれない。久々に超常能力者を殺せるかもしれない。見たところ、大して手ごたえがありそうではなかったが、その代り旨そうな身体だ。
短めのスカートから伸びた太腿の肉のライン。スカートとニーソックスの黒に挟まれた領域、あの部分の硬さに触れてみたい。
適度に筋肉がついた腕は、掴み上げてひねるのにちょうどいい。
どんな風に鳴くのだろうか。
エプロン越しにも分かる豊満な胸、スカートを上向きに押し上げる尻、そして挑発的な茶色の目。傷つけていいと分かった瞬間、全てが急に色鮮やかに見えた。
「たかがメイド風情が、いっちょ前に俺に喧嘩を売ろうって言うんだろ?」
だったら、買ってやる。ようやく、楽しめそうだと思った。
すると自然と、俺の両頬がだらしなく緩む。
それを見て、女は不愉快そうに眉をひそめた。
「瑞穂。高科瑞穂」
「あぁ?」
「メイドとか呼ばれるの、嫌なのよね。別に普段からこんな感じってわけでもないし。それに」
瑞穂の左手がスカートをつまみ上げる。大胆に露出された太腿に、ガーターベルトの釣り紐が垂らされている。にやり、と瑞穂は笑った。
「お前は、ここで死ぬのだからね!」
ガーターベルトから小型銃を引き抜き、瑞穂は引き金を引いた。
「!」
速い。
俺が右にそれるのと、銃弾が俺の左額をかするのはほぼ同時だった。
血が一筋、左目の横を通っていく。鉄の匂いが鼻についた。
だから、楽しい気持ちでいっぱいだった俺の心は、もうすっかり真黒になっちまった。
俺の反応が遅れたというよりは、やはり向こうの動作が速かったのだ。無性にイライラする。舌打ちは、瑞穂にではなく自分に対して打たれた。
寸でのところでかわしたものの、もし出遅れれば、こめかみを撃ち抜かれていたかもしれない。……そんなことはあるはずがないが。だがその可能性を考えさせることが、腹立たしいことだ。
大好きなゲームは連戦連勝だから大好きなんだ。
失敗など許されない。
しかし。掌で血を拭き取ると、赤黒く滲んでいた。
……許されない。
「何だ、避けたの?」
苛立ちに言葉を詰まらせる俺をどう誤解したのか、瑞穂はやけに嬉しそうににたにたと笑っている。
「せっかく、楽に殺してあげようと思ってたのに。……でも、お前のような罪人に遠慮はいらないわよね。……鬼鮫。罪の無い超常能力者の殺戮を繰り返した、今までの罪を悔いながら、死ぬといいわ」
瑞穂がまた銃を構える。その動きに、スカートとエプロンが大きく揺れた。
その瞬間、俺は理解した。
なるほど。要するにこいつは、イージーモードじゃあないってわけだな。
なのに、イージー扱いして悪かったよ、メイドちゃん。
ギラギラと揺れる瑞穂の瞳が、俺を見据えている。
「そりゃあ、お優しいこって」
吐き捨てるように呟く。
向こうから吹っかけて来たんなら、相手をしない理由はない。何せ俺は退屈で、そして向こうは俺を殺してくれやがるというのだ。
だったら、
「楽に殺してやる気は毛頭ねぇけどな、俺は」
ちょっとは楽しめそうじゃないか。
要は、退屈すぎたんだよ。
だから、ちょっとした玩具がすげぇ魅力的に見えたわけ。
まぁ、そういうときの判断って大体間違ってんだよ。空腹が味覚をおかしくするのとおんなじでよ、退屈は快楽中枢をぐちゃぐちゃにする。玩具の質も正しく理解できないくらいに。
だって、なぁ。
そんなにすぐ壊れるとは思わなかったんだよ。
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