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<東京怪談・PCゲームノベル>


[ 雪月花3 約束の場所 ]



 空を見上げても、今が何時か分からない。明るさから多分夜ではない。けれどそれは、辺りの雪がまだ空が明るいような錯覚を起こさせているだけかもしれない。
 最後に陽の光を見たのはいつだったか。最後に月を見たのはいつだったか。まるで太陽も月も三人を避けるかのよう、はたまた雲が全てを遮っているかのよう。今、灰色の空から降り続ける白い雪までもが、五感全てを覆い隠そうとしていた。
 ホワイトアウト一歩手前。
 けれど、先頭を歩く洸の歩みは先ほどから決して揺るがず、迷いもなく止まらない。
 二人の旅に同行してから数日足らずで、二人の旅がどれ程不安定なものか和紗は身を持って知っていた。
 宿があったりなかったりなどは問題ではなく、どんな土地でも常に歩く距離と時間はほぼ同じ。平地でも山道でも、晴れの日も雨の日も毎日だ。そして、一定方向に進むのではなく、洸の気の向くままに進むかのような――街道を歩いていたかと思えば、いきなり獣道に逸れるようなことも日常茶飯事。目的地はあるがその場所は分からない、そんな旅がそれ程にも過酷なものだったとは……共に行くまでは予想もしていなかった。
 なのに今、進むべき道が分かっているかのような。真っ直ぐと足早な洸の歩みに、二人はただ逸れぬ様ついていくのに必死だった。
 しかしそんな洸の足が不意に止まる。同時、片手が左耳へと触れた。
「――やっと……見つけた?」
 そしてそれは自分自身へ向けた疑問として言葉にされる。
 洸の動きを見て、その一歩後ろを歩いていた柾葵が思わず、そして洸のすぐ傍に居た和紗は異変に気づき歩みを止めた。
「洸、くん……」
 思わず声に出す。彼のピアスが又光っていることに気が付いて。それは以前見た時よりも強く、その光はそこに留まることもなく、まるで洸をどこかへ導くような物にも見えた。
「響く音……この感じ、近いんだ――約束の場所が」
 和紗の声は、すぐ隣に居るはずの洸に届いてはいない。発せられた言葉は、まるで近くに二人が居る事を忘れているかのようなもので、そのまま洸は再び歩き出す。
 彼が言う"音"。それは和紗には聴こえない。不思議そうな表情の柾葵の様子を見る限り、彼にもそんな音は聴こえていない筈だ。辺りにあるのは、三人の呼吸と雪を踏みしめ歩く音、そして風の音。洸の言うような音はどこにも無い。幻聴、或いは……。


  ただ……痛む耳が全てを教えていた。


 迷いなく再び歩き始めた洸の足が数歩も行かぬ内、今度は警戒心と共に止められた。何かを見つけ……否、何かの気配を感じ。
 柾葵と和紗も洸に追いつくとそこで足を止めた。それとほぼ同時、洸は前を見据え言う。
「……誰」
 声は低く、疑問の色も含まない。
 その声に和紗も洸が見る方を見た。誰も見当たらない――ように思えた。そう、最初の内は。
 耳に響くは しゃらん と響く聴き慣れた音。その音で、和紗は近くに桂が居ると察した。しかし、洸の警戒とまだ見ぬ相手を前に出す嫌悪感は、桂と対峙した時に見せたものとは全く違う。まだ、他に誰かが居るのだろうか。
「視界が…晴れていきますね?」
 それまで一歩先も良く分からなかった景色に色が生まれ始めた。その先に見える人影と、開かれる口。
「お前を待っていた者……とでも言えば満足かな?」
 声は洸の問いに答えるもの。そしてその声も姿も桂ではないが、確かに男だということはすぐに分かった。服装は桂に似て、黒のスーツに白のコート。薄笑いを浮かべながら一歩前へ足を進めるが、その足が雪を踏みしめてはいないことに気づき、悟られない程度に和紗も警戒を高める。何より、口は笑みを浮かべているくせに、眼鏡の奥の眼は最初から隠す気も無いのか、笑っていないのが危険に思えた。
 男の背丈は柾葵と同じほどだが、年齢は柾葵よりも更に上だろう。
 突如現れた彼が誰であるか、その正体に関しては和紗にも思い当たるところはある。
 その証拠に、男のすぐ後ろには静かに控え立つ桂の姿がやはりあった。桂が手伝っていると言ったのは、今目の前に居る男のことだろう。そうなると、必然的に洸との繋がりも見えてくる。
 考えを巡らせていると桂と目が合った。それも一瞬のことですぐに逸らされてしまうのだが。やはり、いつものような挨拶をする空気では無いということなのだろう。
「――――…っ」
「柾葵くん?」
 気づけばいつの間にか和紗の隣まで進んできた柾葵の表情が、何を見てか引き攣っていた。男を見てか、桂を見てかはよく分からない。それでも、確実に不穏な空気を感じていた。
「洸……本当にお前が此処まで来るなんて俺は予想してなかったなぁ。あんな地図と己の身一つで流石だよ、全く」
 その言葉に幾つかの殺気が立ち上る。一つは関心の言葉を口にした男自身から。もう一つは柾葵から。そして……洸からも確かにそれは滲み出た。
「それに何の因果か、」
 男は一度言葉を切り柾葵を見ると、わざとらしく「くくっ」と笑みを浮かべ。
「確か柾葵とか言ったか。お前まで洸と一緒に此処まで来たなんて、笑いもんだな」
 そう、洸に続き柾葵の名も紡ぐ。男は洸のみならず、柾葵とも面識があるようだ。そこでそれまで静かに控えていた桂が口を開く。
「お二人に関してはボクが合流させました。その方がボクの監視もしやすく、貴方の目的も同時に達成できると思ったので」
 言葉から察するに、桂が二人を合わせたのは独断であり、しかし目の前の男の"目的"の為でもある。
「ふぅん? まぁそれはいい……で、」
 そこでそれまで楽しそうにしていた顔が、和紗を見ては明らかに不愉快そうに歪んだ。
「一人、この感動の再会に無縁な奴が居るみたいだけど? なんなんだい、お前は」
「こんにちわ、藤水和紗と申します。以後お見知りおきを。宜しければ貴方のお名前も教えていただけますか?」
 和紗は男の表情をさほど気にしないように言うと、軽く会釈をして見せる。その態度が尚更気に入らなかったのだろう。男の表情から今度は感情が消えた。
「そんなことを聞いているんじゃない。此処は関係ない奴が来る場所じゃない。来ても、しょうがない」
 一方的な言葉と共に、男は後ろに控える桂へ顔も向けぬまま、ただ言葉で指示を出す。
「桂、あいつを今すぐ此処から消すんだ」
「…………」
 しかし、桂は男の指示にただ黙ったまま微動だもしない。ただ、ジッと和紗のことを見たかと思えば僅かに顔を伏せた。
「ん……どうした、桂?」
 普段の桂ならばどんな指示にも二言返事で動いているのかもしれない。動きも返ってくる言葉も無い桂に、男は顔を僅かに桂の方へと向ける。勿論桂は普段と同じように控えていて、男が振り返ると同時特別驚く様子も無く一つ瞬きをした。聞いていなかったり、聞こえていなかったと言うわけでも無い様子に、男はもう一度口を開きかける。
「お言葉ですが、……」
 そこへ和紗が口を挟んだ。
 男はわざとらしい舌打ちと同時、再び視線を和紗へと向ける。その眼と眼が合った時、和紗は強く凛とした態度で男へ言った。
「俺は、二人の保護者です。ですから決して、無関係ではありません」
 その言葉に洸がバッと和紗を振り返り見、柾葵は和紗を見たままポカンと口を開ける。それまで無表情だった桂の表情も僅かに綻び、男の眉がピクリと動いた気がした。
「……こりゃ、面白い。ったく…とんだ奴が入り込んできたな」
「そう言って頂き光栄です」
 にっこり笑顔で返すと、手にカサリと紙が触れる感触。隣を見れば、柾葵がメモを差し出していた。
『保護者って……でも、確かにもう無関係じゃないからな。
 ただ、危なくなったら逃げたっていい。逃げて欲しい。
 例え俺達に関係はあっても、この場所とあいつに関係ないのは事実だから。』
 そこには否定ではない言葉と、それでも和紗をこの場からは出来る限り遠ざけたいという意思がある。
 思わずメモから目を離し柾葵を見れば、彼はその気配に気づきながらもずっと目の前の男を睨む様に見ていた。その姿からはいつの間にか殺気が消え、さっきまでいつか男に飛び掛るのではないかと思われた空気も消えている。
 しかしその半面、洸が握り締めた拳の強さは白い雪を次々と赤く染めるほど強いものだった。
「……何を、勝手なっ」
 そして柾葵とは違い否定的な言葉を紡ぐ。それは和紗に向けた言葉の筈なのに背は向けたまま、まるで目の前の男に言い聞かせるような台詞にも思えた。
「あなたは…どんな気持ちや理由、訳があっても……ただ俺たちを拾っただけじゃないですか。この旅だって、そうした中でついこないだ偶然一緒に歩き出しただけ。だからあなたは全く無関係で――」
「ああ、そうだ。洸の言うとおり勝手だな」
 洸の言葉の一つ一つは、和紗が自分とは無関係だということを押し出しているように思えた。だからこそ、男は笑いながらそう言ったのかもしれない。洸があまりにも和紗を巻き込みたくないと言うものだから。
「洸の保護者は俺だし柾葵をどうにかする、保護者に近い権利も持っている。全ては戸籍上、ってわけだ」
 男の言葉に洸の表情が一瞬強張り、再び拳が握られた。柾葵は何かを振り払うかのよう、小さくかぶりを振る。
 その言葉により、目の前の男がやはり洸の父親であるのは勿論、更には柾葵にも直接関係していることは確信した。しかし、和紗にしてみたら血縁や戸籍の問題での"保護者"発言でもない。そんなこと、わざわざ口に出すつもりも無いのだが……。
 男がそう言うのならば引っかかることも多数ある。わざわざ回りくどい方法で再会の場所を用意したものの、殺気を放ってまで我が子を迎える父親が居るものか。それに、父親というには若すぎる気もした。
 思わず長い間考えを巡らせていると、それを見透かされたのかもしれない。
『あいつも十分勝手だ。あんな言葉に耳を貸さなくていい。考えるだけ無駄だから。』
 渡されたメモに思わず苦笑いを浮かべてしまった。直接対峙しているのは二人のはずなのに、今立場的に間に入っている自分が心配を掛けてしまってはしょうがない。
 一度気持ちを切り替えなければと思い軽く目を瞑ると、フルッと一度だけかぶりを振り目を開けた。
 正直、今この状況で己がどう立ち回るのが良いか、和紗には分からない。それでも今の自分がやれることや、やるべきことは分かっている。
「なぁ洸、久しぶりとでも言っておくか? こうして成長したお前に会えて、俺は……『お父さん』は、とっても嬉しいよ」
 台詞とは裏腹に感情の篭らない男の声と同時、洸が無言のまま一気に地を蹴った。一瞬にして辺りの雪が飛び散ったくらい、それは今まで見たこともないほど早い動き。しかしそれに反応できたのは、恐らく反射神経という言葉では補えない何かが咄嗟に働いたのだと思う。
「洸くん!」
 言葉と同時己の手を伸ばし、強く掴んだ洸の腕。これ以上先へと行かぬよう、そして離れぬよう。そのまま和紗は自分の方へと数歩分引き寄せた。
「っ…何、……!?」
 腕を捕まれた事よりも、その後この先へ行かぬようクンッと引っ張られたことに驚きを見せた洸は、怒りと戸惑いの表情で和紗を振り返り見る。言葉は苛立ちを含みながらも、その手を振り払おうとする様子は見せない。よく見れば洸の唇からも血が流れていた。拳だけでは足りず、あの瞬間唇をも噛み締めていたのかもしれない。
 それを全部分かりながら、和紗は今は何も言わずただ首を振った。
「ふぅん、仮にも"保護者"らしい判断だ。洸、こんな安い挑発に乗ってるようじゃお前、今日死ぬぞ?」
「っ……」
 再び飛び掛ろうとする身体をもう一度引き止める。今度は言葉と共に。
「洸くん」
「分かりましたよ、分かってる。あれも挑発。だからもう離して。藤水さんが汚れる…」
 その言葉と共に強く握り締めすぎていたかもしれない腕を放す。しかし最後の言葉の意味、それはいつの間にか自分にも僅かだが飛び散っていた血の事だと気づいた。
 洸の声は多分和紗以外には届いていない。ただ男はそんなやり取りに笑みを浮かべ、律儀にもようやく二人が動きを止めたのを見て言葉を挟んだ。
「まっ、そんなわけで束の間の逢瀬だが……折角だから美人さんに名前くらい明かそうか。俺の名は翠明、そして後ろは助手の桂」
 そして徐にポケットから箱とライターを出すと、中から煙草を一本出しては火を点けた。わざとらしく大きく息を吐き、そこから昇り行く煙はあっという間に風に流され空の色と区別が付かなくなる。それを見送り続きを口にした。
「さて、名乗ったから満足だろ? 死にたくなければとにかくそこを退け、今すぐ消えろ。くだらない血でこの地と、この綺麗な雪を汚すのは避けたいんだ」
「それは出来ません、翠明さん」
 動じない和紗の言葉と態度に、翠明は表情を変えずただ黙ったまま。何か言おうと考えているのか、何かしようと考えているのか。彼の行動は読めないが、念を押すよう和紗は強く言う。
「言ったでしょう? 俺は二人の保護者だと」
 するとゆっくりと銜えた煙草から指を離し、その指で今度は眼鏡の蔓をいじりながら翠明は言う。
「保護者はな、子供のために長生きしてやるもんだ」
「子はいずれ自立し旅立ちます。大人が好きにして良いものではありませんし、子供に先立たれるような保護者は不幸ですよ」
「いつまでも達者な口だな…もう、黙れよ――藤水」
 そう言い眼鏡を雪の上に投げ捨てた瞬間、和紗の頬に小さな痛みが走った。
「……ぃ…っ!?」
「…なっ、藤水さん!」
 思わず声を上げてしまったが、何が起こったのか理解できずにいる。ただ、洸は確かにソレに反応していた。痛みの走った場所にそっと触れれば、冷えた右の頬に暖かな感触がある。そして、少し遅れて鼻に届く嗅ぎ慣れたにおい。今指先を伝う赤い液体は、紛れもなく和紗の頬から流れ出た血だった。痛みは確かにあるものの、紙で指を切ったようなものだ。
「大丈夫。少し、掠っただけですから。洸くんは俺より後ろに下がってください。それに柾葵くんも、どうか落ち着いてください」
 何を仕掛けてきたのかは気になるが、そんなことよりも今のことで動揺を見せた洸と、一歩歩み寄ってきた柾葵の動きの方が気がかりだった。
 人差し指と中指で拭うと、傷が浅かった事もあり血はすぐに止まる。
 その間も下がろうとしない洸を見ると、和紗は自ら洸の前に立ち、彼を今の場所より数歩後ろへと追いやった。
「なん、で…?」
「ん、優男のようで血は怖くないのか…それとも、案外こういうことには慣れてるか? でも……」
 言葉を切り、翠明は再びポケットに手を入れた。何が来るのか構えれば、彼が出したのは小さな石――否、紫色に輝く宝石、だろうか。
 しかしそれを認識した瞬間、今度は左手の甲に小さな痛みが走った。続いて首筋。そして足。衣服を切り刻まない程度に、浅く小さな傷は幾つも作られていく。じわじわと広がる痛みと熱さ。
「なんで……」
 後ろから絶えず響くは洸の声。柾葵の制止も振り払い、一歩また一歩和紗へと近づく。
「いつまでそうしてそいつらの盾になろうとする。その身が果てるまでか?」
「そんなことより保護者として、貴方が彼らに何をなさるおつもりなのか、それをお伺いしましょうか? お話はそれからです」
 血を拭うことを諦め、和紗は翠明へと問う。
「何を……か。何かを察している言葉だな。どちらからか何かを聞いているのか、或いは――」
 洸や柾葵、そして和紗に対する挑発的な態度と行動を見ていれば、そんな事は誰にだって分かるだろう。あえて翠明の言葉に応えずにいれば、彼は諦めたように言葉を漏らした。
「目的は洸の回収。そして、柾葵を消しておこうかと思ってな。これで満足か?」
 翠明の殺気は洸へというよりは、その大半が柾葵へ向けられているのかもしれない。
 そして手の中で光る宝石を持て余しながら、翠明は和紗を見て不意に漏らした。
「俺としては人外同士、この場は仲良くして欲しい所なんだがなぁ…ホント」
「人外、ですか。面白いことを仰る方ですね」
 何かを知られているのか、悟られているのか。けれど、ただこうして話しているだけでは何者かなど分かるわけが無いと、和紗は平静を装い返す。
「普通の人間はそれほど耐久性なんて無いと思うんだけどな……まっ、わざわざこんなことをしなくとも、俺はなんだって出来るからどうでも良いか」
 言い終えると翠明の手中にあった宝石が光りを放ち、それと同時に洸が呻き声を上げた。
「くっ…あっ!!!?」
 咄嗟に顔だけ後ろへ向けると、洸はその場で耳を押さえ蹲っている。又あの痛みなのだろうか。ただ今は、ピアスを中心に青い光が洸の全身を包んでいた。異変に気づき柾葵が洸に触れようとするが、すぐさまその手を引っ込める。どうやら青い光に弾かれるのか、そこに触れた手を見つめた後、和紗を見ては首を横に振って見せた。
「俺の命令を聞くようにした。あの光が消える頃にはあいつの意思はなくなる。親子の血ってのは、どんなに繋がりの深い他人にだって切れやしない呪縛。解こうだなんて思うんじゃない」
「彼を解放してください。こんなことをしなくても――」
 話し合いで何とかなら無いのか。それはとても甘い考えで、もはや受け入れられることが無いと分かってはいるが……。
「あのなぁ、さっきから思ってたんだけど」
 翠明は自分の頭をぐしゃぐしゃと掻きながら和紗に近寄ると、空いた手で無造作に和紗の顎を掴み上を向かせた。翠明の冷たい目と視線が混じる。
 思いの外身長差はあった。翠明の身長は180センチを超えているだろう。加えてスーツにコート、マフラーという格好でもあるが、それでも露になった首筋は近いと思った。
「お前、このまま他人の揉め事に巻き込まれてそのまま死ねる、とでも言うのか?」
「いいえ。元より、死ぬつもりはありません」
 口調は出来るだけ冷静なままに。出来る限り素早く顎を持つ翠明の手首を掴むと、自分を覗き込むかのような顔に和紗は近づいた。ホンの一瞬生まれた翠明の怯み。そのまま和紗は翠明の首筋に噛み付いた。
「ちぃっ…いってぇ……お前、優しい顔してっ……なんだコレ、ヴァンパイアかなんか、か……?」
 余裕のなくなった口元からは煙草が零れ、雪の上に落ちてはジュッと音を立て火が消える。
 これ以上害をなすつもりなら、失血死寸前まで血を吸って動けなくしてしまうことも躊躇わない、そう思っていた。少しばかりその行動が遅れてしまったことが悔やまれるが、まだ間に合うはず。そう信じていた。
 実際、最初こそ和紗を無理矢理引き離そうとしていた翠明も、少しすればその腕から力を無くしていく。片手からは宝石が滑り落ち、やがて片膝をつく。その脚は確かに雪の中へと埋もれ、顔からは血の気が失せているように思えた。洸を取り巻く青い光も、翠明が弱まるにつれ縮小していく。
「っダメだ、これ以上藤水さんを巻き込むわけにはっ…」
 しかし、洸にはその現状が把握しきれていなかったのかもしれない。何かが起こっているか分かっていなかったか、或いはもう何も耳に入っていなかったのか。
「貴方は俺達を……こんな俺も身を挺して守るつもりなのかも知れないけど――そんな価値は無いっ…こんな場所来なければ良かった!」
「!?」
 洸の叫びと同時、柾葵が困惑の表情で後退りする。虚ろになりかけていた翠明の目が見開かれる。その首筋に噛み付いたまま、和紗は意識を洸へと向けた。何かがおかしい――というよりも、最初の時以上に洸は感情的になっている。
「…こんな場所のどこが俺達に相応しい場所だって!? 何が約束の場所だ………俺は、オレはッ!!」
 縮小していた青い光が一気に弾け、辺りが一瞬紫色の光に呑み込まれる。しかし次には真っ白となり視界が完全に奪われ、次の瞬間赤く染まったような気がした。
「――…一体、何が」
 目まぐるしい変化。ようやく視界が元に戻り、それと同時すぐ傍に一つの気配を感じた。
「――――……嗚呼、忌々しい」
 口を開きそう言い放ったのは、確かに洸の声。
「オレはアンタを殺す為だけに此処に来た。だからオマエの好きになんてされてたまるか」
 僅かに見上げれば、その目に映った姿も確かに洸だった。なのに、明らかに今までの彼とは違う。
 項垂れる翠明に抵抗する力が残っていないことを確認した和紗は、首筋から口を離すと念の為両手の拘束を続けたまま言う。
「貴方は、洸くんなのですか、……?」
 気づけば先ほどまでかけていたはずのサングラスが無くなっている。だが、変化はやはりそんな些細なことではない。
 洸は和紗の問いには応えぬまま、今はただジッと翠明を見下ろしていた。
「っはは…サファイアの力がルビーになったのか…我が息子ながら怖いな、お前は」
 項垂れたまま、失笑交じりに紡がれる翠明の言葉の意味、それは和紗に理解できるわけが無い。ただ、赤く染まったように思えた光。その答えは洸の耳にある気がした。青い光を放っていたピアスが、今では赤く光っている。
「オレはアンタとは違う。このまま言いなりにも、力にもならない」
 そう言うと洸は掌を翠明へと向けた。何かがそこに集まりだす。風が吹き雪が舞い、やがてそこに赤い光が生まれだした。
 そしてそこで思い出したかのよう、突然今までの表情を変えて和紗を見る。
「大丈夫、和紗さんには当てないから今の場所からヘタに動かないで。万が一当たっても貴方を消滅なんてさせやしない。その身体が有る限り、さっきの傷も含めオレが治すよ」
 思わず息を呑んだ。その笑顔も、その呼び方も、そんな口調も言葉も行動も、全てが見たことも聞いたこともない。
「本当に…アンタの顔を見てると反吐が出る」
「顔……洸くん、まさか目が見えて?」
 ポソリと漏らした洸の悪態にかろうじて吐き出せた疑問。
「ええ、やっぱり和紗さんは綺麗だね。血を流させてごめん。そして、血で汚してごめん」
 答えはすぐに返ってきた。
「再び視界が戻って最初に見れたのが和紗さんで良かったよ。こんな汚い世界でも、貴方は綺麗だからそれがオレの救いになった。そして…柾葵――本当に、悪いことをした」
「…………」
 洸が振り返り見る先には柾葵が立ち尽くしている。
「そんなにコイツらが大事か…でも俺を殺す代償はでかいぞ、お前だって死ぬかもしれない」
「母さんは救えなかったが、この人と柾葵は助ける。その為ならこんな命どうでもいい」
 次々と生まれる矛盾。母親のことは手紙で知ったと、その目だって生まれつき見えないと言っていた。
 ただそんな和紗の疑問に気づいたのか、洸は再び表情を和らげ言う。
「和紗さんオレね、まだ言葉も喋れない頃に感情が無いというだけでコイツに目を奪われて、代わりに感情を与えらたんだよ。ソレがどれだけ苦痛だったか――アンタには分からないだろ。何も見えない世界で感情なんて要らなかった、面倒なだけだ。だから母さんも嘆いた。それを――」
「…………煩かったんだよ、だから…殺した」
 そう言う翠明の言葉にもう力は無く、その目が洸を見ることもなく、どこか遠い場所を見つめているようだった。
「あの時の光景は良くは見えてなかったけど、あの日浴びた母さんの血はとても熱かった。だから今日はアンタが自分の血を浴びる番だ」
 言葉と同時、赤い光が凝縮される。一目で見て、それは何か力の塊なのだと和紗は判断する。洸と翠明の言葉が正しければ、ソレは人を消せる程度の威力は持っている事になる。
「……血、か――そうか、」
 洸の言葉を噛み締めるよう反芻すると、何か言おうとした言葉を止め翠明はそっと両目を閉じた。
「一思いに殺せよ、洸」
 諦めの言葉。それはつい数分前までは優位な立場にいた者とは思えない行動。しかし洸はその言葉を待ってたと言わんばかり、口の端を大きく上げ黒い笑みを浮かべた。
「じゃあな、『おとうさん』」
 咄嗟に和紗、そして柾葵の身体が動く。このままではいけないと、その場に居た誰もが分かっていた。
 そう、誰もが。

  しゃらん。しゃらん‥。

 鎖の音は二回響く。気づけば辺りには風も声も無く、まるで時間が止まっているかのようだった。否、完全に止まっているのだ。そしてその静寂の中、和紗の隣に桂の姿があった。動いているのは二人だけ。
「これは、桂くんの力なのですか?」
 問いに桂は頷き、手中の懐中時計を握り締める。
「貴方はボクに気づいた。そして二人を、洸くんを助けようともした。だから――ボクはお手伝いをします」
 次には空気が歪んだ感覚。それはすぐ近くで起きた気がした。
「!?」
 白昼夢を見ていたような感覚の後、しっかりと開いた目の先には柾葵と桂の姿しか見当たらない。
「二人は…一体どこへ……?」
「心配しないでください。二人はそれぞれ別の時空に一時的に退避させました。我が主の今後はボクが責任を持ちます」
 その言葉から、洸が翠明を手にかけるという最悪の状況は免れたことは分かった。
「洸くんには…これはボクの独断ですが、自身がこうなってしまった経緯を見てもらうことにしました。彼はその目で真実を知る必要がある。そして柾葵くん…出来ればキミも、です」
「?」
 桂の言葉に柾葵が首を傾げ、和紗も一度ゆっくりと瞬きをする。桂は二人に関して何か重大なことを知っている。ただ、それを言葉で聞くことは決して叶わないと和紗は察した。桂は知りたければ直接その目で見る、という手段を提示してきたのだから。
「では…洸くんはいつこちらへ戻ることになるのでしょう?」
「時が来れば必ず返します。そんなに日はかからないはず。場所は……このずっと先に、桜の木があります。この時期でも花を咲かせているので、きっとすぐ分かる筈。雪も多少は凌げます。願いの叶うと言われる、その場所で再び――」
 そうして桂が指差す先は一面銀世界が広がり続け、言われてもどうもピンとこない。ただ、次の言葉に和紗の視線は桂へと戻った。
「でも、洸くんを本当の意味で救いたいなら……柾葵くんと共に洸くんの居る時空へ案内します。もし主と話がしたいならば、回復次第その場も作りましょう。それでは又、後程」
 そして桂は踵を返す。やがて遠ざかる足音に混じり、鎖の音と時計の秒針の音がすぐ近くで聞こえた気がして……気づけば桂の姿は掻き消え、辺りに再び雪が降り始めた。それはとても穏やかに。けれど、このまま動かずにいればやがて身体に降り積もる、溶け難いもの。
「とにかく…どこかで一度休みましょう?」
 こんな場所に休める所があるかなど定かではない。それでも、桂が言うような場所が存在するならば、このまま雪に埋もれず済むかもしれない。そう、歩き始めた時だった。
「…………っ!」
 隣を歩き始めた柾葵が足を止め、何かを拾い上げては硬直する。和紗も足を止めると「どうかしましたか?」と、柾葵の手元を覗き込む。それは一枚の写真で、幸せそうな男女が写っていた。男は今よりも若い外見の翠明。そうなると、その隣に写っているのは洸の母親だろうか。
 雪を被らず落ちていたことから、それは桂が二人を引き離した際に落ちたものかもしれない。
 ただ、震える柾葵の手が和紗へ一枚のメモを渡した。
『これ…隣の、俺の母親…だ。』
 その手からペンが滑り落ち、降り積もる雪へと突き刺さる。
 蒼白な顔は今、一体何を考えているのか……。やがてその場に座り込んだ柾葵は、頭を抱え蹲る。
「柾葵くん? どうしました…どこか、具合でも……」
 和紗の言葉に柾葵はただかぶりを振りその場から動けない。



 時間は今、本当に動いているのか。本当は止まったままなのか。
 今が何時で、今がいつか分からないまま。
 けれど雪は降り続く。それだけが、時間が確かに流れていることを示している気がした。
 なのに、その流れは二人の足を止め、そして勝手に過ぎてゆく。

「――――それは……違います」

 かぶりを振り、和紗は言う。
 守りたいと思った。なのに、最後はただ傍観することしか出来なかった。
 そんな自分に、ようやく出来ることが、これから先するべきことが見つかった気がする。
 時間はただ無意味に、そして勝手に流れているわけではない。
 自分達がこうしている間にも、洸にとっては意味のある時間として、きっとどこかで同じように流れている。

「柾葵くん…行きますよ。洸くんと、又すぐに会う為に」

 手を差し伸べると、柾葵はゆっくりと顔を上げ小さく頷いた。



 雪はいつまでも降り続く。
 ようやく二人が桂に言われた方向へ歩き出したとき、和紗は灰色の空に赤と紫の光を見た気がした。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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→PC
 [2171/藤水和沙/男性/318歳/日本画家]

→NPC
 [  洸・男性・16歳・放浪者 ]
 [ 柾葵・男性・21歳・大学生 ]
 [ 翠明・男性・32歳・教師/? ]

 [  桂・不明・18歳・アトラス編集部アルバイト ]

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの李月です。お届けが遅くなりまして申し訳有りませんでした。
 今回和紗さんでの洸(真相)ルート、3話のお届けになります。
 多々特殊イベントも発生しているのですが、行動+ルート+桂との繋がりで全体的に真相に近づく形となっています。この先、状況に応じて洸・柾葵・翠明全員の繋がりと過去を覗き見ることが可能です。又、場合によっては無条件で翠明と直接話をすることも可能です。
 翠明の口調が少々外れてるのもある種の訳有り。これは和紗さん自身と、発言などが絡んでます。
 特殊イベントの一つ洸の変化ですが、ある種リミッターが外れてます。和紗さんが知る元の洸へ完全に戻ることは恐らく叶いませんが、大人しくさせることは可能です(条件、或いは時間次第)今回の名前の呼び方や言葉は、変化に伴い変わったものではなく、確かに洸自身の感情が伴っているものですので、本当の気持ちや思いです。それが素直に表に出されてる、という感じで。洸は心底巻き込みたくなかった、助けたいという気持ちが柾葵以上に強かったと思われます。
 柾葵にも多少変化が現れています。翠明と対峙していたときよりも、写真が原因の模様。深刻過ぎる状態でも無いですが、こちらも過去が関連している為、今後解決や真相解明可能とはなっています。

 何かありましたらご連絡ください。
 それでは、又のご縁がありましたら…‥。


 李月蒼