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<東京怪談・PCゲームノベル>


《コクーン》SIDE:WHITE

【1】

 ……暑い。

 春だというのに、暑い。

「そうなのよっ!暑いのよっ!! 春なんじゃないのよ! こないだ桜が咲いて散ったばかりよ! それなのに、ナニ!? このクソ暑さ!!」

 日曜の昼下がり、つまりは外気の温度も一日の最高気温を記録する頃、藤田あやこは一人、上野公園の人ごみに紛れてへばっていた。刺すような光線から身を守るべく木陰に隠れる、目の前を後ろから来ていた親子連れが通り過ぎていった。
「ねぇーおかぁさん、きょうあったかいねぇ〜」
 のんびりと言う子どもへと、母親がかみ付く勢いで言い返す。
「なに言ってんのよ! あったかいなんて悠長なこと言っていられる? 夏ってくらい暑いわよ! あ、もうどうしよ、化粧が崩れて。ちょっとおとーさん、待ってよ。向こうのトイレ行ってくるわ」
「おまえ、さっきもそういってトイレ行っただろ…。もう何回目だよ、5回目じゃないかぁ? って、おおい、俺、あっちでアイスキャンデー買ってくるから」
 そんな親子連れを尻目にあやこは黙り込んだ。
 どうやら暑さにキレているのはあやこ一人というわけでもないらしい。
 つい先頃に花を散らした桜並木の脇には、若干季節外れにもアイスキャンデー売りが店を出していた。
 しかし、その周りにタカる人々の表情にも、「あら〜ぁ、昔懐かしのアイスキャンデーねぇ」という風情を愛する様子よりも、「もう何でもいいから冷やっこいモン食わせろ!」という鬼気が滲み出している。
 しかし、彼らよりも元来暑さに弱い彼女のことである。脳味噌を溶かす暑さにぐったりと桜の木の根元に座り込んでしまった。
「暑いわよね…みんな暑いの…でも、そんなことに慰められても、私のカラダは――……。何かやることがあったはずなのだけど……、もうダメ……あっつい……」
 幹に背を預け、あやこは気を失ったのだった。



【2】

 今を去ること1時間前、上野駅に長い髪を靡かせて颯爽と降り立った一人の若い女がいた。あやこである。
 真夏日とは言えども季節は春。まだ街中を歩く女性たちの露出度はそう高くない。
 そんな中、あやこはむき出しの肩にぴったりと張り付く濃紺の布地をタンクトップからしどけなく覗かせている。上着を腰に巻きつけただけの代用スカートからもしなやかに伸びる脚の肌を惜しみなく晒している。丈の短いタンクトップからはくびれた腰と臍が覗き、大股で歩くたびに、そんな腰がうねるのであれば、駅前を行きかう群衆が熱い視線をびっしばっしと向けてくるのも道理であった。
 だが、あやこはそんな外野を気にも留めず、真昼の光線に輝く髪をかきあげる。
 大人の色気が香るジバンシィのサングラスの中で、あやこは目を細め天を仰いだ。
「私の元を離れて行ったわが子たち……。鞍替えですって、ふざけるんじゃないわよ……」
 彼女は怨念を胸の内を滾らせていた。
 あやこの娘たちに息子たち――つまり、彼女の経営する芸能プロダクションのタレントたちやら、部下やら、ブティックで雇っていた蛾の妖たちが、男も女も関係なく、ごっそり引き抜かれていったのである。謎の芸能事務所に。
 慌てたあやこが、筆頭稼ぎ主とも言えるタレントAの自宅に直撃電話をかましたところ、寝起きらしく寝ぼけた声が受話器の向こうでこう言った。

 ――「社長ぉ、ごめんなさぁい。向こうの待遇、超よくてぇ〜。1日事務所に顔を出すだけでギャラ4000万円って」

「なぁにが、ごめんなさいよ! 小娘ッ! 私があなたたちを育てたんじゃないっ!」
あやこはがっしとサングラスを掴んだ。

 ブティックで雇っていた青年Bは、受話器の向こうで声を曇らせた。

 ――「社長、すいません。俺にはクニでひもじい思いをしているじっちゃんばっちゃんと弟が8人いるんです。日給で4000万出すって言われたら、…ちょっと。」

「そんなに4000万が欲しいか!! ……。……欲しいわよね」

 あやこは見た目こそ可憐な娘ではあるが、中身はどっこい、生き馬の目を抜く世の中をホームレスから出発し、渡り歩いて生き抜いてきた百戦練磨の人間――もとい、妖精である。肉体は。
 だから、カネにつられる人間の気持ちもわかる。人の心というものが、時にはモノ次第でたやすく離れていくものだということも知っている。
 しかし、この密かに魑魅魍魎が跋扈する東京という街のただ中にあっても、人目をはばかりながら底辺の暮らしを日々送っていた不遇の蛾妖怪たちを見つけ出したのは、あやこだったのだ。見目麗しい者は芸能界にデビューさせた。並みの容姿の者はいまや全国展開するあやこのブティックで店員として雇った。つまり救い出したのはほかならぬ自分だった。芸能界にデビューさせたといっても、どこの馬の骨とも知れぬ無名の素人を売り出すべく奔走したのはあやこである。ブティックでの雇用にしても、あまたの妖たちを雇用するには店舗を増やさねばならなかった。いたずらに店を増やしたせいで企業全体が潰れるリスクも脳裏をチラついてはいたのだが、その一か八かの賭けに身を投じることを決意したのもあやこだったのだ。路頭に迷う彼らを救いたい一心で。あやこにしてみれば、彼らはわが子も同然だった。
 それなのに、一宿一飯の恩、どころではない恩義を4000万で忘れたという。
 いや、忘れるのも無理はない。
 あやこは思う。
 彼らは恩知らずであったかもしれないが、得てして人はそういうものなのだ、と。人は忘れる。人は変わる。それがたとえ「人」でなくても、心を持つ存在であれば。
 そう頭で了解している部分があっても、腹立ちが収まらないことには変わりはなかった。
「ぬぁぁっ!! 思い出すだけで腹が立つっ!!」

 憎しみが篭りすぎたか、あやこの手の中でサングラスが音を立てて割れた。
「おかーさん、みてみてー。すごいよ、あのおねーさん、ぎゅってやったらばらばらになったー」
 通りすがりの小さな女の子があやこを指差してはしゃいでいた。「え?」と振り向いた母親だったが、あやこの鬼の如き形相を見た途端、悪いものでも見たように見てみぬふりをした。「しっ! 人を指差しちゃだめっていったでしょ! それに目を合わせてもダメ!」。
 引き抜かれた子たちが言うことには、1日のギャラで4000万出すと言った事務所は上野に所在しているという。
 その事務所が主催するイベントが、今日上野公園で催されると聞いたあやこは、「敵」の本拠地への殴り込みを決意したのだった。
 そんなこんなで、やるかたない怒りをぶちまけるよう上野公園へと大股に歩くあやこは一つ、極めて重要なことを失念していた。
 外気の温度は既に30度を超えている。
 元々異常なほど高い気温に加え、焼け付くアスファルトからの照り返しに、あやこの体温はますます上昇していた。
 あやこの心臓は怒りにドクドクと脈打っていたが、もっとも、暴走していたのはあやこの心臓ではなく、両膝にある生体動力炉であったかもしれない。
 1時間後、あやこは上野公園の片隅で意識を失ったのだった。



【3】

「――ょうさん…お嬢さん」
 肩を叩く手に気づいて目を開くと、あやこの前に一人の青年が立っていた。
 青年は気がついたらしいあやこへと身を屈め、顔を覗き込む。
「大丈夫か」
 濃い色のサングラスに隠れた目元の様子はわからなかったが、声の調子で自分を心配しているらしいことがわかる。
 まだ頭が朦朧としている。どれだけ座りこみ続けていたのか、木の幹に預けていた背中とコンクリを敷いていた尻が酷く痛い。見れば、遠巻きに自分の様子を窺っている人々もいるようだった。
「大、丈夫……よ。ちょっと休んでいただけ……」
 幹に手をついて立ち上がろうとすると、青年はあやこの肩を押し返してかぶりを振った。
「この暑さだ。気分が悪くなっても仕方が無い。今無理をすると倒れるぞ。すぐに水を。」
 サングラスの青年は、呼び止める間もなくアイスキャンデー売りのいる方へと走っていった。なるほど、アイスキャンデーのみならず、アイスボックスに突っ込んだ飲料も売っているらしい。水をと言っていたからにはペットボトルの水でも買いに行ったのか、駆けていく青年の後姿を見つめながら、あやこはつぶやいた。
「私……なにかやらなければならないことが、あったはずなのだけど……」
 相変わらず靄がかかっているようではっきりしない頭を抱えて、あやこは呻いた。
 その時。
 あやこの手に降って来た、一枚の紙っぺらがあった。

『おいでませ パラダイス・コクーン!!』

 小さな紙片の上に、ポップな書体が躍っていた。
 あやこの脳裏に、一瞬にして、光速を超えた電光が走る。
 引き抜かれていったわが子たち――蛾の妖たちの行き先であり、そして、今日あやこが意を決して上野公園を訪れた理由でもある――

「これ、じゃないのよ……!!」

 今しがたまでの熱に冒された意識もどこへやら、愕然としたあやこの目の前に、またもやひらり。

『アート・ミュージカル《パラダイス・コクーン》来日!!』

 ひらり。
 ひらり。
 また、ひらり。
 
 あとからあとから降ってくるビラの数々に、あやこは天を振り仰いだ。
 空には、悠々と空中遊泳を楽しむ白い飛行船があった。
 その胴体部には、《PARADISE COCOON》の文字。

「私のぉ!! 娘たちをぅぉぉおぉッ!!」

 獣の咆哮のごとき唸り声を上げ、あやこは駆け出した。
「お嬢さぁんっ!? 今動いたら駄目だっ!!」
 砂埃を蹴立てて走っていくあやこの後ろで叫ぶ青年の声があったが、今のあやこにはこれっぽっちも聞こえちゃいない。
 あとには、500ミリペットの水のボトルを握り締めて佇む青年がぽつんと一人、「彼女にフラれたのかね」などと口々に言い合っては興味半分からかい半分の視線をよこす衆目に晒されていた。



【4】

 あやこは園内を疾走していた。
 黒い髪を靡かせ、風を切って走る姿は天翔ける風神か雷神かという有様である。

(ごっそり引き抜かれたせいで、わが社の収益が落ちたからとかじゃないのよ…)

 雇用者と被雇用者というタテの関係ではあったが、彼らを大切に思っていたのだ。
 あやこは元は人間だった。
 ひょんなことで妖精の身体を持つことになったが、人生、ひょんなことで運命がガラリと変わるものなのかもしれない。
 だが、あやこはその分、人間の考えや気持ちを理解することができる。そして、異形の存在たちの立場も心も理解することができる。だからこそ、蛾の妖たち上に頭として立ち、人間相手にビジネスが出来る自分になれたのだ。
 徐々に、白いドーム型の建物が迫ってくる。
 そこらの小学校ほどの大きさだろうか。
 園内の広場に設営された白い繭の形をしたテント。
 幼虫時代の蛾が眠る繭があやこの仇とは、いかにも皮肉である。
 あれらの中で、かつて自分が可愛がった部下たちが、満場の観客たちに笑顔を振りまいているのだろうか。
 あやこの表情が険しくなった。紫色した左の瞳に、白い巨大な繭が大きく映る。

「お嬢さあぁーん!!」

 不意に背後で声がした。見れば、先ほど水を買いに行った青年があやこを追ってくるところだった。
「あなた!? まっだいたの!?」
「いて悪いか!! いつ倒れるかと見ているこっちがひやひやするだろうが!
「あーそー! でも誰も助けてなんて頼んでないわよっ。ていうか、あなた何者!?」
「俺は黒瀬だっ!」
「へぇ、黒瀬。て、そうじゃなくて! なんで私につきまとうのよ!」
「つきまとうだと!? あわや熱射病で病院行きかというような準病人を放り出して、俺がさっさと帰れるとでも思うのか!」
「そこはさっさと帰りなさいよ!」
「阿呆! そんな紙みたいな顔色してまだ言うのかよ! 今にぶっ倒れても……」
 名を黒瀬と言った男が言葉を終えぬ内に、あやこの視界がぐらりと傾いだ。
 この暑さの中を、全力で走ったりしたのだ。筋肉から生み出された熱という熱があやこの身体に回っていた。
 今の今まで身体が上げる悲鳴にも気づかず走っていられたのは、ただひたすら執念のなせる業だったのだろう。
「……へ……?」
 声もなく足元から崩れ落ちるあやこを、黒瀬は両腕に抱き上げる。
「貴女の名前を聞かせてくれよ。お嬢さん、じゃ呼びづらいんでね。」
「……あやこ。名前は?」
 掠れた声でそういって、あやこは青年の胸元を指さした。
「俺は黒瀬。あやこさん、貴女は何をしようとしていたんだ?」
 あやこは黒瀬の胸元をさした指を、目前にと迫っていたドームへと向けた。
「あそこに、私の娘たち…私が雇っていた子たちがいるのよ…。引き抜かれ、ちゃった……。みんな、いなくなっちゃった……。」
 黒瀬がドームとあやこを見比べながら、怪訝そうに眉を顰めた。
 そのとき、あたりに響き渡ったスピーカー音があった。

『ようこそ! 我らがパラダイス・コクーンへ、あやこくん!』

 割れんばかりのスピーカー音が、あやこの名を呼ぶ。
 ドームのエントランスが開いた。
 だが、エントランスの中に、人の姿らしきものはない。

『君のしもべたちは私が頂いたよ。ビタ一文くれてやらないのに実によく働いてくれる。君のしもべたちはみな阿呆なほどに忠実だね。』

「この声……どこから? それにビタ一文って……。なにそれ、どういうこと……?」
 愕然としたあやこの小さな呟きをどうやって聞き取ったのか、スピーカーからの声が言った。愉快げな哄笑が聞こえた。

『ははははは! 私がどこにいるかというのかね? 今君の目に見えているものこそが私だよ、あやこくん、私の催眠術の前には全てがひれ伏すのだ……!!』

「あのテント自体がヤツってこと……? それよりも、催眠術ですって!? 私の子たちを操ったっていうの!? 黒瀬っ! ちょっと下ろしなさいよ!」
 黒瀬の腕の中であやこが身をよじった。
「駄目だ。貴女はまだ立てやしない。あそこに囚われているらしい者たちが貴女にとって大切なのだということはわかったよ。何なら俺が代わりに働いてもいい。だから無理をするな。今俺が…」
 あやこを離さぬようにかたく抱き冷たく言い放つ黒瀬の言葉に、あやこは柳眉を逆立て唇をかんだ。
「うるさいッ!!」
 黒瀬の頬へと痛烈な平手打ちを喰らわせる。
「……いっ!! あやこさん!!」
 腕が緩んだ隙に、あやこは黒瀬の腕の中からすり抜けた。
 それでも捕らえようとしてくる黒瀬の腕を振り払い、
「無理するなっていうんなら、無理しないわよ!! ――アルクティア!」
 あやこの手が天の高みへと向けて高々と伸べられる。
 掲げられた腕の周りに、黒い靄が立ち込めた。
 靄は瞬く間に黒点の形に凝集し、あやこの腕を斑紋となって埋め尽くす。
 腕を飾る黒々とした斑紋のひとつひとつが、まだらの羽根を持つ夜蛾だった。
 あやこが腕を一振りすると、白黒の夜蛾たちが一斉に飛び立った。
 あやこの身体の回りを渦巻きながら数を増す蛾たち。
 やがて、飛び回る蛾の浮力を借りたのか、あやこの身体が宙に浮いた。

「う、わあ!! 蛾!?」

 仰天したのは黒瀬である。
 この世に怖いものはただ二つしかないと豪語する黒瀬の、唯一、いや、唯二、苦手としているものが、ゴキブリと蛾であった。
 顔面蒼白、腰を抜かさんばかりに後ずさる黒瀬を見下ろして、いまだ目元のみ赤く、青白い顔色をしているあやこはふんと鼻を鳴らした。
「なっさけないわね!!」
 いつの間にか、パラダイス・コクーンの周辺には人だかりができており、ドームを取り囲むように黒い人垣が分厚い輪を描いていた。
『ほほう、あやこくん。何をしようというのだね? そこまで弱りきっているものを』
 スピーカーから聞こえる割れ鐘のような声が、相変わらず愉しげに言う。
「観客上等!!」
 コクーンをひと睨みし、夜蛾たちに守られ中空に浮かんだあやこが高らかに叫んだ。 熱に浮かされ、ブチ切れたあやこにいまや怖いものはない。
 頭上高くに浮かんでいる白い飛行船をあやこは見据えた。
「見てなさい。わが子たち! 仇は、取ってあげるわよ……!!」
 高らかに叫ぶやいなや、水着が音を立てて破れ、あやこの背に純白の翼が広がった。
 白い翼が大きく空を打ってはためく。
 上空へと翔けあがったあやこは、浮遊する飛行船の尾翼の端を掴んだ。
 掴んだとはいえ、飛行船自体はちょっとした公民館ぐらいの大きさのものである。
 地上から見る人々には、天使の如き羽根を背負う女が尾翼につかまった、ぐらいにしか見えなかったのであるが――

「ここで会ったが百年目!! わが子をことごとく引き抜かれた恨み、いざ晴らさんッ!!」

 あやこは手に掴んだ尾翼を力任せに押しやった。
 火事場の馬鹿力という言葉があるが、まさに文字通りあやこが火事場の馬鹿力を発揮した瞬間だった。
 滞空していた飛行船がぐらりと傾いだ。
 そのまま弧を描いて飛行船が、テントのある広場のただ中へと墜落していく。
 白いテント――巨大繭の円頂部分に、あやこによって投げ込まれた飛行船の船首が鈍い轟音を立ててめり込んだ。
「パラダイス・コクーン」と書かれた看板が外れて、ガランと地に落ちる。
 間をおかず、白煙を上げて、繭の形をしたテントが崩れだした。
 テントの梁が「繭」の表面を突き破ってそこここから棘のように突き出す。
 パラダイス・コクーンの崩壊だった。
 大歓声が上がった。
 うだる暑さに飽いていた人々が、滅多に見られない見世物に暑さを忘れた瞬間でもあった。

『今! 素晴らしいアタックが決まりました!!』

 あやこが見下ろす下界いっぱいに、先ほどまで聞こえていたコクーンからの声とは違う、明るい声が、スピーカー音に乗って響き渡った。
 園内に響き渡るスピーカーの大音声に、さすがのあやこも足下がぐらつく。
「はぁっ!? アタック?」
 振り返ったあやこの目に入ったのは、目も眩むような白い閃光。おびただしい数のカメラのフラッシュだった。



【5】

『今日、全国各地では4月としては異例の真夏日を記録し――』
 あやこの部屋のテレビの中で、生真面目そうなアナウンサーが淡々と今日の出来事を報告している。
「いやあ、しかし、カメラが来ているとは思わなかったなあ…。いてて」
 赤い手形がついた頬にシップをあててもらっていた黒瀬が、ぼそりとつぶやいた。
「ちょっと! じっとしていなさいよ。あれ、あのパラダイスなんとかのミュージカルを取材に来ていたマスコミだったんですって。」
「なるほどね。だけど、一世一代のショーになったんじゃないか? あやこさん。きっと、離れていった者たちも、ほとぼりが冷めた頃には戻ってくるんじゃないかな。催眠術で操られていたんだ、彼らは悪くない。今困惑しているのは彼らの方だろうよ。ちょっと魔が差したんだって気まずい顔をして戻ってくるかもしれないが、あやこさんが暖かく出迎えてやれば丸く収まるんじゃないかな」
「なぁにをえらそうに。あなたなんて、これっぽっちも役に立たなかったくせに」
「あやこさんが俺の言うことを聞いていれば、俺は役に立ったはずなんだよ。――……あ、あやこさんだ。」
 黒瀬の視線ががあやこの背後にあるテレビへと向けられているのに気づいて、あやこが振り返ると、相変わらずしゃべり続けていたテレビの画面に、あやこの派手に破れた水着姿が大写しで映っていた。
 たしかにあの時は事の後先なぞ露ほども考えていなかったあやこである。
 テレビ画面の中のあやこは、翼を出した時に破れた水着から、肩も腕も胸元も露わのまま飛行船をぶん投げていた。
 黒瀬の腕から飛び出したときに解けたのか、ウェストを覆うジャケットもなく、破けた水着は腰の辺りまで捲れて布地をはためかせていた。
『いやぁ、素晴らしい! 彼女は素晴らしいアタック力を持っていますよ! こうね、手首のスナップがいいじゃないですか。世界相手の舞台立てば、必ずや我がチームを優勝に導いてくれると信じて疑わんのですがね。しかし、彼女、可愛いですねぇ。スカウトが成功すれば、ビーチバレー界のアイドルになってくれそうじゃないですか』
『パフォーマンス力もいいヨねぇ〜。五輪もいいけどネ〜。スタイルもいいし、ハリウッドに進出してアクション映画で主演てなセンも強いんじゃないかネ〜』
 テレビの中で、「東京ビーチバレー普及協会監督」とか「東京ビーチバレーを楽しむ会コーチ」とかいう字幕を背負った中年の男たちが、なぜか嬉しげに声を弾ませていた。
 あやこが怒気を孕んだ叫びを上げる。
「はぁっ!? 露出しまくっているのに思いっきり全国放送ってどーいうこと!? しかも何よ、この男たち! これニュースなんじゃないの!? こっちのプライバシーというもんを〜〜!!」
 テーブルをぶったたくあやこの横で、黒瀬がソファから身を起こして言った。
「いいじゃないか。ナイスバディなんだからちょっとぐらい見えたって。減るもんじゃなし」
「なんですってぇ!? だいたいあんたが役に立たないせいで!!」
「あやこさん、それってちょっと違うと思う……」
 言いかけた黒瀬だったが、憤怒の形相のあやこの掌にもやもやとした蛾模様のシルエットが浮かぶのを見ると、顔を引きつらせ、すぐさま口をつぐんだ。
「…あ、蛾はやめて、蛾は。」



【6】

 その夜はマンションのあやこの部屋のカーテンに、巨大な蛾のシルエットが映ったとか、男の断末魔の悲鳴が聞こえただとか、いかにもな噂が後を絶たなかったが、そのあたりのことをマンションの住民たちに聞いても、顔色青く首を横にふるばかりで、詳しいことは黙して語ってくれなかったらしい。

 翌日、あやこのオフィスには、使いっぱしりとしてこき使われている黒瀬の姿があった。
「俺が代わりに働いてもいい」などとうっかり口走ってしまった黒瀬は、言った直後に自分の発言を猛烈に後悔したらしいが、時既に遅しだったそうである。つまり、あやこにとって当面の間、体のいい下僕が出来た、ということになる。
 オフィスの社長室。
 大胆なスリットが入った金と真紅のチャイナドレスを身にまとい、自前の羽根扇をゆらめかせ、あやこは満足げに笑った。
「便利屋ってほんとに便利なのねぇ〜! あ、ちょっとそこの書類250通、夕方までに郵送したいからよろしくね? それと、この部屋の掃除も。そうそう、顧客名簿の整理もあったわ」
 そんなあやこはソファに深々と座ってお取り寄せスイーツおよび紅茶を嗜んでいるのだから、堪らない。
 黒瀬は、本日早くも二十数回目の叫び声を上げた。
「……俺はッ、俺は三下じゃねぇっ!!」
「ああそう? じゃあ、呼ぶわよ? 蛾。」
「………何でもありません……。」
 当分あやこには勝てそうもない黒瀬だった。





<完>




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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  7061/藤田・あやこ     /女/24/IO2オカルティックサイエンティスト
NPC1381/黒瀬・アルフュス・眞人/男/32/代行者



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■         ライター通信          ■
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シナリオへの参加、ありがとうございました! 工藤です。
あやこさんのイラストや他の作品を拝見したところ、愛らしいあやこさんが多かったので、今回のシナリオではノリ的に、「女社長 藤田あやこ」を意識して、しっかり者(?)で、でもブッ飛んでいるあやこさんを目指してみた…のですが、どちらかというと、昔のあやこさんがそうだったという、ジャジャ馬っぷりの方が強く出てしまった気がします。あやこさんの操る蛾の僕たち=「アルクティア」は蛾の学名にちなみました。当方に黒瀬という無類の蛾嫌いがおりましたのでいそいそと投下いたしましたが、きっと彼もしばらくすれば、蛾に対する嫌悪感がなくなるのではないでしょうか。