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<東京怪談ノベル(シングル)>


或る国威発揚の記録

 ザクリ。
 湿り気を帯びた雑草を、強く踏み締める音が響いた。
 垂れ込める瘴気に眉をひそめて、あやこは身の丈ほどもある大弓を握りしめる。深い木々の間に赤く煌めく光を見付けて、彼女は目を瞠ると同時に駆け出した。
 どこまでも続くように思える、白煙る森の中。光とは反対側へ、全身全霊を込めて足を動かす。
 遠くに聞こえていた轟音が迫って、あやこのすぐ側を掠めて行った。
 地響きのような震動を伝えて、何かが地面に激突する。チラと横目で見遣ったそれは、燃えたぎる火の粉を散らす火炎弾だ。
 息を呑むのも束の間、ヒュッと短く空を切る音が耳についた。
 間髪入れずに、側面の木々が横薙ぎにへし折られる。幾本もの大木が宙を舞い、木片と共に降り注ぐのを、あやこは紙一重で横飛びにかわした。
「くっ……」
 苦心の呻きが彼女の唇から漏れるのを待たず、くずおれた倒木の向こうから爬虫類の瞳が覗く。
 キロキロと動く眼球は、生白い鱗に覆われた巨大な飛竜のものだ。
 金色の目があやこを捉えるなり、図体の大きさに反した素早さで鉤爪の拳を打ち付けてくる。右へ左へ、息つく間もなく繰り出される飛竜の攻撃を避けながら、合間に矢をつがえた時だ。
「……っ!? きゃぁあ!!」
 すっかりとその存在を忘れていた火炎弾が、今度は背後から迫っていた。派手に弾の撃ち込まれた背中からは、焼けこげた羽が幾片も散らばる。
 その衝撃で地面へと叩き付けられたあやこは、痛みに息を詰めながらもすぐに身体を反転させて立ち上がった。
 たった今まで伏していた地を、滑空してきた飛竜の鉤爪が抉っていく。自分が同じような目に遭うことを思えば、激痛に悲鳴を上げる身体に鞭打つことも厭わなかった。
 続けて飛びかかってくる火炎弾を、数本つがえた矢で打ち落としながら、あやこは舌打ちしたい心境に駆られた。
「こんなに次から次へ攻撃が来るんじゃ、キリがないわね。せめてあの竜の動きを鈍らせることが出来れば……」
 急き立てられるように足を動かしながら、独りごちたあやこの脳裏でふと考えが閃いた。
 走る先の目的地を明確に思い描きながら、返す踵は止まることなく速度を上げる。
(確か、この先に湖があった筈。上手く追い込めば、そこに勝機を見出せるかも……!)
 固く結んだ唇の端が、微かな高揚感と共に吊り上がった。
「我が配下の僕よ。今ひととき、汝が敵の目を欺きなさい!」
 力の限りに張り上げた声へ応えるように、空へ掲げる掌を中心として、何処からともなく羽虫の群れが渦巻いた。
 色鮮やかな蝶と、面妖な模様を持つ蛾が、鱗粉を撒き散らしながら彼女の姿を隠していく。吹雪のように舞う蝶達は、やがて幾つもの擬態へ分かれていった。
 ある蝶は人の姿を象り、あやこと並んで走るように羽を動かす。遠目に見たならば、彼女が二人並んだように見えるだろう。
 またある蝶は空高く舞い上がり、後を追って来る飛竜の視界を覆った。
 一瞬出来たその隙を突いて、あやこは一段深い茂みの中へ身を滑らせた。視界を邪魔する蝶達を払いのけた飛竜が、あやこの前を通過して彼女に擬態した蝶を追っていく。
 擬態の蝶が向かうその先に在るのは、しんと凪いだ湖面だ。
 蝶は水面を歩くように湖の中心へ躍り出ると、飛竜が急降下してきたのを見計らって四散する。
 頭から落下してきた飛竜は、弾丸の勢いで湖の中へ飛び込んだ。
 激しい水飛沫を立てて、巨体が水底へと沈む。
 すかさず茂みから飛び出したあやこは、飛竜が海面へ上がるよりも早く絶叫した。
「来たれ、イカツチ! 遍く刃に撃たれて痺れなさい!」
 凛とした、肌をも震わせるあやこの声が場を満たす。彼女の叫びを引き金として、一閃の雷が湖全体を穿った。
 日中であるにも関わらず、陽光よりも尚明るい光が目を焼く。思わず瞑った瞼をそっと持ち上げて、ほっと息をついた。
 終わったのだろうか。人間ならば間違いなく感電死しているだろう状況だ。
 様子を伺うように、僅かばかり気を緩めた時だった。
『なにゆえ人間は、破滅の道を歩む』
「……なんですって?」
 まるで頭へ直接響くように、あやこへと問いかける声が響いた。怪訝そうに眉をひそめて問い返すと、声は幾層にも重なって耳の奥で反響する。
『なにゆえ人間は、世界を浸蝕する』
『なにゆえ人間は、魔法を捨てる』
『なにゆえ人間は、自然を食い潰す』
『なにゆえ人間は、科学の先を求める』
『妖精の魔法と人間の科学とは、交わらぬ道と知っての所業か』
 雑音のように様々な声が入り乱れるが、不思議と彼女は、その一つ一つを拾い上げた。
 畳みかけるように投げられる疑問は、嘗て夢に視た遠い未来の光景を思わせた。一瞬鈍った判断の間に、沈んだと思っていた飛竜が湖を波立てて湖上へ舞い上がる。
 水壁を掻き分け現れた飛竜へ、構えつがえる矢の切っ先を据えながら。
「二つの道は――」
 脳裏で、幾度となく反芻する答えを告げた。

 細く滑らかな曲線を描く、カップの持ち手に指が絡む。
 白い陶磁器のティーカップには、淹れたての紅茶が湯気を立てながら揺れていた。芳しい液体を一口飲み下しては、口内に広がる香りの余韻に浸った。
 ゴールデンルールで淹れられた紅茶は、たっぷりのミルクが混ざりまろやかな甘味を与える。
「遠い昔、自然界から生み落とされた妖精は、魔法と呼ばれる力と共に歩んできたわ」
 漆黒の闇を流し込んだような窓の外を眺めながら、あやこは歌うように呟いた。誰に聞かせるわけではない。ただ自らの過程を振り返るように、独りごちているつもりなのだろう。
 敢えて言うならば、彼女の話を聞く女性の人影が、戸口に一つあったということだけだろうか。
 あやこと同じ、長い黒髪を持つ妙齢の女性だ。
 名を歌姫と呼ばれる女性だが、彼女の真名を知る者は居ない。淡い微笑に緑の瞳が優しく細められれば、あやこは先を促されている心地になった。
「人の世では、景気後退に環境汚染。栄枯衰退が繰り返されて、妖精王国はその余波を嘆く。人の手により生み出された戦闘機械の暴走に、妖精達は日夜おびやかされていたのよ」
 遠い過去のようで、或いは近い未来のようで。
 自身を落ち着かせる為にまた一口、ミルクティーを嚥下する。熱い紅茶は、身体の芯からじんわりと温めてくれた。
「妖精国の若き女王は、過去より召喚した人間の技術者の身に宿ることで、その脳より吸収した知識で対策を企てようとしたわ。けれどどこの世にも、黙っていられない者が存在するものね。過去の人間が関わることで、古い文明の流入を懸念した軍部が、謀反を企んだの。彼らは召喚術を逆手に取って、どんな者をも追撃できる翼を持った飛竜を、過去へ送り込んだわ。召喚され、女王の依り代となる代わりに与えられた、女王の肉体を持つ人間を抹殺する為にね」
 長々と続いた独り言が途切れれば、彼女はふうと小さくため息を吐き出した。
「これが、私の視た予知夢と、体験した現実。結果は……まぁ、それを見ていればわかることだろうけど」
 そう告げながら視線で見るように促した先は、何やら映像の映し出された水晶球だ。両手ほどの大きな球体の中で、小さな人影が必死に駆け回っている。
 黒く長い髪をなびかせて、短衣の間から覗く足が地を蹴った。
 狙いを定める矢尻の先には、湖の遥か上空で唸る飛竜の姿。高く飛び上がった人影――あやこは、不慣れな翼を使って飛竜よりも更に上へと羽ばたいた。
『二つの道は、重なるものよ! この地上にあって、嘗て共存の時代すら存在したんだもの!』
 水晶球の中のあやこが、飛竜を睨み据えながらそう言い切った。
 その声には、欠片の迷いすら滲まない。
 跳躍した勢いのままに、あやこは飛竜の頭上で弓を構えた。キリキリと引き絞った弦に乗せるのは、現代科学の粋を凝縮した、彼女特性の超合金製弾頭矢だ。矢羽を離すその瞬間、指先に集中した力を纏わせて、鈍色に輝く矢を放つ。
 絡み付く光は、彼女の魔力の塊だ。
 あやこの魔法によって尚加速した一本の矢が、光速の早さで飛竜の身体を貫いた。
 硬い鱗を突き破り、爆発音が森の中で轟く。
 深手を負った飛竜は、ついに羽ばたく力すらなくなったのだろう。再び、真っ逆さまに湖の底へと落ちて行った。
 そこで、水晶球の中に展開されていた映像は途絶える。ぐにゃりと歪んだ色彩は霧散し、後にはゆらゆらと揺らめく光が鉱石の内に宿るだけだ。
 あやこは先程焼き上がったばかりのスコーンを手に取り、ジャムを乗せてから齧り付く。空いた手で水晶球を軽く叩くと、消えた筈の映像が再び映し出された。
「未来の妖精王国軍部謀反派と、虚無の境界が遣わした飛竜。片を付けるのに大変だったんだから。IO2に裏工作を頼んで、映画ロケに偽装してもらったんだけど、さすがに現代英国にまで来るとは思わなかったのよ」
 いかに骨が折れたかを、あやこは切々と物語る。それをただ黙って聞いていた歌姫は、不意に閉ざしていた唇を開いた。
「我らが女王陛下は健在なり。いにしえ枕辺に謳うは調べ、共に歩みしはらからなれば、道なき道を交えんと」
 紡がれる言葉は、会話ではなく一遍の叙情詩だ。歌うことでしか言葉を発することのできない彼女は、こうして時折自らの感情を調べに乗せる。
「そう。人類の科学と妖精は、共存できるわ。だって、ヴィクトリアの治めた彼の時は、そういう時代だったもの」
 あやこが同意を示せば、歌姫はこくりと小さく頷いた。
 再生されては巻き戻し、不要な映像の切り取られた水晶球の記録が、とうとう終わりを告げた。
 ティータイムの片手間に行われた編集で、或る国威発揚の記録は完成を示す。
 次にこれを見る者は、恐らく遠い未来の名も知らぬ誰かなのだろう。
 荒廃した世界へ遺す、自らの気持ちを込めて。
「さ、あなたもこっちにいらっしゃい。一緒にお茶の時間を楽しみましょ?」
 手招きしたあやこはそう笑いかけながら、水晶球を大事そうに箱の中へしまったのだった。

◇ 了 ◇



◇ ライター通信 ◇

藤田・あやこ様。
初めまして、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
弓矢に魔法の飛び交うハイファンタジーということで、東京怪談側の物語でこういった作品を書けるとは思わず、気合いを入れて書かせて頂きました。
久しぶりに戦闘シーンを書いたということもあり、スピード感や情景重視の作品を目指してみましたが、如何でしたでしょうか。
ヴィクトリア朝や魔法、妖精など、自分の大好きなキーワードも多分に含まれていて、楽しく執筆させて頂きました。
依頼文にこれでもかという程の緻密な設定をお書き頂き、それに負けないくらいのノベルを書こうと試みましたが……結果は……どうなのでしょう(苦笑)
藤田様のお眼鏡にかなうものになっていれば良いと思います。