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<東京怪談ノベル(シングル)>


『温泉旅行』



 この不況の中で生き残る為に、小売業はあらゆる手を使い顧客獲得をするのに必死であった。
 特に個人経営の店が立ち並ぶ昔ながらの商店街は、近所に出来た大型のスーパーマーケットやアウトレット等に顧客を取られないよう、数ヶ月に1度、福引大会を実施しているのであった。
 私立神聖都学園の音楽教師である響・カスミ(ひびき・かすみ)の家に同居する、イアル・ミラール(いある・みらーる)が暮らしているマンションのそばにも、昔ながらの商店街があり「春の福引大会」と称して、いくらか買物をすると福引が出来るというイベントを行っていた。
 イアルはその福引大会の様子を、神聖都学園の帰り道に横目で見かけたが、そのほとんどが残念賞の飴玉かティッシュペーパーを貰っていたのを見たので、内心は本当に一等の旅行券なんて当たるのかしら、と思っていたのであった。
 だからこそ、カスミが一等の温泉旅行ペアチケットが、商店街の福引で当たった!と、今にも空を飛びそうな程の上機嫌で帰ってきた時、一瞬カスミが冗談でも言い出しているのかと思ったのであった。
「本当に当たったの?」
 カスミが旅行券の入った封筒をイアルに見せているのにも関わらず、つい聞き返してしまった。
「本当よ!まさか、本当に当たるだなんて私も思っていなかったけど。八百屋さんで買った野菜が、旅行チケットになるなんてね。あの商店街、お肉屋さんも魚屋さんも、お買物するとオマケをつけてくれるのよ。だから、最近は駅前スーパーよりも商店街で買うようにしてたんだけど」
 カスミははしゃぎっぱなしであった。興奮した顔で、イアルにチケットを渡した。
「今年の運を使い切っちゃったかしら。んと、いつ行こうかな」
 手帳を開きスケジュールを確認しているカスミを横目に、イアルは封筒からチケットを出した。そこには、雪景色の中にたたずむ古風な温泉宿の写真と、おめでとうございます、との商店街の会長からのメッセージ文章、そして旅行券が2枚入っていた。
「東京駅から、新幹線で一本で行けるのね、この旅館。意外と近いかも」
 イアルがそういうと、カスミは決意をしたように頷いた。
「よし。じゃ、今度の日曜日に行きましょ」
「え、今度の?」
 あまりにも突発的にカスミが言うので、イアルは目を丸くした。
「ええ、そうよ。今度の日曜日。すぐに行きたいっていうのもあるけど、新学期に入ってこれから学校行事が連続する時期でしょう?スケジュールを確認したら、今度の日曜日ぐらいしか時間が取れそうにないのよ」
 カスミとイアルは、同時に部屋にかけてあるカレンダーに目をやった。確かに、これから学生交流会や定期健康診断、最初のテストと学園行事は並んでいる。
「そうね。行けるうちに、行った方がいいかもね」
 イアルがそう返すと、カスミが笑顔で微笑んだ。
「それじゃ決まりね!」
 カスミは鼻歌まで歌いだし、早速クローゼットから旅行かばんを取り出していた。カスミが嬉しそうにしている姿を見て、イアルまで楽しい気分になってくるのであった。



「まだ、雪がこんなに残っているんだ!」
 東京駅から新幹線で移動すること数時間。東北地方にあるその駅から、少し離れると、もう春になったのにも関わらず、まるで冬に戻ったかの様な雪景色が広がっていた。
「ここからは車は入れないよ。あとは歩いてお宿へいきなよ」
 駅からここまで送ってくれたタクシー運転手は、そう言って車を走らせていった。
「確かに、こんな雪が積もってたら、車は入れないわよね」
 カスミが呟いた。それでも、カスミは満足したような笑顔であった。二人の前は、まるで雲の上にでもいるかのような真っ白な雪が、太陽の光を受けて輝いていてまぶしいほどであった。東京では決して見られない景色であることは間違いない。
「ね、イアル。どこかに道が無い?」
 カスミはあたりを見回しながら宿への道を探していた。
「カスミ、あれじゃない?」
 イアルの視界に、温泉旅館の名前が書いた看板が入ってきた。矢印が奥を指し示しているが、道はすっかり、雪に塞がれてしまっていた。
「この雪を掻き分けていかないとだめね」
 イアルはそう言って、カスミよりも先頭に立ち、雪を掻き分けて道を進み始めた。
「さすが雪国ね。でも、こういう体験って貴重かも!」
 カスミも、笑顔のまま雪を掻き分けて道を進み始めた。



「まだ着かないの!」
 雪を掻き分けて進み始めること数十分。初めは1人で盛り上がっていたカスミは、すっかり嫌になってしまった様で、すぐ横にある木にもたれかかってうんざりした顔をしていた。
「頑張ってカスミ。きっと、もうすぐ宿につくわよ」
「もうすぐっていつよー!もう、商店街ってば!こんなところにある宿屋を一等なんかにしてー!どうせなら、ハワイのビーチとかグアムで海水浴の方が欲しかったわよー!」
 疲れて散々愚痴を言うカスミをよそに、イアルは黙々と雪を掻き分けて進んでいた。
「カスミ、カスミ。ほら、前を見て。あれを見て」
 イアルはカスミを元気付けるように囁いた。
「あっ!」
 カスミも前方にあるそれを見て、ようやく立ち上がった。山と雪に囲まれた温泉旅館が、ようやく姿を現した。
 日本作りの古風な旅館で、旅館のそばに立つ仕切りに囲まれた部分からは湯気が立っている。おそらくは、そこに温泉があるのだろう。
 しばらく進むと、おそらくは温泉のスタッフが切り開いた道につながり、イアル達はようやく温泉旅館にという到着することが出来たのであった。



「見てイアル。久々に浴衣に着替えちゃった」
 さっきまでの疲れた表情はどこへやら、カスミは上機嫌で温泉旅館の浴衣を着て、雪で濡れた服をストーブで乾かしていた。
「お客様、お食事をお持ちしました」
「あ、はいどうぞー!」
 カスミがそう言うと、白い上品な着物を着たこの宿の女将と思われる中年の女性が、給仕係りの女性と一緒に部屋へと入ってきた。
「お客様、遠路遥々お越しいただき有難うございました」
 給仕の女性が食事を用意している間、女将は丁寧に膝をつき頭を下げた。
「いいのよ、私も雪を掻き分けて楽しかったわ」
 本当は途中から道を開いたのはイアルだが、イアルは黙って聞いていた。
「昨日急に吹雪になって、道が埋もれてしまったのです。年度初めの忙しい時期の普通の日曜日ということもあり、ほとんどの方がキャンセルをしてしまったのですが、お2人にはお越しいただいて感謝でございます」
「いいのよ、女将さん」
 イアルも申しわけなさそうにしている女将に、励ますように返事をした。
「お客様、お食事の支度が整いました」
「わあ、すごーい!」
 カスミが子供のように感激の声を上げた。魚料理をメインにした夕食で、川魚の焼き魚や、みずみずしい野菜料理や焼きうどん、それにしゃぶしゃぶなど見ただけでも嬉しくなるような料理が、イアル達の前に並べられていた。ほとんどが山の幸であり、海の幸とはまた違った味わいが感じられた。
「料理を召し上がってくださいませ」
 イアルとカスミは、すぐに料理を食べる事にした。料理はどれも美味しく、イアルもそれだけでここに来て良かったと思うのであった。
 女将は2人が食事をしている時も部屋にいて、この旅館の施設の案内や、この地域に伝わる伝承などを話してくれた。その中に、雪女に伝わる伝承もあり、イアルはその話にとても興味を惹かれるのであった。
「雪女がいるの?」
 鮎にレモン汁をたらしながら、イアルは女将に尋ねた。
「はい。伝説では、雪女達が若い娘を浚って行くということです」
「ふーん、若い男じゃなくて若い娘なのね。若い男と結婚した雪女の話なら知ってるけど」
 そう言ってカスミは、雪解け水で炊き上げられたご飯を箸で口に入れた。
「女性好きな雪女なのかしらねー」
 カスミがおどけると、女将が笑った。
「そうかもしれませんね。でも、伝説によれば雪女もまた美しいものが好きと聞きますから。お二人も雪女に会ったら、狙われないようにお気をつけ下さいな」
 カスミは笑いながら食事をしていたが、イアルは笑えなかった。カスミに言えば彼女のことだ、怖がってこの旅行を楽しめなくなってしまうと思う、あえて黙っていた。
 イアルは、部屋においてあった新聞を読んでいたのだ。そこには、この近くで女子高校生が行方不明になったという事件が書かれていた。ただの事件だと思っていたが、どうもそれだけではないらしい。
 その新聞によれば行方不明事件はそれだけでなく、この地域で頻発しているだという。しかも、その被害者は全員が若い娘であった。イアルには引っかかるものがあったが、今、隣で川魚をつついて喜んでいるカスミに、それを話すことが出来なかった。
 ただの偶然であれば良いのだが。イアルはそう願わずにはいられなかったのだった。



「こーんな秘湯があるなんて。温泉はいいわよねえ。やっぱり、日本人は温泉よねえ」
 カスミは木造の湯船の中に浸り、空をぼんやりと見上げていた。
「日本の温泉は素敵ね。それに、食事も美味しかったし」
 イアルも満足げに湯に浸っていた。
「この温泉、100%源泉掛け流しで美肌効果の効能があるんだって。入り口にそう書いてあったわ」
「へえ、そうなんだ。じゃ、ここでいっぱいお湯に漬かって置かないとね!」
 イアルの言葉に、カスミが喜んだ。
「こんな素敵なところなのに、往復が大変ってのは勿体ないわよね。ね、イアル。背中を流してあげるわ」
「え?」
「貴方が道を開いてくれなきゃ、私、ここへ辿り着けなかった。それに、いつも貴方にはお世話になっているじゃない」
 カスミはそう言って浴槽から出た。
「さ、おいでイアル」
 カスミが張り切っているのを断るのも悪いと思い、イアルも湯船から出て風呂の椅子へ腰掛けた。
「イアルの肌、綺麗ね」
 カスミは石鹸を滑らせ、イアルの体を洗い始めた。人に体を洗って貰うのは、かつて皇女であった頃以来だ。最も、あの頃は今とはまったく違い、召使達いが自分の体を洗い流していくだけであり、今、カスミがやっているとは違っていた。カスミのそれはイアルとの友情で生まれたスキンシップであるから、むしろ少し心地が良いものにも思えてきた。
「有難う、カスミ」
 イアルはカスミに微笑んだ。
「でも、ちょっとくすぐったい」
 カスミがわき腹に触れるので、イアルは妙にくすぐったくなってしまった。
「もういいわよ、カスミ。今度は私が」
 イアルは笑いながら、今度はカスミの体にスポンジを当てて、優しくなで始めた。
「もう、イアルったら。くすぐったいじゃない」
 カスミも笑顔を返してきた。
「人に洗ってもらうと、くすぐったいわよね」
 イアルがそう言い掛けた時、露天風呂の入り口の扉が開いた。他の客だろうか、と思ったが、その格好を見てイアルはとたんに笑顔を消した。
 真っ白な着物と、足元まであるまっすぐな黒髪。露天風呂に入りに着たとはとうてい思えないその井出たち。真っ白な肌の少女が、こちらを見つめていた。
 イアルがその少女に言葉をかけようとした瞬間、猛吹雪が露天風呂を襲った。息を吸う暇もなかった。イアルは体の体温が急激に下がっていくのを感じた。
 あの少女が雪女であることを、直感的に感じたイアルは、意識が遠のく中、鏡幻龍の力を使い、何とか意識がなくなるのだけは防いだが、体は氷で固められてしまい、身動きをとる事が出来なくなってしまった。
 一方、雪女の存在にすら気がつくことのなかったカスミは、スポンジを持って笑顔のまま、氷漬けにされてしまった。
(やっぱり、あの子雪女ね)
 イアルは、さきほど入り口にいた少女が自分の前に来て、満足そうな顔をしているのを見つめた。雪女は自由に氷を操る事が出来る様で、雪女が手を振りかざすと、イアル達を包んだ氷が宙に浮き、イアル達は裸の凍り漬けのまま、どこか別の場所へと連れて行かれるのであった。



(ここは、雪女達の住処かしら)
 イアルは凍り漬けのまま、自分が連れて行かれたその場所を見回した。こんな場所があったのかと思うほど、大きく広い洞窟の中に、今、イアル達はいた。おそらくは、人間達に見つからないように、このような洞窟で暮らしているのかもしれない。
 さらに異様なのは、イアルと同じ様に、まわりには氷漬けにされた少女達が立っていた。皆、雪女によってこの様な姿になってしまったのだろう。
 イアルは、このあたりで行方不明になった娘達は、皆雪女によるものではないかと推測していたが、何分自分も体は氷に閉じ込められいる為、どうする事も出来なかった。いや、鏡幻龍の力を使えばこの氷を溶かすことも出来るが、今は動く事は危険だろう。何しろ、イアル達を氷にした雪女とはまた別の雪女達が、目の前に大勢集まってきたのだから。
「皆、作品は持ってきたか?」
 雪女の1人がそう言うと、雪女達は皆大きく頷いた。
「では、準備が整ったということじゃな。今年の品評会を、始めるとしようぞ」
 品評会、ですって?イアルは耳を疑った。この雪女達は、自分達を凍り漬けにした上で物扱いして楽しんでいる。娘達や娘達の家族や友人が悲しんでも、平気な顔をしているのだ。
「この女はどうだ?今にも動きそうだ」
 雪女の1人が、イアルの前に立ちこちらをじっと見つめていた。
「ふむ、確かに迫力があるのう。しかし」
 雪女が首をかしげた。
「品のある顔立ちじゃが、品がありすぎてちょっと、近付きにくい雰囲気があるのう」
「言われてみれば確かに。もっと親しみの湧く娘の方がいいのう」
 雪女が口々に呟き、イアルはすぐにでも氷を溶かして雪女達を追っ払おうと思ったが、ぐっと堪えた。さすがに、多勢に無勢と感じたからだ。
「こっちの女はどうじゃろう?」
 雪女がそう言うと、雪女達の間からざわめきが起こった。
「この恐怖に満ちた顔。透き通った肌、それにこの凍り漬けにされた裸体。どこをとっても、完璧じゃかろうか」
「素晴らしい!」
 雪女達がいっせいに、カスミのまわりに集まり始めた。
「この作品が1番じゃ!」
 雪女の1人がそう叫んだ瞬間、カスミの氷が溶かされていく。イアルはすぐにでも動き出せる準備をしていた。
「さぞかし、美味しいじゃろうな!」
「美しい女の生気じゃからな!」
「さあ、早く女を!」
 カスミの氷が完全に溶かされた瞬間、雪女達は次々にカスミの体へと口付けした。みるみるうちに、カスミの体がそのもの氷へと変化していく。
「美しさを保つ為には、美しい人間の女性達の生気を吸わなければならないからのう!」
 雪女達は口付けによりカスミの生気を吸ってしまった。もはやカスミは、魂のないただの氷の塊となってしまった。
「そこまでよ!」
 イアルは鏡幻龍の力を使い、自らの氷を振り払った。
「私の親友になんてこと!戻しなさい!」
「これは驚いた」
 雪女達が一斉に振り向いた。
「まさか、我らの術を受けておきながら、意識を保っている者がおるとは」
 イアルは氷付けにされたカスミを目にし、怒りを抑えることが出来なかった。雪女達が何かを言い出す前に、鏡幻龍の力を使い龍を呼び出し、雪女達に火炎のブレスを吹き付けさせた。
「な、何じゃこれはっ!」
 さすがに雪女だけあり、火炎には弱点の様であった。雪女達はいっせいに慌てふためき始めた。
「熱い!体が溶ける!やめてくれ!」
「だったら、カスミを元に戻してちょうだい!元に戻すまでは、この火炎を止めないわよ!」
 イアルはさらに大量の火炎を龍から吐き出させた。
「わかった!元に戻すから早くこの炎を!」
 雪女達はカスミに手を次々に当てた。特に見かけは変わらないが、カスミの生気は元に戻っているはずだ。
 龍の炎は瞬く間に洞窟全体へと広がり、雪女達はいっせいに洞窟から逃げ出していった。イアルが龍を収める頃には、雪女達は姿を消し、さらに龍の炎で氷漬けにされていた他の娘達も元の姿に戻っていた。
「せっかくの温泉旅行なのに、まったく酷い事をしてくれる」
 イアルは気づいた娘達に事情を話した。娘達は自分を助けてくれた事をイアルに感謝し、裸であったイアルとカスミに上着をくれた。
 イアルは娘達と別れたあと、氷のままのカスミを温泉宿まで運び、湯船にカスミを沈めた。
「カスミ、もう大丈夫よ」
 数分後、湯船の底からカスミが飛び出してきた。
「はーっ!びっくりした!私、温泉で眠って、沈んじゃったのかしら!」
 目を見開き驚きの表情を浮かべて、カスミはイアルを見つめた。
 どうやら、カスミは今までのことはまったく覚えておらず、ずっとここにいたのだと思い込んでいる様であった。
「カスミ気をつけて。お風呂で寝ちゃっておぼれる事故が相次いでいるらしから」
「そうねえ。楽しい温泉旅行、温泉で溺れたなんて言ったら、笑えないものね」
 何も知らないカスミは、失敗しちゃった、とばかりに、イアルにおどけて笑うのであった。(終)