|
【猿神村】守り神と共に
田舎の村外れにある露天風呂に、若い女性の声が木霊していた。
都会では決して見られない、澄んだ星空の下、湯煙に包まれた露天風呂の若い娘達は、温泉の湯の心地良さと田舎の緑の多い風景を楽しんでいた。その村で、久々に聞こえる賑やかな声であった。
その村は、過疎化した為に村の将来を担う若者や子供達がいなくなり、村長は日々悩んでいた。村長は、村の守り神に村の将来の事で力を貸して欲しいと毎日願い続けていた。
ある日、村長の前に、村の守り神である巨大な「猿神」が現れた。だが、それが事件の始まりであった。
巨大な猿神は、本物の村の守り神ではなく、妖怪である狒々が猿神を騙し自分が守り神に摩り替わり、村長を始めとする村人達を操り、自分の好みの若い娘達を村に呼び寄せた。狒々の目的は、欲望のままに好みの女性達のハーレムを作り、自分の子供を女性達に産ませようと目論んでいたのであった。
しかし狒々の目論みは、他の女性達と同じく村に迷い込んだ1人の若い娘によって滅ぼされた。
「ミネルバ、村長さんがくれた石鹸使ってみない?この村で取れた木の実を使った、天然素材なんだって」
碇・麗香(いかり・れいか)が、温泉の岩に腰掛けて時折外を眺めながら静かに湯に漬かっている、ミネルバ・キャリントン(みねるば・きゃりんとん)に話しかけた。
「石鹸ね。これも、ネットでアピール出来るはず」
「どうかしたの、ミネルバ。ほら、こっちに来なさいよ。皆が貴方の話を、聞きたがっているわ」
麗香はミネルバの手をとり、他の3人の女性の輪の中にミネルバを引っ張っていった。
「お、英雄が来たわね」
気の強そうなショートカットの女性は、湯船に酒を浮かべて頬をほんのりと染めていた。
「まったく、アタシと同じぐらいの年齢だってのに、あんなバケモノを倒しちゃうなんて凄いねえ」
「凄いですミネルバさん。私、最後のあたりはもう何がなんだか」
眼鏡の娘が、ミネルバを尊敬する様な眼差しで見つめていた。今は眼鏡を外しているので、今までと違い、可愛らしい雰囲気の娘に変化していた。
「ミネルバさんや麗香さんがいてくれなければ、今頃は」
最後の1人、スーツを着ていたロングヘアの娘は、小さな声で呟いた。
「まったく、そんな事考えるんじゃないよ。あの気持ち悪い猿は、もう倒したんだからさ。終わった事じゃない」
ショートカットの女性が、フンと鼻で笑った。
「もうそんな事考える必要なんてないんだよ」
「それにしても、あまりにも色々な出来事があったので、あの猿が最後どうなったか、忘れてしまいましたね」
ぽっちゃり体型の眼鏡の娘が答えた。それもそのはず、この3人の娘の記憶は、ミネルバの魅了の力で操作していたのであった。拳銃を使って狒々を倒したという部分は、ミネルバの力で消し去ってしまっていた。
拳銃は、いざという時の為にミネルバが隠し持っていたものだ。この先の事を考え、その事実だけはミネルバが記憶操作させてもらっていた。
「今はこうして、皆で温泉に入れているんだから。細かい事はいいじゃない、ね?」
麗香も湯船に浮かぶ酒を口にしながら言う。
「ほら、ミネルバも。貴方が一番、活躍したんだから。笑顔を見せなさいよね?」
そう言って、麗香が湯を弾きミネルバの顔にかけた。
「もう、麗香ったら子供みたいな事しないの!」
今度はミネルバが麗香に湯をかける。それが麗香の隣にいたぽっちゃり体型の娘にかかり、今度はぽっちゃり娘が反撃にかけた水がショートカットの女性にかかり、その衝撃で酒が温泉へとこぼれた。あー!っと声を上げた麗香とショートカットの女性のその姿を見て、ロングヘアーの娘はようやく笑顔を見せたのであった。
もう、あの視線を感じる事はない。今は心の底からこの温泉でくつろいでいる。
村長や村人達も正気に戻り、今は昨夜の戦いで荒らされた神社の修復をしている様であった。
しかし、ミネルバにはまだ考えなければならない事があった。狒々がいなくなったからといって、村の問題が解決したわけではない。元々は、村から女や若者が出て行き、未来を担う者達がいなくなってしまった事が始まりなのだ。これをどうにかしなければ、またあの狒々の様な妖怪や人間に付け込まれるかもしれない。
「温泉に山菜、神社、田舎の風土もある。決してこの村の観光地としての価値は低くないはずよ」
ミネルバはこの村をどうにか世間に知って貰い、活性化させなければならないと、ずっと考えていた。問題は、1つ山を乗り越えただけに過ぎないのだ。
「ねえ、麗香。考えたんだけど」
ミネルバは、すぐ隣で空を見上げていた麗香に語りかけた。
「今回の事を記事とか小説にしてみない?そうすれば、この村ももっと有名になると思うの」
「ふふ、ちょうど私もそう思っていたところよ、ミネルバ」
麗香はわずかに笑ってミネルバに答えた。
「いくらいい観光要素があったって、世間の皆が知らなきゃ、寂れる一方だしね」
麗香がそう答えると、麗香のすぐ後ろにある岩の陰から、紅い着物を着たおかっぱ頭の少女が目の前に立っていた。
「あら、貴方は」
ミネルバがそう言うと、少女はミネルバと麗香に頭を軽く下げた。
「お2人には本当に感謝しています。私は結局、何の役にも立てなかった」
悲しげな表情で、少女はミネルバと麗香を交互に見つめて顔を伏せた。
猿神の化身であるこの少女が目の前に現れたという事は、猿神は無事でいるのだろう。
あの戦いのあと、ミネルバと麗香は、村長達に手伝って貰い傷ついた猿神の傷の手当をした。酷く傷ついていたが、猿神はどうにか命を取りとめ、村長の家で休んでいたが、いつの間にか姿を消してしまってしまったのであった。心配した村長は村の男達に猿神を探させたが、ついに猿神を見つける事が出来なかったのだ。
「私はこの村の守り神にふさわしくないと感じました。以前よりずっと、そう思っていましたが、今回の一件でその思いがますます強くなったのです。あんな妖怪に、騙されてしまうなんて、何が守り神でしょう」
少女は、顔を上げて、少し離れた所にある別の湯船に移動しゆっくりと湯に浸かって、会話に花を咲かせている3人の女性達に顔を向けた。
彼女達は、たまにミネルバ達に顔を向けているが、少女の存在は見えていない様であった。
「彼女達にも、迷惑をかけてしまいました。全部、私のせいです。私が不甲斐無いばかりに、こんな」
「だからこそ、貴方がしっかりしてこの村を守ってやらなきゃいけないじゃない?」
落ち込んだ表情の少女に、麗香が励ますように返事をした。
「だってそうでしょ?貴方はこの村の守り神なんだから。ここで、ちょっと色々あったからって、もう守り神なんてやりませんなんて、言ったらいけないわよ。村人達はどうなるの?今度こそ本当に、この村が滅びるわよ」
「でも、麗香さん」
少女は今にも泣き出しそうな表情を見せた。
「村人を守るべき私のせいで、村人達を不幸な目に合わせてしまいました」
「確かにそれは事実だけどね」
今度はミネルバが、少女に言う。
「麗香の言う通りよ。今こそ、貴方が頑張って村に元気を取り戻さなきゃ。村人は、貴方を頼って生きているのよ。あの立派な神社は、そんな村人達の心の表れでしょう?それを、見捨ててしまうの?貴方、守り神でしょう?」
叱る様な口調だったが、ミネルバは笑顔を見せていた。その言葉に偽りなどない。ミネルバは、この猿神が早く元気を取り戻し、この村に活気を与えて欲しいと心から願っていた。
「貴方はそんな無責任な守り神じゃないでしょ。だから、あの時、貴方は最後の力を振り絞って、狒々に飛びついた。私は貴方に助けられたのよ。そうでなければ、今頃は私も麗香も、あの女の子達も、それに村人達も。あの狒々の餌食よ」
ミネルバはタオルを体に巻き、そして少女のそばへと寄り添い、子供を元気付ける母親の様に少女の頭を撫でた。
「貴方がこの村を守ってあげて。貴方でないといけないのよ。貴方はこれで終わってしまう様な神様じゃないわ。一緒に戦った私が、それは一番良く知っているから」
「ミネルバさん…」
ミネルバ、そして麗香に励まされ、少女は笑顔を取り戻した。そして、2人に再度頭を下げた。
「有難うございます。私が、必ず、この村を守りますから」
最後にそう言うと、心地の良い風が吹き、少女はいなくなっていた。必ずあの猿神は、この村を守ってくれるはずだ。
傷つき、体をボロボロにしながらも戦った猿神が、無責任な神であるはずがないと、ミネルバは信じているのだ。
ミネルバ達が温泉から出ると、村人達が新鮮な食材をふんだんに使った料理でもてなしてくれた。その料理はどれも美味しく、これだけ美味しい食事が出来るのだから、必ずこれは観光に出来るとミネルバは思った。
「本当に、迷惑をかけて申し訳ない」
その食事の席で、村長と村の男達は再度ミネルバ達に謝罪をした。
「もういいのよ、村長さん。黒幕は退治したんだから。それよりも」
ミネルバは、温泉の中で考えた村興しについての提案を村長に持ちかけた。
「村を活性化させる為には、猿神様に願ってばかりじゃ駄目だと思うの。例えば、観光アピールするとか、お祭りを開くとか。今は田舎の村だってホームページ開いている時代よ。色々な手段を使って、この村をアピールするといいわ。必ず、賑やかになるわよ」
「そうか。やはり、色々な方面で努力していかねばならんのう」
村長は、ミネルバの提案を紙に書き取っていた。
「村長さん、私、アトラスっていう雑誌の編集長やってるの」
今度は麗香が村長へ言った。
「私の雑誌で、今回の事を短編小説にしようと思っているのよ。実在の場所で起きたオカルト事件って内容でね。執筆するのは、このミネルバよ。彼女、ライトノベルの作家でもあるの。必ず、良い宣伝になるわ」
「そこまで、して頂いて良いのじゃろうか。わしらは、迷惑をかけただけなのに」
村長が目を伏せると、麗香がウインクをして村長に答えた。
「アトラスはオカルト雑誌よ。そりゃあ、今回はちょっと危険な目にあったけど、こんなオカルトネタに良い材料は捨てておけないわ。あ、村長さんも、登場人物のモデルになってもらわないとね?」
「今回の事件で迷惑をかけたが、恩恵も受けた。お二人がこの村に来てくれた事自体が、猿神様のお導きなのかも、しれないのう」
「そうね。猿神様は、凄い守り神様だもの。この村を立て直す為に、私達も出来る限りの協力をするわ」
村長の言葉に、ミネルバはどこかで聞いているであろう、猿神に向かって聞こえるように、村長に言葉を返した。
翌日、村長達からせめてもの礼にと、村の山菜や工芸品等トランクに乗り切らない程の土産を積み、ミネルバと麗香、そして3人の女性達は村を出発する事となった。
村長たちは、正気に戻った村人と共に、ミネルバ達を見送った。
「それじゃ、村長さん、頑張ってね」
麗香がそう言うと、村長は麗香、ミネルバ、3人の女性達それぞれに固い握手を交わした。
「いつでも遊びに来ておくれ。お主達は、恩人じゃからのう」
「ここの温泉はとても良かったわよね。ねえ、ミネルバ」
麗香の言葉に、ミネルバは大きく頷いた。
「そうね。そのうち、この村も賑やかになるわ。村長さん、猿神様と一緒に、この村を守ってね」
「勿論じゃよ!」
村長は笑顔で答えた。
「それじゃ、麗香、そろそろ帰りましょう」
「おっけー!」
3人の女性を乗せ、ミネルバは車を出した。この車も戦いに巻き込まれて幾分痛んでしまったが、村人達が出来る限りで修復をしてくれた。完全な修復はここでは無理だが、走るには特に問題はなかった。
3人の女性達は、途中までミネルバの車に乗車し、途中の駅で下車する事にしていた。ほんの数日だが、一緒に大きな事件を乗り越えた事で、女性達やミネルバ、麗香の中に絆が生まれたようにも感じた。
車が動いても村長達は、ミネルバ達が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
「ミネルバ、あそこ!」
村の外れに差し掛かった時、木々の中から猿が顔を覗かせた。その中にあの猿の姿の猿神も姿を見せていた。
猿神達はミネルバ達に手を振って、いつまでもその場所から動かなかった。
「猿神様も、見送りに来てくれたのね」
麗香がそう言って、車の窓を開けて、猿神達に大きく手を振り替えした。後部座席にいた女性達も、窓を開けて車から乗り出し、猿神達に手を振り替えした。
「頑張ってね、猿神様!」
車を止めると、ミネルバは窓から顔を出して猿神に手を振った。そして、再びエンジンをかけ車を走らせた。
あの時の霧はもう消えており、空は澄んだ青をしていた。山々の緑が力強く生い茂り、心地の良い風が吹いていた。
ミネルバはこの村が繁栄し賑やかになる事を願いながら、どんな物語を執筆しようかと、頭の中で企画を練っていた。
あの事件から数ヵ月後、猿神村は、各方面からやってくる観光客で賑やかになった。その観光客の半数が、アトラスに短編として掲載された小説のファンだという。
作者のミネルバが、村の温泉や神社などを情緒たっぷりに、そして狒々が企んだ事件を扇情的に描いた小説は、挿絵をアトラス所属の人気イラストレーターに依頼した事もあり、掲載された当時からそれなりの反響を得た。
さらに、そのイラストレーターが、その小説の主人公である猿神の化身の少女を、巫女服や鮮やかな赤い着物を着て悪い妖怪と戦う萌えキャラにデザインしたおかげで、さらに人気が上昇し、その読者が小説の舞台である猿神村に赴くようになった。
口コミやネットなどで猿神村の事が知られる様になり、小説を原作とした長編版としてまとめられた1クールの深夜アニメも作られ、そこそこのヒットを飛ばし、村は多くの観光客が集まる様になった。
猿神村が、それなりの観光地として有名になったある日、ミネルバは村長から手紙を受け取った。
そこには、村に活気が出たおかげで、都会に出た若者が村へ戻って来て、さらに猿神村で暮らしたいという女性達が現れ、他の村から嫁がやってきた事が書かれていた。今では、村にはかつての活気が蘇りつつあり、来年には子供達も生まれるのだという。
その手紙を麗香に見せたミネルバは、猿神や村長に会いに、またあの村へ行こう、と2人で約束をするのであった。(終)
■ライター通信
シチュノベを発注頂き、ありがとうございました!
猿神村の話は完結となりましたが、次はどんな展開になるのかと書いていてとても楽しかったです。
少しでも楽しんで頂ければと思います。それでは、有難うございました。
|
|
|