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<東京怪談ノベル(シングル)>


ミッションコード《P》-前編-

 メールの着信音が響いて、琴美はペットボトルを片手に振り返った。
 時刻は午前〇時を半時ほど過ぎた頃。電信を報せる音がもう数分早かったならば、恐らくシャワーの音に掻き消されて気付かなかっただろう時間帯だ。
 湯上がりに上気した頬を冷ましながら、少女は付けっぱなしのモニターを覗き込んだ。
 やや小振りなノートパソコンの画面には、新着メール一件の文字が並んでいる。
 首筋に伝う水滴を拭った琴美は、ボトルの水を一気に飲み干して、空の容器を置いたその手でメールを開く。
 このような時間に入るメールの内容など、彼女にはすぐに察しが付いた。
《水島琴美殿》
 彼女の名前から始まった本文には、長々と格式張った文面が並んでいるが、要約すれば概ね彼女が予想した内容と変わらなかった。
 差出人名には、《自衛隊:特務統合機動課》と綴られている。
「仕事ね。まったく、さっき戻ってきたばかりだと言うのに……人使いが荒いわ」
 少女は愚痴をこぼすように呟いた。口ぶりの割に、その表情は笑みに彩られている。
 心底では、それを歓迎してもいるのだろう。
 メールの用件を頭の中に叩き込んで、琴美は肩へ掛けていたタオルを椅子に放り投げる。メールという名の指令書を完全に抹消した後で、彼女は室内に据え付けられているクローゼットを開いた。
 夜着にしていたタンクトップと短パンを脱ぎ捨てれば、夜色の長い髪がサラリと流れて剥き出しの肢体に絡み付く。
 少女と形容される歳でありながら、その豊満な肉体は女性特有の色香を漂わせていた。
 引き締まった身体。適度な筋肉。
 しかし胸に腰にと帯びた丸みは、異性を惹き付けるものがある。
 端から見れば羨ましいまでの体系に頓着した様子もなく、琴美はハンガーに掛かっていた任務用の戦闘服を取り出した。
 始めに選び取ったのは、ピッタリとしたスパッツだ。鞣しの肌にぴたりと張り付くそれは、まるで彼女の為に誂えたかのようだった。
 スパッツを穿くことで、張りのある身体のラインは引き締められて、よりはっきりと浮き彫りになる。それでも厭らしくない色気を出せるのは、彼女の佇まいの為せる技なのか。
 その上から穿いたプリーツスカートは、足もあらわのミニ丈だ。動きやすさを考慮したものではあるが、裾が揺れる度に少女の白肌へ妖しく影を落とした。
 上体には、身体に密着するインナーを着込む。伸縮性に優れた服は、琴美の身体によく馴染んだ。
 黒い布地に覆われて尚、余りある艶が匂い立つ。ふる、とかぶりを振って頬にかかった髪を払う動作さえ、ともすれば老若男女の目を奪うだろう。
 隠しきれないプロポーションの上には、戦闘用に改造した上着を羽織った。着物の丈を詰め、半袖ほどまでに短くした形状のものだ。帯を締めて襟元を整えれば、妖艶さと凛とした佇まいが一層引き立つ。
 着付けが終わると、琴美はベッドの下に仕舞っていたロングブーツを取り出した。膝ほどまである編み上げ形のブーツだが、少女は手慣れた調子で靴紐を結ぶ。
 高いヒールもすっかり履きこなしたもので、その場で履き心地を確かめた琴美は爪先を二、三度床へ打ち付ける。
 仕上げとばかりに手に填めたグローブは、万一戦闘となった時の護身用だ。
「本当の得物はこっちだものね」
 誰ともなしに告げながら、琴美はベッドへと片足を乗せる。露わになった片足には、スパッツの上から腿の付け根に革のベルトを巻き付けた。
 ベルトには、白銀に輝く細身のクナイが数本括り付けられている。
 綺麗に磨き上げられたクナイは、獲物へ深々と突き刺さる瞬間を、今か今かと待ちわびているように見えた。
 うっとりと煌めきに見入る琴美の、身体を流れる血脈は、遥か昔から続く陰の世のものだ。
 即ち、忍びの末裔。
 その血に刻まれた、或いはその身に焼き付けた、戦闘能力が仕事を求める。
 彼女には、どんな任務でも完璧にこなせるという自負があった。
 他人に言えば、それは過信だと笑われるのだろう。
 けれど琴美には、過信と一笑に伏せさせない実力があった。
 これまで数々の場数を踏んでは来たものの、最終的にすべての任務で成功を収めてきた彼女の功績は、一種目を瞠るものがある。
 仕事へ向かう今でさえ、その瞳に浮かぶのは妖しく美しい気高さと、爛々と輝く己の信念ばかりだ。
 任務は決して安全なものではないのだが、それでも彼女の中に恐れなどなかった。
 琴美はこざっぱりとした室内で、不自然に大きな姿見を覗き込む。
 中に映るのは、洗練された、けれど僅かならぬ艶を帯びた少女が一人。
 ともすれば女性と呼べそうな顔立ちの中に、ほんの少しだけ混じる少女特有の幼さ。そのアンバランスさが、返って彼女の中にある“女”の婉美な部分を引き出している。
 そっと上げた手を鏡面に添えて、琴美はその中からじっと見つめてくる自分を見据えた。
 そう高くない身長の中に、端正に並んだパーツ。首元へ指を差し込めば、水のようにサラサラとこぼれる髪の間から、深雪のような項が顔を出す。
 手櫛を入れられた髪が宙で踊って、前合わせを確認した琴美は小さく頷いた。
「今夜もきっと、大丈夫」
 私なら絶対に成功させられる。――否、絶対に成功させる。
 胸の内で一度だけそう唱えて、琴美は姿見から手を離した。
 踵を返した所で、再びメールの着信音が室内を駆け巡る。急かしているつもりなのだろう。自衛隊の上層部も、忙しい中よくやることだ。
 一応本文を確認した少女は、やはり前のメール同様に最新メールを抹消した。代わりに、壁に掛かっていた無線機を手にする。
 電源を入れた琴美は、たった一言だけを呟いた。
「任務を開始します」
 静寂の室内で、こぼした合図には幾分も待たぬ内に返事が返る。
 電波障害を受けているように、砂嵐に似た雑音を響かせる無線機は、男の声で無機質な一言を告げた。
『成功を祈る』
 まるで始めから組み込まれた命令系統に従うように、無線の向こうの隊員はそれきり通信を絶つ。無線機を壁に戻した琴美は、窓を開いてその縁に手をかけた。
 人一人が何とか通れる程度の隙間から身を乗り出せば、くるりと宙返りするように、振り上げた足で屋根の上へと着地する。
 静謐の闇には、ただブーツのヒールが高らかに上げた音だけが響いた。
 風に靡いて翻る袂が、少女の向かうべき道の先を指し示す。冷たい夜風が耳元を掠めて、琴美は思わず、浚われる髪をこめかみで押さえた。
「良い夜ね。気持ちいい……」
 ぽつと独りごちた琴美は、夜空にまたたく星を見上げて短く息をつく。
 その姿を見る者があったなら、一枚の絵画かと見紛うほどの光景だっただろう。毅然とした立ち姿に、しかし感嘆の息を漏らすような人影などは見当たらない。
 ひたすら寝静まった街は、ただ無音のもの悲しさを伝えてくるばかりだ。
 代わりとばかりに、頬に落ちる月明かりと夜陰のコントラストが、宝石のように瞬く瞳を艶めかしく照らし出す。
 すらりと伸びた四肢は、白絹の滑らかさで仄かな光を纏っているようにも見えた。
 やがて少女は、陰の世界へとその一歩を踏み出す。溶け込むように闇へと沈む琴美の存在は、世界と一体になるようその歩を進める。
 徐々に駆け出す足音は、躍動感に溢れて瞬く間に速度を上げた。
「ミッション・スタート!」
 高揚に満ち満ちた琴美の姿を見守っていたのは、空にぽっかりと浮かぶ月だけだった。

◇ 続 ◇



◇ ライター通信 ◇

水嶋・琴美様。
初めまして、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
三本構成の一本目は、序章的文章とのリクエストで……が、頑張らせて頂きました!;
着替えシーンでたっぷりシチュノベ一本分(3000文字一杯一杯)ということで、文章の引き延ばしにあれこれと頭を使わせて頂きまして。
難しかった半面、勉強にもなりました。
また、色気たっぷりのPC様とのことで、「艶めかしく綺麗な色気を何処まで出せるか」という部分にも挑戦させて頂きました。
色気……出てますでしょうか(苦笑
一応、この後に中編、後編と続くので、前編打ち止めの部分は「了」でなく「続」となっています。
それでは、短いあとがきですが、前編ということでこの辺りで失礼致します。
続く「中編」、「後編」も楽しんで頂けますと幸いです。

※タイトルに付いているミッションコード「P」は「Perfect(完璧)」や「Penetrate(潜入)」等のP。
基本的にどのような意味に取っていただいても構いません。