|
『紅月ノ夜』 其ノ玖
ツキがミている。
紅い月が、我々を見下ろしている。
嘲笑うかのような三日月でもなく、消え行くような儚さもなく……まるく、ただ大きく存在している。
ニセモノの太陽のように、空に君臨している。
赤い月が照らすのは夜闇ではない。真紅では黒を塗り潰せない。では?
そう、空もまた、あかい。そこは夕暮れ。
夜でもなく、昼でもなく、朝でもない……どこにも当てはまらない狭間の世界。
あるのは、一人の少女。十代半ばの彼女は驚愕と、畏怖と、決意と、ない交ぜになった感情を、黙ったまま内に宿している。
あるのは、一つの死体。転がった首と繋がることもない、首。あふれた血。そこにあるのは死という名の停止。
あるのは、一人の青年。藤の花のような髪の色を持つ、残虐な幻想世界の住人。
まるで夢のような。
けれども現実でもあるような。
奇妙な――セカイ。
「あなたは誰?」
「ん?」
樋口真帆の声に、青年は少し目を開く。
「あなたがメロム=スプリングだっていう確証もないですよね」
「…………」
「だってあなた、本当は……そう、未星さんに殺されかけて、今まさに死の境を彷徨っているのかもしれない」
「…………」
「それ以前に」
真帆が、目を細める。彼女にしては珍しく、どこか攻撃的な、それでいて憂いを帯びた瞳だ。
「あなた自身が、誰かが考えた物語の登場人物ってこともあり得ますよね」
実際、なにも、自信なんてない。
ここがどこかも。本当に現実か、夢かさえ、真帆にはわからないのだ。
でも。
(雲母ちゃんの笑顔が幻なんて……)
そんなこと、絶対ない。
それだけは、信じられる。
青年は大仰な仕草で肩をすくめてみせた。
「マホちゃんは聡いな。そう、この世の中に『真実』なんてものは、結局は『わからない』のさ」
「?」
「ここに居る自分だって、本物かどうかさえ、わからない。自分たちは確かに意志を持っているように見えるけど、ココが得体の知れない誰かの夢だってことだって否定できない。肯定もできないようにね」
「ど、どういうことですか」
「うん。つまりさ、『なにが本物で真実かなんて、誰にも証明できない』んだよ」
「???」
「まさに君が言ったように、僕は瀕死の状態なのかもしれないね、このクソ退魔士のせいで」
死体を容赦なくまた蹴りつける。見ていて気分のいいものではないので、真帆は眉間に皺を寄せた。
「君はキララを信じてるわけだ。でも『信じる』ってのは、悪く言えば『思い込み』だ。一方通行ってことだよ」
「たとえそうでも!」
真帆は胸元に拳を遣り、手に力を込める。
「なにが確かなものなのか……それを決めるのはあなたじゃない。
私にとって確かなのは、私の大切なものを守りたいって想いです」
「キララは死んでる」
さらりと、メロムは言う。呟きに近い。
「この退魔士に会った時に喰べてたのが、キララだからね」
「………………」
全身の血の気が引く。けれども、真帆は足に力を込めた。こんなところで倒れるもんか。
「何を言われようと、私は決めました! ここは、幻覚!」
自分に未星を倒させるためだと言ったけれど、それさえ真実かわからない。
「未星さんは死んでなんか、ない!」
「………………」
メロムは目を細めた。空にべったりと貼り付いている月のような紅い瞳だ。
「……あるいはそうかもしれない」
薄く笑うメロムは真帆のほうへと歩いてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
「君が望むのはこういうこと?」
周囲の景色が変わった。
薄暗い地下室に、手錠をつけられて座り込む青年が居る。全身を矢で射抜かれ、動くことすらできない彼は残された眼球を床に向けていた。
「それともこれ?」
再び周囲が変わった。
病院のベッドの上に眠る雲母の姿がある。彼女は昏睡しているようで、きつく瞼を閉じていた。
「もしかしたらこれかもね」
自分の部屋で安眠している真帆の姿が見えた。メロムが知るはずのない、真帆の部屋だ、ここは。
チガウ。
どれも、きっと、ちがう。
そう思いたい。
こいつの思い通りになんてさせない!
ああ、でも手についた血液の感触のリアルなこと。においの、鼻をつく感じ。幻とは、思えない。
目から入る、手についた血、すべての情報が否定してくる。真帆の考えを。
目を逸らすなと。おまえは殺したのだ。遠逆未星を殺したのだ。そしてココは、まぎれもない――――。
「現実だ」
小さな声に真帆はハッとする。
転倒していた真帆は視線を動かす。
(あれ? ……か、体が痛い……)
見える視界の中では、未星が腰に片手を当てて立っていた。
周囲は闇。いや、夜だ。
「み、未星……さ……」
「…………夢を操る能力者なだけはある」
冷たく言う彼女は、足元に転がっているものを踏みつけた。ソレは……。
(未星さんが……2人?)
首のない胴体が、未星に踏みつけられて消えうせた。地面に残されたのは白い、人の形に切られた紙だけだ。
頭の部分がない紙のヒトを足で踏みにじり、未星は近づいてくる。
「立てるか?」
ああ……。本物、だ。
安心して真帆はゆっくりと手を動かす。その手を掴んだ未星がぐいっと力任せに引き上げてきた。
ふらつきながら真帆は立つ。
手には血がついていない。だが、顔は泥や土がついていた。
(私……転んだ……?)
転んだ記憶はある。間違いがなければ……確かに、転んだはずだ。
そこは公園だった。公園の中心の部分にある柱の上の時計を見遣る。時間は経過していない。
ではやはりさっきのは……。
「現実だ」
再度、未星がそう言ってきた。
「……げんじつ? まぼろしじゃ、ないの?」
「あなたは私を殺した」
「………………」
そんなバカな。
証拠がない。
自分の手には血がない。未星の死体もない。そういえば雲母は?
「正確には、私の式を破壊したってことになる。手を打っておいて正解だった」
「あの、未星さん……雲母ちゃんは……?」
「ん?」
麗しの退治屋は軽く首を傾げた。
「し、死んでる……の?」
どれがウソで、どれがマコトか。
震える真帆を安心させる気などないようで、未星は面倒そうに眉をひそめた。
「藍靄雲母は死んでると言ったはず」
「う、そ……」
「少なくとも、あの吸血鬼の言う女は死んでる」
「?」
「あんたの会った相手は藍靄雲母じゃない」
「え? え?」
わけがわからなくて混乱してきた真帆を、未星は見てくる。
「同性同名の別人」
「ええ……?」
目を大きく見開く。あんな特徴のある名前が、この世に二つもあるとは思えなかったのだ。
仰天する真帆から視線を外し、そして、ふいにその瞳が鋭くなり――――どっ、と真帆の身体に衝撃が走った。
「え……」
驚愕する真帆は、間近から腹部を貫かれて呆然とした。背中を貫いているのは漆黒のサーベルだ。柄を握っているのは未星である。
「今度は逃がさない、メロム」
ちがう……。
(私、は……メロムじゃ……ない……)
ちがう……。
意識が闇に飲み込まれていく真帆は、膝をついた。
「おまえは吸血鬼なんかじゃない。そう思い込んだ、ただの病人だ」
*
「で、さ」
現在未星が所属している、ということになっている会社の、日本支部の事務室にて……金髪の少女がこちらの机に乗り出してきた。
「終わっちゃったの? 仕事、終わっちゃったの? 長いやつ?」
「……終わった」
「素っ気ない〜! もっと愛想良く! シンならもっと笑ってたのに!」
「シンは療養中。そのうち復帰したら、構ってあげて」
邪険にそう言い放ち、未星は机の上の書類を片付け始める。その中には樋口真帆のものもあった。
目ざとく見つけられて、その書類を拾い上げられた。
「うまくいって良かったネ、ミホシ」
「……べつに」
「関係ないこの子を殺してたら、怒るヨ」
しかめっ面を作る娘の、近づきすぎな顔を、掌で押し返した。「うぶっ」と彼女が洩らす。
「相性が良かっただけ」
「うっそだぁ! 利用する気満々だったじゃん! サイテー! ヒトデナシー」
「遠逆は人でなしな種族だから」
さらりと返されて、娘は面白くなかったようで顔をしかめた。
危険など、未星にはなかった。分の悪い賭けですらなかった。
なぜなら、真帆は最初から雲母を気にかけていたし、雲母を庇うような行動を未星は見ていたのだ。
(絶対にメロムは狙うと思ってた)
未星を退けることは容易ではないと悟っていたはずだ。
「で? で? メロムは? キューケツキ!」
「ああ、あいつか」
未星はまるで手品師のように右手に何かを出現させた。香炉だ。
「?」
「メロムの魂はこの中。本家で破壊してもらう、後でね」
「タマシイ? スピリッツ?」
「ただの病人の、都合のいい夢だっただけ。もう忘れなさい」
そう言い放ち、香炉を消した。未星は書類を揃えてから、小さく笑った。
ただの悪い夢だったのだ。病院に向かった時、彼の魂はそこになかった。別の人間たちの中を移動し続け、吸血行為を繰り返す病人に成り果てていたのだ。
バケモノではない。
ビョウニン。病気だっただけだ。
(血が欲しくなる、ね……。日本酒のほうが美味しいと思うけど)
未星は人々の夢を渡り歩いていた人間の成れの果てを、哀れにすら思わなかった。
*
「雲母ちゃん」
声をかけると、彼女はうっすらと瞼を開けた。
「…………」
「雲母ちゃん」
「……? そ、の……こ、え」
ぼんやりとした瞳がこちらに向けられる。
総合病院のベッドの上で、藍靄雲母は微笑んだ。
「あれ……? どうしたのかな……過労で倒れちゃったって……お医者様から聞いたんだけど」
「うん。そうなの」
真帆は浮かび上がる涙を堪えた。
メロムの悪夢に怯えながら抵抗していた雲母は、乗っ取られながらも生活をしていたのだ。そして倒れた。
ちょうど……彼女がコンビニのバイトに顔を出すのが難しくなってきた頃のことだ。
真帆は雲母の手を握った。
「もう大丈夫。怖い夢は、追い払ったからね」
「? 真帆ちゃん?」
「ねえねえ、元気になったら行きたいところたくさんあるんだよ?」
笑顔の真帆につられるように、雲母も笑った。
真帆の腹部に傷などない。未星が手加減をしたとは思えないが……。
(『夢』なら、あるかもね)
起きた時には周囲に誰も居らず、この病院の名前と住所の書かれたメモだけが落ちていたが……。
ココが夢だという証拠もなければ、現実だと証明もできない。
けれども……信じればココは『マコト』に成りうるのだ。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
PC
【6458/樋口・真帆(ひぐち・まほ)/女/17/高校生・見習い魔女】
NPC
【藍靄・雲母(あいもや・きらら)/女/18/大学生+吸血鬼】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
最後までご参加ありがとうございます、樋口様。ライターのともやいずみです。
ユメの結末……いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
|
|
|