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<東京怪談ノベル(シングル)>


ミッションコード《P》-中編-

 靴音が、硬質な回廊を小さく打ち付ける。
 鉄筋コンクリートの壁が冷たい影を落とす、とある建物の中でのことだ。
 自衛隊上層部からの任を受けて、忍び込んだのは、さる組織の本部にあたるビルだった。
 一見古ぼけた雑居ビルに見えるが、一歩足を踏み入れれば、防犯カメラが所狭しと連なっている。上階に向かうほどセキュリティは堅固になり、侵入した二階から更に三階上がった所で、琴美は足を止めた。
 妖艶な体付きを浮き彫りにさせる、着物を基調とした戦闘服に身を包んだ少女は、壁際に身を寄せて曲がり角の先を窺った。
 前方には闇の中へと向かう廊下が延びており、壁と天井との間には、肉眼で確認しにくい程度の機械が設置されている。レーザーセキュリティの一種だろう。
 視線を逸らすことなく睨め付けながら、僅かに折った膝の隙間に手を忍ばせた。そっと腿の付け根に指を這わせれば、片足に巻き付けた革のベルトに触れる。
 白銀の光を鈍く反射するクナイへ手を掛けると、少女は素早く一本抜き取って目にも止まらぬ早さでレーザーセキュリティの機械へ投げた。
 カツンと小さな金属音を立てたクナは、機械の隙間に深々と突き刺さり、中に巡らされている電線系統を綺麗に切断したようだ。爪の先程微かなランプが灯っていた機械は、電源が落ちた様子で赤い光を消した。
 光線状に延びていたレーザーポインターも、同時に明かりを落とす。
 念の為にレーザーの当たっていた辺りへクナイを数本投げてみれば、機械が侵入者の訪れを告げることはなかった。
 安全を確認した琴美は、死角から身を滑らせた。ふわりと軽い身のこなしで跳躍して、機械に突き刺さったクナイを回収する。
 そのまま着地した床に、突き立った幾本ものクナイを一気に引き抜いた。
 手にしたそれらを瞬く間に革のベルトに仕舞うと、少女は何事もなかったかのように真っ直ぐ続く廊下の先を走っていった。
 階上へと繋がる階段を、一陣の風のように駆け抜ける。
 明かり取りの窓から、差し込む光が仄白い四肢を露わにした。
 時折天井から足下から吊り下がる防犯カメラを壊しては、一階二階と着実に目的地へと近付いていく。今回の任務……自衛隊に仇なす組織の本拠地へ潜り込み、その組織の重要機密事項――即ち、組織の全容が記されたデータ――を奪取するという指令は、簡単に終わるかのように思えた。
 情報の保護されている最上階へ、あと一歩という所。薄い扉を隔てた非常階段口で、トラップに引っかかるまでは。
 足下の誘導灯に、ほんの爪先が照らし出された。その瞬間、耳の奥を突き刺すような不協和音が、一瞬にしてビル内を満たす。それが警報機だと気付いたのは、階下が騒がしくなり始めた時だった。
 誘導灯に見せかけた、感知センサーだったのか。
 耳をすませば、やれ「侵入者か」だの、「下の方じゃないな」だのと男達の声が聞こえてくる。この分では、すぐに上まで捜索の手が回るだろう。
 琴美は目の前の扉を音を立てぬように開き、出来た隙間から向こう側の通路を確認した。
 ほんのりと電気の灯された扉が、奥まった場所に一つだけ存在する。恐らくは、そこが情報の保管場所なのだろう。
 見張りは二人。一人は痩身の優男、といった風体で、もう一人は屈強な身体を持つ大柄の男だ。
(十メートル前方に一人、それから五十メートルほど前方に一人、といった所かしら)
 この距離ならば、手前に居る痩身の男は闇討ちで倒せそうだ。
 問題はその向こうに居る男なのだが……。
「居たか!?」
「いや、どうやら鼠は上の方まで潜り込んでるらしい」
 階下の方で、バタバタと駆け回る男達の声が響く。思わず舌打ちしたい衝動に駆られながら、琴美は猫に似たしなやかな身のこなしで痩身の男めがけて走った。
 男が何かを叫ぶよりも先に、口を塞いで鳩尾に体重を乗せた拳を叩き込む。
 相手が痛みに膝を折ったその隙を、少女は見逃しはしなかった。低い位置にくずおれた男の後頭部に、寸分違わず手刀を打ち込む。
 そのまま気を失った痩身の男に、琴美が背を向けた時だ。
 頬の横を掠めて行く風に、少女は目を瞠って後退する。咄嗟に距離を取った彼女は、自らの頬に手を遣って僅かに眉を上げた。
 指先に、生温かな液体が触れる。それから、チリリと電気を纏ったような微かな痛み。
 暗中で尚色濃く浮かぶそれは、彼女自身の血だった。
「やるわね」
 悠然と微笑みながら、前方を向いた琴美は呟く。頬に浮かぶ朱の珠を拭うと、微かな鉄錆の匂いが鼻についた。
 そこに居たのは、保管室の扉を守っていた筈の屈強な男だった。あの一瞬の間に、微かな物音を察知したのか。
 男が近付いていたことにさえ気付かなかった少女は、己の不甲斐なさを恥じると共に艶然と微笑んだ。
 伏し目がちに男を見据える彼女の瞳は、久しぶりに手応えのある相手を前にして鋭い色を孕む。
 薔薇のように人を魅了する少女の、艶やかさに隠された茨の棘。
 そんな気迫をちらつかせながら、琴美はゆうるりと構えの体勢を取った。一刻の猶予すらないにも関わらず、互いに相手の出方を見るよう様子を伺う。
 ジリジリと体勢を変えぬままに、近付いたり離れたりを繰り返す。それが一分と続いた頃だろうか。
 微かな空気の変動を合図にして、二人は同時に相手の方へと踏み込んだ。
 重量型ながら素早い男の拳は、周りの風圧すらも巻き込んで重い一撃を繰り出す。
 ともすれば動きが鈍りそうになる琴美だったが、腰を落として間一髪でそれをかわし、足払いを掛けた。
 覚束なく揺らぐ巨体を想像したのだが、男は跳ねてそれをしのぎ、落下する重力を利用して少女へ足技を見舞う。男の体重よりも更に負荷のかかった踵落としに、避けようとした琴美は、けれど思わず息を詰めた。
 硬い筋肉質の男の片足が、紙一重で避けきれなかった少女の肩を抉る。
「ぐ……っ」
 咄嗟に上げそうになった悲鳴を押し殺し、少女は驚くことにそのまま男の懐へと入り込んだ。
 彼女が間合いを取るだろうと、高を括っていたのだろう。これには男も目を瞠って後ろへ跳び退った。
 だが、彼女の追撃は止まない。迎撃の止んだ刹那の間に、距離を詰めた琴美は男の左胸めがけて肘鉄を撃ち込んだ。
 心臓の上から強い衝撃を受けた男の顔面は、一瞬焦点を見失いかけた。しかし痛みに麻痺した思考は、咄嗟に琴美を振り払おうとがむしゃらに腕を突き出す。
 それを待っていたとばかりに、少女は突き出された腕を踏み台にして高く飛翔した。
 琴美を目で追って、次の一撃を繰り出そうとした男だったが、時既に遅し。宙で腰を折った琴美は、両手の指を組んで大きく振りかぶる。
 頭部めがけて振り下ろされた拳は、綺麗なまでに頭蓋骨を直撃した。
 渾身の一撃に、脳震盪を引き起こしたのだろう。とうとう男は意識を手放したようだった。
 どさりと床に倒れた男の巨体を跨いで、琴美はパンパンと手をはたく。
「少し時間が掛かったかしら。ん……肩は外れてないわね」
 再び静けさを取り戻した廊下で、琴美は嘯きながら肩に手を当てた。先程受けた一撃はまだ、骨の芯に鈍い痛みを残していたが、折れても外れてもいないようだ。
 身の無事を確認した少女は、今し方倒れた男の懐を漁る。彼女が男の内ポケットから取り出したのは、一本の鍵だった。
「悪いけれど、貰っていくわね」
 涼やかな少女の声音は誰に聞かれることもなく、広々とした廊下に霧散する。
 彼女の無駄のない動きも、鮮やかな戦術すら、誰に見られることもなく。
 琴美は目的地へと続く扉の鍵を、静かに回したのだった。

◇ 続 ◇



◇ ライター通信 ◇

水嶋・琴美様。
前編に引き続きまして、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
三本構成の二本目、敵地へ侵入し、一戦を交える琴美PC様のシーンをお届けいたしました。
緊張感のある戦闘シーンは見る分にも書く分にも大好きで、ノリノリで執筆させて頂きました次第です(技術が伴っていないと感じられたら申し訳ございません; 精進させて頂きます)
侵入・戦闘時の臨場感が、読み手である琴美PL様に少しでも伝われば幸いです。
それでは、続く後編をお楽しみ頂ければと思います。

※タイトルに付いているミッションコード「P」は「Perfect(完璧)」や「Penetrate(潜入)」等のP。
基本的にどのような意味に取っていただいても構いません。