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影は静かに山を駆ける
□prologue
静かな山間。いつもどこかで小鳥のさえずりが聞こえてくる。緑豊かな美しい土地。
そして、少しだけ物悲しい。
ここは黒・冥月の亡き恋人が眠る霊園だ。
持参した花を墓に捧げ、冥月は彼に語りかける。
「随分暖かくなってきたわね」
木漏れ日がきらきらと輝く。時折吹く風も心地良い。
全身で春を感じている。
冥月は目を細め、辺りを見渡した。
穏やかで心地良い土地。
彼が暖かい光に包まれているようで嬉しい。
小鳥のさえずりはきっと耳を楽しませてくれるだろう。
(…………)
けれど、どうしたことだろうか。
今日はまだ一度も小鳥のさえずりを聞いていない。
ふわりと頬を撫でる風に、かすかに、何か異質な匂いを感じた。
冥月はそれでも笑顔を崩さず、彼に語りかける。
「少しだけ、待っていてね」
そして、あくまでも優雅に、冥月は墓を離れた。
何と言う無粋な輩なのだろう。時と場所を選んで欲しいものだ。冥月はこっそりため息をついた。
□01
「霊的ビッグバンを起こす! 終末が起こらないならば自らの手で起こす! それこそが、我らの正義だッ!!」
全身を呪符で武装した男が叫んだ。
その自分勝手な主張に誰かが大声を上げる。
「その通り!」
「起こす。必ず、人類は死に絶えなければならない!」
叫びは怒号となって、大地を揺らした。
そこへ、ドンと霊弾が打ち込まれる。たちまち男達は離散し、それぞれが闇に身をひそめた。
「ふざけるのもいい加減にしろ。それは、我々が許さない」
「そんな勝手な主張で、何も変わらない。お前達では人を救う事なんてできない」
現われたのは、霊的な武装をした男二人。
人類の絶滅を画策する虚無の境界と怪奇現象を監視するIO2。二つの組織の大規模な戦闘が始まっていた。
大地は揺れ、木は朽ち果てて行く。全ての霊的エネルギーが吸い上げられ破壊の力へと変換される。悲鳴をあげる者はいない。動物達は逃げるか朽ちるかのどちらか。元々、戦闘は人間のいない場所が選ばれた――もっとも、人類の抹殺を願っている虚無の境界側は、この場所へ誘導されたことが不満になっているようだったけれど。
問題は、その場所が冥月の亡き恋人が眠る霊園の隣の山だったことにある。
戦闘は拡大し、霊園との境界まで迫っていた。
「下らない争いは他所でやれ、迷惑だ。僅かでもここ(霊園)を荒してみろ。殺すぞ」
うっすらと底冷えのするような殺気。
山と霊園の境界に、冥月が姿を見せる。
武装した男達へ、冥月は鋭い言葉を投げた。普通の人間ならば、この一言で腰を抜かすか一目散に逃げ出したことだろう。けれど、男達にはIO2に所属していると言うプライドがあった。
冥月の殺気を感じて男達はすぐに戦闘態勢に入る。元々臨戦状態だったのだ。殺気に対して機械的に反応しても不思議ではない。
男の一人が霊力を凝縮した光の弾を撃ち出した。
「…………」
相手に話を聞く気がないことが分かり、冥月はため息をつく。
仕方がない、か。
飛んできた光の弾を手の甲で弾く。同じ呼吸で、影が走る。影は一瞬で男の持つ武器を破壊した。
「な――」
唖然とする二人の男に当身を喰らわせる。崩れ落ちた男達の身体を無造作に放り投げ、霊園と山の境界を確保した。
「お前は……誰だ!」
その時、全身を呪符で武装した男が姿を現した。
IO2の男達を攻撃していた。けれど、とても味方とは思えない。
疑問が素直に表情に現われていた。
「……。誰でも良いだろう? いいか、ここを荒らすな。非常に迷惑――」
「ッ敵か!」
殺気が既にこの場に充満している。
冥月の言葉を聞き終える前に、呪符が燃え上がった。何らかの奇々怪々な力が男に宿りはじめる。
襲いかかる炎を影で相殺し、冥月は呪符の男へと向き直った。
□02
流石に大規模な戦闘を展開していただけはある。最初に遭遇した男達の沈黙が仲間を呼んだのかもしれない。
二つの組織の戦闘員達が次々に現われ、ある者は素手で、ある者は人ならざる力で、冥月に挑みかかってきた。
冥月は次々に襲い来る両陣営の戦闘員を無力化していった。
勢い良く飛び込んでくる力任せの相手には、受け流し手刀を叩きこんで意識を奪う。自分の力以上の力で守りを固めている者は、影で縛り付けた。
数は多かったが、冥月の敵ではなかった。
ようやく周囲に静寂が戻る。
ふっと一息ついた、その時、じゃりと不躾な足音が響いた。
現われたのは、長身でがっしりとした躯体の男だ。迷彩服を着こなしている姿から、戦場の匂いが湧き立っている。
「ほぉ」
冥月の足元に転がる戦闘員達を眺め、男は目を細めた。
まるで、極上の獲物を見つけたような、無邪気な喜び。
男は、一人残らず意識を奪い、誰一人死なせていない冥月の力をすぐに察したようだ。
それは、冥月も同じだった。
自らの力を隠そうともせず無防備に歩く男は、その行動とは裏腹に隙がない。
今まで冥月に挑んできた者とはレベルが違う。
「貴様が……全てやったのだろうな」
男は愉快げに冥月を見た。
「だとしたら、どうする?」
冥月は静かに男へ顔を向ける。
手にしていたナイフを逆手にかまえ、男が飛び込んできた。
「なに、雇い主の意向でな。味方の敵も敵の敵も、みんな敵だ」
水平に泳いだナイフが、すぐに垂直に襲ってくる。
「つまり、お前を排除する。それだけだッ」
「…………」
気合いの乗った一撃。確実に急所を狙っている。冥月は男の動作を瞬時に感じ取り、一撃一撃を捌いていった。
「ははっ」
男は、攻撃が当たらないことなど全く驚かない。それどころか、ナイフを避けられるたびに繰り出すスピードを速めた。
誰が襲ってきてもその場を動かなかった冥月だったが、ついに地面を蹴ってフットワークで攻撃を避けはじめる。冥月が動いたことに気を良くしたのか、男は更にスピードを乗せてきた。
「……なるほど、どうあっても戦いたいと」
風を切るようなスピードで動いているにも関わらず、冥月はゆっくりと肩を落とす。
男が繰り出す腕をはじめて掴んだ。そのまま、流れるように男を投げ飛ばす。
「ああ、そうだ。どうせここまでやったんだ。付き合ってもらう!」
放り出された身体を器用に回転させ、男は着地と同時に飛び上がった。構えていたナイフを冥月に向かって力任せに投げつける。
一直線の軌道は読みやすい。けれど、その威力を無視できない。
冥月はすぐに判断し、左に飛び退いた。右には大木があったため、左にしか飛べなかった。ナイフが地面をえぐる。
男は冥月の着地場所を狙っていた。両手を組み合わせ、力任せに振り下ろす。
「……ッ」
その一撃を、冥月は避けなかった。
しっかりと両手で受け止める。
男の全体重が振動に変わったかのよう。
腕が、足が、瞬間軋んだ。
男の一撃は、しかし冥月にダメージを与えない。
冥月は腕に力を込め、男を押し返した。
「ほぅ……」
力比べをしながら、男が感心したように目を細める。
そして――。
男は自ら後ろへ下がった。冥月との距離を十分にはかり、一つ息をつく。
「貴様は……愉快だな。そう、ひどく面白い」
そんな風に評価されても、笑えなかった。
男の姿が変わっていく。
その様子を、冥月はじっと見ていた。
□03
それは直立した獅子のような魔獣だった。
全身銀の体毛に覆われ、瞳は戦いを求めて爛々と輝いている。
「それがお前の真の姿、というわけか」
冥月の問いに、魔獣がにぃと笑う。と、同時に、鋭い刃が幾重にも重なり二人の周辺で暴れはじめた。
真空の刃だと、すぐに思い至る。
流石に素手で防ぐ事はできない。
風を切り裂くように、真空の刃が冥月に襲いかかる。
冥月は大きく影を伸ばし、近づいてきた刃を吸収した。
踊り狂う刃を縫って、魔獣が駆ける。人の姿であった時とは比べ物にならないスピードだ。大地を蹴るたびに地響きが起こる。
冥月は刃を吸収していた影をマントのように羽織り、新しい影を腕に纏った。
影のマントは相変わらず冥月に迫る刃を無効化し続ける。真空の刃はそれでもなお増え続け、縦横無尽に飛び回った。
刃の対応を全て影に任せ、冥月は魔獣の一撃に備えた。
魔獣は力任せに腕を振り下ろす。視界を全て奪うような風が巻きおこった。
「お、おおおおおおおぉ」
「……ッ」
魔獣の一振りを受け止める。
ズズと、少しずつ足元から後退する感じ。
影で保護している腕は問題ない。けれど、純粋なパワーは想像以上だった。魔力も霊力もない。全てを超越したパワーだ。
魔獣は本気で、いや、純粋に冥月を押し潰そうとしていた。ただひたすら、手強い相手を潰そうと、力をぶつけてくる。
冥月も本気で相手をしていた。その辺に転がっている雑魚とは違う。
それは分かっていたが、そもそも冥月は殺生をするつもりがない。魔獣は戦いの末命が奪われることが当たり前だと考えている。そのわずかな違いが、二人のバランスを物語っていた。
少しずつ、だが確実に、魔獣が冥月を押し込む。
ざりざりと足元で砂利が軋む音がする。
さく、と。
いつの間にか、足元が草を踏む音に変わっていた。
(……そ、れ、は……)
それは――。
それは、山と霊園の境界の音。
戦闘で荒らされて砂砂利だけの山と、静かで美しい霊園の境目の音だった。
冥月の足に力が篭る。
それだけは、絶対に許せない。
ここを荒らす事は、誰であろうと許さない。
絶対に。
冥月は影を足の裏に集め……。
集めた影を、凝縮し爆発させた。
爆発の勢いで魔獣を軽々と押し返す。
「ふ……はっ」
魔獣は、勢いを殺され、バランスを崩した。
そして、二人の動きがぴたりと止まった。お互い次の一撃を警戒し十分に距離を取る。
その時、ピピと場違いな音が遠慮気味に響いた。
魔獣は転がった通信機を拾い上げ、耳を傾ける。そして、すうっと人の姿に戻って行った。
「……確認するが、貴様は虚無の境界と関係はないのか?」
「だから、ずっと言っているだろう? この地を荒らすな。それだけだ」
冥月の言葉を聞き、男はつまらなさそうにそっぽを向く。
「どうやら首謀者が捕まったようだ。戦闘続行の必要なし」
ふうと大きくため息をつき、男は首を振った。
「だが、楽しめた。俺はファングだ」
「……黒・冥月だ」
男……ファングはにやりと笑い、背を向け歩き出す。
「覚えておくぞ」
最後に残していった言葉は、やけに重い響きに聞こえた。
□epilogue
乱れた髪を整え、冥月は彼の墓へと戻ってきた。
戦闘の香りを微塵も感じさせない、完璧な笑顔。
「煩くしてごめんなさいね」
平然と墓の掃除を始めた。
鳥のさえずりはまだ聞こえない。
けれども、平穏が戻った山に動物達が帰ってきた気配を感じる。
ここを守れてよかった。
冥月は静かにそう思った。
<End>
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