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<東京怪談・PCゲームノベル>


終わりの侯爵〜Cardinal Cross W〜


【とある場所】

 「―――失態続きじゃのぅ?」
 美しい細工の施された扇子がパチリと畳まれる。
「申し訳御座いません」
 跪き、頭を垂れたまま言葉の主に恭しく許しを請う。
「そろそろ何か成果の一つも見せて貰わねばの」
 また、パチリと。
 静かながらも一音一音が鋭い刃の様に体に突き刺さる。
 言い訳は無用。
 結果を出せ。
 主の望みはそれに尽きる。
「ルシアスを 復活させた。 この言葉以外聞きとぉないぞ。ライカン」
「御意、我が主よ」

『―――そろそろ…僕が手を貸そうか?カサンドラ』

 声のした方へ視線を向ける伯爵。
 気安く呼ぶでないと眉間に皺を寄せた。
『まぁまぁ、怒らないで。こないだだってナイトメアを貸してあげただろう?』
 協力する意志はあるのだよ、そう手振りを加えて話す男。
『爵位は順についているけれど、公以外の四人は生まれた順程度で力量に大差はない。例え君の上の爵位であっても、従う必要もないんだし?気に入らないのはわかっているから、今はとりあえず気を治めたまえよ』
 言う事がいちいち癪に触る。
「ふん わざとらしい……で?おぬしもトーラスもデュナミスも…事態を傍観するだけではなかったのか?」
 何故急に手を貸すなどと言い出すのか。
 カサンドラが知りたいのはそこだった。
 笑みが濃くなる。
 先ほどの軽い笑いではなく、残忍とも言える黒い笑み。
『見て みたいんだよ』


この世の次の世界を。


【某所―教会】

 『ニュクスが捕らえられた』
 その話を聞いて以来、リージェスはどこか上の空で、度々思いつめたような顔をしている。
 これまでの事を考えると無理もない。
 しかし会わせるわけにもいかず、どうしたものか悩んでいた。
 そんな折、教会とIO2からそれぞれ指示書が送られてきた。
「……遂に、動き出しましたか…」
 伯爵の計画をどうにかかわしてきたが、手持ちのカードは残り少ない。
 あちらはまだ見せていないカードがどれほどあるのかすらも検討がつかない中、予想通り事は悪い方向へ向かっていた。
「リージェス」
「! ミハエル神父様……何か?」
 彼の様子に異変を感じ取るリージェス。
「今、教会とIO2から通達があった。すぐにでも人員を召集してほしい」
 ミハエルはいつになく真剣な面持ちでゆっくりと彼女に告げる。
「都内各所で、次々に能力者が狩られている。異能者は勿論の事、特殊な力のある怪異や魔女、魔物が殺されている。恐らく伯爵たちの仕業と思われる…」
 手遅れになる前に、戦える者をいますぐに。
 ミハエルに言われ、リージェスは慌てて知己に連絡をとりに急ぐ。

「…一気に片をつけるつもりか……?」
 窓の外を見やれば、今にも降り出しそうな暗雲が立ち込めていた。
 まるで今の心の乱れを映すかのように。


【とある場所】
 『あ〜ぁ、頭が痛くなっちまぁな』
 部屋中に施された術式がニュクスの力を封じ込めていた。
 万が一にも術式が展開され、魔力を放出しようものなら即座に雁字搦めに拘束される腕輪と足輪をはめられ、首には部屋から抜け出そうとした瞬間首をはねるようようプログラムされた首輪までつけられている。
 聖なる力が隅々まで行き通った空間で、実に息苦しい。
 そんな完璧ともいえる状態であるにも拘らず、IO2や教会関係者が絶えず自分を監視している。
 たかが魔術師一人にそこまでするのかと、呆れて笑うしかなかった。
 こんな状況でも笑う余裕があるのか、監視する者たちはそんなニュクスの様子に表情が強張っていた。
『―――もうそろそろか…』
 そろそろ痺れを切らした伯爵が動き出す。
 そして、暗躍していた者たちが動き出す。

『誰が出し抜けるか…見ものだぜこりゃあ』

 カードは配られた。
 手の内を悟られず、カードを揃え、誰が宣言するだろう。



 一つの世界の行く末を決める


 運命のコールを


================================================================



  能力者や魔物、魔女、怪異を片っ端から狩っているという状況にも関わらず、外は一見して穏やかで、そんな剣呑なことになっているとは思えない。
 しかしそれは確実に起こっている。
 勘の鋭い者ならば、今この時、都内から移動したくて堪らないはずだ。
「…サイレンが…」
 窓の外を見やり、リージェスがポツリと呟く。
「都内の救急及びレスキューはかなり混乱しているようです。今しがた、IO2と本部から通達がありました」
 ミハエルが暗い面持ちで現状報告を始める。
 大規模に建造物が破壊されるといった現象が起こっているわけではないが、次々に人が年齢問わず昏倒して、その後死亡しているという情報が上がってきている。
 伊葉の指示で報道幹線は抑えてあるものの、状況は好転する要素がないだけにいつまで抑えておけるかも定かではない。
 死亡事故は日常茶飯事とはいえ、その死に方が奇怪ゆえにその方面の対策課が動き出している。
 だが、そんな彼らから餌食になってしまう可能性も否定できない。
「頭と胃が痛むね」
 こんな時こそ都知事である伊葉勇輔(いは・ゆうすけ)は都庁にいなければならない筈なのだが、伊葉もこの案件に絡んでいるがゆえに、ひっきりなしになり続ける電話を持ちながらこの場にいた。
「パニックになる前になんとかしないと…」
「連中がいつまでもこんな攻め方でいる筈がないですしね」
 無差別に騒ぎを起こされた時点で既に負けていると、隠岐智恵美(おき・ちえみ)居た堪れない思いで表情が歪む。
 智恵美のサポートできた田中裕介(たかな・ゆうすけ)もいつになく深刻な面持ちで呟いた。
「目的は凡そ分かっていますが…全てを明かしたとは思えませんし…」
 伯の目的はルシアスの復活。だとすれば、死霊使いの力で集めた魂を復活の代償とするはず。
 動くとするなら、今まで通り死霊使い。けれど死霊使い以外に前衛が必要となるはず。
 他の爵位持ちがどう出てくるか。
 不明瞭な点が多過ぎて動くに動けない状況だが、このまま犠牲者が増えていくのを黙って見過ごせない。
 遅らせる事が出来たなら、止める事が出来たなら。
 自分は非力で前線に立って如何こうできる力はないが、魔女には魔女の戦い方がある。
 樋口真帆(ひぐち・まほ)は己に出来うる全てをかけて挑もうと決意を固める。
「戦いの準備は概ね整いました。頃合を見計らって事件が起きている都心部へ向かいましょう」
 天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)は準備してきた御神刀を手にする撫子の表情は、普段の静かでおしとやかな風もあるが、それゆえに美しく近寄りがたい空気を醸し出している。
 龍晶眼によって先見の精度も上げましたものの、中心部からここまで遠いと僅かに不明瞭な点もある。
 だが最強の応援要請もしてある。
 自分が感じ取る範囲で抜かりは、ない。

  時を同じくして、都内での不穏な動きの気配を感じた榊船亜真知(さかきぶね・あまち)は表向きの間柄は従姉である撫子に経緯を聞き、都内全域に探査結界を敷き、結界内における全行動をトレースしている最中であった。
 すぐさま捕捉した高次生命の存在は確かに、人の手には余る強大さであった。
「――今は情報収集を優先させましょう」
 まだ自分が動く時ではない。
 今回、人の身では情報収集に手間取るだろう事は明白。
 ならば人ならざる己が及ばずながら助力しよう。
 亜真知は居候先の天薙神社の境内から意識を集中させた。




 「やれやれ、紅一点とは姫気質というか女王様気質と言うか…ライカンも大変だろうね?」
 赤黒い血にまみれた手のうちに、淡く青白く光る珠のような、炎のようなそれは目の前に転がる肉塊と化したものの中身を模っていたもの。魂と呼ばれるエネルギーの塊。
 手の内にある光が何処かに吸い込まれるように掻き消えた後、手を染めていた赤も見る間に皮膚に吸収されていく。
「侯」
 背後に潜む死霊使いの声に、皆まで言うなと視線を向ける。
「さてと、我ら不死者の糧の身でありながら、なおも抗おうとする可哀想な子羊たちと遊んであげようか。食えたものではない者も混じってはいるがねェ」
 都内全域の動向をつぶさに観察する亜真知の『眼』は、そんな彼らの存在を確かに認識した。




 「―――ああそうだ、そのように手配してくれ」
 関係各所へ通達を済ませる伊葉。
 すると時間の経過と共に何やら外が慌しくなってきた。
「ミスター伊葉、いったい何を?」
 怪訝そうに尋ねるミハエルに伊葉は苦笑しつつ指示した内容を告げる。
 都内全域を非常封鎖する様、警察、自衛隊、防災、そしてIO2に協力を求め、表向きは都心に不発弾が大量に発見された、撤去作業の為と都民に避難させるよう手配したという。
 都知事の権限の限界はとうに越えている。
 しかしやむをえないこの状況ゆえ、事をスムーズに運ぶ為にIO2が裏から最大限手を回している。
 まるで映画のような展開にくらくらしつつも、真帆はサポートする上で色々と準備が必要と、教会の一室を貸して欲しいとミハエルに頼む。
 確かめなければならない事があるから。
 今この場で自分がしようとしている事を全て明かすわけにはいかない。
 聞かせてはいけないと思われるリージェスもいれば、明らかに皆と別の思惑で動こうとしている智恵美や、爵位持ちと死霊使いとの戦いに意識を向けている人達に対してきっと、自分がしようとしていることは動揺を誘ってしまうから。
「…それでもやるしかないの…」
 どうしても直接聞かなければ。
 直接会って確かめねば。

 ニュクスの…


 
 夢の中へ




  続々と人々が郊外へ向かっていく。
 主要幹線道路及び公共の移動手段は全て超満員。
 ゴールデンウィークや夏休みごろのラッシュ以上の騒ぎとなる。
 そしてかなり時間はかかったが、都心部に人の気配は殆どなくなった。
 あるのは、組織の者や人の理に縛られない異形の者たち、そして、さらさら従う気もないアウトローの異能者の気配だけ。
 そこにあるのは東京という名の一時的なゴーストタウン。
「…常にある雑多な気配が消えると、視界を妨げるものが何もないですわね」
 昼夜構わずどこにでも人が必ずいる空間に、今は人っ子一人いない。
 本来の役目通りに動く信号の点滅が、誰もいない空間を強調している。
 異能者でなくとも人それぞれが持つ『気配』
 人が多く集まる場所では特定の気配を探すのは困難を極めるほど、人の存在感は強いものである。
 今はその気配がとても遠い。
 それゆえ、自分たち以外に残った異能者や異形の者たちの気配が手に取るようにわかる。
 これならば龍晶眼による先見の精度も格段に上がるというもの。
 撫子は都市部をトレースする亜真知の動きを待ちながら、先見を続ける。
 そこに立ちはだかる未来を。
 僅かな可能性を。
 先が読めるからといって『それ』を未然に防ぐ事はできない。否、変えられる未来しか変えられない。
 世の理。神の理。神格を持つ身だからこそ痛いほど分かっている事。
 神ですら、万能ではないのだから。
「そういえば、隠岐女史はどこまで行ったのかね?」
 伊葉が裕介を振り返ると、彼はカードを切りつつ微苦笑する。
「正確にはこちらも…ただ、後手に回らないよう下準備をしに行った事だけは確かですよ」
「樋口さんも準備が完了次第、ミハエル神父様が連れてきてくださるそうです」
 リージェスが皆に伝える。
 人畜無害で俗世の細かい事に興味なさそうに見えるが、あれでも体術や防御系の方術には優れているという。
 ついでに愛車はごつい四駆と1000ccクラスの単車というから皆驚いた。
「だが実質…」
 伊葉が呟きかけたその時。上空に現れた二つの禍々しい気配。
「何?この程度?舐められたものだね」
 それに続く声は見覚えのある、聞き覚えのある存在のもの。
「観客のいないショータイム、やる気が出なければスミマセンねぇ」
 喉の奥で笑う姿があまりにも腹立たしい。
 ヤケクソとばかりに伊葉は遮られた言葉を続ける。


「この面子だけであいつ等と対峙せねばならんということだ」




  夢は無限。夢は夢幻。
 その境界線はひどくあやふやで、よほどの事がない限り夢に入れないという事はない。
 だが、夢から出られなくなるという事だけは多々ある為、夢見の魔女である自分とて細心の注意を払わねばならない。
 夢はその夢を見ている主の力が全て。
 ナイトメアに支配されたとしても、支配する為の源となる夢が必要不可欠。
 あれらは自ら夢を作り出す事は出来ない。
 元からある物を増幅し、好き勝手に弄る事しか出来ないのだから。
「―――あらゆる術式で空間を歪める事もできないって話だけど…」
 夢を封じる事までは出来ないはず。
 夢へ、夜の名を持つ男の夢へ。


『…おや、誰かと思えば』


 暗闇が支配する空間。
 その中にポツンと、拘束具をつけて椅子に腰掛けた男の姿だけが浮かび上がる。
「ニュクス―――貴方に聞きたい事があって来ました」
 キィ、キィと椅子を揺らす音。
 それと共に聞こえる引き笑い。
『いいだろう、テンプレな質問をしに来たんじゃなさそうだしなぁ?』
 他の仲間と違う事を考えてるのだろう?そう問いかけてくる。
 そうだ。夢に囚われた彼を見ているからこそ、真実は、本質は違うところにある気がしてならない。
 彼は『帰りたいだけ』と言っていた。
 自分が在るべき世界へ。
 同じでありながら同じでない世界へ。
 こことは別の平行世界へ。
 界鏡現象の輪から抜け出したいと、そう言っていたのだから。
「…ルシアスは復活させていいものなのか…それを知りたい…」
 公爵としての不死者はどういうものなのか。
 先の戦いで自滅したものの、一矢報いたのは異教の神ただ一人。
 能力者たちは実質傷一つつけられなかった。
 それほどの力の持ち主を果たして復活させてよいものなのだろうか?
 既にその為に流された血は数限りなく、とても赦せるものではない。
『――お嬢チャン、てめぇが納得できる理由が常に用意されてると思ったら』
「大間違いなのはわかっています!―――ただ…私は『魔女』だから……」
 異形の者という理由だけで滅してしまうことなど出来ない。
 己の存在すら否定してしまう事になるから。
 自分がどちらに動く事になってもいい。どちらに天秤を傾けるべきか、選ぶ為の選択肢がほしい。
 少しでもいい。判断材料がほしい。
「私はまだ探求者としてはあまりにも未熟で…護る事しか、支える事しか出来ないから…せめて…」
『真実を掴まなければ―――…そう、言うんだな?』
 真帆はニュクスを見つめたままゆっくりと頷く。
 恐らく、皆が考えている事の大半は外れているだろう。
 リージェスに残された魔力は欠片程度。
 脆弱な魔物と同レベル程度の力しか残されていない。
 それを利用して何の得があるのか、はっきり言って思いつかない。
 そして彼、ニュクスに関してもそうだ。
『ご名答、俺はとうに切り離された存在。爵位持ちや死霊使いにとって、もはや利用価値なんざありゃしないのさ』
 高等な吸血鬼はそのプライドも山のように高い。
 友として付き合ってきたルシアスでさえ、そのプライドは高く、ゆえに隙が多い。
 絶対の自信が今回の事態を招いたと言えよう。
『ま、こっちだってもうめんどくさくて手を貸すなんざゴメンだがね』
 IO2と教会の監視の中、今後はこの知識を搾り取られる事だろう。
 いい加減生きるのにも飽きてきたが、モルモットだけは御免被りたい。
「だから、聞きに来たんです」
『結論だけ言や、無害とは言えねェ』
「…吸血鬼ですもんね」
 吸血鬼の糧は人間の血と精気。
「…ただ、復活すれば…こんな大規模な殺戮行為はなくなる」
『そのとおりだ。非童貞非処女の血や精気を頂いたところで奴らは食人鬼を量産したりはしない。倍倍ゲームで糧すらなくなることぐらい自明の理だ』
 奴らとてそれは重々承知している。
 毎日大量の『食事』を必要とするわけではない。
 毎日である必要すらない。
 しかも高等な吸血鬼は触れるだけ、あるいは手をかざすだけで精気を奪い取る。
 『感染』すら己の意思で操る事が出来る。
 だがアンデッド最強の存在ゆえか、その子孫を残す能力は低い者が多い。
 反面、人はその無力さ短命さゆえに爆発的な速度で増殖し続けている。
「今一時の大量殺戮を見過ごし、公爵を復活させるまで傍観するのが、一番犠牲が少なくて済む…そういうことなんですね…?」
『奴らの思考回路から算出すれば、の話だがな。それに、たとえルシアスの野郎が復活したとしても他の爵位持ちと徒党を組んでその力を奮うなんてことはありえねえしな。アレも同族ってだけで多少関わりはあるものの、自ら進んで関わろうとはしてねぇ』
 ニュクスの口から出た言葉に真帆は唖然とする。
 公爵とは爵位持ちの頂点ではないのか。
 率いる立場ではないのか。
「それは…どういう…」
『飽きたんだよ。群れることに。力を奮うことに』
 今現在の不自由さからの脱却は望んでいる。
 しかし、だからと言って復活に協力している連中と馴れ合う気はない。
『それに爵位持ちの中でルシアスの復活を真に望んでいるのは伯爵…あの女だけだぜ。他の連中は別にいてもいなくてもいいって雰囲気だな』
 強い雄を求める雌のように。
 だからこそ、そのプライドの高さゆえに、自分が求めた男の堕ちた様が許せない。
「…望んでいるのはただ一人…それに手を貸す者の理由は…」
 永遠に等しい時を生きるものの感覚は特殊で、人が理解しえるものではない。
 ゆえに、ここは想像するしかないが、恐らく彼らは何でもいいから退屈を紛らわしたいのだろう。
 だがナイトメア――わざわざ寄生させた意味が分からない。あんな事をしては弱まる一方だ。
 ゆえにあれは伯爵の子飼いではなく、他の爵位持ちの子飼いである可能性が高い。そう考えるとただ協力しているわけではなさそうに思える。
「そして…今…」
 考え呟く真帆にニュクスはにんまりと微笑む。
「不自由からの脱却は望むものの、彼らに貸しを作ることは気が進まない…当人を差し置いて事を進める三つの存在………今行われてる行為以外で、最も流す血が少なくて済む方法って……」
 わかってしまった。気づいてしまった。
 あれほど皆が必至で守り通したもの。
 だけどそれを実行する事はあの苦労を、あの時頑張った皆の努力を無にする事。
『…それだけわかりゃ十分だろ。…そろそろ戻りなお嬢チャン…帰れなくなるぜ?』
「帰れなくなる?どういうことですか??」
 ニュクスが椅子から立ち上がり、目の前に境界線を引く。ここから先へ来るなと。
『お仲間のシスターが何か仕掛けてやがる。恐らくトラップだ。術式が完成する前に夢から出ねぇと抜け出せなくなっちまうぜ?』
 次元時空の領域とは更に異なる夢の、精神の狭間まで視野に入れて縛れる人間がいるとは、ニュクスですら夢に侵入はできても縛る事は出来ないのに。
 どこまで人は『人』を捨てられるのだろうか。人を捨てた魔術師は苦笑する。
「シスター…」
 仲間内でシスターと言えば智恵美しかいない。
 結界術や魔方陣の構築、展開に長けている事だけわかっているが、その使い方の幅は全く読めない。
 人を食った人だと思う。不思議な空気を纏った人。
 その権限の強さも計り知れない。
 小耳挟んだのはIO2と教会、それぞれで重要な地位にいること。
 ミハエルよりも二つの巨大組織の橋渡し役としての役目が強いように思える。
「……でも、術式を展開させた本人がそれを解けないなんて事はないですよね?」
 時間がない。
 ここは罠に嵌ってでも智恵美に直接掛け合うしかない。
『無茶するねぇ、だが嫌いじゃあないぜ』
 真帆は意を決してニュクスが引いた境界線を、越えた。




 「無限の可能性を秘めているのにちょっとした事ですぐ宝石から石コロに変わる…人間って面白いよね」
 人の身でありながら神にも近づける。神にもなりうる。
 だが人は人として抗い続けているからこそ、そのもがいた魂は至高の輝きを放ち、その精気も極上の物となる。
 人の身を捨てれば確かに魂の価値はあがる。しかし、糧として食えたものではなくなってしまう。
「―――…かろうじて食えそうなのは一人…やれやれ…人は人として生きているから美しいのに」
「吸血鬼に人の何たるかを語ってほしくないものだね」
 圧倒的な気配がビリビリと、痛いほど肌に伝わってくる。
 脂汗を滲ませながらも伊葉は目を逸らさない。
 蛇に睨まれ竦んだ蛙のような、実に嫌な気分だ。
「まったく…陽光の中平然と現れるとは、既に吸血鬼の概念なんてないも同然ですね」
 占う間もなく、唐突に現れた敵に裕介は溜息混じりに呟き神器である大鎌を構える。まだ、その力は隠したまま。
 この場に来るまでにある程度準備はしていたが、敵も先を読むのか、なかなか思い通りになる事ばかりではなかった。
 後は智恵美や亜真知の出方に頼るのみとなってしまった。
 だがこの面子の中では恐らくあの二人が最強。ゆえに自分たちは彼女らの準備が整うまで時間を稼ぐのみ。
「ふむ、二人では不利かなぁ?ライカン」
 まったくそんな気もない言葉を死霊使いに投げかける吸血鬼。
 その問いに同じくわざとらしい口調で、では助っ人を呼びましょうかとのたまう。
「では僕の可愛いペットも参加させるよ。一緒遊んでおくれ?」
 にこやかに掌を上に向けると、そこから濡羽色に炎のような瞳をした馬が、ナイトメアが現れた。
「夢魔は貴様の子飼いだったのか!!」
 白虎の神威を纏い、雷光の速さを得た伊葉が先陣を切った。
「おっと、ラスボスの前に戦うのは中ボスと相場は決まっておりましょう?」
 金剛石の硬さを持った伊葉の拳が死霊使いの鎌で止められ、ぎりぎりと嫌な音を立てる。
 死霊使いと速さが互角となれば、あの吸血鬼はいったいどれほどのものか想像も出来ない。
「ドーピングしていますから」
 呪術はお手の物。その上、今は彼の方の恩恵をこの身に受けている。
「でもライカンも元々は人だからねぇ。そんなに長くはもたないんだよね」
 困った困った、とわざとらしい身振りをしている最中、裕介が侯爵に迫る。
「!」
「―――滅べ。魂の一欠も残さず」
 斬りかかる刹那、その力を解放した神器≪Baptme du sang≫が強大な神気と妖気を放出する。
 この世界に存在しないはずの力。
「逃しません」
 いつの間にか無数に張り巡らされた撫子の妖斬鋼糸が退路を断つ。


 中空に、何かが飛び散った。




 『ほれ、今マーキングされた』
「え?ど、どこに??」
 目に見えるモノではない。その感覚だけで、それまでの真帆に何かが追加された感覚を得る。
 真帆はまだその領域には達しておらず、何がどう罠なのかも、罠にかかったのかすらも判別できない。
 やはりこの男も智恵美も、とんでもない実力者。
 魔女とはいえ駆け出しに近い自分の未熟さが恨めしい。
 しかし今はそんな事で嘆いている暇はない。
「…あとは、貴方のそれ。何とかしないといけないですよね?」
 夢の中でもしっかりとニュクスを縛る拘束具とIO2が施した術式。
 監禁されている部屋から出ようとしたり、何かニュクス自身が術式を展開させようとすると発動するものらしい。
『手足を拘束し、瞬時に首をはねる…そんな術式さね』
 そんなものをつけられていても尚この男には余裕の色が見える。
「でも…これじゃ連れ出せないじゃないですか」
 するとニュクスは声をあげて笑った。
『まぁだ気づかねぇのかい?! こらぁやべぇわ』
「す、すみませんねっ どうせっ…」
 唇をかみ締め、ぐっと言葉を飲み込む。
 言葉は力。自分に僅かでもそんな暗示などかけたくない。それでなくても言いたくない。
 同じ探求者であるこの男の前では。
『いいか、『俺が』術式を展開するのを阻止する為のもの。だぜ?』
 言葉の端々が強調されている。
 そんな。
 まさか。
 IO2の用意した術式が?
「まさか……」
 そのまさかさ、とニュクスは笑う。
『外部からの干渉を計算に入れてねぇのさ。この術式はな』
 自身の力を完全に封じるには十分過ぎるものだが、ゆえに外部からの干渉には脆い。
 条件指定で発動させた術式はその範囲内で多大なる力を発揮するが、それ以外の要素には酷く脆いものとなる。
 IO2の施設の奥底ゆえに、外部からの干渉をシャットアウトできていると思いこんでしまっている。
 確かにIO2の施設は魔力、妖力、神通力の悪意ある干渉をはじく構想にはなっているものの、智恵美がするような完全なものとは言い難い。
『さぁ、打ち破れよ。夢見の魔女さんよぉ?』
 ちょっとやそっとでは破れはしないだろう。しかし、懇親の力を込めれば自分でも何とかできるはず。
 攻撃は不得意だが、自分に出来る限りのことを。
『力の方向を導いてやろう。さぁ』


 ニュクスを捕らえていた拘束具が泡沫の如く消えていく。
 現実の彼に施された呪具が崩れていく。
 けたたましいブザーの音が夢の中にまで響いてくる。
『さぁ、囚われに行こうじゃねーか』
 牢獄からニュクスが消える。
 真帆とともに空間を移動しようとする。
 途端に無限結界へと呑まれていく。


『お次はこの無限ループを破壊するぜ』
 この男のいう事すべてに従うわけではないが、今はその力を借りるより他にない。




 「ふむ。成る程…また面倒ですこと」
 裕介達はおろか、真帆とニュクスの行動まで亜真知には視えていた。
 これ以上の暴挙を許すわけには行かないが、かといって敵に塩を送るのも吝かではないが抵抗はある。
 都心部で大きな力の波。
 撫子や裕介がその力を奮っている。
「あまり大事になってもその力の余波を受ける方々が大変ですわね」
 彼らはその継承者ゆえに御する術を知っている。
 だがそれ以外は彼らや亜真知から見れば普通の人に過ぎないのだ。
 ましてやリージェスは半分魔物。
 あの力のうねりの中、その存在を維持し続けられるかどうかも怪しい所である。
「ではそろそろ参りましょうか」
 裏で暗躍する者たちの目論見、そして如何に犠牲を出さずに事を鎮圧するか。
 人の身なれば到底納得できない事態になるやもしれない。
 しかし亜真知は今取りうる最良の術を選択し、現地に赴いた。




 「やったか!?」
 死霊使いと一戦交える伊葉が強大な力の波動の先にあるものに目を向ける。
 それと同時に、死霊使いもまた、同じ方向に視線を向け高揚した様子で呟く。
「すばらしい…」
「主が倒されたかもしれんというのに悠長な事だ な!」
 ガキンッと鈍い音と共に死霊使いの鎌が割れた。
「おや」
 これは意外だったとばかりに折れた刃先を見つめる。
「フフッ…まさか。まぁ確かに、油断が過ぎるお方ですので軽く腕をふっ飛ばされたようですがね?」
 死霊使いは笑いながら呟く。
 そんなことで弱るわけが、死ぬわけがない。
「…!」
 死霊使いの指摘どおり。視界を遮っていた力の渦が晴れると、その向こうにいたのは片腕がなくなり、体が鮮血に染まる吸血鬼の姿が。
 それと同時に膝をつく裕介の姿が目に映る。
「田中!?」
 外傷は見当たらない。
 しかし今にも倒れそうなほど疲弊しているように見えた。

「…精神汚染……さすがにキますねこれは…ッ」
 裕介を襲っていたのは猛烈な睡魔。
 体の欲求ではなく、夢に寄生しかけたナイトメアの影響により、脳が強制的に眠らせようとシグナルを送る。
「直接攻撃とはまた別の衝撃だろう?うちのペットは特殊でね。ナイトメアという種族の特性に吸血鬼の再生力+αで改良してあるんだよ」
 夢を丸ごと支配せずとも触れるだけで夢に多大な影響を与える。
 まるで吸血鬼が精気を奪い取るかのように。
 神器に斬りおとされた腕はちょっとやそっとのことでは再生しないようで、斬られた末端は霧散して消えている。その点だけはこちらに分があった。
 失礼、そう囁き撫子が裕介の頬を張る。
「しっかりなさいませ田中様。雪山ではありませんが寝たら最後ですわ」
「確かに…そうですね」
 ただの眠気ではない。寝たら恐らく自らの意思では起きられない。
 今落ちる訳にはいかない。
「田中さんッ」
 駆け寄るリージェス。心配そうに見つめる彼女に申し訳ないとばかりに裕介は苦笑する。
 彼女を護らなければ。
 恐らく奴らの狙いは能力者の魂の回収とリージェス。
 自分の失態で奪わせてなるものか。
 朦朧とする意識の中、裕介は義母の到着を待ちわびる。思わず頼りにしたくなるほど、今の彼に余裕はない。

 裕介たちの様子を横目に、伊葉は未だ死霊使いと交戦中であった。
 割れた大鎌で次々と衝撃波を浴びせてくる。
「割ったからといってそう攻撃力が落ちるわけでもないな!」
「お褒め頂き光栄至極。ただ演出過剰な性質でして」
 白虎の支配する風が死霊使いを切り刻む。
 しかし妙だ。
 見た目だけ判断すれば伊葉の方が圧している様に見える。しかし、戦っている本人はまったくそう感じない。
 何故だ。
 何故これほどまでに余裕があるのか。
 何か違和感を感じる。
「……まさかお前…」
 何かに気づいた伊葉の言葉に、死霊使いはにやりと、不敵な笑みを浮かべた。




 「いいかぁ?無限ループってなぁ必ずどっかに綻びが生ずるモンだ!それを如何に巧妙に隠すかが術士の腕の見せ所ってぇわけだが」
「は、はいっ」
 手当たり次第攻撃を加えているようで、何か一定の法則に従って動いているように真帆には見えた。
 何故この男はここまで教えてくれるのだろうか。
 コレ自体が罠ではないかと勘繰ってしまうものの、こちらの考えは全て筒抜けになっているので疑うたびにニュクスは笑う。
「空間を捻じ曲げているポイント…繋がるはずのない場所を無理に繋げているのだから次第に無理が生ずる…この場合……」
 目印はすぐに消える。
 という事はここを支配するのは時間。
 一定の時間の中を行ったり来たりしているのだろう。
「時間軸と次元軸の交差…つなぎ合わせた矛盾のかすかな乱れは……」
 迷路を抜ける時と同じ様に、壁伝いに手を添えながら進む。時折目を閉じて。
 するとある一点で『何か』が引っかかる。
 物質的なものではない。自分の勘がそう告げている。
「……ここだ!」
「せーかい」
 真帆が見つけた一点に、ニュクスが魔力をぶち込む。すると周囲の空間はガラスが砕け散るようにガラガラと崩れ、そしてそれの後ろにまるで塗りこめられていたかのようにどこかの館内が姿を現した。
 周囲には系統の違う結界の気配。恐らく西洋、東洋両方のものが張り巡らされている。

「―――あらあらまぁ…まさか貴女が?」
 聞き覚えのある声がエントランスの奥から、中央に設置されている階段の上から響く。
「シスター!」
「…樋口さん…貴女が…」
 いつものように見えても智恵美は動揺していた。
 まさか仲間内に裏切り者がいたなんて。
「違います!!たしかに、ニュクスの封を解いたのは私です…でも…っ」
 説明しなくては。でもどう言えば納得してくれるだろう。
 そう考えると言葉に詰まる。
「まぁだわかんねーのかい、シスター。これまでの経験ゆえに頭が固くなっちまってるのかね?」
 いつもの調子でケタケタ笑うニュクス。
 そう、彼が言うように、智恵美を始めとするこれまで関わってきた殆ど仲間達の考え方は的を外れている。
「聞きましょう」
 智恵美の目がスゥッと細く開く。
「俺も、俺の娘も。吸血鬼にとっては用済みだって事。そろそろ気づいてもいいんじゃないかね?」
 リージェスに使い道があったのはその膨大な魔力を有していたその時まで。
 それも先に自分の復活の為に奪い取った。
 ゆえに今、彼女の利用価値は吸血鬼たちにとって何もない。
 魔物の血が混じっているがゆえに食料としても美味い部類には入らない。
「――――…そういうこと……」
 こちらの言いたい事を即座に理解したのだろう。
 自己嫌悪とも取れる深い溜息をついた智恵美は、暫し沈黙した。
「ニュクスを牢獄から出して本当に御免なさいっ でもっ…でも…どうしても確認しておかなければならなかったんです…」
 きっと彼がルシアスという男に一番近しい存在だから。
 種族や力量の問題ではなく、友人という、極々ありふれた存在。彼にとって一番手に入れにくい存在。
 それがニュクスという魔術師だった。
「ここの時間は止まっているか?正味の話、外の状況はやばいぜ。アンタなら出来るだろう?ルシアスの棺を持ち出すことなど造作もないはずだ」
「…それで、棺を交渉材料に今暴れている死霊使いたちを止める…と?」
 そうだと言いかけた刹那、それまで気配すらなかった何かが突然現れる。


「彼らに棺を渡しても無駄ですわ。どうせそれを逆手にとって公爵や伯爵を亡き者にする手筈なのですから」


「!!……貴女、榊船さん?!」
 どうしてこの空間へ。
 誰の干渉も受け付けない…そう思った途端、智恵美は気づき、苦笑を深める。
「神格持ちならお分かりいただけますよね? 大丈夫。この空間を『本当に』壊してしまっては貴女様にも害が及ぶはず。ゆえに壊さずちょっとだけお邪魔させていただきましたの」
 軽い物言いだが、おいそれと出来るはずも無く。ニュクスも真帆も唖然とする。
「え、えと、あの、ちょっと、待ってくださ……『公爵と伯爵を亡き者に』…??」
 混乱する真帆。そんな彼女に亜真知は微笑む。
「わたくしが調べた所によりますと、侯爵と死霊使いは主従関係にあります。伯爵の子飼いのように見せかけて、実は侯爵の指示で今まで動いていたようですの」
「あー…なぁるほどなー…あの女にしては回りくどい手口だと思っていたが、どーりで」
 腑に落ちなかった部分がすとんと落ちたようで、全て理解したであろうニュクスはうんうんと相槌を打つ。
 混乱する真帆たちをよそに亜真知はいつもの調子で平然と続ける。
「死霊使いを伴って公爵復活に必要な生命エネルギーを集めているようですが、これは恐らくただの演出だと思いますわ。使うとしてもより良質のエネルギーを集めて伯爵を殺す為の力として使いそうですわ」
 なんということだ。
 我々は踊らされていたに過ぎないのか。
「……まだまだ修行不足ということですねぇ」
 声も顔もいつもと変わりないようにみえるが、気配はまったく違う。
 吸血鬼たちの行動に、彼女のプライドも多少なり傷つけられたのだと思った。
「それなら…連中を出し抜くにはどうした……ぁ…」
 疑問を投げかけている最中、真帆はそれに気づいた。
 すると亜真知はにっこり微笑んでその言葉を紡ぐ。


「公爵に直接棺をお届けしましょうか」




 「貴様…木偶だな!?」
 伊葉の指摘に死霊使いは喉の奥で笑った。
 確かにダメージを与えれば傷つく。血もでる。
 しかし動かせなくなるようにピンポイントでダメージを与えても堪えた様子がない。
 人でなくなったものとは言え、構造は人のそれだ。神経や筋肉の位置までは変えられないはず。
「精巧に作られた木偶…いや死体そのもの。吸血鬼によるドーピングとは即ちアンデッド化!」
「ご名答…ですがすこぉし訂正しましょう。他人の肉体では細部にわたって操るのは難しいのですよ」
「……自分の…肉体…だとぅ…?」
 狂っている。
 人である事を捨てただけではなく、その体すらも捨て、目的を果たす為に使うのか。
 伊葉は総毛立った。
「すべては この世の次の世界を見るために」


「…?伊葉様、大丈夫でしょうか」
 背中越しに伝わってくる伊葉の気配。それに乱れが生じた。
「……あちらよりも、こちらを何とかするのが先決でしょう…ね」
 その腕を失っていても侯爵の態度は平然としている。
 腕から流れる血はその流れに逆らい、刃に形を変えて攻撃のそれとして使われる。
 時には黒犬に、時には烏となって縦横無尽に襲い掛かってくる。
 対象が細分化してしまうと裕介には分が悪い。
 撫子の妖斬鋼糸が次々とそれを断つものの、ハッキリいってキリがない。
 神格持ちとはいえ、今この身体は人のそれ。疲れも蓄積していく。
「…田中さん、天薙さん…おかしいと思いませんか? 彼ら…確かに無差別に能力者狩りを行っていたようですが、目的の為に私たちをサッサと排除してしまおうという気が感じられません」
 リージェスの指摘に撫子は龍晶眼による先見の結果を伝える。
「戦いが好転して、私たちが勝てるのは見えます。しかし、倒せるわけではない…」
 『何か』がくるまで自分たちが持ち堪えなければならない。
 その何かが、様々な力がせめぎ合うこの場でなかなか定める事が出来ないでいる。
 少なくとも、それが勝因となるだけに一番見えなければならないのだが。




  誰かが来る

 この暗闇の中、懐かしい気配と共に気に食わない気配がチラホラと


 これは―――


「いよぅ、元気してっか?」
『お前…』
 夢を渡り、ルシアスの夢に辿り着いた。
 真帆の力もそろそろ限界が近づいている。
「…ルシアス…」
『いつぞやのお嬢さんか。今日は何だね、大勢で人の夢に』
「貴方の棺を、持って来ました」
 真帆の言葉と同時に、ニュクスと亜真知が『それ』を夢の中に出現させる。
「貴方が眠っている異空間にこれをおけば宜しいかしら?」
 見た事もない高次の存在が、まるで小娘のような口調で、笑顔で話しかけてくる。
『何を企んでいる…』
「…俺もお前も伯爵も、全ては侯爵…エオンに踊らされていたってことさね」
 その侯爵を出し抜くために、お前に自力で復活してもらう必要がある。ニュクスはそう親友に告げる。
『ハッ…ハハハハハッ……そういうことかっ!! …舐められたものだな……』
「ついでにお前が欲しがってたモノの一つもくれてやる…どうだ?」
 ニュクスの言葉に、ルシアスは目を見開いた。
 元の世界に戻る方法とはまた別のものらしい。
『本気か?』
「今この状況を打開するにゃあ仕方ねぇさ。ま、くれてやるっつーか『貸してやる』だがよ」
 復活の為の一時、その手に。
「…何をする気ですか?」
 怪訝そうに尋ねる真帆。するとニュクスは背中越しに笑う。


「見せてやろう、エストリエの棺を」


 そう言ってニュクスは自らの手首を切り、ルシアスの棺にその血をかけていく。
「あらあら…」
「まぁ」
 智恵美と亜真知の驚きよりも、真帆の驚きの方が大きかった。
「なっ なななな何してるんですか!? …あれ?」
 棺にかけられた血は零れ落ちる事無く、棺に吸収されていく。
 木で出来た簡素なつくりの棺はその血をすって赤く、光沢のある、まるで別物の棺へと変化していく。
「―――…滅多なことじゃあやんねーよ。これは俺の魔力そのものだかんな。俺のとっときの魔術だ」
 今この棺に入れば、本来かかる時間の一割にも満たない僅かな時間で完全回復できる。
 彼はそう呟いた。
『まさかこういう形で使えるとはな』
 感謝するぞ、親友。
 術式が完成した棺は亜真知の力によって本体が眠る空間へと転送される。
 夢の闇が薄くなった。
 ルシアスが目覚める。
「さぁて、最後の仕上げといこうじゃねーか?」




  裕介の意識はもはや限界だった。
 思った以上に侵食が早い。
「まずいです…ね……」
「田中様!」
「田中さん!」
 普段であれば女性からこれほど呼ばれるとなれば嬉しい響きなのだが、今はそれもひどく遠い。
 意識が飛びかけたその時。急に眠気が吹き飛んだ。
「これは…?!」
「今しがた意識下のナイトメアを排除しました!大丈夫ですか!?」
 亜真知や智恵美に連れられて、真帆が裕介に駆け寄ってくる。
「樋口さん…それに…」
「あらあら、だらしなくてよ」
 いつもの智恵美の姿がそこにある。
 準備が整ったのか?
 否、どうもそうではないらしい。
「……どういうことかな?」
 侯爵が一同を見下ろす。
 こんなはずではなかった。
「なっ……なんで……」
「俺がいるかってぇことかね?」
 当然のようにニュクスの姿がそこにある。
 リージェスは勿論の事、他の者も頭の中はひどいパニックだ。
「貴方方の目論見、全て調べさせて頂きましたの。もうすぐ公爵も自ら復活なされますわ」
 これ以上この暴挙を続けますか?
 にこやかに星杖を掲げた亜真知が侯爵に問いかける。
 だが、問いかけというよりは脅しに近い。
「―――お嬢さん、お名前は?」
「榊船亜真知と申します」
 以後お見知りおきを。そう言ってお辞儀をする亜真知。
「…この借りはいつか必ず返そう」
 このプライドを傷つけられた仕返しはいつか必ず。
「侯」
「これにてショータイムは終わり…閉幕の時間だ。次の公演まで、生き延びている事を願っておくよ」
 にこやかに、けれど目に怒気を宿した侯爵は、死霊使いと共にその場から掻き消えた。
「待て!」
 伊葉が追いかけようとするも、その手は空を切るばかり。
「とりあえずは捨て置きましょう。次はこんな面倒な手口ではなく、直接わたくしたちに向かってくるでしょうから」
 復讐という名の元に。


 こうして、都心部を巻き込んだ騒動は一先ず、なりを潜めた。


 後に残る問題は山積み。
 都知事である伊葉もようやく、現実に感覚を引き戻す。
 再就職厳しいなぁとぼやきながら。

 それから暫く、不発弾処理という名目で封鎖していた都心部に人が戻り始め、混乱が多少なりとも残ったがそれも次第に薄れ、東京は『日常』を取り戻した。




  ある日の教会――


「…とりあえずは首の皮一枚で繋がったようだがね」
 伊葉はなんとか今も都知事の椅子に座り続けている。
「ところで…」
 リージェスに伊葉が問いかける。
 勿論、その意味もわかっていた。
「あれからニュクスは姿を消しました。といっても、シスター隠岐の監視つきですが」
 あれの所業を許せるわけではない。許す気もない。
 だが、今回の騒動の鎮静化に役立った事は確かである。
 それゆえ教会側とIO2側を交えて現在その処遇に関して審議中とのこと。
「しかし…」
 裕介の言いたい事は分かる。
 彼女にとってまだあの存在が付きまとうと思うと、素直に笑っていられないであろう。
 それを心配している。
「こちらも、亜真知さまと共に同行を探ってみます」
 侯爵と死霊使いを。
 そして、伯爵を。
 まだ見ぬ爵位持ちも今後何を仕掛けてくるか分からない。
 まだまだこの件が終わったわけではないことを撫子の言葉が示している。
「私も……もう暫く観察してみる事にします」
 ニュクスも…そして、ルシアスの事も。
 あの二人が完全悪とも思えないでいる自分は、もう暫くあの二人を見極めたい。

「…とにかく、一段落はしましたがまだ油断は出来ません。状況が変化し次第、若しくは何か分かり次第おってご報告いたします。皆様お疲れ様でした」
 複雑そうな笑顔を浮かべるミハエルの言葉に、一同は一先ずそれぞれの日常に戻る事にした。



―了―
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0328 / 天薙・撫子 / 女性 / 18歳 / 大学生(巫女):天位覚醒者】
【1098 / 田中・裕介 / 男性 / 18歳 / 孤児院のお手伝い兼何でも屋】
【1593 / 榊船・亜真知 / 女性 / 999歳 / 超高位次元知的生命体・・・神さま!?】
【2390 / 隠岐・智恵美 / 女性 / 46歳 / 教会のシスター】
【6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生/見習い魔女】
【6589 / 伊葉・勇輔 / 男性 / 36歳 / 東京都知事・IO2最高戦力通称≪白トラ≫】

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■         ライター通信          ■
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