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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


el alivio bonito


 澄み渡る、青い空。水色の空は誰にでも開放感を与えてくれるし、そこに流れる風はいつだってさわやかだ。
二人の竜の女性がいた。濡れ烏の髪を持つ、美しい人の姿をとって。
一方はまだ二十歳にも届かないようなあどけない少女、もう一方は大人びたどこか不思議な雰囲気をもつ女性。
燃えるような赤の瞳は空の光に照らされて輝き、伸ばされた髪は風にさらさらと揺れている。
かたや足取り軽く、かたや落ち着いて危なげなく。

 彼女らは、山の道を辿っていた。枯れ木ばかりの、妙に背筋がざわつくような空気の山林。
「まだ、気配は薄いみたいですね、お姉さま」
ファルス・ティレイラ……竜の少女が、もう一人の竜の女性へと向き直る。
「そうね。でも、油断しちゃだめよ、ティレ」
お姉さまと呼ばれたのは、シリューナ・リュクテイア。優しいまなざしの中に、不思議な火を灯したような女性だった。
ティレイラは真剣な面持ちで頷き、道が続く方向を見上げた。

 先ほどまで歩いてきた道、木々がぽつぽつと立っていただけの道と、空の色が違う。
見るからに怪しい雰囲気をかもし出している、山頂の洋館。
彼女らはそこに上り、耳鳴りがしそうなこの妖気の原因をつきとめるべく
――否、暇つぶしと興味がその動機の大半を占めるが――ここへと遣って来たのだった。
 遠目から見ると、半ば崩れかかった、冷たい色の洋館である。
しかし、大きさは並みのそれではない。ちょっとした大きなデパートよりもまだ大きい。
灰色がかってきた空、雲ひとつない灰の空に、それはもう溶けて消えてしまいそうだった。
近づけば解る、それは石で出来た神殿のような館である。
これまで立派な石造りの洋館が、東京近辺で見つかった事があろうか?
もしもそれが何かによって作り出された幻ならば、まだ合点もいく。しかし、そのような魔力は感じない。
今まで誰かによって調査されなかったのは、それもあるのだろう。
近づいても近づいても、こちらに危害を加えてくる様子がないのだ。
それを怪しいと見るべきか、それとも安心していいものか。
森を抜け、門を潜り、庭へと差し掛かる。視線も敵意も殺気も、何かヴェール越しに降り注いでいる感覚だった。


「何の変哲もない洋館よね、このままだと」
 両開きの木戸に手を掛けて、シリューナが呟く。錆びた取っ手は氷よりも冷たく、重い。
「ここまでの妖気があるのに、なんの罠もないなんて」
「館の中に、何かあるんですかね?」
「さて、どうかしら。まあ、時間つぶしにはなるんじゃない?」
「探してみましょうよ、お姉さま!」
 両手を携え、扉を開く。
蝶番が軋む音、木の粉がぱらぱらと落ちる音と、うきうきしながら洋館へ駆け込むティレイラの足音。

「元々このあたりじゃ、人間達もあまりいいことがなかったって言ってますもの。
 もし原因を突き止められれば、喜んでもらえますよ!」
 広い玄関を早くも眺め始めた彼女を見て、溜息をつきながらも頷いてみせるシリューナ。
「大分広い館だし、迷わないように。いいわね」
「わかってますって!」
 コンコンと言う、靴底で石を叩く音。天窓から差し込む太陽の光。
薄く埃を被った床には、二人の足跡だけがくっきりと残る。
早々と玄関の捜索を終えたティレイラが次の扉を開き、廊下へと進んでいく。
それからしばらくの間、シリューナは念入りにフロアの隅々を調べていった。
魔力は感じる、この館中に充満している。が、それがはっきりと形になって現れない。
空気に魔力が馴染んでいるのだろうか。出所もはっきりしない。
 本当に時間つぶしになりそう、と、シリューナは苦笑した。
どこかだけ妖気が濃くなっている場所があれば、それを辿っていけば間違いないのだが。
今回ばかりはそうもいかないようだ。
さて、どうするか。しばらく考えた後、彼女は別の廊下へと向かう扉を開けた。
ティレイラが向かったのとは違う扉だ。木で出来たそれが、鉄の装飾のあるドアノブがまわされる音と共に、ゆっくりと開いた。



 軽く駆ける足音。ティレイラは、長い長い廊下を走っていた。
石で出来た壁、石で出来た床、その上に申し訳程度に薄い絨毯が敷いてあるが、それもほつれ掠れぼろぼろになっている。
かつてまで人が生きていた形跡なのであろうか、蝋がすっかり溶けてしまったろうそくの痕。
窓にはガラスがなく、壁に四角い穴ぼこが空いているだけだ。
そこから、何十という光が差し込んできている。
ここに一体何が隠されているのだろう! ティレイラの足は軽く早くその廊下を駆け抜けていった。
感じる妖気は今だ漠然と、しかし確実に脈打っていた。
どこかに絶対何かが隠されているのだ!
軽い恐怖と純粋な好奇心。彼女の心臓もまた、とくとくと鼓動を打ちつづけている。

 廊下を一人歩く少女の姿は、それは美しかった。
外から差し込む光と、灰色の壁。じゅうたんのくすんだ赤。そして、はっとするような黒い髪の少女の姿。
どこか懐古的で、耽美的で、そして限りなく動的な静物画。
この石の城に、彼女は不思議なくらい溶け込んでいた。今となっては必然とも取れる、妙な完成感のある風景。

 長く続く廊下を、ティレイラの足が小さく軽く踏みつけて進んでいく。
足音は一定に、心地よく響いた。
……が。不意に、彼女の足がぴたりと止まった。違和感を感じ、小首を傾げる。
「なんだろう、音が変わった。足元……かな?」
 あたりをぐるりと見回し、何の変哲もない壁に囲まれている事を確かめてから、彼女はこつこつと床をたたいた。
「魔力も、ちょっとだけ増してる気がする。……このあたり……?」
 埃を払い、手で床をなぞる。薄いじゅうたん越しに、並べられた石にしては妙な感触を覚えた。
じゅうたんをそっと捲り、埃に咽ながらも床を再び調べる。
手の甲で叩いてみれば……その音はあきらかに響きすぎていた。
「もしかして、もしかするかも!」
 四角く区切られた床板。その下には空洞。なでるように床を触れば、指の入る小さなくぼみを見つけた。
案の定、それは戸の取っ手。
彼女には何の躊躇もなかった。ぱっと表情を明るくすると、両手でそれを思い切り引き上げた。

 一瞬、重く大きな感触。そして、ぱらぱらと砂が落ちる音と、扉の開く鈍い音。
小さな体と細い腕を目一杯動かして、彼女はその床の扉を開いた。
足元に現れたのは白い石でできた階段。延々と続くそれは、深い闇に飲み込まれていく。
「ぜったいにここに何かあるんだ! お姉さまには悪いけど、私がお手柄独り占めしちゃおう」
 どうやら、とうに周りの人間達に感謝されるつもりだったらしい。
もしもこれで洋館の妖気を払い人々から感謝され誉められるのなら、鼻高々である。
壁に添えられている松明に魔法で火をつけながら、ティレイラは一人地下室へと侵入するのだった。

 床も壁も冷たい。光に照らされている場所を見れば、それは風化せず白いまま残った石だと解る。
ややかび臭い地下室は、思ったよりも階段を下らないうちに最下へと辿り着くことができるほどの深さだった。
あとは、上と同じく、長い廊下が伸びるだけ。
ただ違うのは、ティレイラの魔法によって照明がつけられたのと、行き止まりが目に見えるところにあることだ。
 さすがのティレイラも、ほんの少しだけ慎重に歩みを進めていた。
館の周りでは全く感じられなかった、強い妖気が流れている。
どんな形かはわからないが、『敵』が間違いなくそばに居る――。慎重になるのも当然だ。
言葉もなく、彼女はゆっくりと行き止まりへと近づいていった。

 白い廊下の先、ひっそりと佇んでいるのは、同じく白い石で作られた彫刻。
「面白いレリーフ……。見たことない絵柄だけど」
 描かれているのは、髪をひざまで長く伸ばした女性。
しかし、彼女はどうみてもただの人間ではなく、額から一本の長い角を伸ばし、即頭部から獣の耳を生やしていた。
下半身はヤギか、馬のものだろうか。長い尾が下がっており、地面を擦っている。
そして、腰部からはまるで触手や昆虫の脚と言ってもいいような、するりと長い腕を一対伸ばしていた。
「なんだろう、これ。モンスターかな……? それとも、人間?」
 閉じられている異形の瞳を、じっと見つめるティレイラ。

 ――悪寒を感じたのは、その直後であった。
レリーフから階段へと、一陣の突風が吹きぬける。ティレイラの髪がざわりと音を立て、揺れた。
ティレイラの体は硬直していた。あまりの寒気と、膨大な魔力に。
「あ、あ……」
 開かれた口からは、肺から流れる空気だけがこぼれる。
レリーフの異形の瞳が、黒く光った。

 空気の振動、舞い上がる埃。照明が波打ち、あたかも光と闇が波に揺れ波紋を作ったようだった。
ティレイラの目の前、そのレリーフの影から、いつのまにか音もなくその異形が姿を現した。
白い肌、艶やかな髪、瞳は真黒く塗りつぶされていて白目がない。
半ば幻のような、魔力でだけ存在しているような魔物。
それの出現を許したティレイラは、尚も逃げ出せずにいた。ただ、悲鳴にならぬ悲鳴を繰り返すばかり。
重い足をやっと動かすようにして、後ずさろうとする。しかし、ほんの少しだけ動くのがやっとであった。
 ふわりとした風、冷たい感触。
半歩歩けたか否かという間に、その異形が、覆い被さるようにしてティレイラに抱きついた。
四本の腕が、しっかりと彼女を包み込む。

「な、何よ……? 思うようになんて、させないから……!」
 きりと搾り出した声。異形の腕が首を、肩を、しっかりと抱きとめている。
細い腰に撒きつくように、もう一対の腕が触れる。
魔力を高め、魔物の力と相殺させようと抗うティレイラ。
力を入れれば、ふっと冷たい感触が遠ざかったように感じた。
 ……しかしその暖かさも、この魔物の持つ、魅了の魔法によるものであったかもしれない。
力を入れれば入れるほど、だ。体の芯のあたりから、なんともいえない、だが間違いなく心地よい感触が湧き上がってくるのだ。
例えれば、花がつぼみをひらく様子がある、あれと同じ様に、広がっていく。
 それでも、抗う力は強まる。体に力を入れる。知らぬ間に身体は高揚していく。
両手に力を込め、魔力を高める。
ただ不思議と、もしくは当然、その腕から逃れようという意識は湧かなかった。
「もう……、やめ……なさい!」
 腕を持ち上げ、異形を掴む。しかし、この魔物に実体はない。ただ冷たい感触がするだけだ。
自分の心臓の音と、魔物の心臓の音が聞こえる。
自分の呼吸の音と、魔物の呼吸の音も。
ふたつは似通っていたが、あきらかに自分のそれのほうが大きく、高らかだ。
魔物は小さく鳴いた。馬の鳴き声を、だいぶ小さくしたような物だ。

「だめ……、私は、まだ……生きたいから」
 ティレイラの頭の中には、彼女の言葉が届いたのだろう。
『私の変わりにここで眠って、私を外に出して』。
「だめなの……、まだ、だめ。私は、まだ……。ああ……」
 冷たさももう感じないくらい、体が熱くなっている。
自分で自分の呼吸を聞けるほど。自分の鼓動を聞けるほど。
 まぶたが重かった。痛みにつぶるのではなく、眠気に負ける時と似ている。
恐怖も魔力も、全部解けてしまうくらいのあたたかさ。春のひだまりのような。
「…………。……」
 もう、呼吸をするだけだ。言葉を出す力すらない。
こうして地面に立っていられるのは、むしろ魔物が彼女を抱きかかえているからだったろう。

 冷たさを感じなくなっていった部位が石化し始めたのは、この直後だ。
腰の周りが、じわじわと白い色に染まってきた。
体を外側から覆う魔法。
息をひゅうと短く吐く度に、ぴしり、と石の軋みが聞こえる。
抗うという意志すら、空気に溶けていってしまった。
ただ、魅了の魔法の心地よさだけを感じる。
ティレイラは目を閉じた。ぬるま湯に浮かぶような感覚に、全身を委ねていた。
幾重にも撒きついた魔物の腕からは、もう温度を感じない。触覚だけが、するりと腹から背を辿っている。
そこから、太腿へ、ひざへ、足首へ。もしくは、胸へ、肩へと、石が薄く包み込んでいくのだ。
身体の芯まで呪いが到達するまで、どれくらいの時間があるだろう。
ティレイラの呼吸の音が止まったのは、それから幾分かの時間が過ぎた後であった。


 直後である。かかんと音を立て、シリューナが階段を駆け下りてきた。
異形の女性がその実体を取り戻し、ティレイラは完全に石化してしまっている。
白い地下室でシリューナが見たのは、ティレイラがレリーフに取り込まれる瞬間であった。
目の前で、髪の長い異形がまばたきをした。

「こんな所に根源があったとはね。見つけたのなら、こちらのものよ」
 シリューナの周りで、空気が渦を巻いた。
新たな存在と異変を察知して、異形が小さく唸る。

「申し訳ないけれど、面倒ごとは御免なの。もう一度、眠ってもらうわ」
 異形がその腕を振り上げ、襲おうとした瞬間である。
シリューナが翳した指の先から、強大な魔力がほとばしった。
空気がはじける音と共に、魔物は跡形もなく消滅した。
ただ、それが放とうとした魔法の断片を残して。
「魔力は互角だったかしら? ……先手必勝、と言うことかしらね」
 舞った埃を払いながら、魔力をはかるシリューナ。危なげなく笑い、肩をすくめて見せる。

 漂う妖気がなくなったことを確認してから、彼女は廊下の行き止まりへと歩み寄った。
「なるほど……高度な封印の様式ね。……少し時間をかければ、問題なく解けそう」
 頭の中に、それを収拾する魔法を思い描く。シリューナの魔力と知識をもってすれば、難なく破れるものであった。

 それにしても、と。
「中々面白い出来になったわね?」
 シリューナが小さく溜息を付く。
ティレイラは、すっかりこのレリーフの一部になってしまったのだ。
首をすこしだけ傾げて、恍惚の表情を浮かべ。
両膝を地面につきそうなくらいに曲げ、片腕を垂らして、髪を流れるままにして。
女性に最後まで抗おうとした名残であろう、片腕を誰かの肩に添えるように上げている。

「こんな表情、普段じゃみせてくれないから……うん、いいんじゃないかしら」
 石造りの洋館と、黒髪の少女。このような作品も、いいものである。
そっとそのレリーフに触れ、くすくすと笑うシリューナ。
「こういう美術品も、あるものよね。もうしばらく、楽しませてもらうわ」
 レリーフを持ち帰るのはさすがに難しい。
ティレイラが見せてくれる表情は、いままでいくとおりも楽しんだが……今回はまた違うものだ。

 こうしてまた、シリューナの美意識は刺激され、ティレイラの表情はそのモチーフに選ばれてしまうのだろうが、
当の本人は気付いているのか、いないのか。
少なくとも、その好奇心と冒険心の尽きる事はなし。
それは、彼女らふたりともに言えることなのだけれど……。
今日もまた、ふたりはこの舞台を楽しんだようである。冷たい洋館に魅了されて。