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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


【 太陽と月に背いて 前編 】






指先に仮初めの魂一つ、宿しまする

打ち、打ちて、注ぎ込むのは、我が命
仮初めの魂と入り混じりて打ち上がる、このご面相をとくと御覧あれ


我が打つのは、現でもなく、幻でもなし

仮初めとは、況や偽り

されど、その面により、この身に宿し、御力は、違う事無く、貴方の、お命を奪いましょう

お会いしとう御座いました


左様


私が 鬼丸・鵺にございます





---------------------------




耳が潰れそうな程の静けさだった。

キンと、澄んだ空気の中で、トランス状態に陥りながら木槌を振るい、面を打つ鵺は、同時に深く、深く、自らの意識の底に潜る。


傍らには真っ白なリンゴが転がっていた。

「これを、ほんの一口だけ。 それ以上は毒だかんな?」

この城に住まう、友人の言葉を思い出す。


毒林檎


人為的なトランス状態を引き起こすために所望した睡眠薬の代わりに渡されたのが、この果実だった。
この城のどこかにあるという、果実園にて生るらしい、ほんの少量の摂取で、酩酊状態に陥り、深い眠りを約束してくれる林檎の力は絶大で、鵺の意識はすでにここに無く、自らの内へと向けられている。

前回、必要に駆られて睡眠薬を大量摂取した際よりも、穏やかに、緩やかに、鵺は意識を失っていく。
林檎の甘酸っぱく、爽やかな後味そのままの、どこかほの甘い揺らぎに身を任せ、鵺は一心に面を打ちながら、その精神の輪郭は徐々に、徐々に溶け出し始めていた。


面を打つ際に、何処まで自分の意識に潜るかは、打つ対象が有する、心理キャパシティの深さに比例する。

相手の心理の深度は人それぞれではあるが、アリスという相手は、そもそも、人の範疇を超えていながら、同時に、鵺がこれまで目にしてきた、どの人間よりも群を抜いて人間らしい存在とも言えた。
目視により抽出した、面打ちに必要なアリスの分析材料は、現在鵺の心のうちに圧縮して、そのまま保存してある。
下手に、開封し分析すれば、そのまま自身が侵食されかねない、ブラックボックスとも言うべき、そのフォルダを、鵺は自身の深層にて開封し、面を打ち上げるつもりでいた。


アリスの心理に同調する事が可能な最深層を目指し、彼女の心の深度に付随して鵺も自意識に深く、深く潜行する。


いくつもの人格の階層を経由する鵺。


99匹の人格を有する鵺の心のキャパシティは、驚くべき程に広く深い。
逆に言えば、99匹もの顔を持つ鵺だからこそ、面打ち師として、ありとあらゆる相手の心理に同調し、特殊な面を打ちあげる事が出来るとも言えた。


心の強さが問題ではない。
肉体の強さも問題にはならない。


例え不死身の存在であろうとも、並ぶもの無き強者でも、鵺の真似だけは誰にも出来ない。

下手の横好きで、他の誰かが鵺と同じように面を打とうとすれば、ほんの数秒も保たずに狂う他ないだろう。

他人の心を自分の心の中で受け入れ、同調するという事は、そういう事だ。

自分と他者の境目を失くす、そういう酷く危うい行為だ。



今回の相手は、時の大魔女。


おいそれと心の浅瀬で受け止め、同調できる相手ではない。
下手すれば侵食され、いかな鵺とて発狂に至る可能性とてある。


不意に、心理の螺旋階段を下る最中、心配そうな友人の顔を思い出した。

きっと、自分が狂えば、彼女いらぬ責任を背負い込むのだろうと確信して、益々狂うわけにはいかぬと気を引き締める。


最近、巧く眠れないから、静かな部屋と、睡眠薬を用意して欲しいという、鵺の申し出を聞いた途端に顔を曇らせて、「悩みでもあんのか?」と心配げに聞かれてしまった。

「なんでもないよ〜? ただ、鵺って、ほら、ちょっと繊細じゃん? だから、枕が変わったのが、今になってボディブローのようにじわじわきちゃってるみたいで…」
そう手をひらひらさせながら言う鵺に「んな…、繊細って…。 前なんて、ケルベロスの腹を枕代わりにして寝こけてた癖に…」と呆れたように言われて、それでもこちらを疑うそぶりすらなく、望んだものを揃えてくれた。


真っ白な 部屋


「あたいも、体の調子がよくない時や、集中したい時は、ここ使ってんだ」と、友人に言われ、「集中したい時って?」と首を傾げれば、どこか照れくさげに「勉強」と、ぶっきらぼうな声音で答えられた。
「べんきょお?」
素っ頓狂な声をあげる鵺に、慌てたように「ガラにもねぇって分かってっけどよぉ! でも…ほら…いつまでも、あたいだって、ここにいて、養ってって貰うわけにもいかねぇし? 自分で稼げる資格とか、欲しいっつうか…成長してぇじゃん。 人間としてっつうの?」と、言い訳がましく、そう並べ立てる。

鵺が何度も瞬いて「その割には…鵺と遊んでばっかなような気がするんだけど…」と指摘すれば「だって! つまんねぇんだもん! 勉強!」と渾身の力で答えられ、「お前が来るとさぁ、毎日が楽しくて、捗んねぇんだよ。 勉強なんて」と、口を尖らせ、此方のせいにされてしまった。


勉強…か…


家庭教師でもあった幇禍は、教育熱心に鵺の勉強を見てくれてはいたが、一度だって、真面目に彼の授業を受けた事はなかった。

殊勝にも、もし、幇禍がまた、鵺の隣にいてくれるようになったなら、大人しく勉学に励んでみようか…なんて一瞬だけ考えて、いや、やはり、彼から、逃げ回る自分が自分らしいなんて結論を出す。

自分が過ごしてきた日常が、如何に得難いものだったか、思い知らされたからこそ、鵺は「変わらないもの」を取り戻すために、今から、熾烈な戦いへと赴く覚悟を決めたのだ。


今、望むのは、あの、呆れる程に能天気な二人の関係。





ねぇ、幇禍君
幇禍君


鵺は、知ってるんだ。

幇禍君が、鵺の事を大好きだって事。
どれだけ、鵺の事を大事にしてくれてたか。
鵺の事ばかり、考えていてくれた事だって。


鵺は知ってるんだ。


世界中のどの生き物よりも、鵺が幇禍君を知っている。


かみさまだろうが、理だろうが、鵺より幇禍君を幸せに出来る存在なんて有り得ない。


笑顔一つ 幇禍君にくれてやりもしない癖に 洒落臭いんだよ 何もかも
偉そうに、幇禍君の中に居座って、幇禍君にとって一番大事だったろう気持ち歪めて

何の権利があるっていうんだ。
誰に、そんな権利があるっていうんだ。


鵺は許さない。
絶対に、許さない。

人として生まれた以上 歪められちゃならないものが誰にだってあるんだ。



尊厳という名の、絶対が、人にはあるんだ。



ねぇ? そうでしょ? 幇禍君。

そうなんだよ、幇禍君。


君は 人なんだよ。


鵺が決めた。


不死身だろうが 化け物じみてようが どんな生き物であろうが 幇禍君は鵺の願いを全部叶えてきてくれたから 鵺が決めた事に従ってきてくれた人だから。


鵺が我侭なのは幇禍君も知ってるでしょ?


鵺も、人を目指す。
君も、鵺と一緒に生きて?



今回も、また、この我侭を通して、道理すら捻じ曲げる。


君は 人だ

鵺が決めた


鵺が 幇禍君を人にする。



その為にも この修羅場を必ず、切り抜けてみせる。
ていうか、鵺死んだら元も子もないし! 幇禍君に殺されてなんか、やるもんか。
だって、鵺を殺したら、あの子、一人ぼっちになっちゃう。


もう、絶対に幸せになれない。

一生、幇禍君は笑えない。

鵺の好きな笑顔が、この世から消えちゃう。


人として 生きられなくなる。


いやだよ。
幇禍君。


鵺は そんなの 嫌だ




それだけが願い。
あとの、真実も、理も鵺には与り知らぬ事。

自分の為だった。
潔く、鵺は己の為の覚悟を決めた。






気付けば、鵺は風吹き渡る草原に立っていた。
赤い風車が、草原の間に何本も立ち、風に吹かれてクルクルと回っている。


ここは、見覚えのある風景。


「…私は いいの?」


背後から突如声が聞こえてくる。
振り返れば、銀色の髪をした、黒い面を被りしゃがみ込んでいる少女が一人目に入った。


名無し


鵺の深層に住まう狂気。


鵺は微かに微笑んで、何も言わずに首を振った。


「まだ、決めてない。 君の力を借りるかどうかは、これからじっくり考えるよ」

無数の風車が回る草っ原は、依然と同じく、空は燃えるように赤い。


風の音が聞こえる。


名無しが立ち上がり「預かり物よ」といって、灰色の箱を、鵺に渡した。

鵺が採集した、アリスの分析材料……。



「随分と、また、面倒臭いものを、持ち込んでくれたのね」


名無しの言葉に鵺が笑って「ありがと」と答えつつ、箱を受け取れば、彼女は低い、低い、冷たい声で「こんな魔女に、その体くれてやるつもりは、私はないわ。 もし、狂いでもしようものなら、私は、私の狂気で、お前の体奪い尽くすわよ?」と呟いて、それから、ふらりと陽炎の如く身を揺らめかせる。

キ…キキキキ…と軋むような声で笑うさまは、まさに、狂気そのもの。
狂い果て、壊れ果てた少女が、彼岸に誘うかのように、ふわりと手を翻した。

「そもそも 思いあがりも 甚だしい のよ。 人になんざ 人になんざ 人になんざ なれるだなんて 99匹もの化け物を その身に宿す 怪物が…。 弁えなさいな」

ふらつく声で、そう言われ鵺は首を傾げて名無しを見詰める。

「お前の男だってそうよ。 お前が手におえる、範疇にないわ。 不死身の男。 確かに、殺した。 この手で、刺して、引き裂いて、ぐちゃぐちゃの肉に変えたのに…。 それでも、あの男は易々と蘇った。 いつか、こうなる事は、分かってた筈。 何しろ、『かみさま』が関わっているんだもの…。 分かってるんでしょう?」

名無しの言葉に、瞬いて「心配…してくれてんの?」と、鵺が聞けば、名無しは返事を返さずに、また、ふらりと体を揺らして、「…人を目指すという事は…鵺、私達を見捨てるの?」と、どこか不安げに問うてくる。

「私達は…明確に人と相容れぬ存在よ。 人の範疇から外れた、狂気の塊。 お前だってそうよ? 鵺。 忘れて貰っては、困るの。 たかだか、妖怪人格の一体でしかなかった分際で 人の体を手に入れたからといって 貴女が人になれる筈がない。 貴女と、私達は同じ生き物なのよ? 叶わぬ夢を見たって虚しいだけでしょう…。 諦めてよ。 そうすれば、貴女、また、夢で、私を含める、皆に会えるようになるわ…」

鵺は「そんな事を、皆は、不安に思っていたんだ」と、小さく呟くと、くしゃりと、今まで浮かべたことのないような、困ったような笑みを浮かべた。

「全然夢で会えなくなっちゃってさぁ…、けっこー、似合わない心配とか? 鵺はしてたのに、つまり、拗ねちゃってたのね、皆ってば」

本当に、幇禍君といい、妖怪人格の皆といい、鵺ってば、手のかかる子ばかりに縁があるのは、何でかしら?と首を傾げつつ、同時に「人を目指して」変遷を始めた鵺に対し、妖怪人格達が感じていたであろう、不安を思うと、酷く胸が切なくなる。

鵺の変化に怯えていたのは、幇禍だけではなかったという事実は、鵺にとっては、何だか驚くべきことでありながら、同時にこれまでの自分の足跡を振り返りざるを得ない気持ちにさせてくれて、大丈夫、それでも、鵺は鵺だからと言って、皆を抱きしめたい気持ちにもなった。


本当に馬鹿な子達。


「名無し。 皆に伝えて? 鵺が人を目指す理由。 鵺は、一番の人さえ居れば他は何も要らない子だった。 皆の事もそう。 『要らない』の箱の中に、皆をいれていた。 鵺が、力が欲しいと思った時に、都合よく、その力が行使出来る、そういう便利な存在としか思ってなかった。 ギブ&テイク。 そのかわり、辛うじて人の『フリ』が出来る鵺が表層人格として、社会生活を営み、人間の暮らしに適応していく事で、皆も生き永らえられていた。 鵺と、皆は、そういう取引関係にあるって、考えてたの。 でもね、今は違う。  鵺は、幇禍君だけじゃ足りない。 鵺の友達、鵺の事を好きでいてくれる人、パパ、それに皆も元気で笑って傍に居てくれなきゃ駄目なんだ。 鵺が愛したものを、幇禍君にも愛して欲しいの。 そして、鵺の中にいる、99『人』の皆にも。 勿論、皆のそれぞれの気持ちを尊重する。 ゆっくり、考えて欲しいし、気に入らなければ、鵺を主人格から引き摺り降ろしてくれて構わない。 でもね、願わくば、同じ思いを抱けなくてもいいから理解しようとして欲しいの。 愛する努力をして欲しいの。 鵺ね、人として生きたい理由は、一つだけなの。 大事にしたい。 鵺を大事に想ってくれる存在全て、鵺も大事にしたい。 人と共に生きてきた。 フリでいいの。 嘘で良いの。 鵺が大好きな人達と、鵺は一緒の生き物になりたい。 鵺ね、幇禍君を取り戻す事で、少しだけ"人間"に手が届く気がするの。 鵺は、皆の事も大事に想うようになったからこそ、人として生きたいと願ったんだよ? だからこそ、諦められない。 人を諦める事は、皆を諦める事だから、鵺には絶対出来ない」

鵺の言葉をフラフラと揺れながら聞いた名無しは「おろか…ね…」と微かに呟いて「吝嗇で、強欲で、自分勝手で、我侭で、つくづく、その体、お前なんかに譲ってやらなきゃ、よかった」と悔しげな口調で言う。
「いい? 今回の出来事の最中、隙があれば、私が、また主人格に返り咲いてやる。 だから…」

不意に名無しは笑った。
黒い仮面の下
見えはしなかったけれども。

狂った少女は
狂った歪め方をして

それでも、少女は鵺のために笑った。
 
「負けないで、おくことね」


名無しの体が黒い炎に包まれる。
そして、またたきする間もなく、その姿は掻き消えた。


「…もしかして……ツンデレ?」



思わず小さく呟いて、自分のかっての主人格の、新たな一面に首を傾げつつ、それでも、ちょっと笑ってしまう。


ちーくしょう、これで、益々負けられない…!


鵺の指先が抱えた灰色の箱を撫でる。

「さぁ…まず、第一試合といこうかな?」

そう言いながら、鵺が一度深呼吸をし、灰色の箱を開封した瞬間、周囲の風景が一変した。







灰色の雪が降り積もっている。

いや、違う。
これは灰だ。
何かが燃えた後の残骸。


見渡す限り灰色一色。
空の色も灰色で、他には何も視界に入らない。


幾重にも降り積もる灰色の燃えカス達。

足を踏み出せば、ふわりと灰が舞い上がり、さくりとした足から伝わる感触が、なぜか鵺の背に鳥肌を立たせた。



「綺麗なもんやろ?」



不意に耳元で声がした。


「アリス。 灰色の魔女」

「そうや」

「君は、鵺が持ち帰った、ママの情報」


にたりと、笑ってアリスは重力を無視し、鵺の背後に浮かび上がると「そう、うちはただの情報。 記号化された、0と1の集合体。 とはいえ? 大人しく、あんたの打つ面に注ぎ込まれる気もないで? うちは、悪質なウィルスと一緒や。 取り込んだ、本体を、壊すことだって出来る。 例えば、こんな風に…」と囁くと、灰色の世界に唐突に、一人の男が現れた。

端正な顔立ち。
真っ白な肌。
片目に眼帯をあてた、酷くスタイルの良い男を鵺はようく知っていた。
誰よりも、知っていた。


「幇禍……君…」



呼ぶ声は、無音の世界に吸い込まれた。







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「…お嬢さん?」


自分が呟く声で目を覚ました。

ぐっしょりと寝汗をかいていて、そんな自分に驚く。
余り汗をかく方ではなかったので、べたつく髪をかきあげて、目を薄く閉じて、苦しげな溜息を一つ零した。


呼ばれた 気がした。


いつでも、如何なるときでも目に浮かぶ鵺の笑顔。
鼓膜を震わす鵺の声。

幻聴か…

そう諦めるだけで、酷く辛い。


幇禍は人の限界を超えて、鵺を想っていた。
愛情の限界を、幇禍は既に凌駕していた。

狂うたのは、理のせいか、幇禍の想いの果てなのか、今は、誰にも断じれぬだろう。
むしろ、元より存在した欲望に科せられていた頚木から、「理」が幇禍を解き放ったと見るほうが、今はしっくりくるように見えた。


どうしようもなく、彼女が愛しい。
だから、もう、あと一秒ですら、この世界で彼女が呼吸する事を許せない。


綺麗な 綺麗な 綺麗な 鵺。





会いたい
逃がしたくない
抱き締めたい
殺したい
大事にしたい
壊したい



冷酷なまでに、それは地獄


存在意義すら鵺に預けた。
魂全て、彼女に捧げた。
思想、哲学、生活全てを、鵺という存在に起因させていたツケがとうとう回ってきた。

鵺が自身の変遷の為の正念場を迎える最中、幇禍もまた、己の空虚さに煩悶し、諦念する。


自己とは何か?
己は、何処に在るのか?
彼女が傍にいない今、自分と言う存在は、本当にこの世界に在るのか?


ホテルの部屋で、ベッドの上で頭を抱える。
足元が崩れ落ちるような不安感。
闇が、幇禍を圧し包む。
幇禍の存在自体を掻き消すかのごとく。

そもそも、最初から命すらあやふやな、存在風情、生きているのか死んでいるのかすら判然としない身の上だ。

初めから、お前など、存在しないよ。
この世は全て、幻だよ?と、言われたならば、なる程、そうかも知れぬ…と頷く、幇禍が存在した。

自己ですら、鵺が認識してくれていたからこそ明確に、在ると断言できていた。

しかし、今やどうだ。

暗闇の中、刹那の間、呼吸すらおぼつかなくなり、冷や汗が背中に滲む。
心臓が、早鐘のように打ち鳴らされて、酷く痛い。


鵺と出会ってこの方、これほど離れていた事はなかった。

禁断症状

たった一瞬、王宮で邂逅した。
それがいけなかった。

銀色の髪が微かな光を放っていた。
深紅の眼差し。
薄く、だが艶然とした笑みを刷く唇が、圧倒すらする声音で囁いた。



「次にお会いする時を 
   
    心より
     
      お持ち申し上げます」


欲しい
欲しい
欲しい


欲しい!!!!!



他に何も望まない。

他に何も要らない。

世界が滅んで、二人だけになれればいい。

そうすれば、是ほど苦しむ事もない。


だけど それは土台無理な話。

鵺が傍におらずとも
明日も 明後日も その先も


世界は続いていく

幇禍 ただ 一人残して


それは 何という絶望




時々思う。
いっそ出会わなければ良かったと。
しかし、同時に分かってもいた。

出会ってなければ
こんなクソみたいな世界で ここまで生きてなんてこれなかった。



世界で


貴女だけが綺麗
俺だけが醜い
貴女だけが優しい
俺だけが残酷
貴女だけが自由
俺だけが


囚人




もう、疲れた。


不意に胸に浮かぶ言葉は偽らざる本音。


もう、ここで終わりで構わない。
鵺の不在で気付く己の空虚さ。
何も無さ。


彼女がいなければ生きていく意味もないと、呆気なく思える自分の生き様自体が虚しかった。


疲れた 酷く

肉体的な疲労感ではなく、ただ、ただ精神が疲弊しきっていた。


楽になりたい。



自分の人生でなかった。

彼女のための人生だった。

遠くへいってしまった鵺。

早く捕まえて、一緒にこの世界から逃げ出したい。




世界が滅びないのなら、二人で滅びるほか無いのでしょう?




鵺が、笑いかけてくれるだけで、良かった。
彼女が、幸せでいてくれれば何もいらなかった。
鵺だけが、世界の全てだった。


歪んだ。
理が、歪めた。

残酷に。

しかし、今や、歪みにより派生した殺意は、自身の理性を圧倒し、抑圧していた欲望を増幅させて、他者の干渉によって生まれたものだけではない、感情として、確かに幇禍の中に根ざしていた。


真っ白な手を見る。
血液が赤く自分の手を汚す幻を確かに見た。

早く殺さなければならない。
彼女を早く殺さなければならない。

虚勢でもなんでもなく、何も怖いものなどなかった、恐怖の感情など一切理解できなかった、そんな幇禍が恐怖した。



鵺の不在を恐怖した。



存在すらあやふやな、自分自身。


鵺に依存し、全て預け、思考する事無く生きてきて、今、こうして、鵺から離れて漸く分かった。


俺には、俺自身というものがない。


それは圧倒的なまでの自意識の喪失。




ふらりと視線を、窓の外に流した。



窓に映る己の顔に、同じ顔をした男の事を思い出す。

まともに会話すら交わさなかった、あの男。


そう、蘇鼓


あの邂逅の瞬間から、幇禍の世界はガラリと一変してしまった。



「自分と同じ顔した存在を見ると死んじゃうんだって」



不意に、鵺が、面白そうに、そう教えてくれた事を思い出した。


「ドッペルゲンガー。 死神って、自分と同じ顔をしてるらしいよ?」




あいつは、俺の死神なのだろうか?

祈るように、思う。

是非、そうであってくれ…と。

「理」を幇禍に知らしめた男。
お前が、俺を彼岸に連れて行ってくれるのか?
だったら、もう少し、もう少しだけ待ってくれ。
この手で、お嬢さんを捕まえる、その時まで待ってくれ。
彼女を永遠に捕まえた暁には、お前の迎えを待たずとも、こちらから黄泉の国へ逝ってやる。

だから、もう少し
もう少しだけ…


暗闇に自身の輪郭すら溶け出しそうな孤独な夜。
幇禍は祈った、一心に。

寂しい祈り
悲しい祈り

不憫な祈りを一心に捧げた。

自分を歪めた、兄相手に。




----------------------





灰色の世界に、銃声が何度も響く。



鵺は、立ち尽くしたまま、その弾丸を身に受けた。
血が流れるのではなく、弾丸が当った部分が抉れていく。
まるで、欠損していくデータの如く虫食いだらけになっていく自分を見下ろして微かに笑った。

幇禍が、美しい笑みを浮かべて鵺に向かって乱射している。
愉しげな表情は子供じみても見えて、幇禍は笑い声すらあげていた。

「…何がおもろいの?」

アリスが微笑む鵺に、優しい声で聞いた。

「んー? なんていうの? こういう精神攻撃とかって、鵺、そういや今まで一度も経験なかったなぁと思って」
「へぇ…じゃあ、尚更ショックやろ」
そう言いながらアリスは鵺の顔を覗きこむ。

「悪性のウィルスであるうちにかかれば、あんたの心の中の情報を取得した上で、うちの任意の行動を取るように再構築できる。 可愛いもんやねぇ、取得した情報を見るに、あんたの大事な思い出の中には、全部あの男が一緒におる」

そう言いながら、アリスは目を細めて撃たれるがままの鵺の頭をゆるりと撫でる。


「遊園地に…お祭り…へぇ、指輪に…雪遊び…他愛も無いような思い出も、何もかも、あの子と一緒やったんやねぇ? 鵺」

そこまで言って、くくくっと笑って肩を竦め「ああ、それに、糞汚い婆さんと、みっともない餓鬼と一緒に過ごした下らない夏休み…こんなもんも大事に仕舞い込んで…あんた、やっぱり、まだまだガキやわ…」とアリスは嘲るように言い放ち、「さぁ、鵺お嬢ちゃん。 初体験の感想は?」と、嗜虐的な声で問い掛けた。


アリスの質問に、赤い目玉をふらりと横に流すと、鵺は肩を竦める

「鵺ね、何で、精神攻撃の経験がないか、はっきり分かった」

そう言いながらスタスタ歩き、自分に向かって笑いながら銃を撃つ幇禍の目の前に立つと、無造作に面を装着する。



「茨木童子」


大妖怪・酒呑童子の最も重要な部下となる、その童の面は、諸説の中に、「実は女性の鬼であった」という説も残されるほど美しく、艶やかな顔貌をしている。

ゆらりと目を見開いて、可憐に笑って腕を一戦させた刹那、鋭い爪に切り裂かれ、幇禍は、いや、幇禍としてアリスに構築された情報は、一気に胡散霧消した。

面を外して、溜息を一つ。

「…されても気付かないの。 効かな過ぎて」

そう言いながら、アリスを振り返る。


「ていうか、効く効かないの問題じゃなくて、面打ち師舐めんな? って話だよ。 精神攻撃って、当然の話だけど、攻撃をする側の真理を読み取られない事前提の攻撃なのよね。 つまり、鵺に対しては、最も効果のない攻撃方法だって事。 さっきの幇禍だって、同じ外見してるだけで、中身が『空っぽ』なのは、すぐ分かっちゃう。 本物の幇禍君は、違う。 幇禍君には、ちゃんと『心』がある。 『空っぽ』なんかじゃない。 だからね、そんな張りぼてが何しようが、鵺にとってはどうでもいいの」

そう言いながら振り返り「君もだよ? 情報アリス。 何一つ怖くない。 所詮は鵺が持ち帰ったに過ぎないデータ。 準備さえ整えれば、恐れる事は何もない。 だけどね?」と言いつつ、一度パン!と手を叩く。


「口が過ぎた。 鵺の思い出を馬鹿にする事は許さない。 下らない夏休みなんて、よくも、言ってくれたね。 鵺はずっと考えてきた。 アリスと鵺と、そして幇禍君との違いを」

鵺の手に光が宿る。
舞うように手が翻った。


「似てるんだ。 悲しい事だけど、アリスと幇禍君、二人は似ている。 一番の人さえ居れば他は何も要らないトコとかね。 アリスママ。 ママにとって、自分の大事な息子以外は、クズなの。 ゴミなの。 遊び道具でしかないの。 幇禍君も一緒。 分からない。 尊重しなきゃいけない意味も、一つも理解できない。 どうしたって、『命』の存在を、軽んじちゃうのよ。 だって、鵺以外はゴミだから」

そういった後、苦笑して、鵺は小首を傾げる。

「まぁ…偉そうに言ってみても、鵺も前はそうだった。 ていうか、今も時々分からなくなる。 見えないものだから、余計にね? それにさ、実際クズみたいな奴も多いし? 世界はいつまで経っても、綺麗にならない。 愚かな出来事が起こり続けてて、人って、やっぱどうしようもない生き物なんだなって、何度も、何度も思い知らされる。 でもね、足掻いているよ、鵺は。 鵺なりに、足掻いてる。 鵺ね、もう、幇禍だけじゃ足りないの。 鵺、友達が元気で笑って傍に居てくれなきゃ駄目なんだ。 鵺、分かったんだ」

光る手が、アリスの頬に触れた。

分解されていく情報が、魂に変じて鵺の指先に宿る。

鵺は目を閉じ、緩やかに指を奮った。

光の渦。

瞼の裏にまで染みる眩さ。


「鵺、一人じゃ生きていけないの。 ご飯作るの下手だし、掃除も、洗濯も上手に出来ない。 女の子同士のお喋りが凄く楽しい事も知っちゃった。 花火も、お風呂も何もかも、一人ぼっちよりも、誰かと一緒の方が楽しいの。 好きな人達と一緒が良いの。 人生を全うした命が、どれだけ綺麗に散るかも見たし、だからこそ、残された命の貴さも理解した。 誰かと一緒にご飯を食べるって、凄く美味しいんだよ? 夜中に、大人に隠れて、友達同士で、駄菓子を食べるのって凄く楽しいんだよ? 井戸で冷やしたスイカが、どんなに甘いか知ってる? 遊園地は、たくさんの人で賑わってた方が楽しい場所なの。 夏祭りは、浴衣姿の女の子がたくさん歩いているから、綺麗なの。 花火は一人で見上げるより、誰かと一緒に見るものなんだよ。 ねぇ、ねぇ、ねぇ、アリス! アリス! 孤独なママ?」

目を見開く。

そこは、真っ白な部屋。
手の中には打ちあがった面が一つ。


「一人でずっと寂しかったんだね。 鵺と、ママは違う。 鵺は一人じゃない。 そして、幇禍君も、鵺がママと違う生き物にしてみせる。 鵺が、人にしてみせる」


目の前にはアリス。

情報ではない、本物のアリス。


真っ白な部屋で鵺の前にしゃがみ込み、それから、打ちあがった面に手を伸ばす。


「ショックやわぁ…」

嘆息混じりに呟いた。

「うち、もっと別嬪さんやと、思うてた」

灰色の魔女は、あながち冗談とも思えぬ口調で呟いて、それから「見事なもんや」と賞賛した。


「あんた、見事なもんや。 ようも打ちあげてくれた」

にたりと陰惨な笑みを見せ「さぁ、次はどないする?」と問い掛けてくる。
鵺は、一瞬思案して、それから「もう、ここの場所は幇禍君に割れちゃってるし、潜伏場所を変えて、また、じっくり考えてみる」と答えた。

「ここが幾ら通常の手段で足を踏み入れることの出来ない場所だとしても、特殊な能力者がうようよしているような東京で、幇禍君は、この城に辿り着く手段をきっとすぐに見つけ出す。 長居は無用だよ」

「まぁ…妥当な案やな…」とアリスは頷いて、それから、自分の髪を飾っていた黒いリボンを取り去り、鵺に手渡した。

「空き地でも、部屋でもいい。 入り口のどこかにこれを結んで、その中に足を踏み入れれば、この城内の何処かの部屋に侵入できる。 うちはこの城の主やないからね、鍵のように、どこの部屋に繋がるか、うちも確定出来へんから、もしかしたら、城の中にいくつかある、地獄のような場所に出る事になるかもしぃへんけど、巧く使えば、あんたの男をこの城に引き込む事が出来る。 そうすれば、うちが直接力を貸してやる事も出来るやろう。 まぁ、その後のうちへの代償も、きちんと払って貰わなならんけどな?」

アリスの言葉に頷いて、鵺は、黒いリボンを腕に巻く。


「…あんじょう、気ぃつけぇや? あっさり、あんたにいてまわれたら、えらいつまらん」


鵺は、にっと不敵に笑うと、「あっさり? 鵺が? ないないないない! 言ったでしょ? お腹が捩れ切れちゃうくらい、これから愉しませてあげるって。 鵺ね、約束は守るよ? 絶対に」と言い、面を抱いて立ち上がる。

「これ、有効活用させてもらうよ?」と言う鵺に「それ、着ける時は、生半可な覚悟じゃ、耐えられん。 精一杯気張りや?」とアリスも言葉を返し、それから、からかうような、それでいて、どこか恨むような声で、「一人じゃない…ねぇ? 木っ端は所詮、木っ端やろう。 何の足しにもなりはせぇへん。 今更、人として生きたい等と、笑っちまう程虫のいい話や。 寂しい等と、このうち相手に言ってのけた、あんたの一人じゃない強さ、せいぜい、楽しみにさせて貰うわ」と囁いて、突如、姿を掻き消した。

「おっけー? 乞う! ご期待!」

鵺は、溌剌とした声で、天井に向かって、そう答えると、軽やかな足取りで部屋を後にする。

程無く手荷物をまとめた鵺は、これまでの王宮の日々を一緒に楽しく過ごしてきた友人には、何だか別れを告げ難くて、城の主に頼み、王宮の入り口を現世に繋いで貰った。



何処へ向かうか、まだ目的地は定まってはいない。

広い東京の、何処に身を潜ませるか…。

逃げ回るだけではなく、幇禍の動向を掴み、何とか彼を制する機会を見出したい。
いざとなれば、アリスの力、彼女から預かった黒いリボンを利用して借りる事も出来るだろうが、さりとて取引の事も気にかかるし、最後の手段としたい気持ちもある。

普段は好まぬ、思案する顔を表情に表出し、王宮の出入り口となっている、大階段のあるロビーに辿り着く。
光の魔方陣が出現しているのを確認し、足を踏み入れようとした時だった。


「みっ…ぎゃああああああああ????!!!!!!」



決意の微笑を浮かべながら、かっこいいめに、そう、かなりかっこいいめに踏み出した右足が、なんか、むにっとして、ぬるっとして、ぐにゅう!としてるものを思う存分踏みつけて、その勢いのまま前のめりに滑っていた。

ずるううっ!と、バナナの皮程度ではここまで滑るまいと断言できる、滑りっぷりを披露してビタン!!と、どう贔屓目に見ても「うーん、間抜け!」と評されざるを得ない姿勢で、鵺は壁に激突する。
その走行距離は、実に20m近くもあって、彼女が何かを踏みつけ滑った、その床の跡は、ワックスにて磨いたかのごとくピカピカになっていたのだが、まぁ、そんな事はどうでもいい。(全くだ)

「う…うううう…ここで、このコーナータイムが始まったかー…今回は無さげって油断してた鵺が迂闊だったなぁ…ていうか、…頑張ってたじゃん…ここまで、鵺も物語展開も、シリアスで頑張ってたじゃん……どうして、話も終盤のここに来て…こんな間抜けトラップが…」


壁に片手をつき、空いてる手で鼻を撫でつつ呻く鵺に「それは書き手の趣味です!」という声が遠くから聞こえたり、聞こえなかったりしたそうだが、勿論、そこも大いなるどうでもいいポイントで、問題は鵺が「どうして! 普通に! 話が、進んでくれないのー?!」と、若干わざと、憤慨気味にそこで、力強く地団太を踏んでみた事だろうか?

当然鵺が思いっくそ踏みつけ、滑った何らかの物体が、その場で何度も何度も踏みつけられるわけで、むぎゅ! むぎゅ!と踏みつける足の下の感触を愉しみだしてすらいた鵺に、「あーっと…」となんだかやる気なさげな声で「いや…、俺の幼馴染は、足ふみマットじゃねぇんだけど?」と暢気な声で制止されてしまった。

「幼馴染?」

思わず素っ頓狂な声で問い返し、足の下の物体に目をやれば足と羽の生えた肉団子が、ぬたりとなんか、汗にまみれてキュー!といわんばかりの様子でぐったりしている。


「うん! 気持ち悪い!」


朗らかにそう言いきりながら嬉しげに抱え上げ「何、何これー?! 新種?! 新種のUMA?! もしくはキモ可愛い系を狙って壮絶に失敗しているぬいぐるみ?! センス悪ぅぅぅい!」と言いつつ、つついたり捻ったり、揺すってみたりする鵺に「一応、ナマモノ」と答え「ケケケッ!」と、甲高い鳥のような声で笑った

「まぁさか、ここで会うとはなぁ!」

そう言う男に視線を送り、にこりと鵺は笑いかけると「初めまして?」と、動揺の無い声で問いかけた

「ああ、初めまして…だ。 一応な」

形の良い唇を裂き、男は優雅な仕草で頭を下げる
「…とはいえ、漸く会えたってな気分でもあんだよ。 俺ぁな?」
そう何処か愉しげな声で言う男に、鵺も笑ったまま頷いて「奇遇ね。 鵺も何だか、ずっと貴方に会いたかった気がする」と答えた



舜・蘇鼓



幇禍の理を正し、同時に運命を狂わせた原因の男は、幇禍と同じ顔に笑みを浮かべたまま「良かったと言いたいが、募る話なんざが許されてる状況じゃねぇみたいだな」と少し残念そうに呟いた





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東京には空が無いと言ったのは、何処の有名な詩人だったか…。

ならば、己が浮遊する、この場を何と呼べばいいのだろう?

「んー、もうちっと高度下げてくれっか?」

白いふわんふわんの毛に顎先を埋め、そう注文をつける蘇鼓に、ぐるると低い声で一度唸って答えると、蘇鼓の幼馴染でもある「女友達」はそろそろと、少し降下してくれた。
羽の生えた真っ白な虎が、東京の夜空に浮遊している。
地上の星の如く、人口の光が煌くこの街では、皆わざわざ空を見上げて、見えもしない星を探さない。
誰にも気付かれないままに、蘇鼓は友人の背から、あるホテルの一室を監視していた。



異常なまでに発達している視力でもって、はっきりと視認出来ているのは弟でもある幇禍の横顔。


「だから、言わんこっちゃねぇ…」


奔流が感じられる。
理の正常化の際にコネクトした、幇禍の精神状態に大きな乱れが生じていた。


神の傀儡、不死身の人形。
魂などないくせに、あの女と生きた日々が、これ程までに影響を残しているとは…。

蘇鼓は笑う。
底意地の悪い笑みで。



「面白ぇ」


オヤジ、あんた、有り得ない事に、どうやら、本気で「出来損ない」を作っちまったらしいぜ?


己の在りどころに悩むなど、傀儡風情に在り得ぬ事。
されど、狂気的恋情が、人形の内に心と呼ぶにはおこがましくも、未形成の名前をもまだ付けられぬような「理屈」では説明できぬ何かを生んでいた。
そもそも、恋情なんてもの自体、傀儡の魂に注いだ覚えが、父親にもとんとない。

生まれ得ぬ筈の感情。

そもそも、「人でなし」に作った生き物なのだから、人を恋うる筈などない。

人でなしは 恋をしない。

なのに、今、あの出来損ないの弟は、一人狂気に苛まれ、焦燥しきった様子で佇んでいる。



楽になりたい。

そう願うのか。

死は安寧か。

ならば尚更、可哀想になぁ。

お前には神も、仏もいないのだ。

楽になんて、永遠になれない。

「死ねない…か」


末席に連なるとはいえ神ゆえに、己の不死性についての考慮等した事もなかった。
そんな、蘇鼓にとって死というものに対して、何も感情を抱く所はなく、そもそも、規格外に生き、理屈も常識も世間なぞとも無縁に生きた身の上だ。


家族などというものに対する概念とて、存在しないに等しい。


だから、この憐れみは、決して弟に向けてのものではない。
むしろ、この感情は世界で一番孤独で気の毒な出来損ないの生き物に対する不憫の情でもあった。

アリスが言った。
行かせてやれと。
だから、理の檻に閉じ込めた、可哀想な獣の首に重い鎖を巻いたまま、蘇鼓は獣を放置した。


結果が、これだ。


地獄だろう。


ぼんやり思う。

自己認識すらままならぬ精神状態で、自分の足元すら崩れ落ちるような不安の最中にいるのだろう。

壊れ果てたあの傀儡。
さて、此処から、何処へ行くというのだろう?
どうすると言うのだろう?


理解できるのは歪んだ果てに辿り着いた眩いまでに澄みきった、鵺への殺意、それだけ。


殺すのだろうか? あの娘を。

それは、更なる地獄だ。

だが、理が正常化された以上、決められた結末だ。


トリックスター。
神が決定した運命を引っ掻き回す確率変動因子。

理すら、捻じ曲げる力が、あの娘にあるというのなら…


「悲劇を喜劇に…出来るかねぇ、あの娘に」


歌うように蘇鼓は呟く。

さほど、世間は甘くない。
信じたって足掻いたって努力したってどうにもならぬ事のほうが世界には溢れている。


鬼丸・鵺


その名を胸中で呟いた。


運命を変える女。




本当に?
果たして、本当に?



「俺がまぁ、発端である事ぁ間違いねぇしな…」

そう言い訳のように呟いて、トンと友人の肩を叩く。

「もういいぜ? あんがとな」と礼を述べ、その首にしっかりと手を回せば、彼女は東京の夜を、疾走し始めた。
風に髪を嬲られながら、言い訳がましく呟いてみる。


「見届けてやらにゃなんねぇだろ…」

その呟きは風に掻き消え、余人の耳に届く事なくすんなり蘇鼓の胸のうちに落下した。




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「…あなたが、かみさま?」


あてずっぽうの問いかけであった。


ドッペルゲンガー
昔、戯れに幇禍に話したことがある。


同じ顔をした死神の話を。


頭に「死」とついてようが、死神とて神は神だ。

アリスの言う「かみさま」というのが彼の気がしてならなかった。

幇禍と全く同じ顔。


だが、鵺にしてみれば、精神世界において情報化されて表出した幇禍と同じく、一目見て彼と幇禍が違う人間であることは分かる。

(そもそも、服の趣味とか全然違うしねー)

強烈な色使いのテロッテロのシャツを着て、細身のダメージジーンズと気楽なサンダルを合わせている姿は、おいそれと神なんぞという名称で呼ぶ事が冒涜に値しそうな位、そこらにいそうな若者めいた姿をしていたが、その美貌は常人離れしていて、下品な笑い声を上げる姿を見なければ、生きている事すら疑わしいほど整っていた。


「幇禍君より、なんか、派手」


鵺がそう指摘すれば「そうか?」と、男は首を傾げ、その姿勢のまま「ご指摘の通り、俺が、あいつの神様だよ」と淡々と答える。

「そう」と、一度頷いて「じゃ、一応ね、言っておくけど、幇禍君、返してもらうね?」と鵺は宣言した

「ケケケケッ!」

けたたましい笑い声。

「お嬢ちゃん、やっぱ、やる気かい。 出来損ないの人形とはいえ、あれは神の領域の生き物だ。 もう、てめぇの手の届く範囲には無い」

そう言いながら、金色の目は、鵺を挑発するように輝き、口調はまるで唆すように意地の悪いものになる。

「前置きをするんなら、俺ぁ、今から大層つまんねぇ事を言うがな、あー、まぁ、逃げるのがいいやな。 ここも良い逃げ場所だが、ヤサは既に割れっちまってるし…」と言いつつ、鵺の手に握られた手荷物を見て、頷くと「海外でも、何処でもいいや。 あいつの目の届かない場所へ行くこった。 てめぇが逃げると決めたなら、俺もあいつを放しておく理由は無い。 とっとと、とっ捕まえて、あいつの本来の居場所に連れてってやる。 そうなりゃ、てめぇも、もう二度と、幇禍に会う事ぁない。 めでたし、めでたしっつう話だな」と言い「どうする?」と問いかけてきた。

「俺には、人間の理屈っつうのがよく分かんねぇ。 後生大事に、意地だのプライドだの、信念だのを抱えて無理して生きてる奴もいるが、俺から見りゃあ、滑稽極まりないわけよ。 特にお嬢ちゃんはまだ若ぇ。 根性なんざ、まだ、座って無くて当然だ。 ここで逃げても、誰も笑やぁしねぇよ」


蘇鼓の言葉に鵺が即座に答える。


「笑うよ」
「誰がだ?」
「鵺が」


蘇鼓は、ふっと口を噤む。


「笑うよ。 逃げた鵺を鵺自身で。 ガキだろうが、人だろうが、獣だろうが、滑稽だろうが、鵺には関係ない話だよ。 況や、神様なんか、どうでもいい」


鵺は蘇鼓相手に、静かで凄味のある笑みを見せ「鵺は 女だよ」と蘇鼓に啖呵を切って見せた。


「神様如きが、えらっそうなクチ利かないでくれる? 一世一代、こっちは掛けて覚悟決めてる。 覚悟を決めた女に向かって、四の五の洒落臭いんだよ。 君は、黙って見てればいい。 邪魔をするなら容赦はしない。 鵺が言いたいのは、これだけだよ。 聞きたい事は何もない」


純粋に驚いた顔をする蘇鼓の脇をすり抜ける。


「本当に何も聞かなくていいのか? 俺ぁ、理についてだって、てめぇに話してやれるんだぜ?」

掠れた声で問われるも、鵺は迷うことなく首を振る。


「細かい事は聞かないよ、どうでもいいし、興味ないし。 幇禍君が人じゃないなら、鵺が人にしてあげるだけの話。  ホントの意味でなれなくてもいいの。 鵺と一緒に徐々に、変わっていければ良い。 人に寄り添う心を一緒に育む事はきっとできる」

それから、魔法陣の前に立つと、一瞬振り返り、鵺は快活な笑みを浮かべた。

「あ、そだ! あとね、あとね、言い忘れてたけど…」


蘇鼓が、首を傾げる。



「ありがとう」



その姿勢のまま固まる蘇鼓に「鵺を、幇禍君に会わせてくれてありがとう。 そして、この機会もありがとう。 これで、やっと、幇禍君が素直に生きていけるかも知れないから、鵺ね、そこは感謝してる。 鵺の言葉、聞こえてるよね? 君と繋がってる、もう一人の誰かに」と、鵺は言葉を続けて、ぺこんと小さく頭を下げた

「まだ、全部は読み解けないけど、君と、君と繋がってる誰かのお陰で、鵺と幇禍君が会えた事だけは何とか分かるから…幇禍君をこの世に創り出してくれて、ありがとう」


「…あいつは、今、理の正常化によって齎された波及効果により、地獄の最中にいるぞ? それでも、てめぇは、感謝すんのか」


蘇鼓の問いかけに鵺は静かに頷いて「それは、幇禍君が経験すべき、乗り越えなきゃならない壁だから、鵺は、幇禍君がその苦しみに負けないって信じてるから、一緒に生きてく為に、鵺も同じように苦しむから、だから、やっぱり、ありがとう」と、答えると光の中に足を踏み入れる


「かみさま! 鵺、君みたいな素直じゃないタイプ、結構嫌いじゃないよ? 悪いけど今は、幇禍君で手一杯だから、また今度遊んでね?」


ひらりと軽やかに手を振って、光の中に消え失せた、鵺を瞠目しながら見送ると、蘇鼓は溜息混じりに「なんて、女だ」と吐き捨てた

「な? うちの言うた通りやろ?」

背後でする声に振り返れば階段に腰掛けたアリスが手を振っている。


「うちに会いにきてくれたん?」

アリスの言葉に頷いて「ここの入り口が開いてる気配がしたもんだからよ…。 幇禍側は理に組み込む際に精神を接続したもんで、どうなってんのか経緯は分かってたんだが、あの嬢ちゃんが、どんな具合か気になってな…てめぇなら、全部分かってんだろうと思って来た」と蘇鼓は言い、「でも、まぁ、もう、聞く事は何もねぇよ」と呆れた声で呟く。

「あいつ、馬鹿だろ?」

そう問う蘇鼓に頷いて「大馬鹿者さ。 見事なもんやろ?」とアリスは笑う。

「あんな子魔女連中の中にだっていやしない。 怖いもんがないわけやないんや。 持ってる力やって、不安定で、あんたやうちにかかれば、あの命呆気なく散らす事も可能やろう。 その上、人間なんぞになりたい言うて、大事なもん守ろうとして、益々、自分の弱点増やしとる。 あの子、死ぬよ」

アリスは淡々とした声で言う。

「今のままやったら、死ぬ。 万が一も有り得へん。 あの幇禍いう傀儡、『殺す』という技量に関しちゃ他の追随を許さへん。 遊びがない分、あんたよか、殺しの腕前は上やし、鵺に至っては、幇禍がその気になりゃあ、目の前に立った瞬間、事切れる事になる」

階段の真ん中に座ったまま、アリスはそう断言し「なぁ? おもろいやろ」と蘇鼓に言った。

「鵺は、そんな事、全部承知の上で、それでも行ったで? 一人きりで。 たかだか、妖怪人格を少々使える位のあの子が、神のあんたや、大魔女のうちと堂々と渡り合い、取引して、世界の理に歯向かおうとしとる。 惚れ惚れする。 度胸に。 生き様に。 心意気に。 向こう見ずの大馬鹿者やけど、あれは、大したもんや。 ああ、大したもんや」


まるで、荒野を行くような、そんな眼差しをしていた。
闇を裂き、光を殺す、獣の目。
紅い宝石の如き眼差し。


あの女に惚れた弟は、随分と女の趣味が良い。
それだけは、認めずにはいられなかった。


「イイ女だ」

蘇鼓がニッと笑って言えば「フン」と、アリスは鼻を鳴らし、「まぁ、そこら辺はこれからの出来事を見届けてから判断するかね」と呟く。


「さぁて、んじゃ、俺の用はなくなった。 帰るとすっか」と踵を返しかける蘇鼓を「ちょい、待ちぃな」とアリスが引き止める。
「まぁ、そう言わんと、茶ぁでもしばいてってぇよ。 うちが淹れたる」と言いながら先に立って歩き出したアリスが、少し振り返り、ぽつんと「寂しい言われてしもうた」と、蘇鼓に言った。

「寂しい?」

「うちの事や。 鵺と、うちの違いやとさ。 寂しい…ね。 確かに、この生き様は、寂しいもんかも知れへんね」
アリスの声音に、一度瞬いて蘇鼓はガシガシと頭を掻いて、それからトントントンと軽く階段を登り、アリスを追う。

「だから、茶でも一緒に飲もうってか?」
「ああ。 まぁ、そん位は付き合うてや、神様」

アリスの軽口に、あふっと一度欠伸をして「いいぜ? 魔女の淹れた茶なんか、滅多と飲めやしねぇしな」と答えると「ケケケッ」と笑い、「それがてめぇの決めた道だ。 寂しさすらも、道連れに行くしかねぇだろう」と蘇鼓は言う。

アリスは横目で蘇鼓を見ると「ま、そやな」と頷いて「神様は、寂しい時はあらへんの?」と聞いてきた。


「寂しいと、思う時はあらへんの?」
「ねぇな」


きっぱりと、蘇鼓は言う。

「人の範疇に俺はねぇ。 それに…」

そう言いながら、きょろきょろとあたりを見回して「あ」と口をあけ「ちと、待て!」とアリスに手を翳すと、蘇鼓は慌てて階段を駆け下りる。
ロビーの片隅にて、鵺に踏まれまくってダウンしていた幼馴染を拾い上げ「悪ぃ! 本気の意味で忘れ果てていた! 脳の片隅にすら、お前が存在してなかった!」と、身も蓋も下手すると中身すらない言葉で侘びつつ、肩に乗せ、ポカポカと小さな手で、抗議の意味を込めまくって肩を叩かれながら、蘇鼓はアリスの隣に戻ってくる。


「いちおー、こういう、ダチもいるし」と指し示せば、アリスは目を見開いて、その変わった幼馴染を凝視すると、それから「くっ…くくくっ…」と肩を震わせ、堪えきれぬように笑い声を漏らしてみせた。

「そら、あんた、寂しかないわ。 あんたみたいなんが、そんな殊勝な気持ちになるわけあらへん」

聞きようによっては、大層失礼な台詞を朗らかに口にして、それから「んじゃ、折角やし、その奇妙な幼馴染との馴れ初めなんかも聞かせてもらおうかね」とアリスが澄ました顔で蘇鼓に言う。
「いいぜ? そんかし、茶だけじゃなくて、とびきり美味い茶菓子も出せよ?」と蘇鼓は神様らしからぬ吝嗇なとこを見せれば、「了解」とアリスは答え、魔女と神様というとんでもない組み合わせの二人は並んで階段を登り続けた。





〜to be continue〜