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『ティータイムの前に』
「とにかく、ゴールすればいい、って事ですか?お姉さま」
小首を傾げるティレイラに、シリューナ・リュクテイアはおもむろに頷いて見せた。
「そう。お菓子の国でアスレチック。ちょっと楽しい修行だと思うけど」
「た、確かに…」
平日の午後。もてあましていた暇を潰すべく精製した魔法の本を前に、だが、ティレイラはうーん、と考え込んでいる。得意なはずの運動系にもかかわらず、ティレイラが尻込みする理由は分かっていたが、そんな事はおくびにも出さずに最後のひと押しをする。
「そうそう、今回はご褒美も出ます。ゴールまで辿り着いたら、これはティレのもの」
目の前に置かれた皿に、ティレイラの表情がぱっと輝いたのは予想通り。皿の上に鎮座していたのは、近所で大人気のケーキ店で購入した特製イチゴショートだ。大きくはないがしっとりとした生クリームはきめ細かくふんわり軽そうで、乗っているイチゴはつやつや。午前中には売り切れる幻の逸品なのだ。案の定、ケーキに釘づけになっているティレイラを見て、シリューナは密かに笑みを漏らした。
「…どうする?」
「やります!」
即答だった。
「よろしい。では、準備は良い?」
薄く微笑むと、ティレイラはやる気満々の顔で頷いた。
「行ってらっしゃい」
次の瞬間、ティレイラの姿は書斎から消えていた。
「わあっ、本当に全部お菓子です!これ、全部食べられるんですか?お姉さま」
歓声をあげるティレイラに、シリューナはもちろん、と目を細めた。本の中の愛弟子の姿が水晶玉の中に映し出されている。感度は良好だ。
「勿論。お菓子の国って言ったでしょう?」
今、ティレイラが立っているのは小高い丘を見上げる木の下だ。木の幹はダークチョコ。葉っぱはミルクチョコ。
「そこから大きなショートケーキが見える?その上に、空に向かって伸びてる梯子も」
ティレイラが頷く。
「あれが、ゴール。梯子を昇れば戻れます。じゃあ、スタート!」
コーンフレークで出来た葉っぱを踏みしめ、ティレイラが駆け出す。そよぐ風に嬉しそうな顔をしているところを見ると、風も甘い香りに満ちているのだろう。何と言ってもお菓子の国だ。橋も道も木も、何もかもが美味しそうな香りを漂わせている。だが、ただのお菓子の国ではない。あんまり無防備に駆けていると…。
「わっ!」
目を丸くするティレイラに、シリューナはくすりと笑った。丘の上から巨大な飴玉の群れが転がってきたのだ。とは言え、これは序の口。ティレイラの運動能力からすればこの程度は余裕だ。すぐさま跳んで最初の飴玉を避け、次々転がって来る飴玉の上を飛び移りながら上ってゆく。
「お姉さま!」
跳びながら、ティレイラが叫んだ。
「なに?」
「これって、潰されちゃったりしたらやっぱり…」
「当たり。潰されると、そのまま飴のオブジェになります」
これまで何度もこの手に引っかかってきたか分からないだけあって、師匠の趣味はちゃんと理解しているようだ。
「やっぱり〜っ!!」
と言いつつも足を止めず、無事飴玉の丘をクリアした愛弟子に、シリューナはふむ、と頷いた。ティレ飴が見られなかったのはちょっと残念だが、師匠としてはこのくらいはクリアしてもらわなければ日頃の鍛練がむなしい。見ると、ティレイラはすでに次のゾーン、水飴の吊り橋に差し掛かっていた。ぐらぐら揺れる橋の板はクッキー。それを支える綱は…。
「お姉さま、これ、水飴です!」
その通り。一度体重をかけたが最後、駆け抜けなければあっという間に落ちてしまうのだ。ティレイラは落ち始めた橋をダッシュで駆け抜ける。よろけて綱を掴もうとしたティレイラが、何故か慌てて手を引っ込めるのを見て、シリューナはにんまりと笑った。この綱、触ったら最後、体に巻きついて触れた人間を飴のオブジェにしてくれるのだ。さっきの飴玉との違いは、オブジェになった場合の輝きだろうか。無色透明の水飴だから、きっと氷の彫像のようになるに違いないのだが、これは本能で回避したらしい。
「飴はダメ、か・・・」
シリューナの呟きは、次のゼリーゾーンに差しかかったティレイラの耳には届かなかったらしい。柔らかフルフルゼリーの上を、大きな丸い砂糖菓子を転がしながら進むティレイラの表情は真剣そのもので、それはそれで愛らしい。無論、このゼリーもただのゼリーではない。落ちれば瞬く間に、涼しさいっぱいティレゼリーの出来上がりだ。だが、ティレイラは見事にここもクリアし、続く飛び石ゾーンに入った。敷き詰められたビーンズの中をクッキーの飛び石で渡るのだ。
「お姉さま!」
「なに?」
「ビーンズに落ちたら、やっぱり…」
「ティレビーンズの出来上がり。なかなか美味しそうでしょう?」
本気とも冗談ともつかない口調に、ティレイラがぶるっと身を震わせる。だが、ここを抜ければ最後のショートケーキだ。
「よしっ、頑張りますっ!」
笑顔はもちろんだが、こうして常に精一杯頑張るところもティレイラの魅力の一つだ。シリューナが見守る中、ティレイラはぴょん、ぴょん、と慎重にクッキーを渡っていく。そう、慎重さは大切だ。魔法修行では勿論のこと、こうした場面でも。だが…。
「きゃああああっ」
そう。いくら慎重にしても、避けられない不幸というのはあるのだ。着地した途端にスパークリングティーが噴き上がり、ティレイラがクッキーもろとも空に舞い上がる。こんな時重要になってくるのが・・・
「えいっ!」
吹き飛ばされながらも体勢を整え、ひらりと元のクッキーに舞い降りたティレイラを見て、シリューナは頷いた。
「そう。大事なのは、リカバリー能力。ここまでは合格」
めげずに次の飛び石にジャンプするティレイラの顔はいきいきとしていて、急なハプニングにも萎えた様子はない。
「ひゃあああっ」
今度はサイダーが噴き上がり、髪をなびかせ体を反転させたティレイラの背後に虹がかかる。数個おきに仕掛けられた間欠泉トラップを全て踏みつつも、ようやく最後の飛び石に降りたティレイラは、それがバネになっている事に気づくと勢いよく飛びあがり、ケーキの上に見事に着地した。正確には、ケーキに乗ったイチゴだが。下から見た時には分からなかっただろうが、ケーキはシリューナが用意したのと同じイチゴショートそっくりのホールケーキで、違うところと言えばイチゴの周囲に配置された砂糖菓子の小人たちと、中央に配置された超特大イチゴくらいだろう。特大イチゴの周りには、誕生日よろしく火のついていない蝋燭まで立っている。
「美味しそう…」
途端に漂ったであろう生クリームとイチゴの香りにティレイラがうっとりと眼を閉じる。
「これ、食べられるんですか?」
「当然。でも、今食べたらお腹いっぱいになっちゃうと思うけど?」
別に意地悪でもなく言うと、ティレイラはそうか、と気を取り直して上を見上げた。目指すは真ん中、超特大イチゴの真上にある天の梯子だ。梯子はすべてクッキーで出来ており、吊橋のように掴んだ途端に落ちてきたりはしない。だが、下は一面の生クリームで足場は悪い。ティレイラは思案した後、イチゴの上を飛ぶと決めたようだ。イチゴは中央の特大イチゴから曲線を描きつつ放射状に配置されている。
「よーし!あと少し!」
イチゴからイチゴへ勢いよく飛び移ろうとするティレイラを、動きだした砂糖菓子の小人たちが掴もうと手を伸ばす。小人に掴まれれば即、砂糖菓子にされてしまう仕掛けだ。甘くて可愛い砂糖菓子は、ティレイラによく似合うかもしれないと、シリューナは少し期待を込めて見守ったが、ティレイラも負けてはいない。うまく空中で身を翻しながら着々とケーキの中心に近づいていく。小人たちも一緒に跳ねながら邪魔をする様はまるでじゃれているようにすら見えるほどに、ティレイラの身は軽い。そしてとうとう、最後の巨大イチゴを前にしたティレイラは、思い切り勢いをつけて跳び、巨大なイチゴに・・・。
「あれ?」
着地しようとした足がスカッと空を切り、ティレイラが目を見開く。イチゴがあったはずの場所には何も無く、目の前にいきなり現れたのは、真っ黒、いや、茶色の大きな池だった。
「これは・・・チョコ・・・?」
呟いて、嫌な予感が胸を過ぎったのだろう。辺りを見回すティレイラに、シリューナは深い溜息をついた。いかにも梯子に飛び移る足場になりそうな特大イチゴは単なる映像。よく見れば気付くはずだったのだが。
「はい、チョコエッグにようこそ。もうすぐ美味しいティレチョコが出来ます」
と言っている間にもティレイラの体はみるみるうちにチョコに変わって行き、周囲にはするするとチョコのドームが形成されてゆく。
「まったく、こんな見え見えのトラップにかかるなんて」
「あと少しなのに〜!」
悔しがるティレイラの声も、チョコの壁の向うに消えてゆく。チョコエッグがすっかり完成したのを見届けて、シリューナはそっと本に手を差し入れた。
「惜しかったと言うべきか、期待通りと言うべきか、迷う所かしら」
取り出した大きなチョコエッグのてっぺんをコツン、とつつく。ぱらぱらときれいに割れた殻の中から出てきたオブジェに、シリューナは思わず目を細めた。こんな可愛らしいチョコレートは、この世に二つとないだろう。つやつやのティレチョコは、ぺたんと座りこんだまま、半泣きで両手をぎゅっと握りしめている。酷いですぅ、などと言う声が今にも聞こえてきそうだ。
「大丈夫、後でちゃんと戻してあげるから」
それに、課題のクリアは出来なかったけれど、こんな可愛いオブジェが見られたのだ。ショートケーキはあげても良いだろう。ケーキにはお茶。確か、この間友人に美味しい紅茶を貰ったはず、と立ち上がったシリューナは、ゆっくりとヤカンに水を入れて火にかけた。お湯がわくまであと少し、この愛らしいティレチョコを、じっくり堪能させてもらうとしよう。
<終わり>
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