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エリスの世界(後)
──結局、戦車もトレーラーも新幹線も壊れてしまった。
なによりも大切つにしているコレクションだが、それらが壊れることをエリスは何とも思っていない。もったいないとか、かわいそうとか、そういう感情は一切ない。むしろ、たのしんで破壊していると言って良い。どれだけ壊れたところで、かわりはすぐに見つけられるのだ。
彼女の眼下。ガラステーブルの上に、ひとつの都市が広がっている。見る者が見ればすぐにわかる。北欧の沿岸都市だ。半径二千メートルにも及ぶ広大な面積を、地盤ごと自室のテーブルに『移動』させたのである。これこそ、エリスの持つ二番目の能力だった。
ミニチュア都市の中では、人々が逃げまどっていた。背丈は、アリよりも小さい。ただし、アリよりうるさいことは間違いなかった。それらの連中で遊ぶのもエリスの趣味ではあったが、いまはそういう気分ではなかった。壊れてしまったコレクションを補充しなければならない。それが最優先事項だった。
胸の前で腕を組みながら、じっと都市の様子を見下ろすエリス。その真剣な眼差しは、獲物を狙う猛禽さながらだ。
すぐに、ひとつの建造物が彼女の目を引いた。超高層の展望タワー。まるで、その建物だけ縮小の比率をまちがえてしまったかのような高さで都市の中央に屹立している。あたらしく建てられたばかりのものらしく、外壁は真っ白に、ガラスは透明に、きらきら輝いていた。ひかえめに言っても、ガラス細工のようにきれいな建築物だった。
たちまち、エリスの表情がほころんだ。こういうものが、彼女は大好きなのだ。巨大な建築物や構造物。そういったものを手のひらサイズにして眺めたりいじったりするのは、とても彼女の心をはずませる。
「展望塔さん、よろこんでください。あなたを私のコレクションに加えてあげます」
まるで少女のように無垢な笑顔で、エリスは展望タワーに手をのばした。そのしぐさといったら、ちいさなお菓子の家を見つけた子供のようでさえあった。
しかし、展望タワーの中にいる人々から見れば、眼前に現れたのは可愛い少女どころか世界の終わりを告げる巨大な死神だった。しかも、メイド姿のである。一体なにが起こっているのか、ただしく理解できている者は一人もいなかった。いるわけもなかった。
「みんな私のオモチャです」
きれいなソプラノで、エリスはお得意のセリフを口にした。それこそ一点の曇りもない美声だったが、ゴマつぶサイズの人間にとっては鼓膜の破れるような爆音だった。
彼らはわれさきにと展望塔から逃げ出そうとして、結果エレベーターもエスカレーターも悲劇的なパニックに包まれた。飛び交う悲鳴と怒号。警報機が鳴り響き、そこかしこで流血沙汰の殴りあいが発生した。この展望タワーに階段は存在しなかった。おかげで、大半の入場者はタワーと運命をともにすることとなった。
エリスは慎重に展望塔をつまんだ。そのまま、できるだけ崩さないようにまっすぐ引き抜く。バースデーケーキのロウソクを引っこ抜くときの要領。うまく抜けた。砂粒みたいに小さなカケラがパラパラ落ちる。ミニチュアサイズの人々から見れば、巨大な隕石の雨が降ってきたようなものだった。おまけに展望塔のあちこちから人間が落下したりもしたのだが、エリスはまるでおかまいなしだった。いまの彼女は新しいコレクションに夢中で、ちょっと人が死んだぐらいではまったく心ときめかないのだった。
エリスは、引き抜いた塔を手のひらに立ててみた。十センチぐらいの高さがある。直径は一センチもない。極端に細長いフォルム。うまく立たなかった。当然である。しっかりした地盤に固定しなければ、立つものではない。ちょっと面白くなさそうな顔をするエリス。まっすぐ立ってくれなければ、塔の意味がない。そう思った。もういちど、真剣な顔つきになって彼女は塔を手のひらに立てようと試してみた。
その瞬間、塔の真ん中あたりにヒビが入った。無意識のうちに力をかけすぎたのだ。「あっ」と声をあげてその箇所を指で押さえるエリスだったが、すでに取り返しのつかない状態だった。修復不可能。彼女が指をゆるめたとたん、塔は音をたてて崩れはじめた。エリスの顔に、落胆の色が浮かんだ。
「あなたは不合格です」
裁判官のような口調で、彼女は告げた。と同時に、折れた展望塔がさらに小さくなっていった。ミニキャンドル程度の大きさから、爪楊枝ほどの大きさに。さらにひとまわり小さくしたあと、エリスはそれを指先で弾き飛ばした。真っ二つに折れて吹っ飛んだ展望塔は、都市の地面にぶつかって跡形もなく砕け散った。この一瞬で数千人が命を落としたが、エリスにとってはどうでもいいことだった。
彼女は気をとりなおすと再び都市に目をやり、次のコレクション候補をさがした。──幸いなことに、それはすぐ見つかった。彼女の目の前を、旅客機が飛んでいたのだ。フライト中のところを都市ごと『移動』されたものらしい。
エリスは、こういう玩具も大好きだ。飛行機を見つけたとたん、彼女は目を輝かせて腕をのばした。つかまえるためではない。それでは、すぐに壊れてしまう。玩具はいずれ必ず壊れるものだが、せっかく見つけたものなのだから少しは長く遊びたい。エリスは、いつもそう思っている。ただ、思っていることが常にかなうわけでないのは誰でも同じことだ。
「飛行機さん、ちょっとこっちへ来てください」
言うやいなや、旅客機の進路をさえぎるようにエリスは手のひらをつきだした。
このとき旅客機のパイロットは死を覚悟したのだが、天才的な操縦技術と判断力で衝突を免れた。まさに奇跡だった。機体性能ぎりぎりの旋回。しかし、エリスのふところから逃げることはできなかった。逃げられないように、彼女が旅客機を誘導したのである。
ゆっくりと、螺旋を描くように旅客機はエリスのまわりを旋回した。胸の高さから、腰の高さへ。一周するごとに、高度が低くなっていく。パイロットは必死だった。悪い夢でも見ているのではないかと思いながらも、とにかく今はこの巨大なメイド姿の女性に従うほかなかった。燃料にも余裕はないのだ。
やがて旅客機の高度はテーブルよりも低くなり、エリスのスカートの裾をかすめて飛んだ。巨大な絨毯の大地が見えてくるとパイロットはようやく状況を把握できたが、当面の問題はどうやって着陸するかということだった。滑走路がなければ、胴体着陸せざるをえない。最悪、爆発炎上する。
エリスの誘導は続いた。ひざよりも低い位置になった旅客機に向かって、見えるように指を向けた。その指先で、部屋の片隅を指し示した。
パイロットは、迷うことなくその方向へ機首を向けた。信じがたいことに、整備された滑走路があったのだ。滑走路だけではない。文句のつけようもないほど完璧な空港が、そこに用意されているのだった。
しかし、用意されているのは空港だけにとどまらなかった。そこにはエリスの秘蔵コレクションである都市のミニチュアが存在しており、数十万人の人々が暮らしているのだ。クライバー邸のメイド──エリス・シュナイダーのペットとして。
今夜もまた、彼女のコレクションに新しい一品が加えられた。そのことに満足すると、エリスは子供みたいにニッコリ微笑んだ。それこそ、文句のつけようのない笑顔だった。
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