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<東京怪談ノベル(シングル)>


ミッションコード《P》-後編-

 黒く凝った夜闇の中に、豊満な女の影が浮かぶ。
 現代日本の、都会では珍しい星月夜。仄かに煌めく光を浴びて、響くブーツの音が一つ。
 水を打ったような静寂を掻き分けて、室内に身を滑らせた琴美は辺りを見渡した。後ろ手に内側から鍵をかけて、部屋の中央まで進み出た少女はセキュリティシステムの有無を慎重に確認する。
 自衛隊上層部より指令を受けて、任務を下されるままに潜入した敵地の最奥。
 簡素な重役の執務室といった印象を受ける内装は、机と電子機器、申し訳程度の装飾家具があるばかりだ。
 少女は机上に据えられていたパソコンを見付けるなり、手早く電源を入れて起動させる。機密事項というものは、大抵紙面ではなく電子データとして保管されているものだ。
「紙なんかじゃ、誰だって簡単に見てしまえるものね」
 カタカタと目を瞠る速度でキーボードを叩く琴美は、片手で懐からUSBメモリーを取り出す。蓋を口にくわえて引き抜くと、接続プラグ部分をパソコン本体に差し込んだ。
 次々に移り変わり、表示されていく英数字の羅列を目で追っていくと、すぐにパスワードの入力画面が立ち上がる。
 暫く躊躇するように手を止めた琴美だったが、呼び出したパソコン内の不正アクセス情報から二十桁の記号を見つけ出した。
 ハッキングで得た暗証番号を打ち込むと、ページのロックが解除される。繋がっているページから更に幾重にもロックがかかっていたが、そのどれもを難なく突破していく。
 最後に行き着いたページから外部サーバーにアクセスすれば、彼女の求めていた情報が所狭しと画面に映し出された。
 敵対組織の、その全容を示顕する文面だ。
 構成員データから内部情勢、擁護組織やその他細部にまで至る雑多な情報。漏洩厳重警戒のデータを、少女は次々と抜き取っていく。
 無我夢中で情報を奪取していた琴美だったが、とうとう扉の向こうに騒がしい足音が聞こえて我に返った。
 遂にここまで追っ手が迫ってきたようだ。時間稼ぎの為にかけた鍵も、そう長くはもたないだろう。下っ端構成員の間にそうそう合い鍵が出回っている、ということもない筈だが、扉を破られればそれまでだ。
 まだかまだかと急く気持ちを抑えて、データが転送される様を見守る。内心では慢心と焦りがせめぎ合っていたが、ひたすらに固唾を呑んで心を落ち着けるよう努めた。
 やがて短い機械音の後に、転送完了の文字が現れた。
 書き込みの終了したメモリーを回収して、琴美はすぐ様窓からの脱出を試みる。
 八階建てのビルは足下を見下ろすだけで目が眩みそうになるが、彼女は臆することなく窓の手すりに身を乗り上げた。
「それでは、よい夜を」
 すぐそこまで迫る警備員達に、届くことのない台詞を置いて、琴美はビルの出っ張ったへりを伝う。少女が窓の外に姿を消したのと、警備の男達が情報保管室に雪崩れ込んだのは同時だった。
「くっ、逃げられたか!?」
「機密情報は……あぁ、クソッ、抜かれちまってる!」
「まだ近くに居るかもしれん。探せ! 組織情報が外部に漏れることなど、あってはならん!」
 部屋の中で口々に告げた男達を嘲笑うかのように、琴美は飾り屋根の上を危なげのない足取りで走っていく。
 幅十センチもないだろうギリギリの足場だが、踏み出す少女の足に迷いはない。常人離れした素早い動きと並々ならぬ平衡感覚で、少女は屋根からテラス、次いで非常階段の踊り場へ降り立った。
 混乱に乗じて抜け出す少女の身は軽く、同時に情報の奪取に成功した心も浮き立つ。手薄になった階段を三段飛ばしで駆け下りれば、始めに企てた逃走経路になぞらえて走るだけだ。
 後にはただ艶めく黒髪をそよがせて、琴美は舞姫のような足取りで漆の夜に紛れたのだった。

 ◇ ◆ ◇

 琴美が自室に辿り着いたのは、夜も丑三つ時を過ぎた頃だった。
 電気の消えた室内へ足を踏み込んだ少女は、真っ先に自らのノートパソコンの電源を入れた。
 視界の悪い光景の中で、ぼんやりと浮かぶモニターの光が浮世離れした印象を与える。
 液晶の明かりに浮き上がる少女の顔が、妖花のような美しさと妖しさを伴って殊更倒錯的な錯覚を引き起こした。
 パソコンへメモリを繋いだ琴美は、抜き出してきたデータを整理し、メールを打ち始める。任務成功の旨を記した文面と、奪い取ったデータを添付して自衛隊本部へ送信すれば、漸く仕事の完了だ。
「ふぅ……」
 送信終了の文字盤が記されて初めて、琴美は大きくため息をついた。それまで緊張感に強張っていた肩の力が、一気に抜けていくのを感じる。
 仕事に対する絶対的な意気込みと、精神面での緩和はイコールでは結ばれないものだ。長年危険な橋を渡り続けてきた彼女だからこそ深く実感できることだった。
 常に気を張り詰めていなければ、ことの成功は拝めない。
 それは彼女の信念であり、己の信頼心の一端を担う原動力でもあった。
 緊張を緩めた琴美は、パソコンの電源を落とそうともせずに、着込んだ戦闘服の帯をほどく。はらりと床に落ちた着物調の上着の上に、かなぐり捨てるよう脱いだインナーとスカート、次いでスパッツが落とされた。
 しっとりと潤いを内包した柔肌は、まるで一点の美術品のようだ。滑らかな磁器の肌に浮かぶ先程受けた肩の痣さえも、彼女という存在に光彩を添える。
 琴美はベッドの上に放ったままのタンクトップと短衣を手にして、手短に着替えを済ませた。なだらかな体躯を部屋着で隠しながらも、一仕事を終えた後の色気は際立っていた。
 それから思い出したように、脱ぎ散らかした戦闘服を拾い上げる。皺にならない内にとハンガーにかければ、少女はやっと人心地ついた。
 私服に着替えて、冷蔵庫から新しいペットボトルを一本出してくる。
 一息つく間に、先程のメールの返信が返ってきた。
 椅子に浅く腰掛けながら、組んだ足は蝶を誘う花のようにしなやかだ。
 琴美は封を開けたばかりのミネラルウォーターを呷って、カチカチとマウスを操作する。
 からからに渇いた喉を、潤す水は味もない筈であるのに、妙に美味しく感じられた。
 デスクトップにある、新着メール一件の文字をクリックしてメールを開く。本文に綴られているのは「ご苦労」のたった一言で、無味乾燥といった言葉がピタリと当てはまったことだろう。
 如何ほど落胆したものかと思われた少女の顔は一転、みるみる生気で溢れた。
 弓月に象られる唇は、柔らかな果実を思わせる。
 甘い芳香の代わりに漏れる声は、満ち足りた心地を表していた。
「予の辞書に不可能の文字はない。もしも自分自身の辞書があるとしたなら、その中に不可能という言葉は載っていない筈だ。――彼の高名なナポレオンは、そう豪語していたわね。彼を批判する人もまま居るけど……私は、そうね。その言葉、とても好きだわ」
 一人きりの空間で、琴美は自分へ言い聞かせるようにこぼす。
 整った柳眉が、自然と弧を描いた。
 少女は、椅子に座ったままテーブルに頬杖を付く。自分が先程入ってきたばかりの窓から、見上げる月は昨日よりもその光の幅を広げていた。
 昨日よりも今日。今日よりも明日。
 少しずつ深まっていく自信に、確かな手応えを感じながら。
「まるで月のようね。日を追う事に、私の中での確固たる自信が増していくの。けれど、決して月のように痩せ衰えることはないんだわ」
 何があっても、己ならば信じられる。
 そう自分の胸に刻みつけて。
 強い想いを内に秘め、琴美はパソコンをそっと閉じたのだった。

◇ 了 ◇



◇ ライター通信 ◇

水嶋・琴美様。
前回、前々回に引き続き、こんにちは。
この度は、シチュエーションノベルの発注ありがとうございます。
三本構成の最後。三本目をお届け致します。
一本目、二本目で琴美PC様(以下PC様)の持つ色気と戦闘シーンなどの外面的描写・動作描写を書かせて頂きましたので、ラスト三本目は、PC様の持つ「自信」についての描写を少し突っ込んで書かせて頂きました。
筆者自身の語彙が少ないせいで、大分悩みながら書かせて頂きましたが、PC様の魅力を最大限引き出せていれば嬉しく思います。
また、長い物語がお好きとのことで、ここまでノベルの発注・ご一読下さいましたことを心より感謝致します。同時に、〆切ギリギリの納品となってしまったことをお詫びさせて頂きます。
素敵なシチュエーションでのノベル依頼、ありがとうございました。
殊更、PL様には楽しみにして頂いていたということもあり、その期待に応えられるようにとの一心で書かせてもらいました。
勉強させられた部分も多々あり、それを作中に上手く生かしきれたかが疑問ですが、琴美PL様のお気に召す品になっていれば幸いです。
それでは、再びのご縁がありますことを願って、この辺りでライター通信を締め括らせて頂きたいと思います。
今一度、ノベルの発注ありがとうございました。

※タイトルに付いているミッションコード「P」は「Perfect(完璧)」や「Penetrate(潜入)」等のP。
基本的にどのような意味に取っていただいても構いません。